短編 | ナノ
タートルネックメガネ尾形の里

何処にいるのと問いかければ乃木坂のベンツカフェにいるとだけ言って何時ものようにスマホをブチられたのでむかっとしながらもミッドタウンを出た。今日は本来ならば全休でお休みだったのに急な私の仕事のせいでデートの都合が狂ったのだし、それでも時間をずらして会ってくれるという我が恋人尾形百之助に免じて足早に目的地へと向かった。たまたま彼の住まいと私の職場が近いからという理由で六本木だが、尾形さんが車を出して箱根の温泉に連れてってくれるらしい。PCと仕事の資料と一緒にお泊りなので着替えも持って来た。荷物が重いので急かされると億劫だったが、わがまま尾形くんのためなら仕方ないと小走りで駆けていけば、店外のテラスに見たことのあるシルエットが見えて思わず手を挙げた。

「あっ。尾形さ…」
「遅えよ、いつまで待たせる気だ。」

たった10分ばかりの遅刻だというのに至極不機嫌そうにこちらを見てくる黒目がちの目と目があった。眉間にシワが寄っていることよりも何よりも先に私が気になったのは彼のその装いだ。あまり見慣れない出で立ちに近付いたはいいが席につくのも忘れて彼を見下ろしていれば、眉をひそめて私を見上げる彼と再び目があった。

「何だよ。慌てすぎて意識だけ置いて来たか?」
「…いや、違うけど、尾形さん、今日どうしたんですか?」
「は?」
「その服…なんかいつもと違う…。」
「…寒いから。」

そう言って指で襟元をつまむとふいっと視線を彼は逸らした。タートルネック。確かにこの時期には相応しい代物だ。だがこんな色っぽいタートルネック(紳士)が存在していいものなのか…?と冷静に分析しつつ、勝手に好きなものを飲めと手渡されたカードを受け取った。ちらりと見やれば彼はコーヒーを注文しているらしく、甘党の私はキャラメルマキアートを頼むこととして席をたった。コーヒーをカウンターで頼んでいる最中分かった事だが、外のテラスで彼はいい意味でも悪い意味でも悪目立ちしていた。無理もないだろう。黒縁メガネにタートルネックのこんな歩くフェロモンみたいな男はそうそういない。道ゆく数名の女性も彼をチラチラ見ていたし、店内で読書をしている女性も彼に視線を送ってはまた本に視線を戻すなどという行為を繰り返しており、私はだんだんとふつふつと湧き上がる衝動に思わず身が震えるような思いだった。そして何を隠そう本日私自身もタートルネックというまさかの丸かぶりを果たしたのだから恋人ってだんだん似てくるのかな。これってディステニー?と思わず頭の中で色々独りごちては赤くなったり青くなったりを繰り返した。完全に不審者だと思われて居ると思うが、席に戻れば何食わぬ顔でPCを弄る彼が見えてホッとした。

「遠くから見てましたけど、やっぱり似合いますね。なんか…なんていうのかな、スティーブ・ジョブズっぽい感じ。」
「それ完全にこれ着て眼鏡かけてマック開いてるから言ったろ。」

馬鹿にしてんのかと暗に言われて思わず自分の想像力と表現力の乏しさに頭を抱えたくなったが、とにかくかっこいいということを伝えたく、自分を落ち着かせるように淹れたての飲み物を口に運んで一息ついた。上●クリニックと言わなかっただけマシだといつもの冗談で言いそうになったが、今は流石に喧嘩になりそうだったので自重した。

「とにかく、かっこいいと言いたいんです!」
「最初からシンプルにそう言えばいいんだよ。」

そう言って彼はいつもの癖で前髪をなでつけドヤ顔をしたので思わず苦笑してしまった。休日の外苑通りは平日と変わらぬ交通量でいつも以上に活気を感じた。この辺を歩く女性も男性も皆綺麗で流行の格好をしていて、尾形さんもうまくこの空気に溶け込んでいた。遠くで見ても近くで見ても素敵な男性に違いないし、普段から彼はセンスがいいのでお洒落なのだが今日は格段に何か色気を感じる。ぴっちりと体に密着してラインが出る服だからだろうかと思う反面、これでは変な女性が寄ってくるのではとの心配も浮かんできた。

「かっこいいですけど、あんまり着て欲しくないです…」
「なんでだよ。」
「だって、かっこよすぎて逆にエロいっていうか…、見知らぬお姉さんに逆ナンされちゃうかも。」
「………」

尾形さんは一瞬驚いたように目を見開いたかと思えば、次の瞬間にはいつもの人を見透かしたような笑顔を見せて笑った。そして「エロいってなんだよ、」と言いながら可笑しそうに口角をあげて、開いていたPCを畳んだ。そろそろ行くぞと言われてこくんと頷きカップを持って席を立つ。私のボストンバックを何も言わずに持って先を行く彼の背中について行った。

「車どこに置いたんですか?」
「そこのスタンド。洗っとけって言って置いといた。」
「(良い子は真似しちゃダメなやつだ)」

とぼんやり思いつつも彼のいう通りカフェから100メートルもない距離のガソリンスタンドに見慣れた車を見つけていそいそと車に乗り込んだ。自分の顔がクリアに見えるくらいには車体も窓もピカピカで旅行の始まりに胸が高鳴った。シートベルトをつけてるんるんと座っていれば、横から視線を感じてそこを見やればじっとこっちを見る目があったので思わずギョッと肩を震わせた(じっと猫のように人を見るのが彼の悪い癖で心臓に悪いし暗闇だとただのホラー)。それを見ておかしそうに口角を上げる彼にきょとんとすれば、曲がってすぐ赤信号で停まって尾形さんが口を開いた。

「な、なんですか。」
「お前こそ、あんまりそれ俺以外の前で着るなよ。特に仕事。」
「え?なんでですか?」
「エロいから。」
「はい?」
「お前が着ると胸が余計に強調されるから俺の前でしか着るなって言ってんだよ。」
「えっ…あ、はい。」
「お前気付いてなかったろ。道行く男がお前の胸元ばっか見てやがるの。」
「え、うそ。」

と言いながら思わず反射的に胸を手で抑えれば遅えよと言われた(本日二度目だ)。

「ぜ、善処します。」
「ああ。もう少し考えてくれ。」
「も、申し訳ありません…」
「…まあ、どうせ箱根(ホテル)に着けばお互い脱ぐし、関係ないんだけどな。」
「は、」

何かを発しようと顔を運転席に向けた刹那、むちゅ、と唇に熱が触れて幽かに珈琲の苦い香りがした。あっ、と声が漏れて時が止まったように感じたのも束の間、視界の端の信号は青になり、車はそのまま何事もなかったかのように発進した。肝心な事を忘れていたが、この人はそもそもタートルネックがあろうがなかろうが(タートルネックめっちゃカッコいいけど)かっこいいのだと言うことを思い出して、思わず火照る顔を両手で抑えて悶えれば、横からくつくつ喉を鳴らす声が聞こえた。


2018.09.23.
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