短編 | ナノ
ウブな鯉登くんに一目惚れされたらしい

「(『O.K』…?月島さんのかしら…いや、でも月島さんが使っているのは確か黒だったはずだし…誰のかしら。)」

きょろきょろと辺りを見回すも、午後5時を過ぎたテラスは人はまばらで、窓の外ではこれから帰るという人々の群れであふれていた。ノマドワーカーというわけではないのだが、時折仕事に煮詰まると階下のスタバのテラスで仕事をすることもある。今日はたまたま上司の月島さんに仕事の事で共有しておきたい事もあったのでお茶がてらスタバでミーティングをして、それから彼は役員会議と春の人事異動会議に出席すべく上階の事務所へと戻っていったのだが、私はパソコン作業を暫くここでしていた。このビルは都内でも有数の会社はいくつも入っているわりに多きな複合ビジネスビルで、自分たちの会社以外にも多くの別会社の人々が軒を連ねている。階下には有名飲食チェーン店や名の知れた小売店やスーパーもありかなり便利な都内ではよくある形の大型ビジネス商業ビルである。一応私の所属するこの会社は歴史のある商社で上場以来厳しい時期もあったが何とかここまで拡大を繰り返し中堅企業にまでなった会社であるがゆえに、ここのバカ高い家賃を支払ってこのビルに居座ることができている。

「(月島さんが落したのならすぐに私に連絡してきそうなもんだけどなあ。前回財布そっちに無いかって言ってすぐに連絡してきたもの。その時も私が見つけたけど。)」

と思いつつも念のためにラインで個人的に月島さんに連絡をしてみればやはり目の前のスマホはならなかったのでやっぱりそうだよなあと思いながら電話に出た月島さんに事のいきさつを話す。

『スマホケースは何色なんだ?』
「黒ですね。あ、しかもボッ〇ガっす。おしゃれ。ちょうど私たちが座っていた席のほんとうに近くに落ちてたんですが…」
『黒のボッ〇ガか…』
「社内の誰かのですかね?あ、でもこんだけ会社入ってるビルじゃ見当もつかないか…」
『…O.Kって書かれた黒のボッ〇ガなんだよな?』
「はい。スマホだけで何にも入ってないんで誰のか皆目見当が付きません。ロックかかってたし、充電ももうなくて。」
『…一人だけ思い当たる節はあるが…』
「同じ会社の人ですか?」
『ああ。』

そういって月島さんは電話の向こう側でごにょごにょと誰かと話しを挟んだ。敬語で話している様子だったが、すぐにまた私に向かって話始めた。

『持ち主の検討が付いた。』
「まじですか?はや。でもよかったです。」
『ああ。まだスタバにいるか?』
「本当はもう定時過ぎてるし、そろそろ戻りたいところですが…しょうがないから、3杯目のコーヒーを飲みながら待ってますよ。」

そういえば月島さんはふっと鼻で笑って、もう2,30分待ってくれ。と言って礼を述べてから電話を切った。私はクーポンを片手にもう一度ホットコーヒーのSサイズを頼みに行く。やはり同じ会社の人だったんだなあ、よかったよかったと人知れず胸を撫でおろした。







パソコンを弄りながら言われた通り静かに待っていたが、ついぞ30分待っても音沙汰がない。月島さんが電話に出たときにはすでに会議は終わっているように見えたが、まだ途中だったのだろうかと首をひねりつつも、自分のPC作業もだんだん乗ってきたのでまあいいか、くらいに考えてコーヒーを一口飲んだ刹那、視界の端に誰かの影が見えて思わず視線を上に向けた。

「あ、お疲れ様です。」
「…お疲れ様」

目のまえに現れたのは見かけぬ青年であったのだが、反射的に挨拶をすれば青年はちょっと伏し目がちに挨拶を返した。見かけぬ人だが浅黒い肌に整ったお顔をしていて若い割には随分貫禄のある雰囲気もあるしなかなか渋みのある好青年だなとおもって笑顔で会釈すれば彼はなぜだかわからないがちょっとどぎまぎしたように目を泳がせた。

「月島さんに電話して正解でした。このスマホは貴方ので違いありませんか?」
「ああ、間違いない。おいのです。」
「(あら、方言男子)良かったです。どうぞ。あ、充電切れちゃってたんですが、一応私もiPhoneなんで充電しときました。差し出がましかったですかね。」
「いや、すまない。」

自分より年下のように見えるが、口ぶりや態度から恐らく役員級の人なのだろう。部署が違うと顔をあまり見ない人も多いので言葉使いには多少気を遣う。それにしてもこの人さっきから私と目を合わそうとしないのだが、なんかあるんだろうかと頸をひねっていたところ、方言男子(仮)の肩越しに見たことのあるシルエットが見えて思わず声をあげた。

「あ、月島さん!」
「、月島。」

方言男子(仮)はぼそりと月島さんを呼び捨てにして彼の方を向く。月島さんの両の手には緑の女神さまが書かれた紙コップがあり湯気が上がっていた。

「鯉登さんのであってたんですね。よかったですね。」
「ああ。」
「名前、この人は鯉登営業室長だ。出張でシンガポールやフィリピンにいたんだが、この春から本社に戻ってきたんだ。お前は本社に来てまだ1年しかたってないから、あったことが無かったろう。」
「そうでしたか。失礼いたしました。まだお若く見えたので。申し遅れました、私は名字名前と申します。もともと埼玉の支社で営業をしていたのですが、この度本社に転属になって主任職をやらせて頂いております。まだまだ勉強中ですが、ぜひよろしくお願いいたします。」

そういって頭を下げれば鯉登さんもいや、といいながら小さく会釈を返した。シンガポールやフィリピンにいたんだったら肌の浅黒いのはそのせいかしらんと思いつつにこにこ笑っていれば月島課長はいそいそと私が座っていた前の席に移動して腰を掛けた。それを見て当たり前のように鯉登さんも月島さんの隣に座ったのでん?と思いつつもとりあえず空気を読んで私も再度腰を掛ける。ちらりと腕時計を見ればもう6時を回りそうだったのでそろそろ帰りたかったのだが、上司二人に挟まれてしまってはなかなか身動きが取れない。おまけに月島さんがいつも以上にニコニコしているのでただならぬ雰囲気を察して、思わず早々に退散できるようにとPCをしまう。

「名前、鯉登さんは礼をしたいそうだ。」
「え?…いやあ、でも私、本当に大したことしてないですし、お気になさらず…」
「今度飯でも食いに行かんか?」
「ごはん、ですか?」
「ああ、すぐにとは言わんが…」

そう言って何故だかしゅんとうなだれる鯉登さんをしり目に月島さんは依然ニコニコとした表情を崩さない。

「スマホもボッ〇ガも結構するからな。鯉登さんはお前の想像以上に感謝しているんだそうだ。ああ、そうだ、どうせ後でわかるが今のうちに会社携帯番号とラインを交換しといたらどうだ?」

という月島さんの提案に隣の鯉登さんはバッと顔を上げて何故だか嬉しそうに月島さんの顔を見てから嬉々とした表情で此方を向く。気迫に思わずぎょっとしたが、まあ確かに後でも今でも同じだろうといそいそとスマホと会社携帯を取り出せば鯉登さんも嬉しそうにスマホのロックを解除して操作をし始めた。ちらりと横目で月島さんを見ればニコニコとした表情の中に遠い目をしたどこか観音様のような視線で私たちを眺めている様子に何だかやはり不信感をぬぐえなかったが、あれよあれよという間に新しい上司の鯉登さんと連絡先を交換したのであった。

「…じゃあ、私まだ荷物とか事務所にあるので。これで失礼いたします。」
「ああ、すまなかったな。お疲れ様」
「おやっとさっ……お疲れさま。」
「おやっと…?」
「すまん、方言だ。」

なかなか抜けんのだと言いながらもじもじする鯉登さんを見て思わずふっと笑えば鯉登さんはまたしゅんとした表情で下を向いたので慌ててフォローを入れる。

「どこの方言ですか?」
「……(月島…)」
「鹿児島だそうだ。」
「鹿児島ですか!『西郷〇ん』だ!私西郷〇んすきなんですよね〜鹿児島弁可愛い。方言男子、今はやってますもんね。」

私がそういえば再びバッと顔を上げて月島さんを見たのちに先程よりもパアアアっと華やいだ顔を上げて私を見てくる鯉登さんに笑顔を向けて、今度こそ失礼いたしますと会釈をして荷物を持ったままテラスを後にした。横目にみえた鯉登さんがどこか名残惜しそうな目で此方を見ている気もしたが、とりあえず苦笑いをして後は月島さんお願いしますと言わんばかりに笑顔で小走りで去っていけば、あれだけにこにこしていた月島さんがここで初めて疲労の表情をのぞかせた気がした。

「(変わった方言男子だなあ…鯉登さん…)」










「鯉登室長、スマホ落しませんでしたか。」

スマホを落としたことに言われるまで気が付かなかったのが本音だった。思わず反射的にポケットをまさぐったがやはり言われたとおりにない。

「……落したかもしれん。」
「黒のボッテガですか?イニシャル入りの。」
「!」
「恐らく大丈夫です。うちの社員が見つけてます。」

思わずぱっと月島の方を見ればはあ、と溜息を吐いたのちに誰かと話しているのか形態の会話の続きを始めてしまった。会議も終わりそろそろ帰ろうかと思っていた矢先だったので本当によかった。会話を終えたらしい月島にどこにあるのかと問えば、階下のスタバにあるという。今も社員がそれをもって待っているというので、鞄と上着をもって急いで向かおうとすれば、月島が慌ててどの社員かわかるんですか?と言ったので思わず足を止める。そして月島に案内してくれと頼むとこくんとうなずいたので嬉々としてEVのボタンを押した。

「新入りの営業社員で主任職について本社転属になった女性です。」
「ほお。」
「まだまだ経験不足ですが、女性にしては粘りもあるし、仕事に真摯な社員です。これから直属の部下になるものですから、一応これを機に顔合わせしてもいいかもしれませんね。」
「そうか。」

女性の部下というのは初めて受け持つ。正直どうなるかわからんなあと眉をひそめていれば、あっという間にEVは階下について、満員電車のようにEV内の人々が吐き出されていった。コンプライアンスもうるさい昨今だがもとより商社にもかかわらずうちの会社はほぼ残業をさせないことで定評がある。この会社は自分の父が先代の役員だった関係で所謂コネ入社のような形ではあったがそう言われたくなくて入社してから
がむしゃらに働いて海外でも一人で頑張ってきたのだ。そして晴れて本社に戻れた。新しい部下を持つこともビジネスマンとしての新しいステップアップだろうと意気込んでこの機会も何かの縁と勇ましくスタバへと入っていく。

「(女性だろうと男性だろうと結果を出すビジネスマンにビシバシ仕上げて行こう。そうすれば鶴見さんもおいを認めてくださるはずだ…!)」
「あ、あそこのテラスの者です。」
「、」

視線をテラスに向けた刹那、背筋に落雷にでもあったかのような衝撃を受け、思わず目をひん剥けた。視界がだんだんとぼやけてきて、もはやこの世界には視線の先に彼女しかいないかのような錯覚を覚える。一歩思わずあとずさりをして、それから静かに呼吸を整えるので精いっぱいであった。視線の先の彼女はとても真剣なまなざしをむけてPCに打ち込んでいる。時折携帯が鳴るとすぐさま電話に出て笑顔で話してそれから切る。しばらく見とれて動けずにいたが、視界にひらひらと男の掌が見えて思わずうわっと上ずった声を上げれば月島が眉間にしわを寄せて此方を見る画が見えた。

「…室長、だいじょうぶですか?」
「月島…」
「はい」
「あれが、お前の言っていた…」
「名字名前主任です。」
「名字名前…」
「はい」
「………ァ、」
「はい?」
「…わっぜぇ好ッじゃァ……惚れた…」
「…そうですか。」

横目で遠い目で自分を見てくる月島の微妙な表情など気にならないくらい、視線の先の女に釘付けとなる。暫く彼女を眺めていたがはっと気が付いて思わず横の月島にしがみつく。

「月島、どうすればいい!?」
「どうすればいいって、とりあえず拾ってくれたことに感謝して話しをすればいいんじゃないですか。」
「無理だ、心臓が持たん…!」
「そんなこといわれましても…もう30分過ぎましたよ。そろそろ話しかけないとさすがに帰るんじゃないですか。」
「薄情者!どうすればいいのか教えてくれ!頼む!」
「とりあえずまずは自分から話しかけてください。そのあとすぐに俺が行きますから。」
「わ、分かった…」

必ず来てくれよ!と念を押してとりあえず隠れていた鉢植えから離れる。すぐそばでコーヒーを飲んでいた客や店員から不審がられていたようだが、なんとか月島がその場を収めてくれた。深い深呼吸をして、前髪を正す。とりあえず第一印象が重要だろうと店の鏡をちらりと見ておかしくないか身なりを整えて心を決めて彼女、名字名前さんのもとへと足を進めていった。
 

「(おいも男じゃ!)」


夜風に揺れる彼女の髪から甘い香りが今にでもここまで香ってくるようで歩調と同じ様に脈が波うってうるさいが、これから始まるであろう新しい展開に胸をときめかせずにはいられないのだった。


2018.02.18.
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