短編 | ナノ
ヤクザ月島さんとお嬢さん□

お天気お姉さんが明日は雨になると言う。雨は嫌いだ。

「さっきの何の歌なんですか?」
「は?」
「鼻歌。お風呂してた時ご機嫌そうな鼻歌が聞こえて来たから。」

私がそう言って視線を寄越せば隣の男は体の動きを止めて、それから暫し考えていたが眉間にしわを寄せてうーん、と小さく唸った後、再び私に視線を合わせた。私が首を微かに捻れば彼も少し困った様に眉を下げて、分からん、と一言宣ってから漸く缶ビールに口をつけた。多分いつものオリジナルソングだったのだろう。彼は作詞作曲に長けているが作曲家として致命的なことにその作詞作曲した曲をすぐ忘れてしまうのだ。夜のニュースが流れて、明日は雨だとお天気お姉さんが言うと、隣の彼は少しだけ嬉しそうに口角を上げた気がした。クッションを膝に置いてソファの背もたれに身を預ければ静かにぎしりと軋む。何だかムカムカしてきて元々近い距離をよりグッと距離を詰めれば甘えていると勘違いしたのか、ビールの缶を持っていない方の手で私を握るとグーパーグーパーと楽しそうに戯れ始めてしまった。

「明日どうする。どっか行きたいか。」
「…雨なのにどこか行くの?」
「雨だから行くんだろう。水族館に行きたいって言ってたな。」
「どうせならプラネタリウムに行きたい。ほら、コニカミノルタの。」
「プラネタリウムか。ああ、そうだ。スカイツリーならどっちも見れるな。」

スカイツリーに行くか。1人で勝手に話を進めると、隣の彼、月島さんは至極ご機嫌そうに一本目のビールを空けた。今日は金曜ロードショーで紅の豚をやると言う。ジブリで何が好きですか、と聞けば隣で二本めのビールをプシュッと空けた月島さんがチラと此方に視線を寄越した後、ボソリと「となりののトトロ」と宣った。その顔でトトロって、と笑いそうになったが、上がった口角を隠す様に私も梅酒の入ったグラスに口をつけた。開け放った窓からは湿った空気が小さな音を立てて入る込んでくる。デロンギの効いているリビングはじんわりと暖かいが、時折その風邪のせいでヒンヤリとした空気が足元を這って行く様だった。明日は午後から雨です、と言うレインボー発のお天気お姉さんの言葉を思い出して些かげんなりした。そんな私の気持ちなど露知らず、月島さんは紅の豚を真剣にみ始めていた。すんすんと彼の肩に頭を預ければパンテーンの匂いがした。あ、と何となく声を上げれば僅かに視線を此方に動かす月島さんと目があった。

「私ね、レインボー発のこと、小さい頃『レインボ1発』だと思ってたんだ。」
「意味わからん。何だよレインボって。」
「さあ。ファイト一発、みたいな。」

未だに私の手を触る彼の手を柔く振りほどき、自分の髪をかき上げれば自分からもパンテーンの香りがした。自分のグラスが空になったのでビールちょうだい、と言えば月島さんは自分が飲んでいたビールを何の躊躇いもなく私のグラスに注いだ。あ、関節チューじゃん。笑えば「良かったな」と返されたのでそっちも意味がわからんなとぼんやり思った。ニュースが終わるとCMを挟んで漸く紅の豚の本編が始まった。緑の小さな豚達が様々な言語を織り成して行く。

「そう言えば、俺も子供の頃そう言う変な思い込みしてたな。」
「どう言うやつ?」
「例えば、波浪警報をハロー(HELLO)警報だと思ってた。」
「レインボのこと言えないじゃん。」
「いや、レベルが全然違う。俺はそんな意味の分からん解釈はしない。」
「同じでしょ。何その変なプライド。あとは?」
「あと?そうだな…」

テレビ画面ではマンマユート団がポルコに追い詰められて、無邪気な幼稚園位の女の子達が海にどんどん飛び込んでいく。「心配しないで、私達スイミングスクールの子だから」、と言う大人の気も知らないセリフに少しだけ笑った。そうだ。子供ってこう言うところがある。私は未だにもうしかしたら月島さんからしたらこう言う子かもしれない。ふと視線を上げれば月島さんのお顔がやや上に見えた。顎髭が少し伸びているのがちょっと気になる。ポルコがあっという間にマンマユートを下して子供達を回収していく。

「今の親は実は他人で、本当の親が迎えに来るって信じてたよ。俺は本当はまともな人間で、大人になったら親父と違って背も高くなるし、人を助けることのできる、優しい大人になれるんだと、そう信じてたんだよ。」

まあ、全部テレビの影響だな。そう言いながら月島さんは2本目のビールを空けるといそいそと冷蔵庫へと向かって行き3本目に手を伸ばすようだった。随分さらりと言ってくれるじゃないか、そう思って思わずグラスを数秒間手に持ったのち、結局口もつけずにテーブルに戻してしまった。月島さんは時折こう言うところがある。戻ってきた月島さんの横にすかさずくっつくと、ぐいっと腕を引っ張って、それからぎゅっと抱きしめた。そうすれば3回めのプシュッという音が聞こえて、耳元にごくごくと言う喉ごしの良さそうな音が聞こえてきた。ジーナの美しい歌声と共に、窓の外からしとしとと小さな雨音が聞こえてきて、何となく肌寒い気がしてきた。寒い。呟けばぼふ、とブランケットを被せられた。

「私はね、本気でいいとものテレフォンショッキングに自分が呼ばれると思ってた。タモリと何はなそうか真剣に考えてたの。」
「お前らしいな。」
「バカにしてるでしょ」
「全然…いや、ちょっとな。」

そう言われてむかっときて月島さんの肩に顎を乗せてウガウガと口を開閉すれば、くすぐったいと言われた。顎を乗せたときにチラと見えた首筋の裏の極彩色を暫くの間見つめる。彼の着ているシャツからは自分が着ている部屋着と同じダウニーの香りがして、何だか酷く滑稽に思えた。

「ねえ、ダウニーの香りがするヤクザってどうよ。」
「別にいいだろ。」
「鶴見さんは何にも言わないの?」
「いい匂いだなって言う。」
「(言うんだ)」

漸く顔をテレビの方に向けると、何やかんやあってポルコが例の名言を言ってジーナに怒られていた。飛べる豚は普通の豚とは違うように、ゴキブリにビビるか弱い女の子と同棲したり、太陽の下を堂々と歩けないから雨の日を好んでデートをしたがるヤクザは、ただのヤクザではないのだろうか。窓の外の雨脚はだんだんと強くなっていく一方だ。雨嫌い。呟けばむくりと私に視線を寄越す月島さんと目があった。

「何で雨嫌いなんだよ。」
「だって、晴れてる方がデート日和って感じするし。」
「雨は草花や木に取っていいだろう。最近晴れてばっかだったし」
「そのお顔でそれを言うとは思わなんだ、似合わないよ。」
「節約だって言ってミニトマトの苗買ってすぐ枯らす奴には言われたくないな。」
「…月島さん雨の日ばっかりデートに誘うんだもん。雨何でそんなに好きなの。」

不貞腐れたようにそういえば、彼が再び此方を見てじっと見つめる。缶ビールを持ったまま。まるで時間が止まってしまったかのようだ。此方をみる目はようく見ると湖のように仄かな淡く深い緑を覗かせる。暫く黙ったのち、彼はふ、と笑うと缶ビールをテーブルに置いた。そして私の顔に手を伸ばすと、顔を近づけて額に唇を優しく押し付けた。

「お前と会ったのも雨だったろう。」
「…」

・・・

「すみませんでした…」
「いや、」

例を述べて深々と頭を下げれば目の前の男は視線を逸らして少し恥ずかしそうに頭を掻いた。破れて肌蹴てしまった服を抑えて鼻を啜れば、それに気が付いた男が自分が着ていたジャケットを私にかけてくれた。深夜1時を過ぎ真っ暗が支配する世界で、自分たちを照らすこの心許ないジリジリとした街灯だけが世界で唯一の光のようで心細い。自分が暴漢に襲われるなんて思わなかったし、もう終わりだと思っていた矢先、まるでアメコミのように屈強な男が助けてくれるとも思わなかった。そしてその暴漢もボコボコにされた挙句負け犬のように逃げていくところまでも、まるでシナリオ通り、と言ったところだ。気がつけば空からはしとしとと冷たいそれが降って来て、あっという間に地面と、私達を濡らしていく。

「私のせいでお怪我が、」
「あ。返り血です。」
「…でも、シャツが汚れてしまったので。弁償しますし、その、家に来ていただければ。すごい雨降って来ましたし。」
「いや、俺は、」
「さっきの男、ストーカーだから、家も割れてるんです。報復してくるかもしれないんです。だから、」
「…」

そう言えば目の前の男はハッとしてそうか、と一言言ったのち、私の手を引くともう使い物にならんだろうと折れてしまったハイヒールを脱がせて私を背に背負った。大丈夫か、と振り向いた時に見えた目が深緑色にどきりと心臓が跳ねた。ありがとうございます、と思わず呟いたが、そんな小さな言葉などザアザアと降りかかった雨の中では聞こえるはずもなかった。


2018.12.01.
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