短編 | ナノ
尾形先生が色っぽくてダークサイドに落ちそう

「ああ、名字。この前提出したレポートの件ですこし気になるところがある。後で俺のとこに来い。16時半くらいに。」
「はあ。わかりました。」

出席表を提出したところで思わず足止めを食らいキョトンとする。私が顔を上げたときには尾形先生はすでにホワイトボードを消していて背を向けていたのでどんな表情だったかは見受けられなかった。微かに、先生が身に着けているらしい男性の香水のような香りがその場に漂っている。居眠りをしていたわけではないが、いつもこの授業を一緒に受けている友人が熱を出して休んでしまったものだから、その子の分もと配られたプリントに同じことを書いていたらあっという間に一番最後に教室を出ることになってしまった。日文の中でも戦間期文学を専攻している尾形百之助先生はとてもクールで不思議な雰囲気をまとった素敵な男性教諭で、密かに女生徒からは人気を集めていた。私も日文に入り早3年を迎えたが、先生のこの「近現代の戦争文学」の授業は素直に面白くて、気が付けば1年生の頃から受講しており、今では「近現代の戦争文学3」を受講している。この勢いだと恐らく秋学期もとるし、4年生になってもとるだろう。いつもレポートはまじめに提出しているし、めったなことでは休まないので最高評価のSを貰っているのだが、さっきのように呼び止められてレポートに関して何かいわれるのははじめてだった。

「(尾形先生の授業は毎年取ってるけど、ゼミは月島先生だから、先生の部屋に入るのは初めてだ。まあ、今日はこの授業で終わりだし、バイトもないしよってみるか。)」

金曜日の午後4時の過ぎた大学構内は週末を迎えるからなのかすでに閑散としていて、5時限以降の授業を受ける生徒もそうほとんどいないので廊下ですれ違う生徒もまばらだった。特にこの日本文学部の公舎はしんと静まり返っており、増改築を繰り返しているせいか、歴史のある私立大学校ではあるが校舎は真新しく、まるでどこか大企業のビジネスビルのような風体である。ホーム校がこの大学の先生には自分の研究室が与えられるので先生はほかの学校の授業以外はだいたい自分の研究室にいることは月島先生の例があるのでなんとなくわかっていたが、週末は先生達の教授室も人の存在感は薄く、ほぼ人がいなかった。橙色の日差しが廊下を照らして黒いタイツの張り付いた私の膝小僧を温かくした。先生に会う前にお手洗いを済ませ、何とはなしに化粧を直す。口紅を塗って、ふと徐にヘアミストをつけてそこで鏡の中の自分と目が合っておもわずクスリと笑ってしまった。

「まるで恋人に会う女の子みたいだな、」

そう独り言ちて、ハンカチをポケットにしまった。先生かっこいいから、思わず身構えてしまうのだろう。そういえば月島先生と初めて会った時も化粧ばっちり決めていたけど、毎週ゼミで会うからだんだん気にしなくなってきたっけと薄情な自分に思わず苦笑して、月島先生の研究室の隣の尾形先生の研究室の扉をノックした。扉の横には簡素な表札のようなネームプレートがあり、ゴシック体で「尾形」と書かれている。他はなにも書かれていない。ちらりと視線を隣の月島先生の扉に写せば、本学校で毎月発表される文学部の勉強会のポスターと、駅伝の応援ポスターが張られていた。二回目のノックで扉の向こう側から、「開いてるぞ」というこえがしたので、失礼致しますと事務的にそう言って扉を開ける。扉を開ければこちらに視線を送る尾形先生の眼とあった。文庫本特有のインクの香りや古い本が日に焼けた匂い、新聞紙のようなにおいが漂う中に珈琲のいい香りもする。研究室と言っても、そこまで大きくはない。月島先生の部家もそうだったのと同様で、尾形先生のお部屋も6帖がいいところの部屋だ。中央に自分の作業兼デスクトップを置くテーブルを置いて、壁に造られた本棚には所狭しとたくさんの分厚い書物が置かれている。部屋には大きな窓が一か所だけついていて、ブラインドがつけられていた。入口すぐの場所には荷物は置かれていないが、ダンボールが積み重なったりしていて気を付けて歩く必要はある。中央には小さな向かい合ったソファのようなものと小ぶりなテーブルがある。

「汚くて悪いが、荷物はそこにおいて前にかけてくれ。」
「はい。」
「上着は預かる。」

尾形先生はパソコンで何やら作業しつつそれだけ言うと、自分の座るデスクの目の前の席に私を座るように指示した。持っていた鞄をその辺の床に置いて、それから上着を脱ぐ。先生はどこからともなくハンガーを取り出すとん、といって私の上着をよこせと手を差し出したので私はどうも、と一言言って上着を預けた。

「珈琲は飲めるか。」
「すきです。」
「そりゃよかった。」

先生はにこりと笑うとデスクトップの上に置いてあったコーヒーメーカーにカップをセットしてボタンを押した。こぽこぽとコーヒーがドリップされて瞬く間にいい香りがこの部屋を支配する。ブラインドからは先程よりも傾いた柔らかな日差しがこぼれ出てポカポカ温かい。先生は気を利かせてか窓のすぐそばにある小ぶりな加湿器のスイッチを入れてくれた。出来立てのコーヒーを私の目の前に差し出すと、自分が使っているらしいマグカップをソファのテーブルに置いてレポートとペン、教科書を片手に私の隣に座った。目の前のソファに座るのだと思っていたのでちょっとだけ驚いたが先生はそんなことなどつゆ知らず、ぺらぺらと私のレポートをめくって口を開いた。

「急に呼び出して悪かったな。」
「いいえ。今日はもう帰るだけでしたから。」
「一緒にいつも来る女生徒は休みか。」
「ええ。熱だそうで。」
「そうか。」

ずず、と差し出されたコーヒーに口をつければ、先生はちらりと横目に私を見て、あ、と声を出した。

「砂糖とか大丈夫だったか。」
「あ、ええ。全然大丈夫です。」
「お前いつもブラックだもんな。」
「、ええ。」

言われて思わず首をかしげたが、すぐさま先生がここなんだが…とレポートの話題を話し始めたので慌ててメモを書きだした。先生の話を聞きつつも、視線はレポートとと先生の横顔をチラチラ見てしまう。たまに話しながら、或いは何かを思案した後に口を開くときにぱさ、と前髪を掻あげて髪を撫でつけるのは尾形先生のかっこいい癖のひとつだ。思わず口元が緩みそうになるのを必死で耐えて、きちんと先生の指摘されたことに自分なりの回答をする。先生は普段からスーツを着ているが、今日は明るいグレージュのシャツに濃い灰色のスーツベストを着ていてさらに素敵だ。月島先生のいぶし銀てきな大和男児っぽい男らしい深みのあるカッコよさも好きだし、現代文学の杉本先生のような爽やかで若者っぽい好青年風のフレッシュなかっこよさも好きだが、尾形先生のはちょっと西洋風のこなれたようなかっこよさがある気がする。これだけの距離なので時折先生がテキストを開いたり、ペンを走らせると肘や肩があたる。一呼吸おいてマグカップに口をつけてごくりとコーヒーを飲むときのしぐさや、飲み込んだ時に動く喉仏の動く感じとか、もはや造形美である。さっき大教室で嗅いだかすかにかおった香水のにおいもひしひし感じるし、本当にこのおっさんはなんて破廉恥なんだと思わずこころの内でばしばしと壁を叩きたくなるレベルである。

「(てか、この学校何で無駄にイケメンが多いんだろ)」
「名字は何で戦争文学を取ろうと思ったんだ。」
「あー、最初は面白そうだなあって。でもやってみたら本当に面白かったので。それまでは私どちらかというと川端康成とか、そっち系の文学作品ばかり読んでいたんですが、戦争文学って人間の本質に迫ってる気がして。あとは、先生の授業が単純に好きなので。わかりやすいし。」

唐突な質問に適当なことを言ってぽりぽりと照れ隠しに頬をかけば、ふっと小さく笑う男声が聞こえた。突然先生がふと何かに気が付いたかのように目を細めて、それから突如私の方にそのお顔を突然寄せてきたかと思えばスンスンと匂いを嗅ぎだしたので再びうへえ、というような変な声が出た。

「なんか、飴みたいな匂いだな。」
「あ…あ〜、香水、みたいなやつです。」
「ふーん」
「………」
「………」
「………」
「名字って意外と可愛いよなそういうところ。」
「え?」
「よく言われるだろ、お前。」
「え?(意外と???)」

言われている意味がいまいちわからなくて思わず面白い顔で変な返事を返してしまった。先生はそんな私が慌てる様子が面白いのかニコニコした顔で私を見下ろしている。さて困ったなあと思わずうーんと唸っていれば何を思ったのか先生は子猫をあやすが如くよしよしと頭をなでてきた。思ずギョッとして目を見開けば、満足したのか先生は何事もなかったかのように次の瞬間には相変わらず飄々とした様子でまた勉強を再開してしまったので私も何事もなく普段の自分に戻った。









「今日はどうもありがとうございました。」
「いや、むしろ悪かったな帰るのを引き留めた。」

あれだけ明るかったはずの外はすでに群青色の空に染まっていて、先生が淹れてくれた珈琲も冷めてしまった。もったいないと慌てて最後の一口を飲み干したが先程よりもほろ苦くて思わずちろりと舌を出した。壁掛けの時計を見ればすでに六時をまわろうとしていて、こんなに時間がたっていたとは知らず本当に驚いた。先生にコートを手渡されたのでいそいそと袖を通して居れば、先生もジャケットとコートを羽織り始めた。

「先生も帰られるんですか?」
「ああ。」

この時間帯になるともうこの校舎にはほぼ人はいない。4時くらいまでには辛うじて聞こえていた人々の話声ももう聞こえない。ほかの先生もすでに帰っているのか、廊下からは人の足音さえ聞こえない。私のためにわざわざ残って押してくれたのかと思うとなんだか申し訳ない。先生の講義はもちろん、今回の個人授業も先生のレベルについていくのは正直至難の業だったが、先生の優しい指導でムラムラドキドキはしたが何とかきちんと理解できた。

「先生、今日は本当にありがとうございました。お話お聞きできてよかったです。」
「俺もお前ときちんと話せてよかったよ。ゼミ違うからあんまり深入りできなかったからな。」
「そうですね。先生の授業はこの授業だけですもんね。」
「今日はもう帰るのか?」
「はい。バイトもないですし、暇だし、本屋さんにでも寄ってから帰ろうかなって。」
「夕飯は?」
「独り暮らしですから。時間もごはんも適当です。」
「独り暮らしか…」

マフラーをてきとうに巻いてふう、と一息ついて先生の方を向きなおせば、いつの間にやらすぐそばにいた先生と目が合った。先生もこのまま帰るのだろう、扉を開けてあげようと手を伸ばした瞬間、伸ばした手首をつかまれて思わず肩を震わせれば、くすりと頭上からいじわるな笑みが聞こえてきた。

「名前、」
「は、はい何でしょう(呼び捨て?)。」
「このあと時間、あるよな?」

いいえ、とはもう言えないんだよなあと頭の裏でまるで他人事のように過る。それから、この目の前のこなれたイケメンおじさんのお誘いを断るなんてことはきっと授業や個人授業を受けるよりも至難の業だろうことは容易に想像できて、右腕からじわじわ伝わってくる温かさと甘い痛みに頭が麻痺しそうだ。わあっとテンパっていればにこにこ笑顔を下げて尾形先生は私の手を握ったままじりじりとにじり寄って来る。色気のある香りがぐっと近づいてきて思わず眩暈がして、心臓がどくどく波打って頭とおんなじくらい痛くて泣きそうになった。




2018.02.12.
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