短編 | ナノ
秋の夜長の鶴見さん

「…どうしたんだ#name#、眠れないのか。」

突然声を掛けられて思わずびくりと肩を震わせる。視線の先では優雅に分厚い何かの洋書をランプの明かりを頼りに読んでいらっしゃる鶴見さんが見えた。ほんの数秒前までは姿勢を一切崩さず、美しい姿勢を保ったまま、長椅子にゆったりと腰を掛け視線を本に向けて口をきゅっと結んでいた彼だが、私がそっと扉を開けた時から既に知っていたというように口角を上げて私の名を紡いだ。

「…まだお休みにならないの?」
「ああ。秋は夜が長いからね。」

観念したように中に入ればそんな私を見て鶴見さんはにこりと笑った。書斎特有のインクや紙の匂いに混じって、微かに紅茶の香りが漂っている。窓は微かに開かれていて、そこからは夜風が入りこみ僅かにカーテンを揺らした。間遠に時折鳥の鳴く声が聞えてくるとちょっと不気味に思えたが、ペタペタと鳴る自分のスリッパの音も一等滑稽に感じた。長椅子に駆けた美丈夫はおいでと言わんばかりに自分の隣に座る様に手招きをした。私は言われるがままにそこに向かい腰を掛けると、鶴見さんは満足そうに目を細めた。

「眠れないの…」
「怖い夢でも見たのか?」
「いいえ。何だか今日は冷えるから。」
「確かに、今日は一枚のブランケットでは心もとないな。」

そう言って鶴見さんは傍にあったブランケットを手繰り寄せると私の肩にかけて下さった。暖かくてそれを口元に寄せれば彼の匂いが染みついているらしく、とてもいい匂いがした。ソファの目の前のテーブルに置かれた英字の本を一冊手に取り眺めてみたが、もちろん何が書かれているかなど到底分からなくて、ぺらぺらと数ページ捲ってそのままテーブルに戻してしまった。今度はテーブルに置かれた一枚の栞を手に取り眺めた。今年咲いていた夕顔を栞にしたもので、先日私が彼に上げたものだった。先週のお休みの日に朝から鶴見さんとお散歩をしに近くの山へ遊びに行った際、ふと脚を止めて眺めた夕顔があまりに綺麗だったのでそれを手に取ったのだ。きちんと使っていてくれたんだと思わず頬が緩む。

「それ何の本?」
「フランスの有名な作家の本だよ。いつもは堅苦しい話ばかり書くんだが、珍しくラブロマンスをかいたらしくてね。まあ、仏語をさらに英訳したものだ。」
「ふーん…面白い?」
「まあまあだな。…読んでみるか?」
「…ちょっと考える」

そう言えば鶴見さんはふふ、と笑ってぺらりと頁を捲った。鶴見さんは暫くそのまま私に構わず本を眺めていたが、キリのいいところで読み終えたのか、栞を貸してくれと言わんばかりに手を差しだしたので、大人しくそれを差しだした。夕顔は静かに分厚い洋書の真ん中あたりに差しいれられて、眠りにつくようにその姿をページの中に埋めた。

「さて、私もそろそろ眠ろうかな。明日も仕事だし、可愛いお嬢さんをこれ以上待たせるわけにもいくまい。」

彼がそう言って私を見たのでこくんと頷けばくすりと笑われた。

「…ねえ、鶴見さん。眠る前にあれが飲みたいの。」
「うーん…」
「あれを飲めば明日も頑張れる気がする……だめ?」
「歯を磨いた後にあれはあまり関心しないがな…仕方がない。」

しょうがないなと、ふるふる頭を振りながらも、たまにはいいだろうと彼は言いながら立ち上がり、私に先に寝室に戻る様に指示した。なんだかんだ私の甘えには弱い彼の事だからとくすりと笑って、そして先にベッドを温めてあげようと毛布にくるまる。そうしているうちに寝室の扉がガチャリと開いて、はちみつとミルクの甘い匂いと一緒に嗅ぎなれた大好きな鶴見さんの匂いがした。彼は湯気の立ったそれをサイドテーブルに置くと、自分もベッドに入りこんだ。するりと冷たい足が毛布の中に入り込んできて、自分の足に絡む。手渡されたマグカップをふうふうと微かに覚ましながら息を吸いこめば甘くて大好きな香りが肺を満たして温めた。

「熱いから気をつけなさい。」
「はあい」

ひと口のみ込めば、ひんやり冷えていた喉の奥を熱いそれが落ちていくのを感じた。ごくごく飲めば慣れた喉はいともたやすくその白い暖かいのを受け入れていく。そういえば、フランス語は愚か鶴見さんのように英語さえもおぼつかないが、いつか洋書の日本語訳で目にした言葉があった。フランス語では「avoir des papillons dans le ventre」直訳すると「お腹の中に蝶々がいる」という表現があるそうだ。恋をしたり、恋に落ちたりするとお腹のあたりがふわふわして、蝶がお腹で羽ばたいているような感覚を感じるのだという。日本では考えられない感覚だが、フランス人は本当にお腹がふわふわするような、ちょこちょこするような感覚を覚えるらしい。鶴見さんと一緒にいるといつもドキドキするが、お腹がちょこちょこした感覚はない。けれどこの鶴見さんがくれたこのはちみつ入りのホットミルクを飲むとお腹の底がふわふわして、ほわほわして、とても満たされた気持ちになる。これを飲んでいる時、私はきっとフランスの人の感覚がちょっとだけ分かる気がする。ふと隣を見れば寒く無いようにと私の膝にもう一枚の毛布を掛けてもう眠る準備を始めていた鶴見さんと目が合った。

「鶴見さんのホットミルク美味しい。」
「#name#が作るのとそう変わらないだろう。」
「変るよ。全然違う。なんかこう……ふわふわするの。」

そう言えば彼はふっと笑って、それからはあ、と伸びをするとそのまま後に倒れた。頭を枕に横たえて、ぎゅっと私の方に体を寄せる。彼曰く私は抱き枕兼湯たんぽになるので寒い時期には特にいいのだという(暑かろうが結局炊き枕として扱われるので季節はあまり関係ないのだが)。鶴見さんお手製のホットミルクを飲み終わると、マグカップを置いてそのまま彼の方に体を倒す。それを確認すると鶴見さんは閉じていた瞼を微かに開いて、最後の光源だったランプに手を伸ばして消してしまった。直後、真っ暗な世界が寝室を支配した。ゆっくりとじっくりと目を凝らせばだんだんと眼が慣れてきて、目の前の美しいお顔の凹凸が見えてそっと頬に手を伸ばせば、その手はするりと大きな手にからめとられてしまった。

「もう寝なさい。お前も明日仕事だろう。」
「はあい」
「返事だけは元気だな。」

ふふっと笑えば、鶴見さんの瞼が再びわずかに開かれてにやりと笑ったかと思えばちゅ、と唇に柔らかなそれが押し当てられた。僅かに先ほど嗅いだアールグレイの香りがして思わずふ、と再び笑ってしまった。

「アールグレイの香りがしたわ」
「私ははちみつとミルクの甘い香りがしたよ」
「素敵ね」
「ああ。もうお休み。」

おでこにもう一つ唇を落とされてこくんと頷けば目を閉じたまま鶴見さんは口角を上げた。先ほどよりも一等ぽかぽか暖かくて、ようやく瞼が重くなってくるのを感じた。一人ではいつも眠れないし寝覚めが悪いというのに、どうして鶴見さんと一緒に寝むるとこんなにも眠くなるんだろうと瞼を閉じた世界でぼんやり考えてみたが、結局答えはでなかった。息を吸いこめば鶴見さんのいいにおいがいっぱいして嬉しくなる。鶴見さんの胸に頬を摺り寄せれば静かに、でも規則正しく刻まれる心音が聞こえてくる。こうしてくっついて眠っていると、まるで私の心音と鶴見さんの心音がどんどん重なっていくように思えて神秘的だった。

「………」

視線を上げれば瞼を閉じる間近に鶴見さんのお顔が見えた。お仕事をしているときのきりっとしたナイスミドルも大好きだけれど、みんながいなくて二人きりの時の私を甘やかしてくれる優しい鶴見さんも大好きだ。私しかこの表情は知らないし、私しかこの寝顔は見られない。誰も知らない鶴見さんを私は知っているし、彼も誰も知らない#name1##name#を知っているのだ。寒くないように身を寄せ合って眠る様子は、秋の夜長によくある恋人の風景かもしれないが、先ほどのラブロマンスよりよっぽどロマンスがあるし愛があるんじゃないか。ぼんやり思って、思わず笑ってしまった。

「……日本語訳がでたら読んでみようかな」

微睡の中呟くようにそう言えば、鶴見さんはもう答えはしなかったが、ぎゅっと私を抱きしめる腕の力を一層強くした。



2018.09.03.
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -