短編 | ナノ
ませた高校生エース君が先生に告白して砕ける

どちらかというと、まあ普通だと思う。とびきり綺麗でもなければ、不細工でもない。普通でありきたりな感じで、主役というよりは通行人Aとかその当たりが一番似合うような、そんな女性だった。第一印象は、“そこらへんにいる所帯持ちのアラサーのおばさん”といった感じだった。勿論、恋愛対象になんて入らない。いや、入ってはいなかったといった方が正しいだろう。御察しの通り、俺は今そんな女性に恋をしている。普通でありきたりで、通行人Aで、ぱっとしなくて、所帯持ちで、三十代で、唯一自慢できるといえば童顔で実年齢よりも少し若く見えるこの女に、恋をしている。何故好きになったのかと問われれば、別に運命的な出会いを果たしたわけでもないし、悲劇的な馴れ初めでもない。恋に落ちることなど、日常生活の中の一つ一つの場面の中で何度もある。それが偶然あの女性と重なっただけの話だ。

「先生。」

いつものようにがらりとドアを開ければ、彼女はいつもの椅子に凭れているのが見えた。放課後を過ぎた学校は昼間と違って静かでまるで別の空間にいるようで好きだった。

「また昼寝しに来たの?」

少しはにかんで困ったような表情で先生はそう言った。ぎしりと椅子が軋む。窓から差し込む橙色をした光が眩しかった。

「ちげぇよ。」
「じゃあ何?」
「会いにきたんだ。」

そう言えば彼女はふわりと笑った。日の光が、彼女の柔らかそうな頬を、白くて細いうなじを、浮き上がっている鎖骨を、淡い橙色に染めてゆくのをじっと見ていた。

「私みたいなおばさんより若くて可愛い娘とお喋りしなよ。」
「先生と話してた方が楽しいんだよ。」
「エース君のこと好きな娘たくさんいるんでしょ?」
「先生とは関係ないだろ。」
「あはは、それもそっか。」

そう言いながら先生は沸かしたらばかりのお湯をマグカップに注いだ。珈琲の香ばしい香りが保健室をたゆたう。俺はそれを横目に見ながらベッドに腰をかけた。

「…名前。」
「名前で呼ばない。先生、でしょ?最近の子は先生をすぐ名前で呼びたがるのね。」
「名前。」
「話し聞いてた?エースくん。」
「好きだ。」

ぴくりと眉が動いたのがはっきり見えた。だがすぐにまたいつもの顔に戻る。

「急に何を言うかと思えば。私もエースくんのこと好…「好きだ、女として。」
「……………。」

顔が徐々に強張る。名前はゆっくりと俺に近付くと横に腰かけた。ふわりと微かに香水ね甘い香りが香った。

「本気?」
「ああ。」
「じゃあ私も本気で返事するね。」
「おう。」
「ごめんなさい。」
「おい。」

眉間に皺を寄せてそう言えば、名前は眉を潜めて苦く笑ってみせた。

「だって、私には愛する旦那がいるんだもの。」
「俺はその旦那様よりも名前を満足させられるぜ?」
「あはは、ずいぶんませたこというんだね君は。でも駄目。」
「…何でだよ。」
「君に抱かれてる私が想像できないし、抱かれたいって思えないのよ。」

自分の中の何かが音をたてて崩れてゆくのが頭の裏で聞こえた。それ以上は何も言えなくて、視線を名前に移したまま黙った。名前は手に持っていた入れたての珈琲のマグカップを手渡すと、優しく頭を撫でた。それが無性に悔しくて、でもその手を振り払うほど大人でもないし、やせ我慢なんて出来なくて、なすがままだった。

「大丈夫?」
「…傷付いた。」
「ごめんね。」
「…許さねえ。」
「あはは。」

視界にうつる名前はいつまでも優しく笑っていた。手の内で珈琲のマグカップはじんわりと暖かかった。俺はたぶん明日も明後日も、懲りずに先生に、名前に会いに此処にくるだろう。それで先生は変わらぬ様子で俺を迎えて、いつもと変わらぬ様子で珈琲のマグカップを手渡すだろう。

「ありがとう、エースくん。」

そしていつもと変わらぬ綺麗な笑顔を見て、柄にもなく泣きたくなるんだ。


2010.10.02.
2015.07.25.加筆.
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