短編 | ナノ
かおる

「あれ、あなただったの。」
「え?」
「ううん、てっきり尾形主任かと思ったのよ。」
「尾形主任?なんで?」
「一瞬、尾形さんの香りがした気がして何と無く振り向いたら、あなただったから。」
鼻が可笑しくなったかしら。クロエのそれをつけた年上の同僚はにこやかに白い歯を見せて鼻を擦った。私は勘弁してよ、という顔を提げて彼女の席の隣に座る。さりげなく、椅子に掛けていたカーディガンを羽織り出来るだけ自分の匂いを発しようと努めた。そんな私の心の内も知らず、鼻をかんだ同僚は再び口を開いた。喋る度に自分で買ったというピアスが会社の窓から差し込んでくる夕日に反射して僅かに光った。
「尾形主任って、いい香りなんだけど、時々ちょっとアレの匂いがすんのよねえ。なんて言ったらいいのかなあ…時々、お線香っぽい香りがするのよ。いい匂いなんだけどね、基本は。」
「あー…何と無くわかるかも、」
「でもあの匂い嫌いじゃないけどね。」
「ふうん」
「尾形主任ってさあ、仕事できるし、かっこいいし、たまにお線香の香りするけど、私結構ああいう何考えているか分かんないタイプ、好きなんだよねえ。」
「へーえ、意外。」
何食わぬ顔でそう宣う同僚に対して適当に返事をして、自分のPCのスリープを解いた。何となしに視線を前に向ければ話題の尾形主任と数名の営業マンが月島課長とガラス張りのミーティング室で難しい顔をしている。ここからだと彼の顔はよく見えて、目が合わぬうちにすぐに視線を逸らした。
「さっき、給湯室ですれ違ったから、それで匂いがついたのかも。あの人、たまに香水きついから。」
私がそういえば横の彼女はああ、と生返事を返した。私はチラと彼女を横目で見ながら、昼休憩の時のことを俄かに頭の隅で思い出して、思わずキーボードを打つ指先が力んで大きな音を立てた。
「あれ、」
「えっ」
「珍しい、ピアス?あんまり会社じゃ見ないわよね?」
「…たまたま可愛いの見つけちゃって、ついつい」
「いいじゃん。どこの?」
「…たいしたところじゃないの。自分で買ったんだもの。」
そういって笑えば彼女はそっと手を伸ばして私の耳に触れた。たいしたものではない、というのは嘘で、自分で買えるほど安価なものではないし、自分で買ったものでない。
「かわいい。似合ってるわ。」
ありがとう、そう言って微笑んで見せれば同僚は再び歯を見せた。直後、視線を感じてチラと横目で前方を見やれば、先ほどまで真剣な顔でミーティングをしていた彼がじっとこちらを見ていた。驚いて咎めるように眉間のしわを寄せて睨み返せば、次の瞬間には挑発的に舌なめずりをしてニヤニヤしていた。
そんなことをしていたらバレるのは時間の問題ではないか。そうと思うと同時に、走馬灯のように先ほど給湯室での、あの噎せ返るほどに彼の匂いに包まれながらした濃厚なキスを思い出して、背筋がゾクゾクした。未だに送られる意地悪な視線から逃げるように顔を下げると、そっと、自分の耳朶に触れた。
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