短編 | ナノ
美しさと怖ろしさは紙一重な鶴見さん

「あまり好きではなかったかな」

そう言われて思わずあ、と声が漏れた。目をひん剥いて傍の紳士に視線を送れば紳士は舐めるような目でこちらをちらと見て、それから口の橋を緩やかに上て見せた。彼のその麗しいお顔の端々に見える白とも薄紅色とも見える吹雪にも似たその粒を見るたびに、私は思わずぞわりと背筋を生暖かなものが伝うような感覚がした。桜を見ると、なんだか怖ろしい記憶が蘇る気がするのだ。

「いいえ。」
「そうか。ここに座った時から口数が偉く減ってしまったものだから心配してしまったよ。あんこは嫌いだったか?」
「いいえ、大好きです。あんこ好きなので。」
「それは良かった。」

にこりと笑って慌てて手に持っていたそれを口に含んで咀嚼する。咄嗟のことで思わず見当違いなことを考えてしまったが、どうやら彼が言っているのは私が今両の手に持っているこのたい焼きのことであると知るとほっと胸を撫で下ろすと同時に少しだけ気がひけるような気がした。彼、鶴見さんはそんな私の心持など露知らずと言ったご様子でたい焼きを食べ終わられるとほうっと一息吐いて、それからやや上を見上げられた。サラサラとハラハラとも、何とも言い表せぬような静かな、本当に静かな音で散っていく何万弁とも言う無数の花弁がそこここに驟雨の様に降り注ぎ散っていく様はまさに幻想的だ。人では成し得ぬその景色はまさに神の業である様に思える。

掌を空に向ければあっという間に一つ、また一つと掌に落ちた。足元にはもうすでに無数のそれが雨の様に散らばって、まるで絨毯の様に敷き詰められている。土色はほとんど見えずぼんやりと浮かび上がる無数の白い片鱗は何処からともなく吹いてくる風に時折煽られては波の様に静かに移動した。ぼうっと暫く眺めていれば遠くから聞こえる人々の足音や笑い声、酒を交わす音や、聞き慣れた金属音などもいつの間にやら間遠になっていく。そのうちに自分の呼吸音まで聞こえるほどだ。まるで同じ空間にいるのに隔離された様な気がして、音がこの木や花に吸い寄せられていっている気がする。それだけで十分に怖ろしいと、そう思う。

「ふふ、可愛らしいね。」
「ありがとうございます、気づきませんでした。」

私の肩や髪についたそれを鶴見さんはハラリと優しく払うと鶴見さんは掌に乗せた。鶴見さんの大きな掌に乗せられた桜の花びらはどんなに嬉しかろうか。どこもかしこも桜の雨が降り続いて止む気配はない。ここは少しだけ通りから離れた場所だからか人がそうそう訪れない。実を言うと、この場所は入ってはいけないと立て看板がなされている場所で、現に柵に沿って簡易的ではあるがロープが貼ってあった。十年以上前から理由があって閉鎖されてしまったが、私たちの様な古くから知っている人や地元民は秘密の穴場として時折こうしてわかっていながらもここにきてしまうのだ。

ベンチもあるし、すぐそばには小さなせせらぎもあって絶好のスポットなのだ。ベンチの傍らの桜の大木の下にはいくつかの祠があって、小さな街灯で照らされている。大木の横には案内板があって、街灯の下に照らされた案内板は色あせた張り紙が幾重にも貼られていた。ここを歩く人などあまりいないし本来なら立ち入り禁止なので、随分古い張り紙ばかりだ。中でも日に焼けたか、それとも雨風にやられたか、滲んだインクで書かれた色あせた張り紙の中には迷い子のお知らせも書かれていた。その当時、小学校3,4年生だった女の子の顔写真が前面に映し出されている。私立の小学校なのかきちんとした灰色の制服に身を包んでいて、にっこりと笑顔を向けている。3月の終わりくらいからこのあたりで行方不明となり、最後に目撃されたのがこの近辺だったらしい。あとは、様々な特徴が書かれていて、一番最後には県警の電話番号が書かれていた。おそらく十年以上も前の事件で、その日付に思わず月日が経つ速さに驚かされんばかりであった。もう平成31年、あと少しで元号が変わるというのに。

小さなベンチに腰掛けて屋台で買ってきたたい焼きを食べ花を眺めるのは世間一般的に見て普通のカップルならそう珍しい光景ではない。少し先ではぞろぞろとまるで意思を持った巨大生物の様に人々の黒い影が蠢いている。ライトアップの光が夜の桜を幻想的に映し出していて、眩い。多くの人はこの幻想的な景色にどれほど感動しこの瞬間を待ちわびていたか。喜びを感じると同時に不思議と私の心にするりと忍び寄るこの言い様のない不安な気持ちは何なんだろうか。「桜の樹の下には死体が埋まっている」。梶井基次郎や坂口安吾がそう桜を不吉なものとして扱っていたのはこの得体の知れない怖ろしさではないだろうか。何故この花はこうも不可思議なほどに美しく妖艶なのか。こう思う私は果たして狂っているのだろうか。

「今でこそ美しいものの対象として硬貨にも刻印されるほどの花だけれど、江戸時代では一部の人に不吉な花として考えられていたのを知っているかい?」
「不吉なもの、ですか?」
「桜は『散る』、と言うだろう。江戸の時代では特に植えると家が栄えずに廃れると考えられていたんだよ。」
「そうなんですね、知りませんでした。」
「『散る』というのは“死”を連想させる。その儚さを美しいと思うか、それとも怖ろしいと思うか、人それぞれだと思うけれど、どの考え方も正しいのかも知れないね。」
「鶴見さんは人の心が読めるの?」
「ん?」

私が思わずそう言えば鶴見さんは首を傾げて私を見やった。私があまりに驚いた顔をしていたせいか、彼は再びん?と声をあげたかと思えば、ふふ、と再び笑われた。突如、ひんやりとした冷気を帯びた風が緩やかに撫でる様に吹き、あたりがひんやりとする様だった。ぶるりと思わず肩を震わせれば鶴見さんは自分が巻かれていたマフラーを私の肩に掛けて下さった。ありがとうございますと礼を述べれば鶴見さんは返事の代わりににこりと笑われて、再び視線を桜の方へと向けられてしまった。

「昔、あるバラエティ番組で検証をやっていたんですよ。私がまだ小学校の1、2年生くらいの頃でした。」
「そうか…私がお前と出会うほんの少し前のことか。どんな検証だったんだ?」
「『可愛さ』に関する検証でした。『究極の可愛さとはどんなものなのか』って。」
「面白そうな検証だね。」
「ええ。本当に昔の話で今の今まで忘れていたんですけれど、ふと、この桜を見ていて思いました。」
「そうか」
「究極の可愛さはね、『死に近い』だったんです。だから私たちは幼くて小さくて、己が生殺与奪を握ることのできる対象を可愛いと思うのだと、可哀想は、可愛いに通じるんだと。」
「なるほど、奥深いね。」

鶴見さんはふん、と顎に手を当てられ何やら考え込まれると目を細めた。思慮深い彼のことだ。私の考えの及ばぬ様なことを考えているんだろうとぼんやり思って最後のたい焼きを飲み込んだ。

「一見別の話に感じるが、通ずるものがあると思わないか。」
「?」
「月夜に照らされ夜風に煽られ無数に花弁が散りゆく桜を美しいと思うか、それとも怖ろしく思うか。死に近いものを憐れみ嘆くか、それとも可愛いと愛でるか。紙一重だな。」
「本当ですね。正反対なのに、不思議。」
「正反対だが、どれも正しい。」

鶴見さんの横顔を見れば彼は流し目で私と目を合わされて、それから目を細めた。視界に映る桜の景色は先ほどと何ら変わらない。ほんの少し前と変わらず、ひっそりと無数の花びらが散りつづけているばかりだ。薄紅色とも白ともつかぬその色は傍の彼の美しいお顔と同じ色をしていることに気がついた。足元をぼんやりみていれば、突然ひんやりとした冷たいそれが私の手を撫で、滑らかにするりと重なった。まるで氷の様にひんやりと冷たくて思わずびくりと震え、気がつけばどこか冷たいそれに捕まる様に指を絡まれていた。まるで蛇が塒を巻くようなイメージが突如として脳裏に浮かんで、それから呼吸をするのを一瞬忘れた様な気がした。

「さて、そろそろ帰ろうか。すっかり冷えてしまったね。風邪を引く前に帰ろう。」
「、はい。」
「こんなに美しい夜桜をゆっくりまた君と見れてとても嬉しかったよ。」

素敵な思い出をありがとう。そう言いながら鶴見さんは私の手をぎゅっと握ると、愛おしそうな目で私を見つめる。その瞳は逆光のせいか反射しておらず、しかしその奥に鈍く光る何かを感じる。彼の肩にひとひらの花弁が落ちたのを目撃して、思わずそちらに視線をやれば彼もまたそこを見た。そして先ほどと同様に繋いでいない方の手でひとつまみ花弁を手に取るとそのまま立ち上がって捉えた桜を離してやった。鶴見さんは立ち上がり私を前に屈まれると、風邪を引かぬ様にと再び私にマフラーを巻き直してくださった。そして先ほどの桜を眺めていた様などこか虚ろな目をして私を見つめると、そのまま握りしめていた私の手を引き寄せて、自分の頬に寄せた。ちゅ、と小さく私の指先、手のひらに唇を寄せていき、それはどんどん手首の方へと移動する。そして私の手首に巻かれた無機質で幾度となく私の肌を傷つける銀色のそれに唇を寄せるとにこりと笑われて、それからゆっくりと立ち上がった。手を引かれて立ち上がり、そのまま白い絨毯の上を歩いていく。きっと数週間もたてば、この白い幻想的な絨毯も土色の可愛そうな色に変わってしまうのだろうと思うとなんだか切なく感じた。儚いとは、こういう気持ちをいうのかもしれない。私とてきっとこの花たちと同じなのだ。ああ、だから怖ろしいと思うのか。視線を上にあげれば上機嫌の鶴見さんと横目で視線がかち合った。

「久々の外は楽しかったか?来年もまたここで一緒に桜を見れるといいな。」
「ええ…。きっとまた今度この場所に連れてってください。私を連れ去った、あの日と同じ日に。」
「ふふ、本当に可愛いな。」

歩く度に手首に巻かれた鈍い金属音が微かにじゃらりと鳴ったが、すぐさま桜の雨に吸い寄せられてしまった。

狂っているのは、私だけなのだろうか。


2019.3.31.
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