短編 | ナノ
赤十字の救護師娘にちょっかいを出したい鶴見

あ、鶴見さんだ。と思って思わず進行方向を右に曲がる。壁にそそそと隠れて背を壁に付けて身をひそめて、息を殺しつつ、先ほど切ったばかりの前髪を一撫でする。最近、というかあの人が普通ではないことは、大陸で初めてお会いしたころからわかっていたことだが、近頃は日を追うごとに色々増している気がする。会うたび会うたびにつむじを主に指圧されたり、急に大声を出して驚かしてきたり、この間なぞは私の両頬を片手でむんずと挟んで「蛸のようだ!」とまるで世紀の大発見のように大声を上げたものだ。近頃は月島さんも窘めるのが面倒になったと見えて、慈悲深い目を私に向けるだけとなった。なぜだ、なぜ私はこうも変な目にあわされねばならぬのだ。そう思いながら同じ場所をぐるぐる回っていれば偶然廊下を歩いていた鯉登さんと目が合った。あまり絡みのない彼だが、近頃は鶴見さんと行動を一緒にする様になったと見えて頗る機嫌がいいようだ。女性にはあまり話しかけないし眼中にもないようだが、最近はわたしを見ると軽く会釈をしてくださるまでにはなった。彼はわたしを数秒見つめてきたので思わず肩を震わせたが、何を妙に納得したのかああ、とつぶやくと口を開いた。

「鶴見殿ならあちらに行ったぞ。いつものだろう。」
「ああ、どうも…。」

彼は頗る機嫌がいいのか私にそれだけ言うと自分が来た方向を指さして通り過ぎた。この人は見た目も薩摩藩士のような浅黒い二枚目なので私は最初キュンキュンしたものだが、鶴見さんを前にしたときの態度を見て思わずギョッとしてからというもの、面白三枚目男子と昇格(?)を果たした。それと同時に月島さんは苦労系男子に昇格(??)を果たした。全くこの第七師団という輩どもはまともなやつがいないのだ。それもそうだ、頭がそもそもいかれた非常識な人が筆頭なのだから。

「脳髄が少々ぶっ飛んでいるだけで、それ以外は正常なんだがな。」
「勝手に人の心の中を読まないでください、鶴見さん…。」
「いつもの時間より5分も遅れて来ないから逆に迎えに行くことにしたのだよ。それに、さっき君が廊下を右に曲がるのを見たからね。」
「(やばい、ばれてる)とりあえず、宛物を交換しますのでお部屋に向かいましょう。清潔な場所でやらないと。」
「ふむ、そうだな。」

そう言いながら鶴見さんはそそくさと私の前を歩いて行くので私もその背中についてく。今日はジメジメしていないので膿の心配はないが、乾燥しているのでガーゼにこびりついていたらあて布を取るとき鶴見さん痛い思いしてしまうかも。念のために持ってきた桶の中にはすでに煮沸消毒された濡れ手拭いと、籠の中には消毒液諸々を持ってきている。前頭葉ぶっとびおじさまこと、鶴見さんのための私が用意している七つ道具だ。私はこれらを通称鶴見さんセットと呼んでいる。彼の後頭部を見ながら今日のお手入れのことをまじめに考えていれば、突然鶴見さんがその足を止めたので「ん、」と思って首を傾げれば、鶴見さんはくるりと振り向いて私と対峙した。まじまじと見下ろされたので思わずギョッとすれば、鶴見さんはなぜかズイ、とまた近づいたかと思えば、私の顎に自身の手を当ててくいっと顔を無理やり上げさせた。顔の距離が近くてうわあ、と思って目をい開き後ろに退こうとするが、それは顎をつかまれているので叶わなかった。一体この人は今度は何の遊びを開発したのだろうかと冷や冷やしておれば、我が上司様はうーんと実に生真面目な声を上げて目を細めて丹念に私の顔を眺めるのであった。一体何が楽しくて小娘の顔を凝視するのだか。全く本当にこの人の考えておられることはわからない。

「名前…もしや、」
「は、はい…?」

むむむ、と唸りながらさらにズイっと私の顔に自信の顔を近づけた目の前の前頭葉ぶっ飛び紳士は何の恥ずかしげもなく私の瞳をじっと見つめる。これは何の罰ゲームだっけと頭にだんだん血が上っていくのを何とかこらえて息をする。このままではあまりの驚きと緊張に今度は私の脳がぶっ飛びそうな気配がする。どうしようかと力づくで体をのけぞらそうとしたその時、感度は前髪に手を当てられて数度髪を撫ぜられたかと思えば目の前の男性は至極嬉しそうににっこりとほほ笑んだ。

「やっぱりな、前髪が違う。切ったのだね。」
「…え、はあ。」
「美容室で髪を切ったのか。ふむ、年頃の娘らしくて感心だな。君は時折此方が心配になるくらいには自分の見てくれに関心がないようだからな。」
「(遠回しに貶された気が…)」

うんうん、と何を納得したかよくわからないがようやく私の顎から手を離されたかと思えば、今度は自分の顎に手を当ててふんふんと頷いている。まさか、この人はそんな微々たることを確かめるために乙女をたぶらかすような真似をしたのだろうか。何ちゅうとんでもない紳士だと恐れおののいていたが、そんな私の心境などつゆ知らず、鶴見さんは何事もなかったかのようにまたルンルンとした足どりで廊下を歩いて行ったので私も置いてかれまいととてとてとその後をついていく。この自由人は一体行動の予測がつかないのだから致し方がない。部屋についておとなしく椅子に腰を下ろす我が上司をみて安堵の溜息を吐くと、通称鶴見さんセットを横のテーブルに並べて準備をする。彼の首に手拭いを巻いてふと視線を鶴見さんのお顔に移す。彼はいつものように安心しきったように目を閉じたまま、指だけ自分の膝の上で滑らかに動かしてピアノを空中で奏でている。かすかにふんふーんと鼻歌でメヌエットを歌いながら彼はご機嫌よさげだ。その間に終わらせようといつものように綺麗な宛て布に替えて宛て物を戻してふとまじまじと鶴見さんのお顔を見る。するとにわかではあるがはたと気が付いて思わずあ、と声を上げれば、直後カッと思い切り目を開眼した上司と目が合ってびくりと肩を震わせた。

「鶴見さんはお髭をそられたんですね。」
「、ああ。」
「なんで一瞬驚かれたんですか?」
「いや、おしゃれに無頓着な君がそこに気が付くとは…」
「今度は思いっきり貶しましたね。」
「いやあ、驚いた驚いた。」

わざとひゅう、と音を出して楽しそうに人を小ばかにしてお道化る目の前の変態紳士にむっとして口を尖らせる。言わなきゃよかったかしら、と思わず頭をよぎった刹那、目のまえの彼はにっこり笑って私を再度見据えた。

「似合ってるかな?」
「まあ、鶴見さんはお顔立ちがそもそも整ってらっしゃいますから…」
「君の前髪も似合っているよ。」
「え?」

鶴見さんセットを片しているせいで鶴見さんには背を向ける形だったが、思わず手を止めてしまった。真意を推し量りかねて反射的に振り返れば、その椅子にはすでに彼はおらず、いつもの軽やかな足どりであっという間に部屋の扉の前に移動していた。そして彼は扉の前にやってくるとふと思い出したかのように「ああ、それから、」と言ってくるりと私の方に体を向けて、その指をくるっと回して私の髪を指さした。

「前髪は切ってもいいけど、後ろ髪はそう切らないほうがいい。」

私は君の長い髪が好みだよ。とそれだけ言ってまたふんふんと鼻歌交じりに扉の向こう側へと消えて行ってしまった。部屋に残された私はまるで嵐が過ぎ去ったかのような静寂に思わずポカンとしていたが、暫くして外の窓にみえる木に小鳥が数羽集まって囀っているのが耳に聞こえてあ、と一声発した後にようやく身体が動き出した気がした。まるで時が止まった空間に自分が今の今まで放り込まれていたような不思議な感覚と、彼の発した言葉が脳裏に何度も反芻していたたまれないような嬉しいような心地を抱えたまま、鶴見さんセットを片す。作業をしている間、じわじわと熱を帯びた頬の理由をじっくり考えざるを得ないのだと思い思わずため息が出て、今なら何となく月島さんの気持ちがわかるような気がした。




2018.01.02.

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