短編 | ナノ
月島主任と部下様2

「…いいにおい。」

ぼそりと呟けば、「…は」という困惑する男声が聞えたので思わず意識が覚醒していくのが分かった。深海の魚がゆっくりゆっくりと水面へと光を求めて上がっていくように徐々に徐々に瞼の裏が明るくなってきて、ようやく瞼が開いたかと思えばそこは深海と同じ様なぼんやりとした暗闇が支配していて、辛うじて灯されていた橙色のお蔭で暗闇の中でも世界の輪郭を理解することには成功していた。目の前には見覚えのある顔が見えて思わず目を細めたまま目を瞬かせて暫くそれを凝視してみたが、目の前の彼もまた当惑したように目を丸くして瞬かせたのでうーん?と頸をかしげてみた。

「…あ、れ。」
「………」
「月島さん…?」
「…ああ。」

起きたのか、と言わんばかりに月島さんはゆっくりとわたしから離れると、私の頭上で伸ばしていた手をようやくひっこめた。そしていそいそとベッドから降りると電気を点けてくれた。寝起きでぼやぼやする視界とあたまの中でとりあえずどういう状況だろうと把握しなければと私の中でも至ってまじめな私がそう指示したので、むくりと起きて頭を掻いた。自分の汗臭さと酒臭さに辟易としながらも辺りを見渡せば、そこは見たことのない誰かの住居であることは明らかであった。小奇麗且つ要らないものは何もないようなこの洋室、おそらく8帖のお部屋には程よいサイズのふかふかで上等ベッドと、後は簡素な再度テーブル、壁掛けの時計と床にはなぜかダンベルが転がっていた。クローゼットはきちんと閉じられていて、サイドテーブルには無印良品で打ってそうなザ・シンプルな目覚まし時計と小さな鏡、コンタクトレンズの容器とがあるだけだった。サイドテーブルの横には高そうな空気清浄加湿器があって、大人しく起動していた。カーテンは健康そうでかつ清潔感のある薄めの青色で、ベッドもそれで統一しているようだった。ただ、この部屋に似つかわしくないものがあるとすれば、それは壁にハンガーで掛けられた女性ものの薄紫色のカーディガンと、その下に置かれた女性ものの黒い小ぶりの鞄だろう。あとは、先ほどのサイドテーブルに置かれた女性ものの大振りパールのイヤリング一式も該当するだろう。明らかに男性らしい、シンプルで清潔感のあるこの寝室にはそぐわず、かなり浮いていた。ぽりぽりと頭を掻いて息を吸って吐けば、嗅いだことのあるあの清潔な匂いが鼻孔を掠めて、思わずはっとしてようやく口を開いた。

「月島さん、この家具全部無印良品ですか?」
「お前、まだ寝ぼけてるだろう。」

はあ、と溜息を吐いて月島さんは頬をかくと、首にかけていたフェイスタオルで頭を拭った。一目でお風呂に入ったのが分かって、自分の臭さを再確認すると思わず眉をしかめた。

「起きたなら、風呂に入れ。」
「あ…でも、」
「勘違いするな、別にそう言う意味でお前にかぶさっていたわけじゃ無くてだな、」
「イヤリング外して下さったんですね。すみません。」
「いや、とりあえず風呂に…いや待て、服は俺のでいいとしても、女物の下着がないんだ…。下のコンビニで買って…」
「あ、その、自分で行きますから。」
「一緒に行く。」

そう言って月島さんはそのまま財布を取りに行くのか部屋を後にしたので、とりあえず自分も外に出る準備をといそいそとベッドから降りた。言わずとももうここは荻窪のお洒落なワインバーでもなければ、隠れ家風の居酒屋さんでもない。明らかに月島さんのご自宅であることは言わずともわかるので、此処はどこかなんという愚問もしないが、意外にお互いナチュラルにこの状況を受け入れていることに心の内ではひどく驚いていた(顔には出さない)。財布とスマホをもって寝室をでれば、財布と上着を羽織って脱衣所から現れた月島さんとちょうど鉢合わせた。彼はん、と視線で玄関を示してくれたので、私もそれに従って玄関へとむかった。見た感じ築浅の1Lか2Lだろうか。一人暮らしにしては十分すぎるくらいだ。職場は港区なのに住まいはこの辺なのは、家賃が多少減ってもいいところに住めるからなんだろうか、とぼんやりどうでもいい邪推をして、靴を履く。月島さんはサンダルを履いてそのまま玄関を開けた。内廊下のきれいなマンションで、やっぱり新築だな、と感心しながら月島さんの背中を追う。EVが下りてきて、所在階は7Fだと知ることができた。「ラッキーセブンですね」、といつもなら戯言の一つや二つ、言えるのだろうが、何となく今は沈黙を保ってみた。

「ちょっと見てきます。」
「ああ。」

コンビニは向かいのマンションのコンビニで、駅前らしくちらと遠くに駅の案内看板が見えた。この時間でも人通りが多い大通りに面していて、コンビニ内もちらほら人がいた。ファミマで助かったと思いながら無印良品の下着セットと、キャミソール、洗顔料や化粧水など一式を抱えてレジにいそいそ向かって行けば、籠を提げて会計をする月島さんがいた。彼は私を見るなり籠に入れろと言ってきたが、ぶんぶんと頭を振ればふ、と笑った。キチンと列に並んでようやっと会計を済ませれば、入り口で煙草を吸っていた月島さんが口元に弧を描いて出迎えた。

「お前無印良品好きだな。」
「嫌いじゃないですけど…今回はたまたま…」
「行くか。」
「はい。」

そう言って吸い殻を所定の吸い殻入れに入れると、再び素敵なマンションへと戻っていく。傍から見れば完全に恋人同士なんだろうなとすれ違った若いカップルを見ながら頭の裏でそう思って少しだけこしょばゆい気がした。部屋に戻って早々、月島さんは「風呂場あっちだ」と、そっけなくそう言ってリビングに消えてしまったので、私は遅れて「はい、」と小さく答えてから脱衣所へと向かった。脱衣所も予想通りミニマリスト並みに物が少なく、新築らしくぴかぴかで「女子か」と思わず小さく突っ込んでしまった。籠の中には男性物の短パンとTシャツ、タオルがたたんでおいてある。洗面台には未開封の新しいビットウィーンの歯ブラシの緑色が置いてあった。お風呂もお湯が張ってあって、ご丁寧なことだと感心しながらようやくシャツに手を掛けた。

「(私があの時ねむりこけたから、月島さん気を遣って家に上げてくれたんだな…)」

お風呂に入りながらそう思って少しだけまた申し訳なさがいっぱいになってぶくぶくと湯船に顔を沈めて暫くぶくぶく言ったままなんとも言えなかった。








「お風呂、ありがとうございました。」
「…ああ。」

ドライヤーでホカホカの頭を提げてリビングへと向かえば、ソファに身を預けながらぼんやりテレビを見ている月島さんの後姿が見えた。私の一人暮らしの家のテレビよりも大きい画面でいいなあとぼんやり思いながらソファに近づけば、ビールを飲んでいた月島さんと眼があった。すっぴんをみられるのはすごく恥ずかしかったが、別段驚いた顔も何にも言わないので少しだけ安心した。

「飲むか?」
「あ…じゃあ、いっぱいだけ。」
「スーパードライでもいいか。」
「はい。好きです。」

そう言えば月島さんはよっこらせと立ち上がるとキッチンへと歩いて行った。キッチンも物が少なく、今のところここからだとカウンターに置かれたしょうゆと油しか見えないので、自炊はする方じゃないことは明らかであった。コンビニも近いし、駅前でスーパーもあるしで要らないのだろう。テレビに視線をやれば夜中の三時を回ったところで、ネットフリックスで大宣伝している海外のサスペンスドラマが流れていた。リビングを見渡せば寝室と同様あまりものが無かったが、床の隅に新聞がどさっと置かれていたり、仕事鞄がぼん、とキッチンのカウンターの下に置かれていたり、リビングの壁側に設置された本棚の中に小難しそうな文庫本がびっしり入っているかと思えば、時折少年漫画が並べてあるのが見えて、生活感があって少しだけ安心した。

「何か食うか?」
「お腹はあんまり、」
「そうか。」

月島さんはビールの入ったグラスを私に手渡すと、先ほどの位置に腰を掛けた。いただきます、と言ってグラスを差し出せば、ワンテンポ遅れて月島さんはグラスを傾けてくれた。暫く沈黙したままちびちびとビールを飲んでいたが、その沈黙に耐えかねて口を開こうとすれば、同じタイミングで月島さんも声を上げたのでいい年した大人同士どぎまぎした。

「あの…月島さんって、ネットフリックス見るんですね。」
「ああ。たまにな。」
「ふーん。」
「………」
「………」
「………」
「眠いなら、もう休んでいいぞ。」
「え」
「俺はどうせ今日ここで寝る。」
「いや、でも、」
「気にするな。」
「……でも、」
「ホテル代、浮いてよかったな。」

そう言って月島さんはごくごくビールを飲んで、それから微かに口角を上げると私が持っていたグラスにこつん、と自分のグラスを当てて、「もう寝ろ、お休み」と言った。私は何だか感極まって、申し訳ないやら、なんだか煮え切らないやらでどうしたらいいかわからなくって、「ヒンっ」と言いながら気が付けばぐぶぐびビールを飲んでいた。それを驚いた表情で月島さんは眺めていた。飲み干してごとん、とテーブルの上にグラスを置いて、ふう、と一息ついて、「やっぱりもう一杯飲みます、いいですか?」と言えば月島さんは「ああ…」と言ったので、断りもそこそこに冷蔵庫へと向かって歩いた。きんきんに冷えた缶ビールを1本ずつ片手に持ってソファに戻ると、グラスも使わずにそのまま口をつけた。もう一本を月島さんのグラスに注げば月島さんは黙ったまま私の注いだビールを飲んだ。

「お前、他の男の前ではそれしない方がいいぞ。」
「しませんよっ。する彼氏もいないし。」
「…そうか。」
「月島さんも無遠慮に女の子を家に上げない方がいいですよ、彼女に誤解されたらどうするんですかっ」
「彼女はいない。」
「………そうですか。」
「ああ。」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「…そろそろ寝ろ。」
「はい。」

そう言って月島さんはビールを飲み干すと、伸びをしてテレビを消してしまった。私もそれに合わせて缶を捨てたりグラスを洗おうとシンクへと移る。その間に月島さんは枕とブランケットを用意するのか寝室へと戻っていたらしく、歯を磨き終わった私と寝室で鉢合わせた。少しだけ驚いた月島さんがおやすみ、と一言言ってどこうとしたので反射的に同じ方向に行けば、月島さんは左にいったので私も左に行った。それを何度か繰り返していれば、ちょっとだけいらっとしたように此方を見下ろす月島さんと眼があった。この顔は仕事中にいらいらした案件があった時の顔と一緒のお顔である。

「…なんだ。」
「月島さんはここで寝てください。」
「名字はどこで寝るつもりだよ、」
「ここで寝ます?」
「…は、」
「一緒に寝てください。」
「お前、酔ってるのか?」
「はい。だから、一緒に寝てください。」
「…酔っ払いは自分で酔ってるとは言わんぞ」
「酔ってません。一緒に寝てください。」
「どっちだよ…どっちにせよ一緒に寝れんだろう。」
「好きです。」
「、名字」
「月島さんは私を抱きたくて迎えに来てくれたんじゃないんですか。」

ぐっと近づいてそう言えば月島さんは一歩あとずさった。おっぱいが月島さんのお腹に当たれば月島さんは分かりやすくどぎまぎして、じっと私を困惑した表情で見つめたのち、心なしか頬を赤らめてから口を開いた。

「わざわざ言わせるのか、それを…」
「聞きたいです。」
「………あわよくば、とは思った。」
「………」
「だが、お前が嫌がったり、そのまま眠るのなら、無理やりするつもりは最初からなかった。」
「そうですか…」
「名字じゃなかったら、迎えにもいかなかったかもしれん。」

そう言って苦笑いをする月島さんを見てほっとすると、思わず安堵の涙が一筋だけ出た。それをみた月島さんは今度は目を見開いて驚いた顔をしたので、月島さんって普段は無表情なのに、意外と表情豊かだよな、とぼんやり思った。

「良かったです。」
「………」
「私も、月島さんじゃなかったら電話、出なかったです。」
「名前、」

名前を呼ばれて視線をあげようと突然、視界が真っ暗になった。さっき起き上がる前にかいだいいにおいをいっぱい感じて、思わず息を吸えば、それに呼応するように背中にぎゅうと固くて熱い2本の腕がまわった。私もそのまま背伸びをしてぎゅっと腕を回せば、びくりと月島さんがかすかに震えたのち、なぜか「はあ……、」という溜息が聞えてきた。

「……あんまり可愛いことするな。」
「え?可愛い?もう一回言ってください。」
「はああああ…」


2018.08.05.
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