カス

日ごろからちょっと言動が不思議な人だなあと思う節はあったのだが、ここのところは妙におかしい。薩摩弁ももちろんわからないのだが、こればかりは方言だけではなく、彼の性分もかかわっているだろう。





「さくら、少し休憩を入れよう。」
「はい。」

仕事も折り返し地点を迎え、今朝机の上に山盛りにされていた書類はだいぶへっていた。書類の判子を押し終わり鶴見さんは一息ついて首の頸の襟を緩めると、にこりと笑って私に一声かけた。人数分の珈琲を用意しようと給湯室に移動する。月末月初のためかいつも以上に忙しさで我が上司は水一つ飲む暇さえなかった。時間はすでに午後の3時を回っていて、お昼も私たちはまだまともに口にしていなかった。気休めにと珈琲のお供に寒中見舞いにもらったクッキーでも一緒に出してやろうとこぽこぽと珈琲をドリップしていれば、背後に何やら人の気配がしたので振り返れば、視界には給湯室の扉の隙間からこちらを覗く浅黒い肌の彼と目が合った。

「珈琲もうちょっと待っていただけますか。」
「あ、ああ。」

鯉登少尉、と声を変えれば扉の向こうの青年はぎこちなく返事を返して、それから何事もなかったかのようにそこから離れていった。珈琲は一応彼の分も用意していたのだが、心配になってきたのだろうかと頸をひねる。軍曹の分と私の分も用意して早々にお盆に載せる。いい香りが鼻孔を掠める。珈琲の品種は鶴見中尉が選んだもので、多趣味な我が上司は珈琲だけではなく葡萄酒や紅茶、煎茶にいたるまで彼のお気に入りがあるようだ。人の指をかみちぎったり、前頭葉がえぐれて額がずる向けだったりする破天荒な彼だが、意外に繊細な部分があったりする。

「、ありがとうございます。」

扉を開けようとお盆に注意しながらノブに手を伸ばそうとした瞬間、突然扉がひとりでに開いたので驚いて一歩退けば、視界には扉を開けてくれたらしい少尉が扉の内側から私を出迎えてくれた。奥では鶴見さんと月島さんがおり、月島さんはわたしと目が合うと何か言いたげに目を細めたが、いや、やあはり何でもないという風にかぶりを振ったので首をひねりつつ室内に入る。

「いい香りだな。珈琲は淹れたてが一番なんだ。」

来客用の革の長椅子の前のテーブルに珈琲を置くと、鶴見さんが嬉々としてテーブルに移動して腰かけたのを筆頭に、他の皆さんにそれぞれ腰かけた。皆さんの目の前に珈琲を置いて中央におやつも置いておく。私も月島さんの隣に腰かけて一緒に珈琲を飲んでいれば、目の前の鯉登さんがちらちら私と月島さんを見ているのに気が付いて思わずん、と声を漏らせば月島さんが横で小さくため息を吐いた気がした。鯉登さんが何やらそわそわしているように見えるのは私だけではないようだ。

「ああ。そういえばさくら、聞いた話なんだが、近々見合いをするそうだな。」
「あ、はあ。」

単刀直入に鶴見さんが一言そう仰ったので思わず珈琲を吹きそうになったが辛うじて体裁を保って返事を返せば、鶴見さんはうんうんとうなずいてにっこり笑った。反対に隣に座っていた鯉登少尉は何やらびくんと肩を震わせて口から珈琲を吹き出しそうになっていた。月島さんは慣れたように懐から手拭いを出すと鯉登少尉に差し出した。鯉登さんは素直にそれに手を伸ばすと口をぬぐった。

「父上も漸く安心成されるな。」
「いやあ、どうでしょう。むしろ、私の場合父上が結婚を渋っておりますので…」
「ははは、八重野殿らしい。さくらは一人娘だからな。」
「ええ。前回も、前々回も見合いをやらされましたけど、結局父が相手の揚げ足を取ってどうにもなりませんでした。」

そういって珈琲を一口すする。今年で一応もう齢二十歳を迎える私であるが、近頃は母親がもう時間がないと言わんばかりに見合いを段取りしてくるも、私の父がそれを阻止する、というなんとも言えな家庭内鼬ごっこが繰り広げられていた。軍医である父には私のほかに兄3人をもうけてそれはそれは厳しく愛情深く育てたわけだが、上の兄とは裏腹に娘の私には大変甘かった。兄は3人とも医者になり、一人は呉に、もう一人は東京で軍医となり、最後の一人は東京でようやくこの春研修医になったばかりだ。一方私はというと看護婦になれと言う父の望みの元、別段夢はなかったし、勉強はこの家系ゆえか人よりはできたし、女だてら度胸はある方で、人のためになればと看護婦として医大を卒業し、今はこちらの北の地で下の兄同様武者修行中の身である。最初は東京でしばらく務めていたが、父がたまたま鶴見中尉と軍隊内でご縁があり、一人看護師か何かがほしいので適役はいないか、というお声がけがあって、今に至る。北の大地に一人娘をほっぽっとくのはいかがなものかとも思うが、鶴見中尉の人望があっての事だろう。父は、愚かな娘ですが、くれぐれも宜しくお願い致します。とまるで自分の事のようにそう言って鶴見中尉に私を紹介したのを昨日のことのように覚えている。とはいえ、近頃は医療関係の仕事とたまにこういった雑用なんかも押し付けられているので、一体自分は看護師だったのか中尉の秘書だったのかわからなくなる時もある。

「結婚したら東京に戻ってしまうのか?」
「いいえ。そのつもりはありません。私はまだ看護師としてきちんと身を立てていませんし、何の功績も残していません。鶴見中尉をはじめ、皆さんにまだ何のお役立てもできてないのに、おいそれと東京に戻っては父も母も、自分も立つ瀬がありません。」
「ではなぜ見合いなんかやるんだ。」
「母が焦っているんです。もう私もこの年ですから。あと、孫が速く見たいと。」
「孫か。まあ、女親はそうかもしれんな。」

そう言って隣で月島軍曹は感慨深そうにうなずいてクッキーを咀嚼した後に小さな声で甘いな、と宣った。自分も思うところがあるんだろうか、とぼんやりと頭の中にそんな邪推が浮かんで消えた。

「結婚してもしばらく私はここから動かない約束ですが。まあ、母としては確約がほしいのでしょう。」
「さくらはまだ若いのだから気にすることはないのではないか?」
「ありがとうございます。母が言うのには、私はぼうっとしてるから、あっという間に歳を取って結局結婚できなかったとなるのが心配のようです。」

鯉登さんの質問に思わず、過保護ですよねえ〜と笑えば目の前の鯉登さんが眉間にしわを寄せて再度口を開いた。

「母上の気持ちは察するに値するが…、一番はさくらの気持ちではないのか?」
「私の気持ち…ですか。」
「ああ。結婚を今すぐしたいのか、したくないのか。」
「はあ。」

言われて思わずおお、となってしまう。随分先進的な考えだなあと思わず目からうろこが出そうになった。なんかどこかの女性活動家のような思想だなと思うと同時に、鯉登少尉は意外に情に熱い方なのだなあと感心してしまった。私が感心して目の前の鯉登少尉を見詰めていれば、彼はどこかまたそわそわして視線をそらしてしまった。流石にいきなり人を見詰めるのは失礼だったのだろう。

「かくいう鯉登少尉も見合い話しのの一つや二つは来るのではないか?」
「!」

突然の鶴見中尉からの質問に驚きを隠せなかったのか鯉登中尉はまたびくうっと肩を震わせるとキッと月島軍曹の方を見てごにょごにょよくわからない言葉を話したかと思えば軍曹は遠い目をしてうなずいた。そして慣れたように咳払いをして鶴見中尉に話をした。

「……話しはいくつか来るそうですが、全部断っているそうです。今は鶴見中尉の元にいる身ですので、見合いなどは考えられないそうです。」
「うむ、なるほどな。素晴らしい心構えだ………と、思うのだがな、」
「?」
「若いうちに色々色恋沙汰の一つや二つ、経験をするのもいいことだと思うんだがね。」
「はあ…。」
「好きだと思ったら態度で示すのが大事なんだ。年を取るとどうにも伝えることが億劫になってしまうものなんだよ…。好きだと心の中で思っているだけではダメなんだ。行動せねばならない……なあ、鯉登少尉っ☆」
「キ、キエエ…」

語尾に軽快な☆が付きそうな勢いでペロッと舌を出してそう宣うとクッキーをぱくりと咀嚼する鶴見さんに、なぜか変に絡まれた隣の鯉登さんはきええと変な声を上げて、わなわな震えていた。月島さんはそんな二人の様子を無表情で見て珈琲を啜っていた。

「さくらのお見合いはいつの予定なんだ?」
「まだ未定だと聞きました。先方の親御さんは一応は乗り気らしいんですけど、当の本人がその気ではないようで。まあお見合いですから基本親が勝手に決めることですし。でも次の日曜日には一応席を用意してるみたいです。」
「相手も乗り気ではないとはなかなか珍しい見合いだな。」
「ええ。お相手の心中もお察しします。」
「まあ、母上のたっての希望ならば日曜日に休日を上げないわけにはいかんな。」
「いやあ、まだ確定ではありませんから…」

苦笑いすれば鶴見さんはニコニコ笑って珈琲を飲み干すとごちそうさまと言ってすぐさままた作業机に戻ってしまった。それを合図にいったん休憩はお開きとなり、皆各々の作業に戻っていった。私も片づけをといそいそとお盆にカップとソーサーを載せていれば、気が付かなかったがまだいたのか鯉登さんがじっとこちらを見ていた。

「日曜に行くのか…」
「まだ決まってません…けど。相手も乗り気じゃないなら、そのまま流れるでしょうし。」
「そうか……」

そう言って鯉登さんは視線を下に落としたが、空になったカップを私にん、とあずけると小さくごちそうさま、と言っていそいそ持ち場に戻っていった。お盆をもって扉を閉める前に再度月島さんと眼があったが、彼はやはり何か言いたそうに私を見ていたがぶんぶんとかぶりを振って苦笑いで私を見送った。


「(なんか…鯉登さんだけでなく皆様子がおかしいような……)」



2018.02.24.

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