短編 | ナノ
鶴見さんに大事にされてるようなしてないような…

「お酒は強い方?」
「いえ、そこまで…」
「そう。強そうな顔してると思ったんだけどね、ははは」
「ははは…はは、」
「それに、なんだか随分爪がピカピカだねえ…爪がシャンパン色だ!最近の若い子は爪がキラキラしてるよなあ、なあ!」


そう言って隣のおじさんはご機嫌よさげに私の手に触れながら、笑ってビールを注げば喜んで飲み込んだ。この発言もセクハラになるのかな、なんてぼんやりそう思って、それからビール瓶を置くと人知れず一息吐いた。食べログでも3.5以上の評価の高いお店は平日でも随分賑わっていて、個室を挟んだ廊下側から笑い声が聞えてきた。終電まではまだ時間はまだ時間があるが、お客さんの入る足も絶えないようだった。空になったジョッキやグラスを手に取ってテーブルの端に寄せたり、新しい灰皿をお願いしたり、さながらキャバ嬢さんのように動いていたが、そうしている間にも「ちゃんと飲んでるう?」と絡んでくるおじさんの手を払いつつ、薦められればお酒も飲まなければならないのでだんだん疲労が蓄積してきた。


「(しんど…お腹空いた…)」


ふう、と今一度息を吐いてセクハラおじさん(仮称、今回の企画の協賛会社の社長さん)のお酌でビールが注がれたのでそれを飲めば、おじさんは嬉しそうにもう一本瓶ビールと「あ、そうだ、シャンパンにしよう。君の爪に合わせてシャンパンにしよう!」と言って勝手に頼んでもないのにモエシャンのわりにいいのをを追加した。やばい、どうしようと思いつつとりあえずトイレに行こうと立ち上がり人知れず席を立った。席を立つ際、ちらりと視線を斜め前に座られていた鶴見部長の方に向ければ彼は彼で取引先の女性の方と談笑されていたので、二重の意味で溜息を吐いた。

暫くお手洗いで小休憩をはさむと、鏡の前で自分の頬を両手でむにっと掴んで気合を入れた。おそらく戻った頃には既にシャンパンが追加されているので、皆盛り上がっていることだろう。それを考えただけでちょっとおえ、となったが接待なら行くしかない。私は月島さんや鶴見さんのように偉いポジションにいるわけでもないし、宇佐美さんや尾形さんのようにがつがつした営業を掛ける営業マンでもない。ただの下っ端営業補佐の事務員なので、ゆったりもできない。高級店ならではの高そうなマウスウォッシュで口内を清潔にし気合を入れて「さあ、いざ行かん!」と重い腰を上げてお手洗いの扉を開けた途端、目の前に影が見えて思わず後ずされば、ガッと突如扉を掴まれた。


「名字、大丈夫か?」
「つ、るみさん…」
「気持ちが悪いのか。」
「いえ、ちょっと眠くなっちゃっただけで…」
「そうか…」


そう言って鶴見さんは私の手を引くと、頼んでくれたのか冷たいおしぼりを渡してくれた。私は素直にそれを受け取ると彼はにこりと微笑んで、それからお水を頼んでおいたよと一言宣った。


「終電までには上げるようになんとかするが、車代は必ず出させるから、心配しなくていい。」
「いいえ、そのお心遣いだけで結構です。」
「いいんだ。営業でもないのに、苦しかったろう。」
「いえ、悪い人じゃありませんし…それに、なんだかんだ、私を気に入ってくださったようですし…」
「こういうのもパワハラセクハラに当たるからな。これ以上は、」
「次のプロジェクトで便宜を図るために大事な方たちだと聞きました。お触りされたわけでもないですから(本当は手とか触られたんだけど)。」


ありがとうございます、そう言って会釈をするとそのまま個室の方へといそいそと戻っていこうとすれば、すれ違いざまに腕を掴まれた。引っ張られた方に後ずされば、鶴見さんは珍しく眉間に皺を寄せてはあ、と溜息を吐かれていた。ぎょっとして彼を見詰めれば、彼はふるふると首を振って再び口を開いた。


「戻った時には私の隣に座りなさい。今は触られていなくても酒の席ではどさくさに紛れて触られてもなにも言えない。」
「はあ…」
「これで問題になるほうが困るだろう?」
「…すみません。わかりました。」


ああ、そっか。と項垂れてしゅんとする。確かに触られて周りが騒げばそれで今進行している仕事もおじゃんだ。私一人のせいで会社の大きな企画がとん挫すればどれほどの損失になるかしれない。浅はかだった自分の頭にため息を吐くと、そのまま鶴見さんに腕を引かれてそのままゆっくりと再び歩き出す。


「おお!鶴見部長にモエシャンちゃん!」
「(モエシャンちゃん!?)」


がらっと扉を開ければ宴も酣といった具合で、扉の向こう側は地獄絵図と化していた。いつの間にか私はモエシャンになっていたし、先ほど隣に座っていたセクハラおじさんは(仮称)待ってましたと言わんばかりに手招きをしている。どうしようと扉で苦笑いをして立ち尽くしていれば、トン、と肩に後ろから両手を置かれて、背中に温度を間近に感じて思わずびくりと体が震えた。


「社長、『モエシャンちゃん』は私の隣に席替えになりましたよ。」


鶴見さんがそう言った瞬間、場の空気が微妙に変化したのが分かった。背筋にひやりとしたものが伝ったが、鶴見さんはニコニコした表情でずかずか入ると、失礼、と言いながら席に戻って、宣言通り私を隣に座らせた。そして席を詰めて私の居たところには月島さんが座ってくださった(月島係長ごめんなさい…)。変な空気を醸し出したのはほんの一瞬で、お酒が入っているからか皆もう誰でもにこやかに話せればいいのか既に別の話題に移っていった。先ほどまで鶴見部長にちょっかいを出していた(あれも逆セクハラにあたるんだろうか?)女性も、月島さんの代わりに席に着いた鯉登さんに夢中で此方には視線をあまり寄越さなくなった。漸く一息つける状況になってほっと胸を撫で下ろしていれば、すっとお冷が目のまえに差し出されて差し出した腕の方向を見た。そこには口角を上げて此方を見る我が部署の部長様の御尊顔が見えて思わず再びどきりとした。


「飲んで少しは食べるといい。すきっ腹に酒はきつかったろう。」
「いいえ、」
「この煮つけは絶品だったぞ。」


そう言って鶴見さんはのどぐろの煮つけのお皿を置いてくれたので、わあっと嬉々として声を上げれば鶴見さんはその隣にだし巻き卵も置いてくれた。鶴見さんも既にお酒ではなくて湯飲みのお茶を飲んでいて、もう営業モードではない様子だった。私は鶴見さんの影に隠れていそいそとご飯をたべている間周りはやんややんややっていたので少しだけ気が引けた。お腹も満たされて流石にお酌などお手伝いに回った方がいいかなと思って声を掛けようとした瞬間、突然膝の上に載せていた片手をぐっと掴まれて、吸い込んだ息をそのままひゅ、と飲み込んだ。反射的につかまれた手を見れば、そこには私の手とは全然ちがう、シャンパン色じゃなくても色っぽくて、高級そうな腕時計をつけた綺麗な骨張った手が見えて心臓が跳ねた。


「何もしなくていいって言ったろう。」
「でも、部長、それでは…」
「いいんだ。他の奴に気を遣う必要はない。」


そう言いながらぎゅっと手を握って来るので思わず口を噤んだ。お酒が入っているせいか心臓がばくばくして頭がくらくらしてきた。そもそも、あのセクハラ社長さんにお触りされるのを避けるためにここに避難してきたのだが、これでは本末転倒では…とも頭を過ったがそんなことを言えるような雰囲気でもなくて、笑い声が響く個室でこの空間だけ異質な空気が流れていた。その間、鶴見さんは掘りごたつのテーブルで見えないことをいいことに、膝に置かれた私の手に自分の手を重ねると、親指ですりすりと私の膝を撫でたり、わざと足をくっつけて来たりした。


「(あれ、これ、普通にセクハラ…?)」


そう思って恐る恐る顔を上げるも、鶴見さんはまるで何事もなかったかのように目の前の社長さんや隣の方と談笑して私に視線も寄越さない。ここまで来ると、私が勘違いしているのではないかと思えてきた。しかし膝や足に感じるこの熱は間違いなく彼の物であると、ちらりと視線を下に移して確信すると自然と額に汗が浮き出てきた。


「どうした、大丈夫か?」
「えっ、あ、はい…」
「ああ、もうこんな時間ですな。社長、そろそろお開きにしましょうか。」


鶴のひと声ならぬ鶴見さんのひと声で会場はお開きとなり、あれよあれよという間に皆外に出ていく。いいそいそと外に出ると、お店の人の案内でそれぞれタクシーが宛がわれていった。最初は取引先の会社の方々、それがさばき終わると自分の会社の人、と言うようにさばいていくと、漸く自分の番となる。お車代はしっかりお店を出ていく前に頂いたのだが、終電間際なのでそのまま電車で帰っちゃおうかな、なんて港区女子のようなことを考えていれば、すっと背後に再び感じたことのある熱を感じて思わず背筋がぞわりとした。


「ぶ、部長、まだいらっしゃったんですか?」
「ああ、お手洗い借りてたんだ。」
「さ、左様でございますか…」


ふきふきとハンカチで手を拭きながら鶴見さんはにこやかにそう言うと私を見下ろした。繁華な六本木通りには終電前だというのにまだまだこれから、と言わんばかりに人であふれかえっている。もう全員さばききったと思っていたので慌てて鶴見さんのためにもう一台止めた。タクシーの扉が開くのを確認すると、鶴見さんを座らせてタクシーの運転手さんに「お願いします」、と言って離れようとした、その瞬間。がっと腕を引かれて身体ごと車内に引きずれこまれたかと思えば、ばふっと和らなものの上に体が着地して、「ぎゃっ」と変な声を上げてしまった。


「住所を申し上げてもいいですか?」
「どうぞー」
「麻布なんですが…」


頭上で何事もなかったかのように明らかに個人宅のような住所を鶴見さんは淡々と伝えたのち、車は軽快に走り出した。乗る予定などなかった私を載せて、である。恐る恐る顔を見上げれば、ご機嫌な表情を浮かべたナイスミドルが私を見下ろしていた。私は今、我が部署を束ねる部長のお膝に顔を埋めていたらしい。はっと体を離そうとするも、腕だけはぐっと掴まれて容易に逃げることはできない。


「せ…せくはら…にあたるんじゃ…」
「ん?何か言ったか?」
「…いいえ、何でもありません。」
「確かに、本当に可愛らしい爪をしているねえ。」
「えっ…」
「シャンパンか…確かにその通りだ。綺麗だよ。」
「………」
「さあて、どう綺麗にしようか…まさか、ハイターに漬けるわけにもいかんしなァ…名前の可愛い手がぼろぼろに荒れてしまう。」


そう言いながら鶴見さんは私の右手を取ると、自分の頬に寄せてすりすりと摺り寄せて、唇で指先に触れた。お髭が当たってじょりじょりするし、急な行為に思わずふはっと変な声がまた漏れた。おびえる私を他所に、鶴見さんはうっとりとした表情で私の手に唇を寄せたまま、私の方に視線を寄越した。先ほどの宴会で浮かべていた笑顔とは明らかに違う、じとりと粘着質に口元に弧を描いた笑みを浮かべていた。薄暗い車内で鈍く光る双眼が私を捉えて離さないので、蛇に睨まれた蛙のようにひゅっと息を吸いこんだ。


「ちゃんと、消毒をしようね。」



2018.08.19.
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