短編 | ナノ
ヤクザ尾形と厄介な運命

「お前、昼間も仕事してるのか?」
「はい。事務員です。」
「へーえ。昼も夜も大変だろ。」
「まあ。やりたいことがあるので。それまではと思って。」
「やりたいこと?」
「実家の家を直してやろうと思ってるんです。」
「へえ」

心底興味なさげに返事を返すと右隣の男はふう、と静かに煙草をふかした。今時アイコスや水タバコだの、若い人はそう言うものにシフトしているものだと思ったが、たまにこう言う古い煙草を吸いたがる男もいるものだとぼんやり思いながら灰皿をやれば男は素直に灰を落とした。店内は金曜日だからかそれなりに賑わっていて、ささやかではあるが確かに景気はいいのかもしれないなあと思うほどには賑々しい雰囲気が漂っている。この店の「ナンバー」と言われる人気の娘がいるからかこの席は特に黒服も忙しそうだったし、現に私はその自分よりも若いナンバーの娘のヘルプでついたわけだが、昼間の仕事が忙しかったせいかとてもじゃないが疲れていて綺麗な接客などできそうになかった。信じられないほどヒールの高いルブタンのレッドソールを似せた靴を履いていたせいか足がとても痛い。ナンバーの娘が履けば偽物だったとしてもそれなりにはなるだろうが、きっと私では偽物だとすぐにわかってしまうだろう。このお店にアルバイトを初めて1月ほどたつが、あまり慣れてはいないし、慣れようとも正直思っていなかった。昼間の仕事もあるし、疲れたら辞めよう、そう思っていた。でもお金は必要だった。家を直すと言うのは嘘だったが、お金が必要なのは間違いではない(田舎から出てきた一人暮らしの女子は多かれ少なかれ何かと物入りだ)。お客の、しかもヘルプでついたこの猫目の初対面の男にわざわざ本当のことを言わずとも、ここにいる子は大概はお金が必要なのだ。なので何故こんなところで働いているのか、と言う質問は正直、愚問だ。でも男というのは不思議なもので、話に詰まると大概その手の話をしたがる。この人の隣についたときは正直あ、という雰囲気をピンと感じていたが、やはりこの人も同じだったか、とちょっと落胆していた。

「甘いのは嫌いか?」
「お茶系が好きなんです。あんまり甘いの飲むと太るし。お兄さんは甘党ですか?」
「いや。」
「じゃあ、次はなに飲まれますか。」
「じゃあ、あんたと同じ烏龍茶で割ってくれよ。」

言われた通りに烏龍茶で水割りを作ってやれば男はグラスに静かに口をつけた。男の他にはこの個室にはもう3、4人男性がいて、その人数に合わせて女の子がついている。男以外は皆同じ会社らしく、一応男は接待を受ける様子だったが、この通りあまりものを喋る方じゃないせいか1時間も過ぎればあっという間に男はトイレだの何だので皆が席をどんどん移動していくうちに、端に追いやられてしまったようだ。そして、他の人達で盛り上がり始めてしまった。最初こそ、この見てくれもそこそこでかつ一番お金を持っていて寡黙そうな男にナンバーの娘も張り切って彼らに合わせて接待していたのだが、自分に興味などないと悟ると、流石と言うべきか、いつも指名してくれるこのメンバーの課長さんの方にどんどん流れてしまった。しかしそんなことなど気にせず横の男は黙々と酒と煙草を飲み、時折こうして気まぐれに私に話しかけた。私も正直あまり話す方ではなく、むしろ好都合だった。彼は別段そんな私のことを咎めることも、責めることもなく、時折煙草を吸う際にライターと灰皿さえやれば満足な様子だった。たまに口下手な男性を接客することはあるが、こうも不思議な人は初めてだった。失礼にならない程度に、接客の範疇で彼を横目で見ては、次は何をしてやればいのかや、他の子のフォローなどそつなくこなしていく。隣で大きな笑い声が聞こえればこちらも口角だけ上げたり、なんとなく声をあげることも忘れない。そうこうしていれば突然頭上からふ、と笑う声が聞こえて、思わず右上を見やれば目を細めた男性と目があった。

「お前、案外気を遣うんだな。」
「ここはそういう場所ですし、お給料ぶんくらいは働かないとと思っているので。」
「ふうん」
「そういうお兄さんも、接待を受けているのにあまり笑われないんですね」
「媚び売るほど俺は出来たやつでもいい奴でもねえんだよ。」
「それほど地位のある方ってことですね。」
「まあな。」
「(否定しないんだ)」

4杯目のお酒を作ってやり目の前に差し出せば、男は同じように手を伸ばし口をつけた。先ほどから気になってはいたが、その顎の縫合痕はなんだろうとぼんやり思って瞬時に目をそらした。横にいる人達はいかにもサラリーマン、といった装いでヨレヨレのシャツを身につけているが、この男の身に付けるものは全て上等で、それでいて寸分違わずぴっちりと体にあっているように見えた。オーダーメイドか、名の知れたブランドなのかは正直分からなかったが、一目見ただけでも上質な物だとこのバカな私でも理解したほどだ。傷跡に上等なスーツとくれば、昔見たVシネマの任侠ものを思い出して思わず1人笑いそうになった。確かに、このオールバックで猫目の男がヤクザだと仮に自己紹介したとしても、私は驚かないだろう。それどころか酷く納得するだろうとさえ思った。パズルかみ合わさるように、ゴルフのボールが綺麗に穴に落ちるように、ストン、ときっと腑に落ちるはずだ。その節くれだった太い指も、スーツに隠れたその太い腕や足も、いかにも鍛え上げれ人を嬲ることに慣れたような、そんな代物に見えてきた。もちろん、普通の一般人であったならこれ程失礼な妄想はないのだけれど。

「お兄さんて、もしかしてカタギじゃないの?」
「ああ。そうだ。」
「ふふ、」
「なんだ」
「お兄さんみたいな人でも冗談をいうんだって思って。」

クスクス笑えば彼はじっと横目で私を見たのち再び煙草を肺から外へと吐き出していく。時折覗く彼の左手首の輝くそれもきっと本物なんだろうとぼんやり思いながら、新しい灰皿を彼の方に引き寄せた。

「本当は何をされているの?」
「…不動産だよ。」
「なるほどね。だから上等なスーツだと思った。」
「まあな。不動産は今景気がいいからな。」
「不動産バブルってヤツですか?」
「ああ。オリンピックまではまだ持つだろうな。」
「いいなあ。羨ましい。」
「お前も不動産会社に入りゃいいだろう?なんなら、うちに入るか。事務員が今月丁度一人辞めたんだよ。」
「ふふ、お気遣いありがとうございます、でも、今の会社も同業です。だけど事務員だもの、営業には回りたくない。」
「営業に回ったらこんな仕事も出来ねえしな。」

そう言いながら彼は私をじっとその猫目で見つつ、最後の煙草をグリグリと灰皿に押し込んだ。そしてタバコの箱をくしゃりと丸めると、そろそろ帰る風に一気にグラスの中のウーロンハイを飲み込んだ。それを見た他の男性たちも乱れた身なり整えてジャケットを羽織ると、あっという間に帰る雰囲気になってしまった。ナンバーの娘もいそいそとお見送りにへと急ぐ。私も後に続こうと席をたてば、突然柔く手首を掴まれて思わずあっと言う声が出た。振り返れば猫目の男性がこちらを見下ろして口角を上げていて、面食らったように目をまあるくした。

「どうしました?」
「名前、何だったか?」
「、名前です。」
「そうか。まあ、今度また来るかわからねえが、そん時は指名してやるよ。」
「ありがとうございます。」
「まだお前がいたら、の話だけどな。」
「お兄さんも、来てくださるかどうか怪しいですね。」
「お互い様だな。」

私が名乗って男は満足したのかそれだけ聞くと再び口角を上げてスタスタと前の方へと行ってしまった。ラインを交換するでもなく、名刺を渡すわけでもない。これ程までにいい加減で信頼できない指名の約束は初めてだなと思わず笑ってしまった。だが、彼とはまた会ってもいいかもしれないと初めて思った不思議な客に変わりなかった。お見送り後にナンバーの若い子が何となく不機嫌だったのは察するに値するが(あの子の方が接客は細やかだったし身なりも全て整っていたしプロ意識があったのに、いい加減半分でやっている私に客を奪われるとは思っていなかったのだろう)、ああ言ういい加減で胡散臭く、どこからお金が来るのか分からないタイプはむしろ、私のようないい加減で嘘つきな女の方がしっくり来るのかもしれない。時計を見ればもう深夜の2時だ。後もう一踏ん張りすれば明日は休みだ。そう思っていまだに慣れぬハイヒールを引きずって再び場内へと戻って行った。









「ねえ、何の騒ぎですか?」
「ああ、名字さんっ、」

二個下の新人事務員の女の子が真っ青になりながら戻って来たあたりから怪しいと思っていたが、何かあったらしいとこの事務員だけがいるこの総務部兼秘書部でさえもざわつき始める。お世辞にも大きいとは言えない会社だが、かと言って小さいとも言えな微妙なラインの会社だ。この会社でさえも一応。港区の一等地商業ビルの真ん中あたりの1区画にはオフィスを構えている。大きなオフィスビルなので人の入りは激しく、そして警備も抜かりないはずだから不審者が入って来た、と言うわけでは無いらしいのだが、どうやら所謂「その手」のお客さんが来ている、とのことだったので、皆女の子が怯えているらしい。後輩をとりあえず控えさせると古参の事務員の先輩とともに仕事を中断し部屋を後にする。本来ならば来客のお茶だしだの何だのは新人の事務員や秘書の仕事だが、こう言う場合は致し方がないだろう。営業部の方もざわついているのでもう噂は駆け回っているらしい。そこまで大きい会社ではないので当然だろう。

「何でも、営業の若い子が取引先に対してトラブルを起こしたらしいよ。しかもその取引先ってのがほとんどヤクザみたいな会社で…ほら、あの駅前のビルがあるでしょう、あそこの。」
「はあ。あそこか。あの新しく立て直したところ。あそこ、ヤクザだったんですね。」
「まあ、はっきりとは言わないけどね。元々、あのビルの所有者がそうだったんだよ。だから、ね?」
「で、その営業の子はどこに?」
「いないのよ。」
「飛んだ…?」
「任侠映画みたいなことが起こるとはね。こんなことが他にバレたらコンプライアンス的にも会社的にも致命的だよ。」
「まさか課長や部長もですか?」
「今部長が慌てて戻って来てるらしいよ。多分、上には行ってなくて独断でやってたのかしらねえ…。お金も絡んでるしね。穏便に済ませたいから、とっとと上を出すんだろうね。」
「まさか大人数で来てるんですか?」
「3人だってさ。上の奴と下っ端2人だって。」
「合間見えても勝てるか勝てないか微妙に分からない人数ですね。」
「余計なこと言わないでよ、怖い。」
「とりあえずお茶くらい出さないとヤクザだろうが何だろうがマナー違反でしょうから、ついでに様子見て来ますよ。」
「相変わらず緊張感があるんだかないんだか。顔にもあんまりでないのが凄いよね、名字さんは。」
「元々こう言う顔なんですけど…それに、それなりに怖がってはいますからね、私。」

冗談を飛ばしつつも一先ず新人が怖がってできないのであれば役職をもらっている私がせねばなるまい。それに、よっぽどの粗相をしない限り彼らも余計なことはしないはずだ。一応、屋号提げて「株式会社」として運営している彼らならなおさらだ(今時あれほど反社会的勢力の圧があると言うのにそんな人々が会社を運営できているのが正直謎だったが)。久々に給湯室で来客用のあったかい緑茶を作ってやると、古参の先輩を廊下で控えさせてそのまま応接室の扉をノックした。そうすればお思いのほか低い男性の声で「どうぞ、」と声が返ってきたので失礼します、と一声かけて扉を開ければ、重い空気がズシリと私を迎え入れてくれた。

そろりと入り込んで視線をあげれば一番奥の上等な革製のソファの真ん中に鎮座しているのは40代くらいの身なりのきちんとしたナイスミドル、と言った感じの男性で思わず面食らってしまった。彼は柔和な笑顔で私を迎え入れると、会釈したので私もそれに習った。整えられた口元の髭やオールバックの髪、上等なスーツを見ていると一流企業の社長や会長だと言われても正直納得するだろう。それほどまでに美しく、そしてこんなにも色気を感じる男性を見たのは正直初めてだった。その隣のもう1人の男性はじっと前を向いて静かに背筋を伸ばし柔く握った拳を両膝にのせて黙っている。丸刈りで鼻の低い、ゴルゴ線のある真面目そうな男性だ。彼もそれほどヤクザを感じることはない。むしろその出立ちは自衛隊員のような生真面目さと、軍人のような勤勉さと融通の効かない強固な雰囲気を感じる。

あまり視線を合わせないようにと下を向いて息を小さく吸い込むと彼らの前に出て盆の上のお茶を差し出していった。チラと見ればもう1人の男性は壁にかけてある我が社のあまり長くはない社歴をぼんやり眺めているらしく、未だこちらに視線は寄越さなかった。唯一足を組み、その高価そうな靴は埃一つ付いていない。最近のヤクザはおしゃれなんだなと感心しながら最後にお茶を差し出して早々に立ち去ろうとすれば、頭上からあ、と言うどこかで聞いたことのある声が聞こえて反射的に視線を上げてしまった。見たことのある猫目と目があって思わずテーブルに足をぶつけてしまいひやりと背筋が冷えた。猫目は本当に猫のように細められると、まるで悪戯っ子がこれから悪戯をするかのように口角を上げたところを私は見逃さなかった。



「今日は烏龍茶じゃないんだな。名前さん。」




2018.11.24.
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