タン

「…色々頼んですまないが、調達してきてもらえないだろうか。」
「分かりました。ちょうど先生に他のお薬とかもらってくるように頼まれていたところです。他に何かいるものがあれば頂戴します。」
「助かる。」

そう言って鶴見さんはにこりと笑うと、確認しながら色々な品を口頭で伝えていく。私はそれに従いメモを取り、最後に復唱して間違いないのを確認すると出掛ける準備を始める。鶴見中尉の元、なにか任務以外で怪しい動きをしていることはもちろんわかっていたけれど、それ以上は一看護婦である私に知る権利も由もない。ただ、その怪しい行動のせいでたくさんの人が傷つき命を落としていることには胸を痛めずにはいられない。でも何か深い理由があるのだろうと推測するだけで、とりあえず言われたとおりに動いてあげるよりほか、私のできることと言えば包帯を変えあげること、日々の生活のお手伝いをしてあげる事ぐらいである。

「よし、行きましょう。」

上着を着て帽子をかぶり、もう一人お手伝いさんを連れて大きなかごを下げて廊下を歩けば、いろんな兵士に話しかけられる。

「さくらちゃん街に行くのかい?」
「ええ。お遣いです。」
「じゃあ煙草買ってきてほしいな〜」
「前払いでしたら買ってきてあげます。」
「手厳しいねェ」

きちんとメモに名前と預かったお金を書き込んでいく。兵士の皆さんは休息が与えられることももちろんあるが、招集されれば休日でもすぐにいかなければならないし、遠くに行くのは許可もいる。ほとんどの人が休日になれば花街に繰り出して日ごろの鬱憤を晴らしているようだが、そう楽しい思いをするのも近頃は少ないようなので、ちょっとしたわがままは聞いてあげるようにしている。ただでさえ、ここにいる人たちは日露戦争帰りの方も多く、あまり恩賞ももらえなかった人たちだ。そんなことを考えると、少しくらいはいいか、と思ってしまうのは優しい人でなくとも少しくらいは思うはずだ。兵舎を抜けて門を潜り抜けるとお遣い用の馬車が用意されている。薬は高価だし重いものもたくさんあるので、お薬のお遣いの場合はこういった特別扱いを受けることができる。

「さくら、出掛けるのか。」
「あ、鯉登少尉。月島軍曹。」

ひひんと馬が少し唸ってから私の前で静かに止まる。何か所用で2,3日この兵舎にいなかったせいか随分久々に感じる。月島さんも鯉登さんに付き添い(主にお守りのと言えなくもないが)鯉登さんは颯爽と馬から降りると、月島さんも手慣れた様に降りて手綱をもって馬を静かにさせた。

「お疲れ様です。お遣いに行ってきます。」
「そうか。」
「何かご所望の物はございますか?」
「いや…そうだな…。何か、美味い煎茶を頼みたい。」
「分かりました。月島軍曹は?」
「いや、俺は特にない。気をつけてな。」
「はい。」

そう言われてにこりと笑うとそれでは、と言って馬車の扉が閉まる。何か鯉登さんは言いたそうであったが、月島さんが何かを言ってなだめた様に見えた。なんとなく気にはなったがとりあえずお遣いを果たさねばと思い視線を後ろから前へと移す。使いのお供の侍女がこっそり持ってきたらしい金平糖を二人でつまみながら、ゆるやかに馬車は町へと進んで行った。






「鯉登少尉、少しよろしいでしょうか。」


突然のノックで月島が来たのかと思いつつも廊下から聞こえる足音は随分警戒だったので誰だとキッと視線を扉に注ぐが、聞きなれた細い声が聞こえて思わず肩を震わせた。もともと姿勢は悪い方ではないが余計に背筋をしゃんとさせて滑らせていたペンも心なしか立たせて来る客人を迎える。

「あ、開いてるぞ。」

と言えば窓の外のその人は失礼しますと形式的に声をかけ、そしてガチャリと静かに扉を開けた。扉の向こう側には普段使いの着物に少し薄手のすみれ色の外套を羽織った小さな体の年頃の女性が見えた。この時間ともなると外はまっくらで、電気がついていてもやはり暗いし、この北の大地ではまだまだ電気の普及は芳しくなく、突然停電になることも常であった。薄明りの中に照らされた彼女の細い首が心もとない。その腕には籠を持っており、布で覆われて中はよく見えない。

「寒いだろう、早く入ってくれ。」
「すみません、夜分に…」
「いや、いい。それより何か用か?」
「はい。実は今お遣いで頼まれたものを配っていたところで…皆さんに頼まれたものはもう配り終えたのですが、最後に鯉登少尉の頼んだものをお渡ししようと思いまして。」
「?」

彼女、さくらはこちらに近づいてきたので自分も椅子から腰を放し、そして客人用のソファに足を運ぶ。執務室には自分以外この時間帯ともなるとだれもいないが、月島が気を使って暖房器具を焚いたままにしてくれているので、廊下とこの部屋ではえらい寒暖差がある。さくらを自分の目の前に座らせると、彼女はすぐに籠生に手を入れて一つの箱を取り出した。

「お茶です。これでよかったでしょうか…」
「いい品だな。だが、それほど気を遣わんでもよかったんだが、」
「お茶屋さんに聞いていいものを出してもらったんです。お茶がお好きのようでしたから。」
「そうか。早速頂いてもいいだろうか。ちょうど故郷から菓子を送られてきてな。よかったらさくらもどうだ?」
「私も頂戴しちゃっていいんですか?」
「一人では食いきれない量だ。さっきも月島に分けたぐらいでな。」

そう言って笑えばさくらは安心したように笑んで、それからお茶の準備をしてくると言って茶の箱をたずさえて出ていった。思わぬ幸運に思わず彼女が扉を閉めたのを確認するとガシッとこぶしを高らかに上げた。近頃は彼女とこうして二人で茶を飲む機会が断然増えている。以前は話すのも自分の方言や行動のせいでやっとであったが、なかなかいい進捗である。先程門の前でいこもちの事を話そうとして無念とばかりに諦めていたが、早々に叶うとは…と思わず北の大地の神に感謝する。

「(鶴見中尉どんのゆたことはやっぱい正しかど…!)」

鶴見中尉殿が仰っていた通り、「行動で示す」ことが大事なのだろう。流石鶴見中尉は何もかもをわかってらっしゃると思わず敬意の念をまた抱かずにはいられない。軍人としての道標どころか、色恋にも精通しているとは…、思わずしみじみとうなずいて改めてそのような人の元で任務を与えられることに喜びをかみしめた。暫くぼうっとしていたが、そろそろさくらがお茶を下げてくるころだろうとはっとし、閉まっていた引き出しから田舎のいこもちを取り出す。この地ではあまり感じないが、故郷はすでに春らしい温かい天気が続いていて、暦と同様節句を迎えようとしていた。そんな最中、北の地で職務にあたる息子のためにと過保護な母が送ってきた品だ。いこもち。薩摩の銘菓で江戸時代よりその歴史は始まる。母の作るいこもちを、思い人であるさくらとともに食すことのできることに大変喜びを感じる。

「(こん縁は、運命かもしれん…)」

思わず口角が上がり、いこもちの箱を恭しくテーブルに載せる。その際に何かひらりと薄い封筒が床に落ちたのが視界の端に見えて、む、と声を上げると体を下にしてテーブルの下の紙に手を伸ばしていた矢先、ガチャリと扉がタイミングよく開いたので思わず身体が反射してごつんとテーブルに額をぶつけてしまった。

「こ、鯉登少尉、だいじょうぶですか?」
「あ、ああ。物が落ちたので拾おうとしただけだ。それより、いい匂いだな。」
「ええ。やはりいい品ですね。」

ばっと落ちていた封筒を拾うと、ポケットに終う。彼女はお盆をテーブルに載せると、湯飲みの中に急須のお茶を注ぎ込む。いい香りがたちまち室内に広がり漂う。

「どうぞ。」
「すまん。」
「これが鯉登少尉のふるさとのお菓子ですか?」
「ああ。端午の節句には食うものだ。いこもちという。」
「美味しそう!いただきます。」

女子は総じて甘いものが好きというのは非常に短絡的な考えだと思っていたが、ことにさくらに関してはそれは当て嵌まるらしいとホッと胸をなでおろす。おいしいといって頬を抑えて笑う彼女に思わず頬をほころばせつつ、自分も一口かじる。食べなれた素朴な味わいだ。

「お茶に合いますね。」
「うむ。変わらぬ味だ。」

さくらと食うから数倍美味い、とここで言えたならいいのにあまりに気障な台詞で歯がゆくて言えない。鶴見中尉のように西洋風の女性が喜びそうなそれでいて失礼のない、小粋な台詞の一つや二つ言えたらいいのだが、自分は根っからの九州男児だ。なかなかそんな簡単なことではなかった。

「鯉登少尉のお母様はお優しい方ですね。」
「ただ過保護なだけだ。」
「そんなことありませんよ…いや、親というものは、総じてそうなのかもしれませんね…。」
「……そういえば、行くのか?」
「え、どこにですか?」
「見合い…のことだ。」
「ああ!そういえば…もうあと数日後でしたか。」
「………」
「あれ以来全然母から話が来なくて。きっと先方も難航してるみたいですね。」

ふふ、と笑ってお茶をすするさくらを思わず微妙な表情で眺める。

「聞いた話では、ものすごい名家の方で、私の家系には不釣り合いなくらいだと聞いています。」
「一体どこからそんな縁談が持ち掛けられたのだ?」
「うーん、定かではないのですが…。父の仕事の知り合いに伝手があり、母が無理やり話しを持ち掛けたと、昨日届いた東京の兄からの手紙に書いてありました。兄さんも兄さんで母には苦労してるみたいです。」
「そうか…」
「でも兄の話では、実は先方も最初は私の事よく思ってなかったみたいで…医者の家系であることは大変立派なことだと思って下さってるみたいなんですが、先方も先方で本当は同じ故郷出身の女性がいいみたいで…でもその人もなかなかいい人が決まらないから、敢えて違う故郷の人を選んでみようかって、親同士で色々会議したみたいで……」
「同郷同士しか認めないとは、随分古い考えだ。」
「ふふ、鯉登さんは、進歩的な方ですものね。」
「そ、そうだろうか。」
「ええ。私はそういう古い因習にとらわれず、進歩的な考えを持った方が素敵だと考えます。」
「!?」

さくらからの思わぬ告白(?)に思わずお茶を吹きそうになる。視線をさくらに向ければ何事もなかったかのようにいこもちを頬張る幸せそうなさくらが見えた。何故彼女はこうもさらりとこのような台詞が言えるのだろうかと思い頬が熱くなる。東京の女は皆冷めているのではと思っていたが、さくらは違う。冷めているように見えて、優しく、そして大胆なのだ。やはり自分が見初めただけの女性である。鹿児島の女とはまた違う、可愛らしさといじらしさがあり思わず胸の奥がきゅんと疼く。ごく自然と「少尉」、ではなく「さん」と優しく二人きりの時に呼んでくれるのもなんていじらしいのだと思わずテーブルをバシバシ叩きたい衝動を抑えつつも、ここは男らしく冷静に対処すべきだろうと咳ばらいを一つすると口を開いた。

「そう言われたのは、初めてだ。」
「そうですか?意外です。」
「…さくらも、その、随分進歩的というか、明治の世にふさわしい、芯のある女性だと思うぞ。」
「えっ本当ですか?うれしいなあ…いつも母や兄には適当って言われるから、もう、母や兄に聞かせてあげたいくらいです。」
「いつだって言うぞ。それに、適当なのは、悪いことではない。」
「そっか、良かった。」

ふふ、と笑うさくらに思わず口角を上げる。本当に夢のような時間だなと頬が熱くなるのを必死に耐えつつ姿勢を少し崩せば、かさりとポケットの中で何か音が聞こえて思わず手を伸ばした。それは先ほど拾った手紙である。

「そういえば…」

思わず手に取り封を開けてみる。菓子の間に挟むくらいだから、そこまで大事なものでもなかろうとたかをくくっていたが、手紙を広げて思わず目が見開く。目のまえのさくらも何か異変に気が付いたように首をひねった。

「鯉登さん、どうされたんですか?」
「……これは。」

思わず目を見開いてさくらと視線を交わらせると苦虫を噛んだように眉をひそめた。何か嫌なことでも書かれていたのかと察したのか、さくらは大丈夫ですか、と優しく声をかけた。

「あまり聞かないほうがよさそうですね。」
「たいしたことではない。その、見合いをだな、やれと言われた。」
「えっ!鯉登さんも!?」
「しかも…この手紙の内容からするに、ずいぶん前から言われていたらしい…」
「はあ…でも、なんで今になって出てきたのでしょう?」
「たぶん、さっきこの菓子をしまっていた引き出しの奥にしまっておいて忘れてしまったのだろう。菓子を持ち出した拍子に出てきたようだ。」
「そうですか…で、見合いのお日にちは?」
「まだ先ではある、が…随分内容が身勝手だ。」
「身勝手?」
「ああ。」

手紙の内容はこうだ。見合いをしてほしい。今度の日曜日に、札幌で。この手紙を見るころにはすでに日が経っているだろうが、いいにしろ悪いにしろ、返事がないことは同意とみなし、先方には遅くとも2日前には準備するように伝える。少しでも顔を出せば後は好きにしなさい。父上の知り合いの娘であるが故、先方の顔たてであると。と、ざっといえばこういった内容で、よく見ればご丁寧に見合いが行われる料亭の名と住所、時間まで書かれている。強制的にいかせるつもりだ。父の名前まで出して。

「…お、お気の毒ですが、」
「………」
「まさか、私と同じような境遇に鯉登さんまでなるとは…しかも、札幌なんですね、会場。」
「そのようだが、」
「私も札幌です。」
「!そうなのか。」
「しかも日取りもほぼ同じです。あ〜あ、過保護な親を持っちゃうと大変ですよね〜でも、次元が違うか。」
「…行くべきか行かぬべきか。いや、父の顔に泥を塗るわけには…」
「鯉登さんも行かれます?」
「…さくらは、行くのか。」
「私も親の顔をたてようかな、と。鯉登さんがいかれるのであれば、私も行きます。」

思わぬ言葉に頭が真っ白になりがくんと肩を落としたが、次の瞬間、さくらがあっと声を上げたので再び視線を目の前に写した。

「そうだ!鯉登さんも札幌に行かれるのであれば、後で合流しませんか?」
「?」
「お顔を見せてご飯を食べて、それで申し訳ないけどお相手に事情を話して早々にわかれればいいんです。それで、どこか約束の場所で合いましょう。そこからは札幌探検して、美味しいもの食べて鶴見さんや月島さんのお土産選んだりして時間をつぶせばいいんですよ!」
「そ、それは妙案だ……!!」

ぱあああと目の前が明るくなったような気がしてさくらはうんうんと嬉しそうにうなずいている。

「そうと決まれば、何処に集合か決めておきましょう。鯉登さんの会場はどこですか?」
「●●●という料亭らしいのだが、さくらはどこなんだ?」
「まだわからないのですが、話では私もその辺りのお店で執り行う約束です。ですので、この辺りで一番わかりやすい場所にしておきましょう。どっちかが速かった場合そのあたりの喫茶店やお店で時間をつぶすことにしておきましょう。」
「分かった。」

嬉々として作戦を練る彼女の顔はきらきら輝いていて、いこもちの粉が口の端についているのも忘れて必死に話をするさくらがいとおしくて仕方がない。きっと自分との札幌観光がそんなにもうれしいのだろうと思うと思わず心臓がバクバクしてしまい手に汗がにじんだ。まるでなんだか駆け落ちを企てる男女のようで心臓がうるさい。今の自分たちには身分も何も関係ない、確実な愛がある限り、二人の恋路を見合いだろうが親だろうが阻むことはできないのだという自信が芽生えてきた。

「(観光、楽しみだな〜)」
「(こいが、両想い、か…)」


2018.02.25.

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