短編 | ナノ
月島主任と部下様

「(終った…)」

スマホの画面を見て思わずため息を吐く。とりあえず仕方がないと踵を返したものの、何処に行けばいいか分からず、ひとまず女子トイレへと向かった。新宿駅構内の成城石井でミネラルウォーターでも買おうかとも思案したが、もう流石に閉店らしく、シャッターが半分締まっていた。女子トイレは朝の混雑具合とは打って変わって閑散としていて、まるで異世界にでも来てしまったのかというほど静かで人がいなかった。トイレの個室でううー、と唸っている人のうめき声が耳に入るたびに、金曜日だなあと他人事のようにぼんやりと思った(他人なんだけれど)。とりあえず額に滲む汗を汗拭きシートで拭って、それから油取り紙をあてる。その上からファンデーションを塗るのは非情に億劫だったので、とりあえず口紅だけ塗直して乗らぬ気を紛らわせようと鏡の中で口角を上げたが別段心境に変化は無かった。酔っ払っているけれど、人の介抱が必要なほどは酔っていない、そんな感じだった。足もとは多少ふらつくが、気張れば歩けるくらいの、微妙な境目で、ちょっと10分くらい歩けば酔いがさめるだろうと踏んで女子トイレを出た。終電間近で駆け込もうとする雑踏を何とか潜り抜けると改札へと急いだ。駅員さんに間違って入ってしまいましたと嘘をついて改札を出たはいいが、さてどうしたものかと立ち竦んでしまった。駅前はもう終電を諦めているのか、最初から終電など頭にないような人々の雑踏であふれかえっていた。間遠にストリートライブの音も聞こえてくる。

「(人に酔うなこりゃ…)」

うっかりふらふら歩いていれば変な人に話しかけられる。話しかけられないようにとイヤホンを両耳に付けてぼちぼち歩きだした。そういう頭がまわるくらいには一応正常な判断はできてると少しだけ安心して、スマホを取り出す。その辺のネカフェか深夜営業しているスパにでも行こうかと検索しようとすれば、ぽん、と軽快な音とともにメッセージが表示されたので反射的にそのメッセージをはじいた。そこには見慣れた名前表示に、顔文字一つないシンプルな文字の羅列が見えた。『終電間に合ったか?』の簡素なコメントに思わず一人で笑ってしまって、そのままのテンションでコメントを返した。『間に合いませんでした(笑)』と送れば、間もなく既読が付いて、すかさず『(笑)じゃないだろう』と返された。コメントをまた返そうとすれば前から来た人に肩がぶつかってしまったのですみませんと返して一先ずガードレールの方に避難した。再び画面を見たときにはぽんぽんと立て続けにメッセージが送られていて、『どうするんだよ』、『今どこにいるんだ』、『まだ新宿駅か?』と間髪入れずに連投されていた。いつもメッセージ送るの遅いことで定評のあるスマホになれない大人代表みたいな堅物の彼が、こんな素早く返すとは。これ来週同じ部署の子に見せてあげたいななんてまた一人で笑っていれば、隣の女子大生風の女性二人にちらちら見られてしまったので思わずきゅっと口を結ぶ。『南口です』、返そうとした刹那、突然画面が変わって反射的にボタンを押せば、聞き覚えのある声がイヤホン越しに聞こえて思わずあっと声が漏れた。

「お疲れ様です。」
『…お疲れ。今どこにいるんだ?』
「南口です。横断歩道の近くのガードレールの…」

そう言いながら思わずふと視線を上げれば見覚えのあるシルエットが視界の真ん中に見えてあ、と再び声をあげた。その瞬間、きょろきょろと辺りを見渡していた「それ」も私を見つけたらしくあ、いたと一言言って、通話も切らずにずかずかと近づいてきた。いそいそとイヤホンを取って鞄に入れれば、近づいてきた「それ」は私の頭上で溜息を吐いた。

「月島さん、どうしたんですか?」
「それはこっちの台詞だ。お前さっきは「この時間ならまだ終電間に合う」って言ってなかったか?」
「いやあ、すみません。酔っ払って検索してて、間違いちゃってました。」
「お前なあ、」
「でも、暑気払い楽しかったし、金曜日だし、いいです。」
「良くない。鶴見部長に後で色々言われるの幹事の俺だからな。」

ああ、そっかと苦笑いをすれば月島主任は溜息を吐いて頭を掻いた。私は反対になんだかおかしくてまた笑ってしまった。お酒は抜けていっているはずなのに、月島さんを見た瞬間、終電を逃した悲しい気持ちよりも、先ほどまでの部署内の暑気払い飲み会の明るく楽しかった雰囲気が思い起こされて楽しくなってしまった。

「とりあえず、お前どうする。」
「…ホテル代って経費で落ちます?」
「営業でもあるまいし、落ちるもんか。」
「じゃーあ、月島さん、始発まで付き合ってくれます?」
「…まあ、そうだな。お前をここで一人にするわけにもいかんし…」

うーんと月島さんは分かりやすく困った表情を浮かべて悩んだ末、とりあえず移動しようと、酔っ払っている私の腕を引くと駅前の雑踏に入りこんで歩きだした。月島さんに支えられながら歩いていたら、頭の裏で、なんでこんな飲み会の日にハイヒール履いてきちゃったんだろうなあ、と思ってひりひりする足を引きずりながらぼんやり思った。月島さんは横断歩道の方まで行くと私にここで待ってろと言って待たせると、タクシーを一台拾ってくれた。開かれたドアに月島さんは私の手を引いて載らせると、自分もそれに続いた。月島さんもたくさんビール飲んでいたように見えたけど、お酒強いのかなあとぼんやり思いながらぼんやり彼の横顔を見遣った。今度はよいではなく眠気からか頭がぽやぽやしてきて、思わずあくびをしてしまった。そうこうしているうちにタクシーのドアは開き、月島さんは運転手のおじさんに向かって「荻窪までお願いします。」とだけ言ってネクタイを弛めた。

「月島さん、荻窪に住んでるんですか?」
「いや…まあ確かに家は近いが。あの辺ならもう少し落ち着いてるし、いくらか店を知ってる。」
「へーえ。…あ、そう言えばこの間テレビでもやってましたよね。荻窪特集!吉祥寺とかに次いで今若い女性がこぞって住みたがるって。いいお店、結構あるんですってね。」
「まあな」

そう言って月島さんは小さく笑うと鞄から徐にペットボトルを取り出した。そしてきゅっとそれを開けるとそれを私に手渡した。思わずキョトンとしたが、はっとしてそれを受け取るといただきます、と言って素直に飲み込んだ。不意打ちを食らったようで暫く黙っていたが、沈黙に耐えかねてミネラルウォーターのペットボトルのキャップを閉じると一息吐いた。月島さんは何事も無かったかのようにスマホを弄っていて、ぽんぽんとラインのメッセージ音が鳴っては時折眉を顰めたりしていたので、主任は仕事終わりも大変何だなあと思って、申し訳なさでいっぱいになってきた。酔っているとはいえへらへらしていたのが何だか非常に申し訳なくて思わず口を開いた。

「月島さん、あの、今更だけど、時間大丈夫ですか?」
「今更過ぎるだろ。」
「いや、何か、急に申し訳なくて…」

もじもじとそう言いながらお水もありがとうございました…と言えば、月島さんはふ、と笑った。

「酔っ払いは酔っ払いらしく気にせずへらへらしてればいい。」
「でも…」
「お前と飲み直すって決めたのは俺だ。だから気にするな。」
「月島さん……」
「それに、名字に気を遣われるとゾワゾワするしな。」
「ゾワゾワって…」

思わずう遠い目をすれば月島さんは今度は分かりやすく笑った。金曜日だからか思いのほか道は混んでいて、花金の新宿はやはりすごいなあと感嘆せざるを得なかった。タクシーの中はクーラーが効いていて気持ちが良くて、思わず眠ってしまいそうになった。目をパシパシさせたり、うつらうつらとさせていれば、それを見かねた月島さんが自分の持っていたジャケットを私にかけて声を掛けてくれた。

「まだ時間かかりそうだから、寝てもいいぞ。着いたら起こす。」
「…すみません…、ちょっとだけ、休ませてください。」
「ああ。」

彼の返答を聞くや否や、安心からか再びあくびが一つ出た。肩に掛けられたジャケットを布団のようにして口元まで寄せれば、ファブリーズのような香と、月島さんの匂いがしてちょっと頬が熱くなった。車内からみえるきらきらした無数の町のフィラメントに何度も何度も目をパシパシさせる。瞼を開けても閉じても、瞼の裏に光が差し込んでまるで万華鏡のように思えた。夢か現か、訳も分からず、月島さんの匂いを吸っては吐いて、鼻孔に何度も何度も感じて肺を月島さんで一杯にしながら、うつらうつらと夢の中へとオールを漕いだ。


2018.08.05.
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