短編 | ナノ
月島さんと眠れない夜2

眠れない。そう思って起き上がる。サイドテーブルに置いておいたミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばし一口呑み込んで息を吸う。寝る前にお酒は寝酒と称して梅酒を一杯ほど飲んだがそれきりだ。ふう、と一息吐いて再び身体を後ろに倒せば、もぞもぞと隣で規則正しく呼吸を繰り返していたソレが私の方にすり寄ってきて、惜しみなくその逞しい腕を提供してきた。私もそれに倣って擦り寄って彼の首に顔を埋めるように抱きしめた。

「…眠れないのか。」
「うん」

明日仕事なのに、声に出さず一つのため息でそれを表現すれば、彼は私の背中に回した手でポンポンと背を撫でた。仕事に真面目で私の日々の怠慢に苦言を呈するくらいには大人な彼のことだ。きっと早く寝ろと一蹴されてしまうのだろうとも思ったが、予想に反してその背中を撫でる手が優しかったので少しだけ意外だなあと思いながら瞼をうっすら開けた。そうすれば同じくうっすらと寝ぼけ眼を下げた鈍く光る深く美しい緑が見えた。

「無理に眠ろうとしなくたって良いんだぞ。」

基さんはそう言って僅かに口角を上げた。真っ暗闇の中、少しだけ開けておいた窓からは鈴虫の声が聞こえる。微かに入り込んだ秋の風は湿り気を帯びていて私たちの肌を撫でて行く。風は微かに潮の香りがする。静かな夜だった。世界中の何もかもが眠りに落ちて、眠れない私だけが空気を乱しているように感じていたが、急かすでもなく、責めるでもなく、無視するでもなく、優しくそう言って撫でてくれた彼の一言で救われた気がした。彼は肌蹴ていたブランケットを肩まで掛け直し、再び私の背に腕を回した。風の音がひゅうひゅうと鳴ってまるで波のようだと思った。

「夢を見た。」
「なんの夢?」
「あんまり覚えてない。」
「ふふ、なにそれ。」
「そうだな…海の夢だ。一緒に海の底を歩く夢。」
「私と?」
「うん。お前は山がいいっていうんだけど、遠いから海に行こうって。」
「不思議。」
「夢だからな。」
「イカやタコや色んな魚がいた。変な顔した深海魚もいた。」
「私はウミガメに会いたいな。」
「さあ、いっぱいいたからな。こっちはゆっくり見たいのに誰かさんはどんどん前に行くからな。」
「ふふ、夢の中もそのまんま私なのね。」
「手繋いでついてくのに必死だった。ただそれだけの夢だ。」
「ふうん」
「でも、起きたら潮風の匂いがしたから、多分そのせいだな。」

ピロートークでもしないような他愛もない話だが、何だかんだお互いふわふわした混濁した意識の中で話すからなのか不思議と心に直接響くようで不思議な心地がした。いつもテレビを一緒に見ながらする他愛も無い話もとても愛おしく思うのだが、こういう深い夜に話したことは不思議と記憶に残るものだ。それがどんなにくだらない話だとしても。

「いいな、私も海の夢見たい。一緒にみようよ。」
「さあ、もう一回見れるかな。」

あれだけ鳴いていた鈴虫の音も気がつけば止んでいて、かわりに静かに唸る風の音だけが耳に届いた。肺いっぱい湿り気を帯びた潮風で充しながら、吸ったり吐いたりを繰り返していればまるで本当に海の中へと入って行くような感覚がした。瞼の裏でたくさんの小魚や大きなマンタやウミガメが海の底で身を寄せる私たちの周りを不思議そうに見つめては自由に泳いで悠々と大海原へ消えて行くのを想像した。

「この間連れてってくれた鎌倉の海を想像して。」
「わかった。でもどうせなら南の島の海の方がいいんじゃないか?」
「グレートバリアリーフとかにしたいのは山々なんだけど、いった事無いもん。」
「そうか、」

私がうん、と頷けば頭上からと言ってくつくつと喉を鳴らす声が聞こえて、その後額に柔らかな熱がちゅ、と当たってそれから間も無く離れた。はらりと落ちた前髪を耳にかけられて、しばらく撫でられていれば、不思議と深い深い深海へと潜って行くように意識が薄れて行くのを感じた。

「いつか行こうな、一緒に。」

囁くような心地のいいテノールが耳に響いて返事をしようとしたが口から漏れた声はきちんと伝わったのか薄れゆく意識の中ではよく分からなかった。海風の音と規則正しく鳴る心音を聞いていれば不思議と安心して、再び重くなった瞼を抗う事なくゆっくり閉じた。


2018.09.24.
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