短編 | ナノ
病気でも全力でからかってくる尾形上等兵

尾形上等兵が熱を出して寝込んでいるらしい。いつものように鶴見さんの額宛ての処理をして兵士たちが昼間の訓練をしている昼下りの人のいない穏やかな廊下を歩いておれば、外の端で雑用をこなす初年兵たちの噂話から推測した。そういえば今朝尾形さんのようなあまり元気のなさそうな背中を下げた男性が一人医務室にふらふら向かっているのを見た気がする。あれまさか尾形さんだったのか。と頸を傾げつつ、鶴見さんセットを置きに医務室へといそいそ向かって歩いた。







医務室に入り桶を片しておればかすかに寝息のような音が聞こえて耳をそばだてる。医務室には自分とその声の主以外誰もおらず、しんと静まり返っていた。外ではちゅんちゅんと雀の可愛らしい声とぱかぱかと時折馬の通る音がするだけで人の話し声なども聞こえてこない。昨日降った雪解けの水が退きの下から延びて、つららに伝ってぽたぽた落ちていくのがまどから覗くことができた。確かに、普通に考えれば冬のこの時期に訓練をしていたら風を引く者とてでてきてもおかしくないだろう。全てを片し終わり使った器具を煮沸消毒しようと準備をしていた最中、なんとなくカーテンで仕切られた向こう側のベッドが気になり静かに近づく。カーテンに手をかけて僅かに開ければベッドの上でシーツにくるまった塊が見えた。小さく胸を上下させて、規則正しく呼吸を刻むすれは私の存在など微塵も感じていないかのように瞼を閉じたまま、静かにそこに横たわっていた。

「(本当に熱なんだ)」

驚いたと同時に何だか気の毒で思わずずい、と彼の横たわるベッドの横までくると、サイドテーブルに置かれた桶の水を変えるために手を伸ばす。存外まだ冷たかったのでとりあえず彼の額に置かれた手拭いを手に取ると、桶に浸してぎゅっと絞る。静かに眠る緒方さんの横顔をちらりと見て、随分姿勢を正して寝ているから、額の手拭いが落ちる心配もなさそうだと安心して再度彼の額に手拭いを置く。起きたときのためにと組んだばかりのお水をガラスのポットに入れておき、その横にグラスを置いておく。はだけたお布団を尾形さんの肩にまでかけなおし、そろそろ次の業務に戻ろうとしたその刹那、すっと熱いくらいの温度が私の手を握ったので驚いて視線をそちらに向ければ、寝ぼけ眼のとろんとした視線を向ける男性と目が合った。

「すいません、起こしました?」
「………いや」

ずるっと私の手をつかんだ手が落ちて蒲団の上に力なく投げ出される。ごはん食べて薬は飲みましたか?と問えばかすかにうん、と声が返ってきた。大の男でも流石に病気には勝てないのだろう。いつもクールで余裕そうな表情で何を考えているかわからない彼が今は頬を少し赤くして苦しそうに息を繰り返している。とはいえ、ここで一人寝かされているところを見るとそこまで深刻な病気でもなさそうである。もし深刻ならば真っ先に私が呼ばれて付き添うことになっただろうから。近頃は寒暖差が激しかったので、体調を崩す兵士が多かったし、彼もまた体が弱っていたところに風邪菌が入り込んでしまったのだろう。日ごろいわれのない意地悪してくる尾形さんでも(尾形さんはいつも私をパシリに使ったり、鶴見さんから逃げている最中に鶴見さんに居所をチクったりしてくるのだ)流石に気の毒だなあと心底思って、投げ出された手を蒲団の中に戻してやろうと握れば、通常の体温よりも幾分もあたたかい手が微かに握り返してきた。

「尾形さん、寒くないですか?」
「熱い…水…」
「水ですね、分かりました。」

握られた手を布団の中に入れて解こうとしたが、なかなか離してくれなかったので(寝ぼけているのだろう)諦めて片手で先程のグラスに水を灌ぐ。これくらいなら片手でも平気だが、流石にこれを眠っている人に飲ませるのは至難の業だ。一度起こしてやろうかと思って体を近づけた瞬間、ゆっくりとまぶたを開いた尾形さんの眼と眼が再びあった。相変わらず熱に浮かされてとろんとはしていたが、その奥にはどこかしっかりとした瞳の強さもうかがえる。先程よりもより意識が覚醒しているようであった。

「お水飲みますか?」
「……起き上がれねえ。力が出ない。」
「そうですか…どうしようかしら。」

吸い飲み持ってこようかしらと思って視線をそらした瞬間、突然グイッと握られた腕が引っ張られたので思わずうわっと上ずった声を上げえてよろめく。間一髪で彼の方に倒れこむことはなかったが反射的に腕をつきバッと視線を上げれば今度は先ほどとは比べ物にならないほど近づいた尾形さんの瞳と瞳がぶつかるのであった。あっと思って目を丸くすれば、熱のくせにいつも以上に悪い笑顔を張り付けた尾形さんがにやりと口角を上げた。

「名前、水が飲みたいんだが。」
「吸い飲み持ってきましょうか…?」
「今すぐ飲みたい。」
「すぐに持ってきて…」
「その水冷たいよな?」
「まあ、多少は…」
「ぬるい方がいい。」
「えー…、そんなわがままな。」

一体どうしろってんでい、と思わず眉をひそめた瞬間、熱に浮かされて上気した頬を下げた尾形さんは不敵な笑みを一瞬見せたかと思えば閉じていた唇をかすかに開いた。

「飲ませてくれ、お前の口で。」
「は」
「吸い飲みよりもお前の口で飲ませたほうが手間暇かからねえだろ。」
「手間暇とかいう次元じゃないというか、一体自分が何を口走ってらっしゃるのかわかってるんですか…(ついに熱でおかしくなっちゃったのかしら…)」

はあ、と溜息を吐いてかすかに体に力を込めて倒れこんだ体勢から立て直そうとするも思いのほか尾形さんの私の手を握る力が強すぎて容易にできない。というよりも本当にこの人病人なのか。このままでは埒が明かない。相手は意識ももうろうとした病人だというのに何でこんなに翻弄されているのだろうか自分はと悲しくなってくる。早くしないとそろそろ他の看護師や先生に呼ばれそうだし、どうしたらいいだと目を細めて尾形さんをみる。いつも以上にとろんとした目で私を見てにやにやしている、叩きたい。

「…全くあなたって人は…」
「赤十字ってのは博愛主義なんだろ。今こそその『博愛』と『慈悲』とやらを見せてほしいところだな。」
「重い熱があってもお口は達者でらっしゃる。流石上等兵殿ですね。」
「お前も病人相手に負けず劣らずな口ぶりだな。」
「(……こんの山猫め!)」

むかつくなあと思いつつも売り言葉に買い言葉だ。終わりなきキャットファイトはどちらが折れない限り続くのである。ここは悔しさもあるが、私はお熱でもわがままな山猫さんとは違うのだ。きっと尾形さんは私がいつものように泣いて私の降参です〜という展開にもっていってはからかい遊びたいのだろうが、私は今回それを逆手に取ろうと思う。仕方があるまいとわざとしおらしい態度を示し、水を口に含んで恭しく彼の唇の寸前まで顔を近づける。驚いた尾形さんにこれ見よがしに唇を近づけて、いい頃合いのところでゴクンと水を飲んで、にっこりと笑ってやるのだ。面食らって悔しがる尾形さんの顔を見届けてから吸い飲みを用意してちゃんと飲ませればよいだろう。そう頭の中で算段するとよし、と気合を入れて鼻を鳴らす。

「…いいですよ。」
「ほお、意外だな。」

ちょっと驚いてかすかに目を向けた尾形さんをみてしめしめと顔に出さぬようにグラスを唇に付けて水を含む。そしていそいそと横になる尾形さんの顔に自分の顔を近づけさせる。嵌めてやろうと思ってはいるが、とはいえ実際に行動に移すとなかなか緊張するもので、ちょっとひやひやするし、頬がだんだん熱くなるのを感じる。あっという間に目の前に尾形さんの光のない瞳が二つみえて、思わずぶわっと口に含んだ水をぶちまけてしまいそうな勢いだ。尾形さんはかすかに瞬きをして私を相変わらず熱に浮かされたとろんとした瞳でとらえるだけだ。この間、2秒とも経っていないだろうが、不思議とものすごく時間が遅く流れているように感ぜられた。そしていよいよ唇を重ねるそぶりを見せようと徐々に唇を近づけていった、その刹那、突然またぐいっと掴まれた腕と、そして今度は後頭部を大きな掌に包まれたかと思えば強い力で抑えつけられた。あ、という間もなく目の前には瞬き一つしない双眼が見えて思わず瞼をぎゅっと力いっぱい瞑る。直後、熱い程熱を帯びた柔らかな感触が唇に触れて、触れたかと思えばにゅるりとしたどろりとした暑いぬるぬるが私の唇の間に割って入ってきた。口の隙間から自分の唾液か水なのか分からないが細く一筋伝って流れていくのを感じて一気に体中の力が抜けそうになる。はあ、という自分の吐息と男の吐息が耳に入ってきて頭が真っ白になる。かすかにごくりと目の前の男性が喉を鳴らしたのが聞こえて、ようやく今自分が口に含んでいた液体はついぞ目の前のこの男の口にわたり、そしてこの男の喉へと伝って行ってしまったのだと気が付くことができた。本当にこの男は私の口から水を飲んでしまったのだ。そしてそれだけに飽き足らず、ぺろりとついでと言わんばかりに私の口内をべろりと舐めたではないか。

「…な、なにを」

驚いて反射的に体を離せば思いのほかぱっと体を尾形さんから離すことができた。あまりの驚きに腰を抜かしかけたが、辛うじてサイドテーブルに重心をかけて態勢を保つ。肩で息をする私をみて熱にもかかわらず尾形さんはとても上機嫌そうに口角を上げてぺろりと自分の唇をなめると、目を細めて「ははっ」と余裕そうな笑みを見せた。

「飲ませてくれるっっていったから。」
「へ、変態!」
「同意の上、だろ?それに、介護の一環だ。違うか?」
「………い、今のは私は忘れます。ですから尾形さんも忘れてちゃっちゃか寝てください!お大事に!」

うわあああ恥ずかしい!と顔を真っ赤にしてぼふっとブランケットを尾形さんの顔にめがけて投げれば、ぶ、という帰るが踏まれたような声が聞こえた。勢いよくカーテンを閉めると足早に病室を後にする。唇に尾形さんの熱を帯びた感触が生々しく残っていて暫く忘れそうにない。嵌めようと思ったらまさか嵌め返されるとは…と恥ずかしいのと悔しいので地団駄踏みたいのを必死に我慢してすたすたと廊下を歩く。もう病人のくせにいつも以上に悪質だ!と憤慨した表情を隠さずに、唇を抑えてどすどすと廊下をあるく私は傍から見ればかなりアレな子だろう。だがもうそんなことなどどうでもいいくらいには頭の中が真っ白だった。まさか初めてのキスをあの尾形(猫)上等兵に奪われるとは…という複雑な気持ちでいっぱいいっぱいでしばらくは尾形さんと面と向かってお話しできそうにない。というか、今度ばかりはお菓子なんかにつられず、謝らない限り口を利かないんだから!と固く心に誓うのであった。









「………(ちょっといじめすぎたか。…まあいいか、どうせ名前の事だ。その辺の菓子でも手土産に渡せば機嫌治るよな。寝る。)」



2018.02.17.
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