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「お疲れ様ー。」
「……お店にこないって言ったじゃないですか。」
「だから店には行ってねえだろう。」
「………。」

勤務後で疲れているというのに、なおのこと心労が溜まっていくのがひしひしとよくわかった。なぜだか彼がにっこり笑うと私はげっそりしてしまう。

「もう帰るんだろ、送る。」
「………。」

どうせ振り払えるような輩でもないので仕方がなく歩いて行く。彼は例の祖父のコートを羽織、今日はズボンは自分のなのかジーパンにニット帽を被っている。結局あの後私はこのコートを無理やり彼に渡す形で家から追い出したのだ(勝手に彼が送るとか言いながらついてきた)。とはいえ半裸から服を着るようになったのはレベルアップと言えなくもない、とそこまで思って思わず首を左右に大げさにふった。

「(落ち着きなさい、紀州こうめ。そもそもこの男は犯罪者よ。レベルアップうんぬんの前に犯罪者なの。絆されてはだめ。)」
「あ、そうだ。今日は買い出ししなくていいぞ。」
「は?」
「ほれ。今日の夕飯これな。」

そう言って彼は右手に持っていた二つの紙袋を私に見せた。随分ものが入っているようだが、なんだろうかと訝しむ私を他所に、彼は嬉しそうに道を歩いていく。もうすっかりこの辺の地理や私の家路を覚えたらしく、その足取りは軽い。

「今日はあのテンガロンハットじゃないんですね。」
「ん?ああ。マルコの奴がかぶれってうるせえんだ。」
「マルコ?」
「ああ。バレたらこうめに迷惑かかるだろうから少しは気を使えってな。」
「(マルコってまさか『不死鳥』か…)」

とまさかここで“お勉強”の成果が出るとは予想外だったが、どうやらマルコさんは常識人であり、そしてどうやら白ひげ海賊団サイドはどうやら私の家に彼が来ていることを把握しているらしいことがわかった。

「(まさか、今度はみんなで押し寄せては来ないだろうな。だいたい把握してるなら私との接触を避けるように言ってくれればいいのに…)」

本当に海賊という輩はよくわからない。








「わあ、すごい…」
「サッチが持ってけっていったんだ。」

リビングで我が物顔でくつろぐエースさんを尻目に私は手渡された紙袋の中身を改めた。中身は全て食べ物で、それは正しく高級レストランのシェフが手がけたとでも言うような料理が庶民の味方、タッパーに詰められているではないか。しかも一個や二個じゃない。箱は十個ばかりだ。

「こんなにたくさん、」
「俺がいっぱい作ってやれって頼んどいた。」
「え?」
「“お勉強”ばっかでまともに食わねえんだって言ったらあいつスゲエ張り切ってたぜ。女は食いもんからキレイになるんだから頼むから食ってくれだとよ。」

にししとエースさんは笑うと横から手を伸ばしてもう一つの紙袋の中のワインを手にとった。これもなかなかいいワインである。二本入っている。

「なんかよくわかんねえけど、こっちが食前でこっちが食事中だとさ。」
「あの、白ひげさんちは毎日こんな料理を食べてるんですか?」
「ん?ああ、サッチと四番隊の奴らが主に作ってる。」
「(なんという豪華さ…さすが1600人乗組員がいるとプロもやっぱいるんだろうなあ…。)」

呆気にとられつつもとりあえずお皿に移し温める。テーブルパンやらなんやらは一応家にあったのでそれもトースターにかけて準備を進める。先ほどのワインもワイングラスに注ごうとリビングに戻りエースさんを探すと、私の目は世にも奇妙な現場に遭遇した。暖炉の前で腰をかがめているらしいエースさんの背中に声をかけようとした刹那、

「よっと。」

エースさんの手からぼうっと炎が現れたかと思えば、その炎はエースさんの体の一部ではないか。彼はそのまま手を暖炉の中の薪に触れると、薪は瞬く間に炎を上げて、すっかりぱちぱちと言い始めた。

「ひ、火、火が、火が出て…火拳っ!?火拳ですか!?」
「いや、今更だろ。」

ひどく驚く様子の私に彼はどこか呆れたように突っ込んだが、直様笑顔を見せた。

「そういやこうめの前じゃ出したことなかったな。別に出す場面もなかったし。」
「え、ええ。それよりも、本当に悪魔の実って、悪魔の実なのですね…本当にそのような能力を得るとは、初めて見ました。」
「泳げなくなるけどな。まあ、使いこなせればいいもんだ。」
「…あの、」
「ん?」
「もう一度だけ、見せてもらえますか…?」
「なんだ、そんなことか。」

そう言って彼は先ほどよりもやや大きめの炎を右手から出してくれた。ダメだとわかっているが、どうにも気になり始めたら追求したい質である。間近で見たそれは、間違いなく炎であった。ゆらゆら揺らめいてとても綺麗だ。

「あの、触っても…?」
「馬鹿、火傷すんぞ。本物の火なんだからな。」
「そうですか。そうですよね(やっぱり本物の火なのか!)。」
「ま、俺に惚れても火傷するけどなっ…」
「そういえばエースさん先ほどのワインはどこですか?」
「笑えよ!」







「美味しい…!」
「だろ?サッチが聴いたら喜ぶ。」

食前のワインも最高だったし、食べ物の想像以上の美味しさで、思わず食が進む。女性が好きそうだけど、きちんとスタミナがつきそうなものばかりでありがたい。

「そういやあの本、」
「あの本、ああ。あの本ですか。」
「スゲエ評判いいんだよなー。マルコがなんだそれ、ていうから貸してやったんだけど、その後貸して貸してってほかの奴らも読みたがって、気がついたらすげえ話題になってたんだ。」
「そう、ですか。」
「男ばっかのむさくるしい中でまさか恋愛ものの小説がはやるとは思わなかったぜ。サッチなんかあれ読んだあと、「俺も恋がしてえな…」て真顔で言うんだぜ!?すげー笑った!」

ケタケタ笑う彼を思わずぼんやり眺めた。きっと彼は愛されているのだとわかる。羨ましいという言葉は胸の奥にそっとしまいこんだ。何か言わねばなと思ったタイミングで彼は例の睡眠を始めたので、ちょっと助かった。

「……悪い寝てた。」
「ええ、大丈夫です。それにしても、曲がりなりにもあの本を気に入っていただけているようで嬉しいです。正直あなたは一体どんなお話が好きなのかわからなくて。」
「いや、俺はもともと(本はあんまり読まない)っつうか、俺まだあれ読んでない。」
「え」
「あんまりほかのやつらが貸せ貸せいうから全然俺のところに帰ってこねえんだ。」
「…なるほど。」

どんだけ人気なんだと思わず顔がひきつるも、美味しいご飯でそれをなんとか治す。ワインも進み、彼も随分気が良さそうだ。いつも笑顔だけど、今はもっとニコニコ楽しそうだ。とはいえ、彼の本の感想が聞けず若干残念だ。本や店員として、お客さんにおすすめした感想は聞きたい方だ。どんな感想でもいい。アンチでもいい。兎に角、好きな本について話せることが私の楽しみだった。とはいえ、今日は大変嬉しい情報を得た。やはりどんな職業の人間も同様にひとつの作品に対して感動できるのだと、知ることができ、顔には出ていないかもしれないが十分に感動していた。

「そういえば、あの本の映画が出てるんですよ。皆さんにも是非教えてあげてください。」
「映画?」
「はい。実は発刊と同時にとある映画会社とタッグを組んでて。新進気鋭の女性作家さんの作品だから話題性もあって、すぐに発表されたんです。皆さんお好きなようでしたので、よろしければ…」
「いいな!映画か!」

彼はぱあ、と笑顔を見せる。映画そんなに好きな人なのか。ならみなさんと一緒に行くといい。原作を知っていても知らなくとも大変な良作であると、見に行ったしのさんが言っていた。あの辛口コメンテーターとして名高い彼女が言うのだから間違いない。私も見に行きたいのだが、最近映画館のある湾岸のショッピングモール方面へは行く用事がないのでやや億劫であった。

「(今週のレディースデイには行こうかな、私も)」
「よし、行くか!」
「確かこの辺での公開は来月頭までですのでお早めに。」
「そうなのか。じゃ、明日行くか。」
「平日ですから混んでなくていいと思いますよ。」
「そりゃ助かる。こうめは何時頃がいい?」
「え?なんで私?」
「なんでって、お前と俺が行くんだから、都合聞くに決まってんだろ。」

ちょっと待て、なんでそういう流れになったんだ。

「いや、私明日仕事です。」
「じゃあレイトショーだな。裏口で待ってりゃいいな。」
「ちょ、勝手に決めないでください!」
「グガー……」
「もう!睡魔の都合が良すぎる!」


かくして、私はなぜか(強引に)彼と映画を見に行くことと相成ったのである。



執筆 2015.11.01.

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