月見酒

「鯉登少尉、」
「さくらっ。」

約束の時間にはまだ時間があったが気を利かせて早めに行ってみれば、そこには約束通り、先ほど届いたばかりの着物を着た鯉登少尉の姿が見えた。宿舎にはほぼ人はおらず、当直の兵隊さん以外皆外に出て祭りを見に行ってしまったようだ。私たちはむしろ後発だったようである。

「鯉登さん、お待たせしてすみません。」
「いや、気にするな…それより、その着物が母上からの、」
「はい、そうです。」

はは、と笑えば鯉登少尉は刮目したまましばらく黙ったので何だか気まずい。そしてまじまじと見たのちに少しだけ挙動不審になりながらも努めて笑顔を作って口を開いた。

「とても似合っている。」
「ありがとうございます。少尉もやっぱりその着物が素敵ですよ。夜の暗闇の中でもよく見えます。」
「そうだろうか。」

ちょっと照れたように鼻を触って、それから笑う。やはりいい男は照れてもかっこいいのだなあと感心する。猿叫さえしなければ彼は本当に貴公子なのだ。そろそろ鶴見さんも現れる頃合いかしらんと宿舎の方を見たが、鯉登さんがさあ、と言って手を伸ばしたので思わずえっと声が出た。

「鯉登さん、鶴見さんたちがまだお見えにならないのですが…」
「実は…先程ここを出ていく際に、鶴見中尉殿が…」
「?」

急にごにょごにょと鯉登さんらしからぬ声で言いだしたかと思えば、鯉登さんは事のあらましをお話してくれた。先ほどまで一緒に少尉と鶴見中尉、月島さんは三人で行動をしていたらしいのだが、急に鶴見中尉が二階堂を連れて祭りの前に寄る場所があり、かなり時間がかかりそうだと言い出した。約束の7時に間に合いそうにないので、鯉登少尉だけは私の相手をして祭りに先に行きなさいと、そう言われたのだそうだ。しかも、ご丁寧に「これは上官命令だァ!!!」とビシィ!と人差し指を突き刺され、凄みを利かせてきたのだという。女性を待たせてはならない、鶴見中尉の言うことも確かなのだが、あまりにも急ではないか…。思わずため息が出てしまう。

「……そうだったんですね…。逆に気を遣わせてしまってすみません…。」
「いや、おいが言い出したことだ。気にするな。鶴見中尉殿が来るまで少し先に見物していこう。」
「分かりました。いきましょう。」

そう言って笑えば鯉登さんも安心したように笑んだ。そしてごく自然に手を取られ、門を後にする。互いに互いの手をかすかに支えるように手を取って歩いて行く。想像以上に通りは人でごった返しで、川を挟んだこちらの土手と、向こう側の土手にもたくさんの人と屋台の提灯が見えた。桜は未だつぼみだが、あと数日もすれば咲くであろう程に色づき始めている。川面は暗闇で真っ暗だったが、満月の柔白い光と、提灯の光が無数に反射してとても美しく感じた。手をつないで歩いていたら知り合いにみられて気まずくなかろうかと心配したが、もうそんなことは気にならぬくらいに人がいてつないだ手も人の波で見えやしないだろう。鯉登さんを横目で見れば偶然にも彼も私を見ていたようで目が合うと途端に視線をそらしてどことなく気恥ずかしそうに眼を泳がせていたので思わず笑ってしまった。

「(鯉登さんって根っからの九州男児だから、女性を自分の3歩後に連れて歩くような方かと思ったけれど、意外に紳士で驚いた。鶴見さんの教育のおかげかしら…こんなこと言ったら怒られそうだけど。やっぱり進歩的な方なのかしら。)」
「何か店をみてみるか。腹は減ってないか?」
「見たいです。飴細工とかあればいいなあ。あ、でも鯉登さんは何が好きですか?」
「そうだな……」

そう言って立ち止まってきょろきょろと鯉登さんは辺りを見回す。するとすぐ近くに頃合いのお店があったようで、行こうと手を引いて歩き出した。すれ違う際にたくさんの子供たちとすれ違ったが、皆お面や飴細工をもって手に手を取って流行りの謡を謳いながら去っていった。

「わあ!」
「これを一つくれ。」

鯉登さんが連れてくれた屋台は飴細工の屋台で、先ほどの子供たちが持っていたものと同じだった。鯉登さんが注文すると店の店主ははいよ、と軽快に返事を返してその場で新しいものを作り始めた。そしてものの数十秒であっという間に可愛らしい鯉の飴細工が出来上がった。鯉登さんは当たり前のようにお勘定をしてくれたので慌てて鞄から財布を出そうとすれば、鯉登さんは自分を立たせると思って気にするな、といって、結局そのまま鯉登さんに奢ってもらうことになったので素直に礼を述べた。

「鯉かわいい…」
「随分熱心に見ていたな。」

鯉登さんにそう言われて思わず恥ずかしい気持ちがした。私そんなにお店の人の作る作業を見ていたかしら、と思わずぽりぽりと頬をかく。鯉の飴細工は本当に見事なもので、食べるのがもったいないくらいである。思わず提灯の光に透かして暫く眺めていれば、隣にいた鯉登さんがくすりと笑った。

「そんなに気に入ったのなら、もう一つ買えばよかったか?」
「いいえ、一つで十分です。鯉登さんも食べられますか?」
「いや、全部食べてくれ。」
「ふふ、頂きます。」

舐める前に思わず鯉の飴細工と鯉登さんを重ね合わせる。

「(鯉登さんが鯉を食べちゃったら共食いかしら)」

思わず下らぬことを考えてくすりと笑って、それからようやく口に運ぶ。甘い鼈甲の味と、水あめの透明な味が舌を滑っていく。絶えず聞こえてくる祭囃子と、遠くの方で人の笑う声や客を迎え入れるお店の声が心地よい。

「美味いか?」
「はい。鯉登さんは何が食べたいですか?」
「…そうだな。」

ちらちらと辺りを見回して鯉登さんは何かひらめいたのか、また私の空いた方の手を取ると、人ごみをかき分けて先へと急ぐ。視線の先には何やら屋台ではなくお店で、店先にはお祭り用なのかいくつかの長椅子と、傘が建てられている。店先と店の中1階はたくさんの人でごった返していた。開いている席はないようだと思わず鯉登さんを斜め上に視線を上げてみれば、彼はふむ、と何か思案したようにしてそれから店の者に掛け合うようで少しここで待ってくれと言われた。そしてすこし先で何うやら番頭らしき人物と話し合った。今まで暗い外にいたので気が付かなかったが、やはり彼は目立つようで、店の中に入った瞬間、店の中にいた女性がちらちらと鯉登さんを覗いてはひそひそと耳打ちをしている様子がまざまざと店の洋燈の下あらわとなって、改めてすごいなあと驚いたものだ。軍服を着てしゃんとしている彼も昼間歩いていれば女性の眼を惹きつけるが(時には横にいらっしゃる鶴見さんの額の傷が目立っている事の方もあるが)、こうして着物をきちんと着ている彼もなかなか絵になるだろう。

「2階に部屋があるようだ。そこは静かで1階よりもくつろげるそうだ。」
「へえ。そうなんですね。」
「いこう。腹がすいただろう。」

嬉々として私の手を取ると履物を脱いで店に上がる。1階は土足でも入れるようだが、2階は完全に室内らしい。女性の店員らしき人に案内されて2階に上がれば座敷がいくつかあるようで、人の気配はあり活気を感じるが引き戸で区切られていて中は見えない。随分高そうに見えるが大丈夫なのかと鯉登さんを盗み見れば、何事もなかったかのように当たり前のように案内された部屋にずかずか入っていったので流石お坊ちゃまだな、と思わざるを得なかった。然程大きくはないが10人入ってもまだ入れるくらいの部屋に通された。窓が開かれており、外の様子が大きく見えた。

「わあ、綺麗ですね。」

窓側に近づいて思わず窓を全開にする。この部屋からは川はもちろん向こう岸も、たくさんの人であふれる様子も、全部見ることができた。向こう側には神社があり、そこが今回のお祭りの主役らしく、一番人が多く押し寄せているのが見えた。少し身を乗り出せば、先ほどまで自分たちが歩いていた道が見える。たくさんの黒い頭が行ったり来たりしていて、ぼんやり点る提灯の明かりがとても美しい。提灯に照らされた美しい桃色の花弁を間近で見えるのも随分乙だ。

「なかなかの景色だな。」
「ええ。すごいですね!特等席だわ。」

思わず手を伸ばせば指先が触れるくらいの距離に桜がある。開拓した際に本土から送られたソメイヨシノももちろん植えられているが、ここにあるのはエゾヤマザクラというらしい。ソメイヨシノよりも濃い紅色をしているので、提灯の明かりに反射してとても美しいし、よく見ると3分咲きくらいには開いている花もある。そうこうしているうちに気が付けば目の前のテーブルにはとっくりとおちょこやら食事まで載っていて驚いていたが、鯉登さんは当たり前のように飲もうと徳利に手を伸ばしていたので思わず私が徳利を手に取った。

「そんな、手酌なんて…私がいれますから。」
「そ、そうか。」
「すみません…桜に夢中で…」
「いや、あまり嬉しそうで言いづらくてな。邪魔をしたくなかったのだ。」

とくとくと注いであげれば鯉登さんはどこかよそよそしい風にぎこちなく礼を言うとそのまま静かに口に付けた。先程は人ごみだった上に着慣れぬ着物でぎくしゃくしていた感もあったが、今は二人きりの空間でいくらかは気が安らいだ。お互い肩を並べて窓際の桜を見ながらお酒やごはんを食べるだなんてなんて贅沢だろうと思わずほうっと息を吐いた。

「月と桜をみてお酒を飲むなんて、素敵ですね。」
「さくらも飲めるか。」
「いいえ…私は…」
「そうか。」

思わず遠慮すれば鯉登さんはそれ以上無理に進めようとはしなかった。運ばれてくる料理をパクパク食べるも、あんまり食べると帯が苦しいのでゆっくり咀嚼する。鯉登さんはどこかいつも以上にお酒を飲む勢いが速い気がする(いつも九州男児らしく水のようにお酒を飲む人なのだが)。なんだかこれでは鯉登さんとお見合いをしているようではないかと思わず苦笑いしそうになった。彼も見知らぬ女性を前にしたら硬直して緊張してしまうのだろうか。普段を知る私なので余計に想像しにくい。どちらかというと、きえええと言っている元気な鯉登さんの方が馴染みがある。ふと視線を横にして鯉登さんを見遣れば、またまた偶然彼も私を見ていたのか目があい、そしてふいっとそらされてしまった。何だか既視感を感じた。鯉登さんはそらした視線を外に向けて、それから月を見上げていた。横顔がとても綺麗で女の身の私でも嫉妬してしまうほどだ。彼は一口またおちょこを口に付けてゆっくり飲み込むと、それから小さく一言口を開いた。

「ほんのこて綺麗じゃな」
「ええ、本当に。」
「どっちもな、」
「えっ?それってどういう意味ですか?」
「………それは、」

耳に届くか否かで彼はそういうとおちょこのお酒を飲み干した。そしてじっと私を見すえて静かに口を開いた。

「おいは、」

その刹那、引き戸が突然開いたかと思えば、元気そうなお顔を下げた鶴見中尉とその御一行が、雪崩れのごとく現れてずかずか部屋に入ってきたので、すぐに忘れてしまった。


2018.03.16.

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