三光

「母さんたちはすこしお話がありますから、御昼食はお二人で行きなさいね。」
「え」
「じゃあ、母さんこっちだから。」

馬車に降りて直後、当たり前のように母はそう言うとそそくさと指定された洋館の入り口に入り、右手のサロンの方に向かっていった。母の背中を反射的に追おうとすれば、貴方はこっちじゃないでしょ、あっち!とすごい剣幕でクワッと言ってきたので思わず肩を震わせて立ち止まる。暫しの間エントランスで立ち竦んだまま母の背中を追っていたが、溜息を吐くとくるりと踵を返してとぼとぼと来た道を戻っていく。指定された左手の食堂のある方へと一人で歩いて行った。母はきっと最初からそのつもりだったんだと思わずわなわな震えるがここまで来てしまったらもう後戻りはできない。

「(私が貧血で寝ている間に話が進んでいたということかしら。)」
「八重野さくら様でお間違いなかったでしょうか?」
「はい、わたくしです。」

食堂前の受付でお声をかけてくれたのはこの洋館のウェイターで、この時間に来るであろう私のことは、やはりあらかじめ伝えられていたらしい。私が素直に伝えれば彼はにこりとその人の好さそうな笑顔をして案内してくれた。この洋館はこのあたりでも有名な場所で、あのクラーク博士も訪れたことがあるという歴史と格式のある場所だ。鯉登さんのような家系の方にはふさわしい場所である。案内されたのは大きな食堂の片隅にある仕切られた空間で、窓は扉となっていて庭の様子が見れる。昨日の邸とは違い、庭は然程広くはないが、蔦が生い茂る門と外国の花が植えられていて見た目は外国のようである。そこにはまだ彼はおらず、勧められた通り椅子に腰を掛ければウェイターは椅子を押してくれた。昼食の時間で人の入りは多く、外からは鳥のさえずりが聞こえる。静かに外の様子を眺める。今日は洋服を着てきたので動きやすいし腰の締め付けもないので倒れることもないだろう。明日の昼頃にはまた仕事に戻らねばならない。

「遅くなった、すまん。」
「いいえ、」

思わず立ち上がり声の方を向けば、そこには軍服の上に軽いコートを羽織りやや慌てて現れた鯉登さんが見えた。彼は私に座るように言うと、コートを預け、向かい合った椅子に腰を掛けた。彼の格好に何かを感じ取って見ていれば、彼はすまなそうに口を開いた。

「すまない、先程鶴見中尉殿から連絡を頂き、予定よりも早く戻らねばならなくなったのだ…。今日の三時にはここを立つ。」
「そうですか…」
「さくらはすこし休んでから戻ればいい。」
「いいえ。ご心配おかけしてすみませんでした…昨日は本当に。」
「気にするな。それより、私の方こそすまなかった。」

話している最中にもウェイターが来て水や皿を持ってくるたびに話が途切れ、そしてぽつぽつと話が再開するが、核心に迫る会話はまだしない。忙しい中でも私に合ってくれたことは本当にありがたいと思うし、きちんと戻る前に直接謝罪できたのは本当に良かったと思う。運ばれてきた食事をもくもくと口に運びつつ、お互い探るように口を開いていく。

「あの、鯉登さん。」
「な、なんだ」
「お見合いのお話なんですが…昨日母と何かお話されましたか?」
「ああ…。この見合いを受けようと思うと話してある。後はさくらの気持ちを尊重してほしいと伝えて昨日は別れたのだ。」
「さ、さいですか…」

ちょっとぎょっとする私を見て鯉登さんは笑うと口を開いた。

「あまり気負いすることはないぞ。責めているつもりもない。本当にさくらの気持ちで決めてほしいだけだ。そうでなければおいも不本意だからな。」
「鯉登さん…」
「さくらの選択によってこれからの態度を変えるつもりもない。」

彼から紡がれれる優しい言葉に眼の奥が熱くなる。私が同じ立場だったら自分の事で精いっぱいだろうに、私のことを考えて此処まで言葉を選んでくれているのがわかって、本当に自分が情けない気持ちになった。でも、一生の事を今決めてもいいのだろうか。鯉登さんのことはすごくいい人だと思っているけれど、本当に私でいいのか。どうすればいいのか、稚拙な私ではすぐに答えを出すことができない。

「……少しだけ、時間を頂けないでしょうか。」

ナイフとフォークを置いて静かに、かすれた声でそういえば、鯉登さんはじっと私を見て、それから優しく私を気遣うように笑むと静かに頷いた。

「わかった。」

ここまでぐずな私でも、本当に彼はそれでも好きと言ってくれるのだろうか。私はなんて愚かで、わがままで、欲深いんだろうと恥ずかしさでナイフとフォークを握る手が震えた。







「浮かない顔だねえ?」
「うっわ」

ずいっと横から顔が出てきて身じろげば、すぐ真横には我らが中尉のずるむけおでこの御尊顔があった。中尉は私の驚いた表情に満足したのかニコニコ笑っておひげをなでている。そして私が今しがたお出ししたお茶をずずっと啜るとソファに腰をかけた。

「さくらもお茶を飲むといい、すわりなさい。」
「えっいやでも、」
「す わ り な さ い」
「はい」

にこにこすごまれては座らずにはいられまい。だから湯飲み二つ頼んだのか、と今更わかって(月島さんと鯉登さんは任務なのか今は不在である)、しぶしぶお茶を空いていた湯飲みに注いだ。静かにそれを啜れば、中尉は足を組みなおし、私の母が差し上げた饅頭をむんずとつかむともむもむ食べながら私を見詰めて口を開いた。

「で、見合いはどうだったのかね?」
「…まあ、ぼちぼちですね。」
「なかなかの男性だったようだね。もう返事は返したのか?」
「いいえ、まだです…」
「先日は最初からお断りすると言っていたけれど、気になる男性だったから悩んでいる、そういうことだね。」
「そ、そういうことになりますね。」

どきりとしてそう言えば鶴見さんはふうんと言って顎に手を添えた。

「でも、もうお見合いの日から数日経ってるから、そろそろお返事をしなければならないんじゃないか?」
「そうなんですよね…。」

もしゃもしゃと饅頭を食べながら鶴見さんは話を続ける。外は雨がしとしと降っていて、窓に当たってするすると下に水滴が無数に落ちていった。鶴見さんは食べる?といってお饅頭を差し出してきたので、ありがとうございます、と一言言ってそれを受け取った。

「そういえば鯉登少尉も近頃元気がなくてねえ。」
「そうですか…」
「聴いたところ、少尉は快諾したそうだよ。その後は今不在だから聞けていないが、さくらもどちらにせよ返事を帰すべきだね。部外者の癖してこういうのもなんだがな。」
「いいえ、仰る通りです。おかげで母からの手紙が毎日きます。」
「『浅草小町』の憂うお顔が思い起こされるな。」
「ははは…」

私が苦笑いすれば、中尉はにっこり笑った。

「気に入った男性ならそのように言えばいいだけの事ではないのかね?」
「ええ。でも、私のような人間が、本当にいいものかと思ってしまって。家柄はもちろん、人間としても私なぞより比べ物にならないくらい真っすぐな方なんですよ。それでなんだか、その、」
「怖気づいて、しまったのかな。」
「…怖気づく…そうかもしれません。私ははたして彼の人に釣り合う人間なのか、分からないのです。」

私がそう言って静かに饅頭を頬張れば、鶴見さんはさらにうーん、と唸って部屋の隅に視線を移した。よく見れば、中尉の湯飲みには2つも茶柱が上がっている。

「私もさくらの若いころよりも年を取ってしまったから、よくわからんのだが…」
「中尉はまだお若いですよ(色々な意味で)」
「はは。釣り合うか釣り合わないかは別として、単純に好きか嫌いかで決めればいい話のように思えるんだが。」
「好きか嫌いか」
「家柄何ぞ、ただの付属品のようなものにすぎんだろう。さくらはまだ若い。若いのだから、勢いも大事なんじゃないか。若いうちに勢いで恋の一つや二つしてもいいじゃないか。したくてもできなかった人間を、私はたくさん、見てきたからね。」
「鶴見さん…」
「さーて、そろそろこの書類の山を片さねばなるまい。月島が戻ってくる前に片づけんとな。」

そう言って中尉はぱちりと片目を瞬かせてお茶を飲み干すと、立ち上がり伸びをした。それから、首を左右に振って気合を入れると、また作業をしていた机に戻られた。私も慌てて湯飲みを盆にのせて支度をする。

「ああ、そうだ。母上にお饅頭がすごくおいしかったと伝えてくれ。」
「わかりました。ありがとうございます。」

そういえば中尉は手をひらひらとさせたので、軽く会釈をして部屋を後にした。廊下を歩き、先ほどの中尉の会話を頭の中で反芻する。勢い。確かに大事かもしれない。私は石橋をたたきすぎて壊してしまう性分なのかもしれない。自分に自信がないのだ。彼を好きか嫌いかで言えば、そりゃあ好きに入る。でも理由はなんだろう。お顔がいいから?家柄がいいから?お金持ちだから?将来が約束されてる方だから?色々考えてみたけど、どれもあてはまるようであてはまらない。好きにそもそも理由を見つけようとする自分がとても嫌になる。途端に自分自身が卑しくて愚かに感じて、窓に映る自分の顔をそむけたくなる。私にもう少しだけ勇気があればいいのに。泣きたくなる。

「(母上にそろそろ手紙の返事を書かなければ…)」

湯飲みを給仕室で洗い終えて一息つく。もう午後の8時を過ぎていて、それでも雨脚は収まらない。今日は夜の当直なので夜11時から病室の番をしなければならない。明日もあめだろうか、と思ってあらかじめ井戸の水を取っておこうと桶を手に取り外套を着て雨合羽を羽織ると夜の外へと足を踏み入れた。数十メートル先の門へと視線を注ぐ。門の内側には小屋があり、そこには門番もいるが、外側にも常に2人ほど門番が順番で見張りをしている。雨の中本当にご苦労様である。まだ当直には時間があるのでお茶を差し入れようと思い(私が夜の当直のときはだいたい差し入れをするようにしている。兵士たちが大変喜ぶからだ。別段給仕のおばちゃんたちにも怒られないし、好きに使わせてもらっている)、桶に汲んだ水を入れ終わると薬缶を火にかけた。籠の中に夜食の麦飯でももっていってあげようと簡単に作ったおにぎりをいくつも作って入れた(自分の分もいくつか作って)。

「お疲れ様です。」
「おお、さくらちゃんか。お疲れ様」

小屋の扉をノックして開ければ30手前の顔なじみの兵士がにこやかに出迎えた。私に気が付いたらしい門番の二人も差し入れに気が付いたのか口々にありがてえと言っている。

「何時も悪いねえ。」
「いいえ。雨の中寒いだろうと思って。麦飯ですけどおにぎりも食べてくださいね。」
「有難いなあ。」

日露帰りの男性はほろりと涙を流す風に感謝を述べるとお茶を啜った。そろそろ戻ろうと小屋を後にしようと思った刹那、開かれた小屋の小窓から雨の音に交じって蹄の音がしてきて自然と外に視線を送る。すると、門に備え付けられたほの暗い街灯に照らされてやがてぼんやりといくつかの影が浮かび上がってきた。私以外の兵士たちは慌てて敬礼し始めたので、どなたか下士官級の人が帰還したのだろうと思われた。

「こ、鯉登少尉。」

思わず声を上げれば、すれ違いざまに目が合い、彼は思わず馬の歩みを止めてしまった。

「さくら、なぜそこに…」

そう言って彼はわたしの隣にいる兵士に目を向ける。間が悪く、兵士は私の差し入れたおにぎりを頬張っていた最中だったので、頬に麦飯がいくつかくっついていた。

「今日は夜の病室当直だったので、その前に皆さんにお茶の差し入れをと思いまして…お、おかえりなさい。」
「…ああ、ただいま戻った。」

彼らは雨合羽を付けているものの、馬に乗っていたためか顔はずぶぬれだった。後にいらっしゃった月島さんが私を見てただいま、と言ったので私がお帰りなさいと言えば口角を上げたが、すぐに鯉登さんに向かって口を開いた。

「少尉、雨ですから行きますよ。」
「うむ。今いく。」

そう言って手綱を握り直し馬の歩みを再度薦めようとした刹那、鯉登さんが再び私を見て口を開いた。

「さくら、」
「は、はい」
「腹が減った。私にも同じものをくれないか。」
「…分かりました。」

反射的に返事を帰せば、彼は緊張がいくらか解れた様ににこりと笑って、それから再び暗闇の中に消えて行ってしまった。



2018.04.25.

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -