短編 | ナノ
野間くんとある金曜日(土曜日)

「野間さんってもしかしてボールド派ですか?」
「…ああ」

私が口を開けばちらりと此方に視線を寄越し、それから遅れて返事が聞こえた。一瞬何を言われたのか考えあぐねいている様子を見せて、それがただ単に自分が着ている服の匂いのことを問われているのだと言うことを理解するのに彼は少し時間がかかったらしかった。人に背負われるなんて一体何年振りだろうかとふわふわした意識の中でぼんやり記憶の中を探ってみたが、すぐには思い出せなかった。要するにそれくらい私は今このように男性に背負われて移動する事は数年振り単位であるらしかった。12時を過ぎた住宅街の往来は先ほどの駅前のように活気は無く、時折私たちと同じような境遇の飲み会後のサラリーマンが家路を目指して赤ら顔を下げて黙々と歩いているのが見えた。寒い、そう呟けば返事の代わりに野間さんはよいしょ、と背負い直してまた再び歩みを進めた。背中は寒いが前の方は彼の背中の体温のおかげで暖かく、そして先ほど貸してくれたマフラーが首回りを温めてくれるのでだんだんと瞼が重くなってくる。酒が回っているからか心音が早く、そして息が荒い。

「苦しいか?」
「はい、ちょっと、酔ってます」
「そうだな」

私がそう言えば少しだけ笑ったように野間さんはそう言った。こうして話しているとなんだか親しい間柄のようにも感じるが、そうでもない。野間さんと飲むのはこれで数えて二回目で、それ以前は大学卒業後は全くと言っていいほど連絡もましてや会うこともなかった。野間さんとは同じサークルで、あまり絡みのない大人しい先輩だな、と言うのが正直な印象だった。多分、野間さんも私を大凡大人しい真面目な子、と言う薄い印象しか持っていなかっただろう。それが数ヶ月前、新宿でお互い別々の飲み会で利用していた居酒屋でたまたま再会し、今度飲もうか、と言う感じで何となくラインを交換し、何となく飲みに行ったのが二月ほど前の火曜日で、次の日がお互い会社があると言うことで早々に御開きとなった。二回目の飲み会は本日金曜日の夜だったので、お互い飲み過ぎたらしい。ハッとして終電を思い出して慌ててバーを飛び出したが、結局間に合わなかった。階段を登り切った矢先の新宿東南口改札の前。珍しく履いて来たハイヒールも片っぽも折れて間抜けな顔を提げたまま、埼京線の最終を見送りながら呆然としていたら、後から追って来た野間さんが白い息を吐きながら私の肩を叩いた。

「大丈夫か」
「だ…いじょばないです。終電、逃しました。」
「…悪い、俺のせいだな。俺が話し込んだせいで、」
「いや、違います、全然!」

しゅんと項垂れる目の前の大の男に慌ててフォローを入れるも、頭の裏では確かに野間さん、今日ちょっと柄にも無くよくお喋りしていたというか、機嫌が良かったなあとぼんやり思っていた。一月前に引っ越したばかりで念願の一人暮らしを始めたこと。岡田さんの友達のナイキ社員の伝手を借りてナイキエンプロイストアで欲しかった靴を手に入れたとか、この間は尾形さんたちと一緒にツーリングして来たから今度一緒に行くか?とか、本当に他愛もない話を私に披露してはグビグビと瓶ビールを空けていった。普通に楽しかった。野間さんは話すと意外に面白かったりするのでこちらも話しやすいし、彼も彼で気を遣っていくれるので居心地が良かったのだ。だから、彼のせいではない。

「とりあえず、満喫かどっかで暇つぶします。」
「まさか、朝までそこにいるつもりか?」
「ええ。学生時代よくやったので全然ですよ。」
「もう学生じゃねえだろう。」
「まあ、そうですが。」
「……お前がよければ、だが。」

そう前置きをしつつぽりぽりと頭を掻きながら突然目を泳がせると、目の前の男はすん、と息を吸ってたっぷり時間をかけてから一言宣った。

「俺の家で、飲み直すか?」
「………」
「………」
「…あ、」
「あ?」
「あ、ありよりの…ありですね。」


◇ ◇ ◇


「あ、スーパードライ。」
「ビールと言えばアサヒだろ。」
「さすがですね。」

冷蔵庫を開ければ沢山のスーパードライの缶たちと、リポD数本、チューブのわさび、ケチャップとマヨネーズ、シーチキン缶と納豆パック、きゅうりのキューちゃんが転がっていた。何となく開けた冷凍庫には沢山の冷凍焦がし炒飯と羽根つき餃子、今川焼きがあった。キッチンは自炊しませんと物語るようにカップラーメンやカップ焼きそば、床にはチンするお米のお徳用パックが2袋ほど置いてあった。聞けば実家から沢山送られてくるのだという。

「いいですね。部屋広いし。角部屋だし。バルコニーあるし。」
「1Kの8.5帖。でもアパートだしな。壁薄いし。隣、男でたまにテレビうるせえし。」
「家賃は?」
「7万くらい。」
「…東京高いなあ。」
「安いほうだろ、まだ。西荻だし。マンションだと8万いくだろうな。」

そう言って口角を上げると野間さんは缶ビールを開けて、それからテレビをつけた。私もそれに倣い缶ビールを開ける。ぷしゅりという音が部屋に響く。新しいフローリングは真っ白で、何だか女子の部屋みたいだ。にも関わらず、置いてある家具は何だか親しみを感じるというか、実家から持って来ました、というような年季の入ったテーブルや、年季の入ったベッド(シーツのセットはニトリの5点セットのやつだろうか)、ニトリで売っている緑色のふわふわの丸型カーペットの上にはむき出しのティッシュの箱と、コロコロが転がっている(お菓子とか零したら直ぐに取れるようにしているのだろう)。テレビの横の大きな本棚には沢山の漫画が並べてあって、そこだけわかりやすく綺麗に整理されていて思わず笑ってしまった。

「あ、プレイステーションだ。4?」
「いや、古いやつ。古いバイオハザードにハマっててな。」
「へえ、あ。あれなんですか、あの物騒なの。」
「ああ。あれはサバゲー用の銃。綺麗にしてたんだ。明日午後行くから。」
「へえ。野間さん、サバゲーするんですね。」
「クローゼットの中にもある。」
「多趣味ですねえ。一人暮らししたら、好きなこといっぱいできるし、好きなだけ夜更かしもできるし、会社近いからいっぱい寝れるし、終電は逃さないし、良いことづくめですね。」
「その代わり家賃だの何だのに追われるぞ。」

ニヤリとそう笑って野間さんはガサゴソと足元のスーパーの袋をたぐり寄せると中からピザポテトを取り出して豪快に開けるとテーブルに置いた。深夜の番組がつまらないと言うことで早速野間さんはネットフリックスに繋いだ。「何見たい?」と問われて何となしに「あいのり」と答えれば懐かしいな、と野間さんはちょっと笑ってあいのりを選んでくれた。居心地がいいせいか、自分の部屋のように寛いで、どんどん炭酸を消費していく。野間さんも最初こそあいのりって面白いのかという感じで見ていたが、後半はだんだん面白くなって来たのかちょくちょくコメントを発するようになった。あの小さい女の子気が強いなだとか、あの男、ちょっと頼りないですよね、とか色々言っているうちにどんどんスーパードライの空き缶がテーブルの上に陳列されて行く。

「やっぱり、一人暮らししようかなって思います。」
「女子はいいんじゃないか、そんなに焦らなくても。」
「でも、ほら。あいのりの女の子たちみたいに、少しは私も苦労しないとダメな気がする。」
「女子の一人暮らしなんて物騒だろ。オートロックつきマンション、高いぞ。」
「はあ、ですよねー。でも一度でいいからしたいんですよ。そうしたら、いちいち終電気にせずに友達と会えるし、野間さんとこうして飲めるし。」
「…」

もっとたくさん毎日寝れるし。ふう、と息を吐いて後ろに倒れこむ。頭にはちょうどいい位置にボフッとクッションがあって心地がいい。テーブルの上にあるスマホに手を伸ばして画面を見れば既に深夜の2時をさしていて、なるほど眠いわけだと目をこすった。

「眠い…苦しい…」

息が苦しくてプチプチとブラウスのボタンを外して行く。見えないようにスカートも緩めればいくらか息がしやすくなりはあ、と肺から溜まっていたものを吐き出した。もうお酒のせいで瞼は限界を超えていたし、そのまま眠ってしまおうかとぼんやり思ったその矢先、じゃあ、と一言発した方に視線を向ければ、先ほどまでテレビを見詰めてビールを飲んでいたはずの野間さんと視線がかちあった。

「ここから通えばいいだろう」
「…は、」

思わず間の抜けた声が出てしまってパシパシさせていた目を瞬かせる。野間さんは至って真面目にこちらを見下ろしていて、耳にはあいのりの浮ついた男女の声が聞こえている。何だかこっちの雰囲気の落差に何だかムズムズする。来た時はあんなにひんやりしていたこの部屋も、暖房をつけて久しいからか空気が生暖かくむんむんとしている。酔っ払っているからか余計に身体が暑く、顔も火照っているように感じた。

「…それって、」
「彼女なら、鍵渡せるし。」
「でも、私、野間さんの彼女では…」
「これからなればいいんじゃないか。」
「…そ、そう来たか。」

思わず起き上がろうとすれば、突然野間さんはゴクゴクとビールを飲み干し、だん、と缶をテーブルの上に置くと、はあ、と息を吸って吐いた。その雰囲気に圧倒されてぼんやりそれを眺めていたが、再び彼の流し目と目が合いどきりとする。と、その時、ぐいっと優しく腕を引っ張られたかと思えば突然視界が反転し、天井と一緒に野間さんのお顔がグッと近くなって思わず息を飲んだ。ほんの数秒、見詰めあう。鼻と鼻がぶつかりそうな擦れ擦れ、お互いの心音と鼻息がぶつかるほどの距離。手首を握る手は赤ちゃんみたいに暖かくて、切ないほどに優しく握られている。

「あ、の」
「男の部屋に入るってこういうことだからな。」
「………」
「本当に気をつけろよ、特に岡田ん家とか。」
「、」
「無しよりの無しだって言ってくれればもっと面白かったんだけどな。」

ぶは、と面白おかしく戯けたように野間さんは笑うと、冗談だと言わんばかりに覆いかぶさって来た体を離した。キョトンとする私を尻目に彼は可笑しそうに笑って、それから再び座り直すと「明日晴れかな」と独り言を言ってリモコンに手を伸ばしていた。あいのりもキリのいいところで終わり、テレビの音声が消えて静寂が室内を包む。むくりと起き上がって座り直し野間さんを見遣れば、こちらに見向きもせずに天気予報をやっている番組を探そうとただひたすらチャンネルを回していた。よく見たら、耳が真っ赤だ。酔っ払っても顔に出ない人なのに。

「野間さん、」
「ん?」
「野間さんの彼女になるの、全然ありです。」
「…は」
「あ、ありよりのありです。」

そう言い放てばバッと驚いた表情をした野間さんと目があう。慌てすぎて彼の腕が空き缶たちに当たって、カランカランと音を立てながら缶がテーブルの上を転がっていく。慌てて手を伸ばせばなんとか床に落ちるのは防げた。一連のことが終わると再び互いが互いを意識せざるを得ない。ゆっくりと視線を上げれば、じっと瞬きすら悔やまれるほどの勢いで私を見ていた野間さんと目があう。何だか怖い。ドキドキして心臓が持たない。多分、この胸の痛みはお酒のせいじゃない。ハアハアとブラウスの襟に指を挟んで息を荒くすれば、心配そうに野間さんが此方に寄ってきて、肩を抱くと大丈夫か、と先ほど同様至近距離で声をかけた。

「…苦し、」
「楽に、なるか。」
「……はい」
「………そうか」

私の声を聞くと隣で少し大げさな生唾を飲み込む音がして、申し訳ないが少しだけ笑いそうになった。こっちはもう、新宿東南口改札の時から心を決めていたのに。見てくれに似合わず可愛くて、そして優しい人だなと思う。野間さんは黙ったままテレビと部屋の電気を消すと、私を抱き抱え、そのまま傍のベッドへと降ろしてくれた。真っ暗闇の中、ボールドの香りを頼りに手を伸ばせば、自分の背中にも大きな優しい手つきの手が這って、プチンと器用に片手でブラホックが外された。

2018.12.02.
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