短編 | ナノ
忘年会鯉登短いバージョン

「鯉登さんって綺麗に正座されるんですね。」
「あ、ああ。」

私がそう言えば真横の彼はやや面食らったように目を丸くして、それから何処かぎこちない手つきで目の前のお猪口を手に取ったが、数秒固まったのちに漸くそれを口につけた。忘年会シーズンだからか、そこここからは賑やかで、そして何処かそわそわした浮き足立った雰囲気が店内に漂っている。現に、この広い座敷の一室でももうすでに出来上がっていた同期や上司たちがすっかり赤ら顔を提げて必要以上に大きな声で話しては笑っている。今ならお箸が転がっただけでも本当に笑ってしまうだろう。揶揄って酔ってるでしょう、と言えば皆一様にまだまだ酔ってないよというのだから、しっかり皆酔っ払っているようだった。私はというと、一番入り口から席が近いということで忙しなく注文や開いたお皿の片付けなどをしていたし、ウーロンハイを頼むふりをして烏龍茶をお願いしていたので、気持ちいい程度には酔いが回っていたが気が大きくなるほどは呑んでいなかった。

ふと気がつけば入れ替わり立ち替わりするこの座敷の中で、いつの間にやら鯉登さんが隣に座っていて、綺麗な姿勢を保ったまま、熱燗を煽っていた。席順もすでに意味をなしておらず、上座には辛うじて鶴見部長と月島さんらが座られていたが多くの人は移動していた。いつの間にやら上座にいたはずの鯉登さんもこちらに追いやらしく、いつも鶴見さんにぴったりくっついているのに珍しいなとぼんやり思っていた。彼は今年の春に部署に配属された期待のホープで、お父さんが我が社の役員という筋金入りの縁故採用の男の子である。とは言え、親の七光りというわけではなく、本当に優秀で仕事のできる真面目な子、ということはこの一年で嫌という程思い知らされてきたので、もう誰も彼のことを仕事の面で悪くいう人などは居なかった(同期の尾形君や後輩の杉元君以外。時折鶴見さんに対しての奇行など目につくこともある)。

私は事務員として彼とはよく仕事で一緒になるのだが、それ以外はほとんど会話はしないので、本当に真面目な子だなあと感心していたし、今の若い子に比べると見てくれに反してチャラチャラしておらず割に好感を持っていた。存外女性に対しては白石さんのように軽口を叩くタイプでもないので、本当におしゃべりをしてこなかったから、この機会に諸々感謝をして、来年もよろしくお願いする挨拶をしたいと思い声をかけた。

「鯉登さん、今年は本当にありがとうございました。私の方が勤務年数では上なのに、失敗が多くて本当に色々ご迷惑をおかけしてしまって、」
「私こそ、至らぬことが多い故不甲斐ないと思っていたところだ。」
「そんな風に思っていてくださってたんですね。むしろ嬉しいです。会社ではあまりお話できていなかったから。」

ふふ、と笑って烏龍茶を一口。腕時計を見ればすでに20時を回っていて、17時から開始されていたこの宴会もそろそろお開きになる頃合だろう。例年二次会に行く人を集めて別のお店に移動しだす。今年も例に漏れず営業の男性陣はまだまだ残りそうな雰囲気をしているが、事務員やパートの方は一次会で離脱する人が多い。私は明日は特に用事もないし最悪の場合タクシーでも帰れるが、眠くなってきたのもまた事実だった。他の女性が行くのなら行ってみようかなとぼんやり思っていれば、こほんと一つ小さな咳払いが聞こえて久しく視線を横に移した。

「剣道をやっていた。」
「はい?…ああ、それでですか。通りで姿勢は良いし、いつもハキハキされているなあって思ってました。剣道って、流派とかいっぱいあるんですよね?」
「ああ。私は故郷が鹿児島で、示現流を少し、な。」

突然話を始めたので何事かと思ったら、先ほどの私の発言の回答であると気づき、ああ、と思わず笑ってしまった。目の前の鍋を綺麗な箸づかいでつつきながら、鯉登さんは私にちらりと視線を寄越した。熱燗はもう大分進まれただろうかと思案して、次は何を飲まれますかと問えば、彼は一呼吸置いてから芋焼酎の熱燗を頼む、とだけ答えた。それにしても本当にこの人はお酒が強いなと感心する。うちの部署は皆弱いわけではないが、人並みに酔っ払う人が多い。我が部長の鶴見さんに至っては下戸で、なかなか滅多なことがない限り、お酒は飲まない。お皿を片付けに来てくれた店員さんに芋焼酎の熱燗と烏龍茶をお願いすればそれを黙って聞いていたらしい鯉登さんがお皿を置いて口を開いた。

「弱いのか?」
「そこまで弱いわけでは。家では1人でよく嗜みますが、まだ鯉登さんくらい若い頃こういうところで失敗してしまってからは大勢のいる宴会では控えています。」
「失敗?」
「ええ。お話するのもお恥ずかしいんですが、新人の頃に参加した忘年会で3次会まで参加してそのままタクシーで帰ったはずなのに、気がつけば見知らぬ男性に運ばれてて…」
「どう言うことだ?」
「ええ。慌てて離れて走って行ったら、運よく交番が見えてそこに飛び込んだんですよ。」
「一体その男はなんだったんだ?」
「わからないんです。全く面識のない男で、交番のおまわりさん、すごくびっくりされていました。どうやら意識のない私を負ぶって行こうとする男が居たので不審がって声をかけたらしいんです。ものの数分前の出来事らしくて。男は『恋人だ』って淡々と行って去って行ったので、嘘をついている様子でもないしどうしたものかと思っていたらこの有様だったみたいで…」
「確かに、1人で外で飲まない方が良さそうだな…。」
「ええ。ですので控えてるんです。」

気恥ずかしくてあは、と笑ってもう徳利を手に取ると、お猪口を手に取った鯉登さんはすまん、と一言言ってから傾けてくださった。一番若いはずなのに、時折おじいちゃんみたいだなと思う。

「でも本当はもっと色んなお店に行きたいと思ってるんですけどね。友達を誘っても皆都内に住んでないから終電で帰ってしまうし、今は彼氏もいませんから。」
「そうか…。でも弱いんだろう。」
「あの時は3次会までぶっ通しで飲んでいたんですよ。」
「どんなお店に行きたいんだ?」
「そうですねえ…。たまには豪勢にホテルのバーや、会員制のラウンジや…あ、ジャズが好きなので、ブルーノート東京にも行ってみたいなあ…。MTVとかでたまに生ライブやるんですが、それをみながら家でウィスキーを飲んだりするんです。本当に素敵で。」
「ジャズか、それはいいな。」
「鯉登さんはいつも何を聞かれるの?落語?詩吟??」
「む…馬鹿にしているのだろう。」
「いや、お育ちが良さそうだったから、つい」

ふふ、と笑えば最初眉間に皺を寄せていた彼も途端に口元を緩めた。

「はーいっ!じゃあそろそろ二次会の会場に移動したいと思いまーすッ!来るひとは挙手をお願いしまーす!」

珍しい人とおしゃべりができて嬉しく思うし、この勢いで二次会も行ってしまおうかしらと思っていれば、狙っていたかのように上座の方から陽気な白石くんの声が聞こえてきた(彼は幹事ではないのだが)。

「っ、」
「いい、行かんでいい。」

よし来たっと思って右手を上げようとすれば、それはまさかの傍の人物によって阻止された。私の右手をがしりと握っていて、力強くてびくともしない。鯉登さんも動かそうと言う気が無いのか結構な力で私の手を握ったまま微動だにしない。

「鯉登さん、酔っ払ってますね」
「いや、まだ芋焼酎しか飲んで無いぞ。」
「じゃあこの手を離してくださいよ。」
「いや、駄目だ。二次会に行かないと約束をしてくれるまではこの手は離さん。」
「どうしたんですか、こんな急に…」
「ブルーノート東京に行くぞ。」
「え、今から?」
「ああ。行きたいのだろう?」
「まあそりゃあ…でもこの時間からやってるか…あれ事前予約制らしいですし、」
「安心しろ。あそこの支配人は父の旧友でな。言えばいつでもVIP席に案内してくれる。私も幼い頃から東京に来た際はあそこに家族で行っていたんだ。」
「…鯉登さん、本当に御坊ちゃまなのね…」

私がそう言えばなぜだか得意げにふん、と口角を上げた彼に圧倒されて何も言えずにいれば、すでにもう二次会の参加者表明は締め切りとなっていて、皆各々支度を始めてしまった。ようやく右手が緩められたかと思えば、すっと鯉登さんは立ち上がり座布団から離れると、まっすぐに鶴見部長のいらっしゃる上座に向かわれた。そして隣の月島さんに何やら耳打ちをすると、月島さんは至極驚いた顔をして私の方に視線を一瞬向けたが、次の瞬間にはいつものように鶴見さんに顔を向けて例の『通訳』を始めた(彼はなぜだか面と向かって鶴見部長と話せない鯉登さんになり代わり鯉登さんの意思を鶴見部長に伝えると言う重要な役割を担っており、月島通訳係長という名をほしいままにしている)。鶴見部長はウンウンと話を聞かれていたが、最後まで聞くとゆっくりと私の方に視線を送られた。

「っ、」

ギョッとして目を丸くすれば鶴見さんはニッコリと微笑まれて、パシパシとウィンクをしてお星様を飛ばしてくださった。るんるんとした様子でこちらに向かってくる鯉登さんをウィンクを飛ばしてくる鶴見部長、無表情でこちらを見つめてくる月島係長を視界に納めながら、もう選択肢などないのだと思って小さくため息を吐くと同時に、先ほどぎゅっと握られていた右手に残るぬるい温度に努めて気づかぬふりをした。


2018.12.30.
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