短編 | ナノ
アフタヌーンティー鶴見さん

今日はフォーマルなワンピースにしておくといい。昨晩そう言われて念のためにドレスっぽいワンピースを着てきたのだが彼の言う通り正解だったと心底思う。数十億の土地売買を成功させて仲介をさせて頂いたオーナーの齢60のマダムと(生粋のお嬢様で生まれも育ちも白金、普段はアメリカ在住、見た目は色白で肌にはハリがあるので60にはそう見えない)一緒に契約決済後の一息つこうと食事に誘われたのだ。最初こそ簡単な食事で済むだろうかと思っていたのだが、このマダムがそんなことをするはずはなかった。近くだからと運転手に指示して向かった先はリッツカールトンで、そこからあれよあれよと言う間に45階までエレベーターで来てしまった。マダムとその秘書の男性、鶴見さんとマダム御用達の税理士先生が談笑されるのを目の前に私はただただ萎縮し気後れしながら後を追うことしかできなかった。

「(それにしても、昨晩の鶴見さんの言う通り、本当にワンピースできてよかった…)」

契約時はいつもスーツで来ているのだが(それでも恐らく大丈夫であったろうが)、こう言う場には女性にはそれなりの華やかさが必要となるだろう。ウェイターに通されるがまま脚を運べば平日の昼間だと言うのにそれなりに人は居て、皆若い女性は可愛らしい清楚な格好でゆったりと楽しんでいる様子だ。

「な、よかったろう。」
「、はい。それにしても、本当に華やかな場所ですね。」

するりとハイヒールで絨毯を撫でて、窓の外を見れば快晴の青々とした圧巻の景色が視界いっぱいに広がる。マダムを見た瞬間、古参のウェイターが一等いい席を用意したのは、きっとこのマダムがこの場所に何度も訪れていて言わずともお気に入りの席がわかっているからなのだろう。この世界ではいつでもアイコンタクトだけで会話が完結することがしばしばあるが、未だに未熟な私にはまだまだわからぬことも多かった。そして通された椅子に腰をかけようとすれば傍の鶴見さんが椅子を引いてくださった。マダム、鶴見さん、私、マダムの秘書、税理士先生と一つのテーブルを囲むように着席し、そして今回の契約の締結に関する喜びの話題が再び繰り広げられた。そわそわする。そう思って思わず目を泳がせていれば、隣にいた鶴見さんが私の方に体を向けて耳打ちされた。

「心配いらないよ。何かあれば私に言いなさい。」
「は、はい。」

ギチギチになりながらもマダム達の会話は淀みなく進んでいく。会話の節々から優雅で気品溢れる雰囲気がして、とても素敵だなとぼんやり思いながらミネラルウォーターに口をつけた。このロビーラウンジは予約をすれば誰でも来れるのだが、別にクラブラウンジも存在し、ここより後もう10階上の最上階のラウンジになると言う(ただ、プライベートな空間なので今回は軽めでここを選ばれたのだろう。マダムも日本に滞在される際にはここに泊まるので、顔が多少知られているのだろう)。茶葉を選択すればいよいよアフタヌーンティースタンドも来た。スタンドの上にはシンボルのライオンが鎮座しておりひゅっと息を吸い込む。お好きなものをお好きなだけ召し上がってくださいね、と最年少の私にマダムは微笑む。私は丁寧に礼を述べて、それから息を吐いた。ああ、どうすればいいのかしら。そう思っていれば隣の鶴見さんがちらりと此方に視線をやった。「真似しなさい」声に出さず口でそう仰ったので静かに頷いた。シャンパンを一口口につけて、それから談笑しつつティーカップに手を伸ばす。ソーサーは持たない(後で知ったけれどはいテーブルの時はソーサーは持たないらしい)。取っ手の穴の中に指は入れず、つまむように利き手でもつ。

「いい香りだな。なあ?」
「はい。スリランカの茶葉でしたよね。」

温かいものを飲むと少しだけ緊張が和らぐ。ホッとして笑えば鶴見さんも柔らかく口元を緩めた。

「スコーンも焼きたてだから早く召し上がった方がいいでしょう。ここのスコーンは絶品ですよ。」
「ええ。バターのいい香りがしますな。」

税理士先生のお言葉にそう言って早々に下段のサンドイッチを食べ終わると鶴見さんはスコーンに手を伸ばす。マダムの秘書はサンドイッチを手で召し上がっているが、利き手では無い。フォークとナイフでマダムは綺麗にサンドイッチを切って口に収めていく。スコーンは手で二つに割ってプリザーブをつけていく。クロテッドクリームとジャムの二つ種類があるが、それらを綺麗につけて口に運ぶ。後ろから若い女性たちの楽しげな笑い声に混じって静かに何処からともなく美しいピアノの旋律が聞こえてくる。

「スコーンは左手で食べなさい」
「はい」

静かに耳打ちされてそのようにする。なぜかは分からないが今は鶴見さんの声を頼りにそうしていくと不思議と自分もこの場に馴染んでいるように感じた。取り分けると時はナイフとフォークで綺麗に取り分けて、そしてお皿に運んでいく。途中、誤ってスコーンを落としてしまった際にはひんやりとしたが、マダムは別段気にした様子もなく微笑んでいるだけだった。

「ごめんなさい、不慣れなもので。あまりこう言う場所には来ないものですから。」
「構いませんよ、全然。なかなか昨今の若い子はこう言うことに興味があるかもわかりませんからねえ。」
「(そもそも来る機会もなかなか無いと思いますが…)」
「知ったがぶって失敗するよりも、分からないなりに学ぼうと周りを観察して実践しようとするその心根が大事だと思いますよ。」
「私もそう思います。私もそうでしたから。」

マダムのその言葉にニッコリと笑うと鶴見さんはそう仰って小さくウィンクを私にしたので思わずヒッと肩が震えた。彼がそういえばマダムもニッコリと微笑まれてカップを口につけた。私も気恥ずかしさを感じながらも、不思議と先ほどとは違い居心地の悪さは少しだけ無くなっていったように感じた。







「さっきのは、本当なんですか?」
「ん?」

するりと彼の腕に自分の腕を絡めればスマホを見つめていたその目は今度はやや下の私の方に向けられる。自分たち以外誰もいないエレベーター内では静かな機械音しか耳に届かない。興味津々と見上げていれば光のないその目が細められて、それからわずかに口角が上がった。私の言葉の糸を意図も簡単に察した彼は流石としか言いようがない。

「ああ。本当だとも。」
「信じられない。鶴見さんも私みたいにマナーに苦戦することがあったのね。」
「当たり前だろう。私をなんだと思ってるんだ。」
「前にもいったかもしれませんが、私は鶴見さんは生まれた頃から鶴見さんだと思ってます。」
「全く。お釈迦様じゃあるまいし、私は生まれた頃は首の座らない、猿のような赤ら顔の赤ん坊だったよ。」

エレベーターが上階に行き泊まると吐き出されるように私たちも降りる。アフタヌーンティーは無事終了し、齢60にして多忙なマダムはそのまま一度アメリカに帰るらしくホテルに泊まらずに後にされた。残された私たちもそろそろお暇しようかと思っていたのだが、思い切ってクラブラウンジに行きたいと申し出たのは私の方だった。鶴見さんは驚いて目を丸くさせていたが、割にすんなりと快諾した。マダムとの会話の中で、ちょうど月曜日の夕方頃からクラブラウンジに行けばハープの生演奏が聞けると小耳に挟んだからだ。耳をすませば、確かにハープの音色がだんだんと大きくなっていく。今日は大仕事で疲れたのだし、少しくらいはいいだろうと、鶴見さんもそう思っているかは知れないが、何も言わずに付き合ってくださった。先ほどの45階のロビーフロアとは打って変わって、黒を基調としたシックでとてもプライベートな空間が広がる。窓の外は最上階の美しい済んだ空が見えて、少し遠くに同じ高さで鳩の群れが旋回している。橙色の日差しが眩しくて目を細めればウェイターの方がブラインドを下げましょうかとすかさず聞いてくださったが、私も鶴見さんも結構ですとお願いしてそのまま席についた。

「飛んだ恥をかいてしまいました。恥ずかし。」
「いいや、気にすることはない。さっきも言ったが、ああ言うのはいきなりできる筈がないんだ。」
「ええ?でも、後ろの席にいた私と同じくらいの女性たちはあの雰囲気に気後れしていなかったし、きちんとされてたわ。」
「ふふ、卵から生まれた鳥がいきなり羽ばたけるものか。何度も何度も同じことを繰り返し、そして習得していく。逆を言えば、あの雰囲気に慣れなければならない。場数を踏むより近道はないんだよ。苦しいし何度も恥をかくかも知れないが、それでも分からぬことは分からぬと素直に教えを乞う姿勢を持てばいい。お前が思うほど、そう他人は厳しくはないぞ。」

運ばれてきたコーヒーに口をつけると日差しに当たった鶴見さんの横顔が少しだけ柔らかく微笑んだ。ハープの音色に耳を向けながら視線は窓の外に向けて私もコーヒーに口をつける。いつも思うが、リッツカールトンのこのブレンドコーヒーは本当に美味しい。昔、こっそりウェイターさんにどこのコーヒーか聞いたことがあったが、色々説明された挙句、産地だの何だのの説明のせいで忘れてしまってからはあまり聞かないことにしている。ハープの生演奏と言う素敵な催し物があっても、平日のこの時間は流石に人が少なく、貸切のような状態だ。奥の方に外国の方々が何やら談笑しているが、それ以外は夕刊を手に取って静かに過ごされているご老人以外見受けられない。視線をやや下にして自分の卸したてのハイヒールをぼんやり眺めて、そして視線を再び鶴見さんの方へと向けた。

「そうですね…もっと修行してきます。」
「修行と言うほど難しいことではない。アフタヌーンティーだろうとディナーだろうと、パーティーだろうと、根底は同じだ。楽しむ場なのだからな。楽しんで、そして覚えていけばいい。今日のお前は緊張していてそれはそれで可愛かったが、口数が少なくて少し寂しかったよ。」
「うう…」
「誰も若いお前に完璧など求めていないさ。楽しんで笑えばいい。私が手放しでそうできない分、そうしてくれないか。」

ニッコリ笑うと鶴見さんにつられて小さく笑う。子供の頃は、成人になったら『大人』になって、何でもできるようになって、峯不二子みたいな女になれると思っていたのに。いざ成人を迎えて数年たってみたが、大人というものは歳をとればとるほど、自分の不甲斐なさに嘆いてしまう生き物なのだなと身にしみて思う。鶴見さんに釣り合う淑女になりたいのに、そうした機会を与えられれば与えられるほど、何だかどんどん遠ざかっていくような気もする。

「あーあ、淑女って奴になるには色々面倒があるのね。マナーだの何だの、肩が凝りますわ。」
「それも楽しめるくらいに勉強しようとする心は必要だな」
「じゃあ、今度またアフタヌーンティーに連れてってくださいな」
「ん?うーん」
「居酒屋にいくのを強請られるよりマシではありませんか?」
「まあ…、それもそうか。」

私が満面の笑みでニッコリ笑ってみせれば、隣の紳士は今度は困ったように苦笑いをした。


2019.1.28.
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