花見酒

「月島軍曹、なんでしょうか。」
「ああ。さくら、呼び出して済まない。」

二階堂さんの包帯を変えてお薬とお注射を打って他の患者さんたちを一通り見終わった午後一番。いつもは気を使って当直直後の午後一番には私を呼ばない月島さんが呼んでいるということで声がかかったので、何事かとすっ飛んでいけば、特に急ぎでもないのか落ち着いた顔の月島軍曹が私を出迎えた。月島軍曹の呼び出した場所は鯉登少尉のお休みされる部屋の前で、その扉は開かれており、中には2,3人何やら荷物を運んでいるように見えた。そういえば午前中に荷馬車とその荷を運ぶ数人の兵隊たちの姿が病室の窓から見えたが、積み荷は鯉登少尉のものだったらしい。

「積み荷を解くのを手伝ってほしくてな。」
「鯉登少尉殿は?」
「今は出られている。鯉登少尉たっての希望なのだ。」
「え、私に?」
「ああ。…面倒かもしれんが、すまんが手を貸してくれないか?」
「分かりました。」

兵隊さんたちの手をこのようなことに駆り出すのももちろんもったいないし、荷解き位はもちろんやれる。月島軍曹もお忙しい身だし、終わったら一声かけるので、私に任せてくださいと言えば軍曹はほっとした表情で少し笑って感謝を述べて部屋を後にした。

「中身は何かしら…」

腕をまくっていそいそと中に入りいくつかの行李の中を検める。日当たりの良い南向きの部家で、窓から入り込む日差しのあたたかさは春の気配を少しずつ、少しずつ感じる陽気で、雀が日向でちょんちょんと遊んでいるのが見えた。かすかに、鯉登少尉の香りがするこの室内で一人黙々と作業をするのはすこし妙な気持ちがした。中身は色々入っていたが、主に鯉登少尉の地元からの荷物で、食物や衣服が送られていた。月島軍曹の命で着るものは物によって畳んだり、食べ物は食べ物できちんとまとめて置いておくよう指示された。足の速いものは厨房にもっていって処理をする必要があるし、先日頂いたようなお餅などある程度持ちそうなものは1つの行李の中にまとめておく必要がある(というよりももう既に食べ物はまとまっていたので洋服をしまう余地があった)。洋服は全て卸したてで、シャツなどは襟にきちんとノリがされてパリッとしている。靴も、ベルトも全部新品のにおいがして清々しい気持ちがする。私も荷物を送ってもらうことは珍しくないが、このように何枚も着物や洋服を送ってくることは珍しいので、年頃の娘としてはちょっと羨ましかったりした。東京にいたころはもう少し呉服屋や洋服屋に行って眺めることもあったし時には父や母を連れて買ってもらうこともあったが、近頃は忙しくてなかなか服を買いに行く暇もなかった。

「(私も鯉登さんの家の子だったらこんなに素敵な洋服を送ってもらえたのかしらん…)」

襦袢をたたみながら思わずため息が出て、最後の行李を開けて手を差し伸べた刹那、思わず今までとは違う服の感触に思わずあれ、と声が漏れた。

「(すごい上等な着物…)」

ひときわ滑らかな肌触りがして思わず手に取りまじまじと見る。ほんのりいい香りがするのはいい呉服屋さんの仕立てた着物の証拠であろう。派手ではないが晴れの日に着るような上等な着物に思わずわあっと見入ってしまった。そしてその着物のすぐ上には小さな便せんがあった。和紙に花をちりばめた可愛らしい便せんである。封筒に入っておらず裸のままその紙が入れられ、そこには女性の綺麗な文字で走り書きされていた。色々な事が書かれていたが、「見合い用」と書かれていたのが見えて、なるほどと合点がいった。この上質な着物は見合いのときの勝負服らしい。そういえば私も先日母よりおさがりであるが、新しく仕立て上げられた着物が送られた。母が父との見合いをした際に着たもので、年季の割には物が良く絹であるせいか光沢がある着物を貰ったばかりだ(虫食いにはくれぐれも気をつけろと言われた)。要は鯉登少尉と同様、それを着て見合いに臨め、ということなのだろう。

「!さくら…」
「少尉、」

こんにちは、と声をかければ彼はうむ、とうなずいてそれから開いた扉を閉めた。かぶっていた軍帽を脱ぎテーブルに置くと、本日届いた行李が自室に所狭しと置かれているのを見ていた。

「少しは片付いてきました。食べ物も多少は入っていましたのでそこにまとめてあります。足の速いものだけ先ほど厨房の方に他の方が届けてくれました。」
「色々すまないな。自分で頼んでおいて悪いが、まさかこんなに来るとは聞いていなかった…」
「いいえ。遠くにいる親心ですよ…立派なお着物まで揃えて下さって…」

そう言って手に持っていた上等な着物を見せて差し上げれば鯉登少尉は眉間にしわを寄せてかぶりを振った。そしてその行李の中に先程私がわずかに見てしまった便せんを確認できたのかそれに手を伸ばした。そしてしばらくそれを読んで内容を理解したらしい彼はさらに眉間にしわを寄せ表情を曇らせたかと思えば、着物をくれと言って手を伸ばした。言われるがままに手渡せば彼は微妙な顔を崩さずじっとその着物を見ていた。

「わざわざ仕立ておってからに…」
「あら、素敵だと思うのですが」
「そ、そうか?」
「ええ。羨ましいくらいです。私の母も一応晴れの日だからって明後日の見合い用に着物を送ってきましたけど、おさがりですもの。仕立て直してもらいましたけど、やっぱりおろしたての新品がよかったです。」
「母上から継がれているものなのか?」
「ええ。母が父と始めて出会ったときに着ていたそうです。絹の布で上等なんですが、如何せん年季があるので。」
「…見てみたいな。」
「ふふ、ご期待を裏切るかもしれませんよ。柄も古いですし。」
「今日、それを着てくれないだろうか。」
「えっ、今日、ですか?」
「ああ。」

真面目な顔でそう言われたので思わずおどろいてしまったが、少尉はわたしを見ながら言葉をつづけた。

「立春が過ぎすでに清明の季節だが、春祭りがあるらしい。まだ北海道では桜もつぼみだがな。」
「はあ、なるほど。どおりでなんか兵舎の前の通りが賑やかな気がしてました。」

今日は積み荷を降ろす人たちもいていつも以上に人通りが多かったが、それだけでなく、通りの外も人通りがいつも以上に多く、みな何やら忙しそうであった。いつも食材を卸しに来るおじさんやその他の人間もそわそわして、いつもなら立ち話の一つや二つしてから出ていくのだが、今日にい限っていそしそ行ってしまったので不思議に思っていたが、どおりで合点がいく。鯉登さん曰く、この兵舎のある町の神社の方で行われるそうで、神社の大通りには礼ねんいくつか出店が出るという。大きな川に沿ってできた土手のようなとおりで、並木道が美しく、今の時期にはようやく桜の花に大きなつぼみができていて、さすがに北の大地の春は遅くまだ開花はしていないが、あとほんのもう少しで春の訪れを告げようとしている。この祭りはこの北の大地にくる遅めの春を祝う祭りだという。

「(普段よりも厨房の人間が珍しく酒の注文をしていたのはそのせいか…)」
「今日は他の兵士たちにも休息が与えられている。」
「へえ、そうなんですか。」
「ささやかな祭りだが、この辺りではなかなか大きな祭りのひとつらしい。この北の大地では娯楽は少ない。兵士たちのつかの間の休息として、0時までだが外出の許可が出たのだ。鶴見中尉殿と月島と一緒だが、どうだ?」
「でも、私がお邪魔してしまったら…」
「邪魔なら誘うものか。いこう。今日の祭りはこれを着ていこう、さくらはその母上からの物を着てくれ。」
「先生に確認します。」
「もう確認なら取ってある。」
「えっ」

思わずぎょっとしたが嘘ではないようで鯉登さんはいたってまじめな顔で私を覗いていた。思わずどうしようかなと思ったがせっかくの少尉殿の誘いを断るわけにもいくまい。月島さんに迷惑がかかりそうな予感がするし、鶴見さんにも後でなんでなんで〜と追及されるのもなんか面倒だ。外堀を埋められた感が強いし、何で私なんだろうと思えて仕方がなく(もし男ばかりで味気がないと思うのであれば、もっと花のある人を選べばいいのになあ、とも思う)、とはいえ断る理由もないので仕方がなくうなずけば、鯉登少尉は嬉しそうにぱあああっと顔を晴れやかに、そして目を輝かせて私を見た。

「7時に門の前で待っててくれ。鶴見中尉殿もその頃にはここに戻られているはずだ。一緒に行こう。」
「分かりました。」
「楽しみにしちょっ」
「あは、あははは…」

そんなに鶴見中尉と行く春祭りが楽しみなんだなあとしみじみ温かな目で見ていれば、鯉登さんはるんるんとした足取りでまた部屋を後にしていってしまった。よっぽど鶴見さんとおにゅうの着物を着て楽しみたいのだなあと感心して、私はソファに無造作に置かれてしまった先ほどの着物をきちんと正すと作業に再開した。本当にあの着物を着ていかねばならないらしく、色々準備に手間取りそうだと思わずため息が出てしまった。別にいいのだが、鯉登さんは本当にそれでいいのだろうか、怒られやしないだろうかと心配になった。







「まあまあ、やっぱり美人が着ると着物も映えるねえ〜」
「あはは、御気を遣わせてしまいましたか。」
「違うよう、本当にきれいで吃驚しているのさ。」

着物の手伝いをしてくれた先輩看護師に色々言われて恥ずかしくてちょっと赤面する。初めて袖を通した母の絹の着物は仕立て直しただけあって私の小さな体にとても馴染んで、鏡に映る自分がまるで別人のような気がした。先ほどまでえいさえいさと汗を流して働いていたちょっと泥臭い看護婦から一変し、どこぞの、それこそ銀座や横浜みたいなハイカラな街に合う若者のような装いだ。思っていた以上に古臭くなく、そして可愛らしい。四十字を過ぎたベテランの看護師頭は普段から面倒見がいいだけでなく切っ風も気さくで優しく世話好きなのでこういう時は本当に助かる。気を遣って髪飾りまでつけてくれたし、これで鶴見さんたちと並んでも見劣りはしないだろう。

「娘時代を思い出すよ…ま、私はこんないい着物じゃあなかったけどね。」
「そんなことないですよ。先輩はお顔が綺麗だから。」
「この子も言うねえ〜。ああ、そうだ。折角の着物だから、あまり派手に動かないほうがいいよ。鯉登少尉にしっかり手を取ってもらいね。」
「…鯉登少尉のお手を煩わせるわけにはいきませんよ。それに、私ごときにそんなことするわけないですし、させるわけにも…。」
「(まあ、八重野さんが言わないでも鯉登さんが勝手にそうするだろうけどねえ)」
「何かいいましたか?」
「いやいや、楽しんでおいで。私も今日は久々にこどもたちと楽しむよ。」
「はい。本当に助かりました。ありがとうございます。」

丁寧に礼を言って、これを子供さんとどうぞと言って田舎から届いた東京土産のビスケットの箱を差し出せば先輩は喜んでそれを手に取り部屋を後にした。時計を見れば6時を回ったところで、着物を崩さぬように細心の注意を払いながら、椅子に腰かける。久々にほっと息をつく時間のように感じて、嵐の前の静けさのようだと頭にそう過って思わずっふっと笑ってしまった。僅かに空いた窓の隙間から、賑やかな外の音が聞こえてきて、かすかに灯篭や道々に設置された提灯に明かりが点っていくのが確認できた。東京土産のビスケットはまだいくつもある。いろんな人に分けなさいとむしろわざといっぱい送ってこられたのだ。

「(後で皆さんに分けよう…)」

とりあえず山積みになったクッキーを部屋の隅の行李の上に置き、今一度鏡の前に立つ。綻びや糸くずが付いてないのを確認すると腰を掛けて、引き出しを開ける。中には手鏡や白粉などが入っている。手を伸ばして何とはなしに口紅に手を伸ばす。父が軍医としてドイツに官費で行った際に土産に買ってきたものだ。これは本当に希少で高価なので、いくら東京でも未だ手に入らない。試しに丸善や資生堂で何となく店員に聞いてみてもやはり棒口紅はないようであった。きっと今の世では華族の女性くらいしかお持ちではないだろうしなものなので、本当にここぞという時にしかつけいないぞと思ってお守りがわりに持っているのだが、そういえば未だに使ったことがなかった。

「(勿体なくて、全然つかったことなかったなあ…)」

思わず蓋をとり、そしてその色をまじまじと見る。西洋では「リップスティック」というらしい。貰った当時はまさに、絵本で出てきた魔法使いが持っている魔法の棒のような、つけた途端に魔法にかけてくれるようなそんな代物に見えたものだ。みずみずしい赤色が暗がりにも映えている。ゆっくりと唇に宛てる。そのまま滑らせれば、鏡の中の自分の唇はあっという間に赤に染まっていった。普段塗らない資生堂の白粉も塗ったし、本当に普段の自分とは見た目も、匂いも違う。何だか祭り如きで浮かれているようで気恥ずかしいが、夜だしたぶんそこまで目立たないだろうと自分を奮い立たせた。鶴見さんもきっと褒めてくれるだろうし、まあいいかと思い鞄に口紅を入れた。壁掛けの時計を見ればもうすぐ7時になる頃合いだったのでいそいそと上着を着て自室を後にした。



2018.02.28.

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