短編 | ナノ
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内線が入っていると言われて咄嗟に受話器を取る。聞き慣れたテノールに安心しつつ、同時に背筋を伸ばした。「ハニワ、お疲れ様。」「お疲れ様です、鶴見部長。如何なさいましたか?」「いや何、良かったら一緒に昼食でもと思ってな」ちらとPC画面を見れば午後13時を指している。


指示通りコートと鞄を持って新国立劇場前に行けば、見慣れた車を見て駆け寄る。助手席に座れば車は流れるように発進し、外苑通りへ出た。「済まない、忙しいか?」「いいえ。月初なので月末程では。」「それは良かった。ところで、昼食は魚なんてどうだろうか。美味しい店があってな。」


いいし、化粧水類は全て手配させるさ。」「ホテルの予約は?」「さっき営業に電話したら確認中だそうだ。平日だし大丈夫だろう。」「このシーズンですし、本当に大丈夫かな…」「会員なんだから、意地でも何とかす
こくんと頷けば彼はニコリと笑って車を走らせた。魚と言っても近場で済ませるだろうとぼんやり思い、赤信号の六本木交差点の人の往来を見ていた。「ああ、お疲れ。急で済まないが海外の顧客との商談が入った。これから接待で東京から出る。明後日には東京に戻れるはずだ。心配するな、ハニワも一緒だ。」


ハンズフリーの通話に反射的にバッと右側を見れば、パチンとウィンクをし、人差し指を私の唇に当てる鶴見さんを見て思わず目を丸くした。電話の相手は明らかに月島さんだ。今頃苦虫を噛み潰したようなお顔をしているだろうに、「分かりました。」の一言を返すと静かに通話を切ってしまった。


「鶴見さん…?」「箱根にいい魚の店がある。そこに行こう。」「夕飯になっちゃいますよ…」「心配するな、グローブボックスの中を開けてご覧。そこにお茶とハニワの大好きなマカダミアのチョコ菓子がある。」2、3時間位で着くさ、何の事無しに鶴見さんはそう宣うと嬉々として高速入り口に車を走らせた。



「せめて下着とか持って来たかった…」「それは私も同じだよ。下着はコンビニで買えばるだろう。」「ご覧、レインボーブリッジだぞ。」「……」「…そんなに私との急な旅が嫌だったのか?」「いや、ちが、」急にシュンとした声が聞こえたので慌てて否定したが、確かに余りにも急で驚いたし、早く言ってくれれば準備位はした。近頃仕事が忙しく忘れがちであったが、我が紳士はいつも事の運びが急なのだ。


「うーん…」「人生は時に突拍子も無ければならないよ。」じゃないと同じ繰り返しで疲れないか。そう言って右手をそっと握ってきたので僅かに笑った。「橋、綺麗ですね…」呟けば「ああ、」と呼応するように返事がして、ギュッと大きな手を握り返した。視線の先には靄で幻想的なそれが見える。



この時期になると本当にあっという間に日が沈んでしまう。天候も変わりやすく、分厚い雲が空を覆い夕日に反射的でとても幻想的だ。平日のせいか車も少なく、鶴見さんも結構飛ばしているためずっと右側車線で飛ばしていると確かにごおおおとした音の通り風を切っているようでとても気持ちがいい。



「夕日綺麗ですね」「ここからが早いんだ。あっという間に暗くなるぞ。」そう言いながらハンドルを握りしめる鶴見さんに少し口角をあげると、部下に突然の仕事が入り部長と共に行動している旨と明日は会社に寄らない事を簡潔にラインで伝えれば、もう既に月島係長から聞いていると返答が返ってきて苦笑いをした。


御殿場のアウトレットを通り過ぎる頃にはもうあたりは真っ暗で、漸く17時を回った頃だった。高速道路から出ると今度は箱根山の峰を上ったり下ったり、右や左に曲がったりと忙しくなる。「運転、大丈夫ですか?」「ああ。すまないがガムをくれないか。」言われてミントのガムの包装を解き口に入れれば巫山戯た鶴見さんに親指を噛まれた。


暗い影を落とす峰や山々がとても壮大で何だか怖い。怖いなあとお思いつつもずんずん進んで行くし、割合人がいるしこんな時間にもバスが運行しているらしく(さすが観光地)往来はあるのだが、何しろ街灯などは山道なので一切ない。「お化けでそう」「出たら出たて面白そうじゃないか」「鶴見さんが退治してくださいね。」「一緒に箱根ビールを飲んでやるさ」


蛇骨橋、乙女橋、宮ノ下橋…。色んな橋を渡り、色んなトンネルを越えると漸く目的地のホテルに着く。「寒いな。」「夜は流石に箱根は冷えますね」「コートを着なさい」言われた通りコートを着て車から降りる。車を一度ホテルに置き、移動するという事だ。鶴見さんの行きたいお店はホテルの近くの料理やさんだそうだ。


「有名店なんだよ。ハニワを連れた事がないなと思ってね。」「へえ」有名な富士屋ホテルを横目に箱●離宮を後にし道なりに歩いて行く。息を吐けば白くなり、冷えた指先は鶴見さんに握られてとても暖かい。彼に先導され坂を登りずんずん進んでいけば、一見住宅のように見える料理やさんが目に入った。


自動ドアを開ければ心地よい暖気が体を包み込む。気の良さそうな女将さんが奥の座敷を勧めた。「何がいいんですか?」「アジ丼が有名だな。だが、お腹が空いているから、小さなアジ丼と巻物2つがつくのにしようか。」「はい!」元気よく返事を返せば鶴見さんはにこりと笑って生ビール2つも追加した。




湯呑みをよく見たら大将と女将さんのお顔が描かれていて可愛らしいし、鶴見さんの言う通り有名人の写真が沢山飾ってあった。ビールが早々に来ると素早く乾杯をする。「鶴見さん、運転お疲れ様でした」「此方こそ、来てくれてありがとう」左手をそっと触れて労いの言葉をかければ彼は嬉しそうに微笑んだ



「わあ、美味しそう!」「もう味が付いていて、そのまま頂くのがベストなんだよ。」「はい!」お通しを摘んでいれば、突然現れたアジ丼の美しいコントラストに興奮する。お箸を運べば、漬けてある鯵と酢飯の香りがする。既に味が完璧に完成しているので、仰る通り醤油はかけずに頂くのがベストだ。



お魚自体も新鮮だし、鮨屋さんの為酢飯も美味で、これならミニでなくてよかったかも…と思っていたのも束の間、巻物も来た。お味噌汁もアオサが香って美味しい。店内も可愛い鶴のアートや(女将さん手作りらしい)すごくいい雰囲気で心地よい。また来たい、と言えば勿論、と鶴見さんが笑った。







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