短編 | ナノ
不穏なヤクザ鶴見さんとお嬢さん□

「名字さん、大丈夫?」
「はい?」
「気分は大丈夫?」
「ええ。大丈夫です。」
「そう、ならいいいんだけど。ほら、今日…色々あったから。」
「お気遣いありがとうございます、」
「気疲れしてないか、ちょっと気になって。余計な詮索をしてごめんね。」
「いいえ。私には直接関係ないことですし、あまり気にしても意味がありませんので。」
「そうね。」
「お疲れ様でした。」

30代の女性主任に笑顔でそう言われて再び口角をあげる。彼女は仕事もできるし女性ながら仕事もでき部下にも優しく好感に思っていたし、仕事の上でもセンスというか第六感のようなものがあると感じていた。だが、まさかこういった類の事まで鋭いとは思わず、人知れず面食らっていたが顔に出さぬように何とか努めた。乗っていたエレベーターから吐き出されるように人が降りて行って、一番奥にいた私も最後に吐き出されるとそのままエントランスを抜けていった。淡いローズピンクの腕時計の文字盤を見れば17:15と表示されている。地下鉄のあるミッドタウンの方に向えばこの時間帯のためか多くのスーツや自分と同じようなオフィスカジュアルに身を包んだ人々で溢れている。駅に向かうには左手に見えるエスカレーターを降る必要があるが、降るように見せかけて左に曲がるとミッドタウンの地下駐車場へと向かっていく。エスカレーターを降りながらキョロキョロとあたりを見回せば高級外車の中に見慣れた黒光りする国産車を見かけて思わず足が軽やかになっていくのを感じた。

「お疲れ様です、」
「ああ、お疲れ。今日もいい1日だったか?」
「まあまあです…いえ、ちょっといい日だったかもしれません。」
「そうか。食事でもしながらゆっくり聞くよ。肉と魚、何がいい?」
「鶴見さんの好きな方でいいです。」
「そうだな…西麻布に知り合いのビストロがある。元々銀座でずっと修行をしていた若い青年でね。腕も人柄もがいいんだ。よかったらそこにしないか?」

肉が美味いんだ、そう言いながら鶴見さんは私が助手席でシートベルトをするのを確認すると流れるようなて手つきで車のエンジンを再びつけた。座敷に背を深く預けて座り直せばまるで包み込まれたかのように心地が良い。私が座った瞬間、鶴見さんは椅子の背中の暖房を瞬時につけてくださったのでとても暖かい。あっという間に鶴見さんは車を近くに止めると目的の店へと案内した。東京カレンダーにも載らないような完全予約制のビストロというのが売りらしい。鶴見さんのいう通りお肉が美味しく、そこまでワインには明るくなくともこの料理に合っていて絶妙な選択であったと思う。さほど広くはないが狭くもなく、店内の中庭には小さなアクアウォールがありなかなか趣味もいいと思う。店内で流れる静かなジャズピアノもこの住宅街の邪魔にはならず完璧だと思う。目の前でロイヤルブルーティーのダージリンラジャをワイングラスで嗜む彼を見ているとなおのことそう思うのだ。

「美味いだろう?」
「はい。お肉柔らかくて蕩けそうですね。」
「ああ。」
「鶴見さんはお仕事今日お忙しかったですか?」
「まあまあだな。」
「鶴見さんのまあまあは忙しかったってことですよね。」
「ふふ。そんなことはないさ。私は指示を出すだけだからな。」

綺麗にフォークとナイフを使ってキラキラ輝くソースのかかったお肉を切っていく。私もそれに習って肉を口に運んでいく。テーブルマナーもワインの種類も、お店の選び方、女性の立ち居振る舞いまでほとんど全部鶴見さんから教えてもらった。いくらか成長していると信じたいが、この人を前にするとどんなに自分が成長したとしても不思議と萎縮してしまう。

「お越しいただきありがとうございます、鶴見さん」
「ああ。彼女も私も、楽しませてもらっているよ。」

横を向けばこの店の若き将来有望なシェフが満面の笑みで出迎える。調理の合間にわざわざ来てくれるのはよほど鶴見さんと親交があるのか、それともいくらか彼に投資をしたか、のいずれかだろう。無粋なことなのでここでは聞けないが、私もとても美味しいです、特にこのソースが、などと適当な感想を述べればシェフは嬉しそうに頷いて感謝を述べた。

「良かったらお土産も作りますので。甘いものはお好きですか?」
「ええ。嬉しいです、いいんですか?」
「もちろん。鶴見さんのお連れ様ですから。この辺りで働かれているとお聞きしました。」
「はい。今度職場の同僚と一緒に行きますね。素敵なお店だから女子会にぴったりです。」
「美女がいらして下さるなら大歓迎です。でも、お綺麗だとこの辺りでは大変でしょう。」

シェフの気遣いから紡がれた言葉に思わずフォークを握る手が震えたが、彼の顔を見ている限り、別段他意がある様には見えなかったのでそんなことは、と言おうと思った刹那、先に目の前の男の声が聞こえて口を噤んだ。

「大変だよ。彼女はモテるんだ。」
「鶴見さんの御心労ご察ししますよ。」
「この間も同じ会社の営業部の男性に言い寄られたらしい。ストーカー紛いのことまでされたので色々あってね。」
「それは大変でしたね…同じ会社じでは流石に鶴見さんの目が行き届かなから、気が気ではないでしょう。」
「なに、若かったらそうだったかもしれないが、もうこの歳だからな。もし彼女が女子会をやるときは私につけて置いてくれないか。」
「わかりました。より一層サービスさせて頂きますね。」

楽しんでください、屈託の無い笑顔でそう言って会釈をすると青年は奥の方へと消えた。残された鶴見さんは笑顔で食事を再開させたが、私は暫くは手が動く気がせず、ワインをお代わりした。そんな私を目敏い彼が見逃すわけがなかった。私と目を合わせると彼が目を細めて、それから自分が飲んでいるものと同じダージリンラジャと冷たいミネラルウォーターをウェイターに頼んだ。

「大丈夫か?」
「ええ。ちょっと酔いが回って来たみたいです。少し水を飲めば平気です。」
「そうか。ぜひデザートまで楽しんでほしいが、無理はしない方がいいだろう。食事がおわったら夜景を楽しもうかと思ったが、今日は早めに帰ろうか。」
「はい。」
「何かあったのか?」
「…実は、会社に警察が今日来まして、色々皆聞かれたりしたんですよ。…ここで話す内容じゃありませんね。」
「…いいや、気にするな。私が聞いたことだ。何か事件があったのか?」
「多分…。」
「そんなに大層な事件なのか。」
「わかりませんけれど、例の、営業の男性が数日前に失踪したそうです。良く分からないけれど多分、普通の失踪では無いから、警察が動いているんだと思います。」
「そうか…。加害者が被害者になったのか…。いずれにせよ、早く見つかるといいな。」
「ええ…」


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