短編 | ナノ
依存症の治らない尾形さん

バタンと玄関のドアが閉まる音が部屋中に響く。築十数年も経てばドアやら窓やらにガタがきて、よく軋んだり、開けたり閉めたりするときに違和感がある。でもこの部屋はわりと綺麗だから他の部屋よりかは幾分はましだ。というのも、この部屋に住んでる男は無駄に神経質だからかもしれない。リビングのドアをちょっと開けて、覗くようにして玄関の彼の様子を見た。買い物袋を提げて、靴を脱ぎ揃える姿はまるで本当の母親のように見えてきて何だか奇妙だ。買い物袋の中身はよく見えないけれど、じゃがいもや人参やらがちらほら顔を覗かせているのを見ると、カレーの材料らしい。

「おかえりなさい。」
「…ああ。」

彼は素っ気なく答えると、私の頭をぽんと軽く撫でた。そして自分の前髪を後ろに流して撫でつける。彼のよくやる癖だ。づかづかとキッチンに向い、買い物袋を冷蔵庫の中にぼんと置いた。買い物袋を終い終わると、彼はリビングのソファにぐてんと力無く腰を下ろした。そして上着のポケットから煙草とライターを取り出すと、一服し始めた。彼は私が昔あげたジッポのライターをまだしつこく愛用している。私が初めてくれたプレゼントだから口や顔には出さないが、それなりに気に入っているらしい。本当はそのライターは他の男から貰った御下がりなんです、なんて死んでも言えない。言ったらきっと彼はいつも以上の冷たい視線で睨んで口をきいてくれなくなるだろう。もくもくと紫煙がキッチンを瞬く間に包み込み、私の肺に侵入してきた。煙草の煙を吸うと肺と心臓がぎゅううとされるような圧迫感を感じる。換気しようと窓を開ければ、湿気の入り雑じった都会の少し燻ったような空気がリビングに入り込んできた。私も彼の隣に座ろうと近づこば、彼は此方に座れよと言わんばかりに自身の膝を叩いていた。私は仕方がないという表情で彼の膝の上に乗ってみた。私が膝の上に乗ると、彼はおっこちないように私のお腹に腕を回した。

「…太ったか?」
「失礼な。」

口を尖らせる私を見て彼は馬鹿にするようようにくつりくつりと喉を鳴らして笑った。それにしてもやっぱり煙草臭い。

「くさい。税金も上がったことだしこの際止めちゃえば?身体にも悪いし。」

私がそう言えば彼はわざとらしく盛大に煙草の煙を吐き出した。私がそれを見て不機嫌そうに眉を潜めれば、彼は反対に口角を上げた。くっきりと刻まれた隈が私を見下ろす。

「分かってる。」
「依存症?」
「ああ。肺の中に何か入ってないと落ち着かねえんだよ。」
「自分から毒を体内に入れてるようなものじゃん。」
「それがいいから吸ってんだ。」
「げ、マゾ。」

私が少し引いたように言えば彼は私を小馬鹿にするように鼻で笑った。そして深く煙草を吸った。背中越しに彼の胸が膨らんで毒が肺に溜まってゆくのを直に感じた。

「人間は皆マゾヒストなんだよ。ヤクやるのも、セックスやるのも、これを吸うのと同じだ。」

彼はそう言って小さくなった煙草を脇にあった灰皿に押し込んだ。まだ煙草の残り香が、しつこく鼻につく。

「お前のそれもな。」

彼は私の腕を指差し付け足すように言った。視線を自分の腕に移した。長袖の隙間からは擦り傷のような引っ掻き傷のような無数の傷が、腕に刻まれている。治りかけで全部薄くなってきているが、やはりまだ随分目立っている。私が黙ったままでいれば、彼はふう、とため息を吐いて私のお腹に回した両腕に力を込めた。目を猫のように細めて、首筋をくんくん嗅ぐ。お腹がぎゅううと圧迫されて苦しくなる。そして顎を私の頭に乗せた。

「お前も煙草と同じか…。」

ぼそりと小さく彼は呟くと、そのまま暫くは腕を離さなかった。


2018.03.05.
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