短編 | ナノ
自棄になったら鯉登くんと一夜を過ごす事になった

え、何でここに居るの。そう言えば彼は怪訝そうにその特徴的な眉を潜めて私を見つめたが、特に抗議をする事もなく無言でグラスを傾けた。一軒めだというのになかなかのスピードで飲んでいるのは自覚していた。パティオ至近のこのカジュアルイタリアンのお店は麻布十番の中でも結構有名で、土地柄、外国人も多く利用するようなイタリアンカフェ&バーだ。十番は深夜を回れば静かになってしまうが、夕方から夜にかけてはいい雰囲気だし、一軒目に選ぶにはちょうどいい場所だ。今日は1人でとことん飲もうと思っていたが、何故か気がつけば鯉登くんがついてきていて、いつの間にか彼は一個椅子を挟んだ隣で静かに飲んでいた。鯉登くんとは大学が同じでその頃は先輩後輩でやっていたのに、部署が違うとは言えいつの間にかぽんぽんと昇進を果たし、直属ではないが私の方が部下になってしまった。いい男は仕事もできるんだなあ、まあ、勉強も彼頑張ってたもんなあとぼんやり思いつつ辛くもなく甘くもない白ワインを飲み込んだ。

「鯉登マネージャー…」
「仕事以外はそう呼ぶな。」
「はいはいコイトオトノシンくん、君は最近女を抱いたのかね?」
「セクハラだぞ。今の時代女性からのセクハラも訴えられるからな」
「了解。私はね、最後に抱かれたのは確か一月前だね、うん。」
「わかっとらんだろう。お前。」

呆れたようにこちらを見て来る鯉登くんはあのいつも月島さんに怒られたり面倒くさがられたりしているのに、今はまるで彼が月島さんのポジションだ。私はめんどくさい方で、ダル絡みをしては勝手に盛り上がって居る。すぐ後ろではテーブル席が盛り上がっていて、日本語だけではない様々な国の言語が聞こえてきて何だかここは本当に日本なのか怪しくなって来る。いつもこの辺で飲んで居る外国の方々は大使館やその周辺の外資系会社で働いて居るハイスペが多いので、よく入社当時は同僚と一緒に足蹴く通っては外国の男性と遊んだものだ。今はもうそんな元気もないし、時間もあまりなかった。お腹が減っていたので頼んでいたサラダやチーズをちょびちょび食べていれば、突然目の前に頼んだ覚えのないピザだのパスタだのが運ばれてきて思わずウェイターを見つめれば、彼はそのまた隣の方に視線をよこしたので私もそちらを向く。

「もっと食え。これだけ飲んでおいて腹に悪いぞ。」
「ダイエット中でございます」
「知らん。食え。」

ほら、と言いながらピザを頬張るイケメンに眉間のシワを寄せながらも焼きたてのピザの良い香りにまんまと誘惑されて大人しくピザに手を伸ばした。温かくて美味しい。いつの間にかすぐ隣に席を移動していた鯉登くんにはもう何も言う元気はなくて、良い大人が広いカウンターで何故か肩を寄せ合いながらちまちまして居るのはきっと側から見たら酷く滑稽なことだろうと思う。

「で、鯉登くんは彼女できたの?」
「またその質問か。」
「私ね、ひと月前にセックスしてそれきり。」
「さっきも聞いたぞ。」
「半年くらいかな、うん、そう、今年の2、3月くらいから何と無く、付き合い始めたからさ。」
「………」

最後にセックスをした日からもう一月経つと言うことは彼氏を失って私はひと月経つと言うことだ。彼はまさにこのバーの近辺でナンパしてきた外国人で、チリ人だったと思う。思うと言うのは彼の言っていたことを鵜呑みにして居るので実際は知らない。まさかこの自分が外国人とおつきあいをする事になるとはもちろん思わなかったが、存外、彼は私に親切で女性にとても優しかった。てっきりアンデスのイメージが強かったので、NHKの大きな企画でよく出て来るような浅黒くて山に住む屈強な民族をイメージしていたが、チリの人はスペイン系や白人系の人も多くて、彼のルーツも白人系であり、顔は確かに欧米系の顔で、肌はチリの国旗のような燦々とした赤色の太陽に焦がれた小麦色をしていた。彼はすごく情に厚い人で、日本人の男性とは違ってとても愛情表現が大胆であった。エッチはあの国ではコミュニケーションの一環なので、1日に何回も行うこともあったし、それは彼らにとっては別に珍しいことではなかった。私の家に遊びにきて家に入ったときに縺れるようにセックスをするのも好きだったし、彼のあの小麦色の肌を撫でたり匂いを嗅いだりすると見知らぬ異国の香りがした。恋人はいない、そう言っていたから恋人のような関係になっていたが、どうやら国に本当の恋人がいたらしかった。彼が突然連絡をしなくなってから心配して検索したフェイスブックでそれを知った。何と言う、ラブストーリーにもならない、陳腐な話だろうか。

「鯉登くん、知ってる?チリの人のおちんちん、でかいんだよ。最初見たとき、薩摩芋かな?て思った。」
「……どうでも良い。」
「どうでも良いわりに間があったね。」
「せからしか。お前が薩摩芋とか言うからだ。」

薩摩芋はやめろ、そう言って彼はマムマムとパスタをフォークで綺麗に絡め取って口に運んで咀嚼する。鯉登くんはお酒に強い方ではあるが、ちょっと酔って来ると故郷の言葉が飛び出すことがあったが、それは今も健在のようだ。すごく大人びて良い男になったのに、可愛いと思う。

「セックスがしたいのかもしれない」
「ぶ」
「うっわ、大丈夫?」

私がそう呟けば鯉登くんは漫画のように白ワインを口からちょっと出して、それから何事もなかったかのようにハンカチで口を拭った。そしてキッと私を睨んだ。

「まさか、だからここで1人で飲もうと思ったのか?」
「そうかも。」
「おっま、」
「人肌が恋しくなることもあるんだよ。鯉登くんはそんなに困っていないでしょうから、わからないかもだけど。」

そう言えば彼はまたもやその特徴的な眉を潜めて私を見た。すでにカウンターの前のワインは2本空いていて、通りで頭がちょっとグラグラするわけだと納得した。自分の後ろでタバコをふかしていたカップルの姿も消えて、あともう少しで閉店の空気を醸し出す店内で私はひたすら赤い色や白い色をした液体を胃袋に流し込み続けていた。もう一本追加しようとしてウェイターに手を上げようとした瞬間、手首をガシッと掴まれて思わず目を見開けば先ほどから黙ってパスタを咀嚼していた浅黒い肌の好青年は少し怒ったように、どこか呆れたような口調で口を開いた。

「もう帰るぞ。」
「お先にどうぞ。」
「帰るぞ。」

今一度、一際低い声でそう言うと、鯉登くんは脱いでいたジャケットを着て襟を正すと、私の手首を掴んだまま無理やりお会計を済ませてしまった。もつれる私の足にため息を吐くと、大通りまで歩けるか、と聞いてきたので微妙な返事を返せば微妙な顔をされた。パティオの道沿いを歩いて入ればセブンが見えて、水が飲みたいと呟けば彼はめんどくさそうにはあ?と言う顔をしたが、私をそばのベンチに座らせると足早にセブンへと向かって行った。ふと1人取り残されたベンチに座って物思いに耽っていれば、視界の端にこの辺でも有名なスタンディングバーも見つけてぼんやりそこを見ていた。

中は先ほどのイタリアン店よりもガヤガヤとうるさく、そしてどこか小汚いハブのような野生的で乱暴な雰囲気を感じたが、中にいる人々は皆笑っていて楽しそうだった。外でタバコを吸ってモヒートを飲みながらキャミソールワンピースの紐を直す女性の横にいる外国人が一瞬元彼(仮)に見えて、柄に合わず鼻の奥がツンとした気がした。その拍子にくしゃみを一つすれば、いつの間にやら戻ってきていたらしい鯉登くんがミネラルウォーターを手渡したついでに私の肩に自分のジャケットを着せてくれたので、思わず目を見開けば、再び怪訝な顔で私を見た。

「礼くらい言えんのか。」
「ありがとう」
「…ああ。」

ストン、と隣に腰を下ろすと、鯉登くんは自分用に買ったらしい缶コーヒーをプシュッと開けるとそのまま口に含んだ。彼の缶コーヒーの缶には私が最近集めているキャンペーンのシールが付いていて、あ、それちょうだい、と言おうとふと思ったがそろりと触れ合った大腿の熱に思わず視線をそこに移した。先ほどのイタリアンのお店の時よりも距離は近くて、もう互いの太ももはくっついているし、なんなら彼のジャケットも借りてるし端から見れば恋人同士に見えなくもないだろう。上司と部下、先輩と後輩と言うあべこべなコンビなんですと言っても、あまり信じてもらえなさそうだ。隣のベンチではこれからエル東京にでも行きそうな格好の女性複数人がスマホをいじりながらセブンのサンドイッチを頬張っていて、時折鯉登くんをチラチラ見ているのを見ていたら無性におかしくてクスクス笑えば鯉登くんと再び目があった。

「なんだ」
「ううん。あ、そう言えばね。」
「ん?」
「家にチリ人の彼の物が一つだけ置いてあるの。彼、何も言わずに出て言ったくせに私の大事な物盗んでったわ。」
「泥棒ではないか…」
「そうそう、」
「笑い事じゃなか」
「そうなんだけどね。母親が成人式の時にくれたスタージュエリーの星型のネックスレス、初めてのボーナスで買ったジミーチュウのパンプス、あとは…ああ、元々彼から貰ったティファニーの指輪。」

あれは逆に持ってってくれてよかったかも。そう言ってヘラりと笑えば彼は逆に眉間のシワを濃くして、それから空になったらしい缶コーヒーの缶をぎゅっと潰れんばかりの勢いで握ったので思わずギョッとすれば彼は再び手首をがしりと掴んだ。

「…帰るぞ」
「ええー、」
「ええじゃなか」

そう言って彼は空の缶をゴミ箱に入れると、そのままの足でタクシーを止めた。私を入れてそのまま無理やり家を言うように運転手さんに言ったのでそのまま伝えた。彼は別のタクシーに乗るのかと思えば、私に続いて彼もタクシーに乗り合わせたので驚いてえっと声を上げるも彼は当たり前のように扉を閉めるように運転手に指示したので再びえっと声が出た。しかし彼はそんなわたしに御構い無しに優雅に足を組むと、私の手を握ったまま肘をついて外を眺めていた。港区からどんどん風景が変わって商業施設からオフィスビルが増えていく。彼は港区にお住まいがあるから、海岸近辺に住む私の家からではどんどん遠ざかることになる。それでも良いのかとぼんやり彼の首筋あたりを見つめて入れば、微かに彼の喉仏が震えて鼓膜に聞き慣れた声が届いた。

「で、その男が置いて行った物は何なんだ。」
「えっ…ああ、鏡。鏡だよ。」
「鏡?」
「うん。大きな鏡。姿見が家になくてね。自分の体を見るのもあんまり嫌だったし買わなかったんだけど、彼があった方が良いって。」
「ふん」
「日本の女の子は自信がないから、自信をつけてってさ。」
「………」
「あと、セックスの時名前のおっぱいもお尻もよく見えるだろうって。」
「一刻も早く片せそんなもの。」
「ええ?別に未練があるわけじゃないけど、確かにある方が便利だから、今更…」
「もっと良いのを買ってやる。どうせその辺の店で買ったんだろう。」
「まあ、確かにニ●リのだけど…」
「大●家具で買ってやる。もしそれが嫌ならフランスかイタリアの思い当たるブランドのものでも構わん。靴も指輪も新しいのを買ってやる。」
「え、いや、良いよ。なんで、」
「今日はその鏡を撤去するからな。」
「ちょ、人んちで何しようとしてんの」
「…したいんだろ。」
「え?」

思わず彼の方に視線をよこせば彼は思いの外こちらをじっと見ていて、その目は別段冗談でも意地悪でもないと静かに語っていた。思わず本日何度目かわからないえ、と発しそうになったが、不思議なことに唇が震えて上手く言葉が出てこない。そうこう考えているうちにタクシーは見慣れたマンションに行き着いてしまったらしく止まった。人通りの少なくあかりの少ない住民街が視界に移り、仄かに有明の海の香りが鼻孔をかすめては波のように心臓が大きく脈打っている。彼はスマートに清算を終えると私の手を引いて車を降りた。タクシーはあっという間に通りを左折して視界から消えてしまった。間遠に沿岸のサイレンのような音と、ごおおおおという音が聞こえて、地球のうなり声のように感じた。びゅうびゅう吹きつける海風に前髪を整えながら横を向けば、私の小さなマンションを不思議そうに首をあげて眺める後輩兼上司の浅黒い綺麗な首筋が見えた。

「セックス、私としたいの?」
「だったら、どうする。」
「…別に私のために無理しなくても」
「無理じゃない、と言ったら家にあげてくれるのか?」
「鯉登くんいつからそんなずるい大人になっちゃったの…」
「さあな。お前が他の男と愛し合って傷つけあっている間に私も色々あったということだ。」
「そのくさいセリフは大学時代とあんまり変わらないけどね。」
「せからしか」
「まあ…でもそうね。」
「ん?」
「あの鏡、1人じゃ片そうにもないから、手伝っては欲しいかも。」
「回りくどいな。さっきはセックスだの何だの言ってたくせに。」
「大人の女は複雑なのよ。」
「そうか。まあ、どっちも手伝ってやらんでもない。最近女を抱いてないしな。」
「鯉登くんもなかなかのセクハラだね」

そういえば彼は口角を上げて「お互い様だな」と笑った。ああ、いつの間に彼はこんな笑い方をする男になったんだろう、時の流れって早いなあ。鯉登くんは私の手を恋人のように握り直すと、ようやくエントランスへと歩き出した。鯉登くん、コンドーム持ってるかな。無かったらウチにも前の彼氏のがあるけど、きっと嫌がるんだろうな、ああ、こんなことになるなら部屋掃除しておけばよかった。頭の裏でそんなことを断片的に考えながら、感動しているのか緊張しているのかよくわからないけど少しだけ震え始めた手でポケットから鍵を取り出した。


2018.10.08.
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