短編 | ナノ
鯉登くんと初日の出を見に行くお話

「名前、手を貸せ。」
「ありがとうございます。」

手を差し出せばぎゅっと子供のような温度の手が触れて来る。浅黒いこの手が私の手をよりも大きくなったのは一体いつだったか。思わずふっと笑えば聞こえていたのかチラと後ろを振り向いて何だと小さく口元でそう言って見せたが、何もないと首を振ればそのまま前を向いて歩きを進める。駅を降りた頃からすでに都会とは違うこの空気に気づいていた。歩けば歩くほど森の気配が深まり空気が澄んで行き、秋の美しい赤や黄色に素直に感動した。今年は例年と違い温暖だったせいか、いくらかはまだ葉が残っている。うっすらと群青色がだんだんと白みがかった青に変わっていくのを見るともう少しで夜明けが近いのだということを確認できた。ザクザクとなる地面を踏むと子供心を思い出すようで何だか楽しくなってくる。握られた掌がとても暖かくて緩めた口元を隠すようにふう、と息を履けば白いそれは木々の間に吸い込まれるように消えて行ってしまった。

「なんか、思っていたよりも平坦でしたね。こんなに着込んだ自分が恥ずかしくなってきました。」
「冷え性ならそれくらい構わんだろう。」
「音之進さんはよかったんですか?高尾山なんて低すぎて物足りないのでは?人も多いし。」
「自分から誘っておいて何だその言い草は。別に、どんな山でも構わんし、こんな細腕では富士山なんて登れないだろう。」
「ふふ、よくご存知ですね」
「当たり前だ。一体、何年一緒にいると思ってるんだ。」

得意げにそう言うと浅黒い肌をした健康的な好青年はふっと笑って、私の先を行って人をかき分けていく。昔から運動のできる男の子ではあったが大人になってもその運動神経には衰えがないのだと思うと何だか不思議に思えてくる。自分よりも3つも年下だと言うのに、あっという間に背丈も、体重も、何もかも追いつかれて、そして追い抜かれて行ってしまった。そうこうしているうちに、今度は恋人も結婚も、彼のほうが先かもしれないな、そう思うと感慨深く思うと同時に、少しだけ寂しい気持ちが心を覆う。音之進さん、何となく声をかければ、ん、と返事を返して一瞬止まる。横をすり抜けていく他人の足も構わぬまま、ほんの数秒、目の前に見えるその綺麗なお顔を眺めて、そして頭を振ると何でもない、と言ってのけた。そうすればいつものように不機嫌そうに眉を潜めて、そして今度は唇を尖らせた。

「ぼうっとするな。お前はいつもそうだ。何を考えていたんだ。」
「ふふ、何だか懐かしくなってきて。」
「何の話なんだ?」
「音之進さん、背また伸びました?」
「もう伸びんだろう。縮んだのはそっちではないか?」
「そうかもしれませんね。もう老いてしまったからかしら。」
「馬鹿を言うな。お前で老いたなんて、おやっどんやおっかんはどうなるんだ」
「ああそうだ、登り終わったらお父様とお母様に新年のご挨拶に電話をしなければなりませんね。ここでは電波が些か悪いようですから。」
「ああ。」

再び歩みを再開すると、今度は音之進さんは歩みの遅いのに我慢ならなかったのか、私を隣に並ばせると、肩を寄せて私の背を押すように並んで歩き始めた。だんだんと頂上が見え始めると、人の混雑が最高潮となっていく。一番見える場所はきっとこの分だとすでに陣取られているだろうと少々落胆をする。初日の出を今年見たいと言い出したのは彼の言う通り私であった。どこでもいいとは言ったのだが、彼が気を遣って山の上で見たほうがいいだろうと高尾山へと車を走らせてくれた。きっと人望のある彼のことだから、沢山の人に色々誘われていただろうに、何が楽しいのか毎年年末年始は私と過ごしてくれるのだ。いくら幼馴染で姉のように思ってくれているとはいえ、もう彼もいい歳だからと今年こそ遠慮しようと思ったのだが、それはむしろ彼のほうがよしとしなかった。いい歳になってから故郷の鹿児島の親戚の元へ行くのもいちいち億劫だった(どうせ早く結婚しろだの余計なことしか言われないから)。

「見えにくそうですね」
「む…」

残念そうに苦笑いをすれば、突然何を思ったのか音之進さんは私にここを動くなと言うと次の瞬間にはズカズカと前へ進んで行った。そして前を陣取っていた見知らぬ女性陣(大学生くらいの子達だろうか)の方へと行くと、何やら少し話しかけていたかと思えば、彼女たちは何やら浮き足立ったようにキャッキャッしたかと思えば快く一つの空間を提供してくれたらしかった。それを確認すると私の方に再びズカズカと戻ってきた。

「なんてお話ししたんですか?」
「何でもいいだろう、スペースが空いたんだ、いくぞ。」

きっと自分の顔がいいことに彼女たちに甘えたのだろうと苦笑しつつもお言葉に甘えてスペースに入り込んでいく。手すりに体を預ければ、人が多いせいか押されたらしい彼が私の背を覆うように体を押し付けてきた。人混みを嫌う彼なら一言二言何か文句を言いそうだが、流石にこの元日の日に怒るつもりはないらしく、黙って白い息を吐きながら私に気を遣って押しつぶされないように両の手で策を抑えながら私を守ってくれているようだった。こんなに気を使えるようになったとは、大人になったなあ、と染み染み思ったがそんなことを口にすればきっと彼はいよいよ不機嫌になるだろうから黙っておく。見てくれだけではなく言葉遣いや考え方も歳をとるにつれて彼は成長していくようだった。あのモスモスキエキエ言っていた頃も愛らしくて好きなのだが。首をちょっと後ろに回して見上げればすぐそこには見慣れた綺麗な浅黒い首筋が見える。じっと見つめていれば切れ長の目があってにこりと笑うl。

「苦しくないですか?」
「ああ。それより、縮んだか?」
「あなたが大きくなったんですよ」
「そうか。」
「今年は帰らなくて本当によかったんですか」
「何を今更、帰りたくないって言ったのは私じゃないぞ。」
「だって、帰ってもどうせ結婚いつするのとか、いい人はいるのかとか、そんなつまんない質問しかされないんだもの。音之進さんは言われないでしょうけれど。」
「………」

顔がいいから。笑ってそう言って視線を目の前に移す。標高はさほどないのだが、美しい山の峰々が眼科に広がっていて、うっすら雲海が見えて美しい。あともう少しで朝日がその姿を出すであろうことは、山の端の明るい白がそう教えてくれている。パシャパシャとそこここでスマホで写真を撮る音が聞こえてくる。地平線の向こう側からいよいよ一つの光の筋が見えて、後ろから歓声が上がった。

「…やはり帰るぞ、鹿児島に」
「ええ、今更ですか?」
「一緒に帰るんだ。」
「何しに帰るんですか?」

初日の出を眺めているので視線をチラとだけ後ろに向ければ、同じく視線を前に写したまますんとも笑わない仏頂面が見えた。本当に、ムカつくくらい綺麗な顔をしている。むすっとしていればむんずと後ろからほっぺたを片っぽ摘まれた。

「…婚約したって言えば、もうないにも五月蝿う言われんじゃろう。」

そう言って突然ほっぺたを摘んでいた手が離れたかと思えば、突然目の前に大きな掌と、初日の出に重ね合わせられるように小ぶりな銀色の輪が視界に写り、一瞬思考が停止してしまった。隣からは明らかに初日の出の歓声とは違う、黄色い声が聞こえてきて、頭の裏で、先ほどの女の子達か、ああ、そういうことか、とまるで他人事のように思っていた。

「うっわ、」
「な、なんだその反応はッ!」
「びっくりした…音之進さん、本気ですか」
「当たり前だろ!全く、恥を忍んで私がここまで行動したというのに、お前という女子は…」

婚期を逃すぞ、と今しがたプロポーズというものをしたとは思えない物言いに些かむすっときたが、今はそんな簡単なツッコミさえもできなかった。ぼうっと指輪の中に収まる朝日を見つめていたら、痺れを切らしたらしい彼がそっと左手にぎこちなくはめてくれた。上を向けば満足そうにしたり顔で私を見下ろすイケメンがいて、何だかこしょばゆい。すっかり上がりきってしまった初日の出に左手をかざせば、一等大きな光の粒が反射した。音之進さん、大分奮発してくれたな、とぼんやり感動して、それから相手右手で彼の手を握れば握り返された。相変わらず、子供みたいに温かい、大きな手だ。

「もう、これで煩くいう奴はおらんだろう」
「今度は子供はいつ作るんだーだの、始まりますよ」
「もう気にすっなッ!」


2018.1.2.
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