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「ふーんふーんふーんっ」
「…………。」
「ふーんふーんふんふんふん」
「…………。」

レジに来たお客様は総じて天国と地獄の二つを見たような不思議な表情を浮かべた。方や憂鬱で青筋のある顔を浮かべ、生気のない表情をした娘が一人、方や厚めの化粧で塗り固め、その上になおド派手な口紅を塗りたくる年頃の女性が一人、世にも珍しい、天国と地獄の両立を目の当たりにできるのだった。

「……はあ」
「ため息はくと婚期が遅れるわよーん。」
「…………はあ。」
「なによもーう。笑いなさいって。」

幾度となく先程から手鏡で何がそう面白いのか自分お顔を覗き込むしのさんをみて思わず深い溜息が出てしまう。レジの奥のカウンターにはやや大きな箱があり、その箱の中にあるものが私のテンションを削りに削ってもはやHPをゼロにするぐらいの魔物となっていた。一方でしのさんにとっては箱の中身は大事なお宝といった具合で、五分おきに開けては眺めて、その存在を確認してはニコニコしていた。

「それにしても#nane#ちゃんもちょっとは嬉しそうにすればいいのに。あんなイケメンとお話できたんなら嬉しすぎて私だったら今頃ホテルに連れ込んでるわ!」
「しのさん、勤務中です、謹んでください。」
「いいのいいの。どうせ今お客さんいないじゃない。」
「いらっしゃいますよ。」

小春日和という言葉が似つかわしい、秋の昼下がり。昨日の一件から立ち直ることができず今日は休んでしまおうかと思ったが、流石に熱でもないのにまずいかあ、となんとか嫌な気持ちを引きずってやってきた。いまはもう一人だし、一人暮らしはお金が何かと物入りだし出来るだけお仕事はせねば。とはいえ流石に限度がある。

「早く来ないかなあー」

しのさんは楽しそうで何よりであるが、私はいつ来るかもわからない恐怖に恐れおののいた。エースさんとは一体何者なのか。思わず向かいのパン屋さんを見てみるが、まだ彼は来ていない様子である。いつもは三時か四時くらいに来るのだが、今日は未だに姿を見ていない(しのさんもそう言っているので間違いないだろう)。次はどんな不愉快な、あるいは奇想天外なことをやってくるのか。彼は変態なのか、不審者なのか、よくわからぬ。よくわからぬものを人は恐怖するものだ。それとも私があまり愛想がないから目をつけられていじめられてるのだろうか。もはやどうでもいいから私のいないあいだにちゃっちゃか出てちゃっちゃか行って欲しいものである。

「(ここに勤めて三年経つけど、こんなことは初めてだ……)」
「あら、こうめちゃん、隈すごいわよ?」
「……ええまあ。」
「……もしかして、あのこと?」
「………まあそれもそうですが(今はもう一つ心労の種が…)」
「色々あると思うから安易に元気出しなさいとは言えないけど……」
「…………。」
「あまり、考えすぎないでね。辛かったら仕事なんていつでも休みなさいよ。私を見習ってみなさい?何かあったら事あるごとに休んでるわ!」
「そう、ですね。とりあえず反面教師にはしますね。」
「まあ、相変わらず辛辣だわ!」









「では、お先に失礼いたします。」
「今日もありがとねー。あ、そうだこうめちゃん、これ旦那が首都へ行った時に買ったお土産。こうめちゃんが紅茶好きだって聞いてお茶っぱとクッキーの詰め合わせだってさ!」
「まあ、ありがとうございます。」

クッキーなんてお洒落で美味しいものここ最近食べてなかったなと素敵な包装をされた箱と缶の入った大きな紙袋をいただきながらぼんやり思う。というよりも最近あまり食べ物が喉を通らないのだ。生きるために最低限のエネルギーを摂取はしているが。

「荷物多くなっちゃったねえ、もてそうかい?」
「はい、お気になさらず。オーナーにもよろしく伝えといてください、お会いしたらまた改めて言いますが。」

今日は新作の本が数冊ハードカバーで出たので個人的に買って(社割で半額になるのでいつもついつい買ってしまう)それを持ち帰るとこであったので、思わず荷物が多くなってしまったが、別段気にもとめない。むしろ嬉しいくらいである。読書の秋に似つかわしいではないか。秋の夜長に紅茶にクッキーをたしなみながら読書をするなんてまさに文学的である。

「では、先に失礼いたします。」
「うん!気をつけて帰りなよ!」
「はい。」
「変な男に気をつけるんだよ!」
「いえいえ、ご心配には及びませんよ。変態もさすがに人を選ぶでしょう。」
「なに言ってんだい!年頃のこんな可愛い子ほっとく男なんていないよ!気ーつけな!」

歴史のあるこの本屋さんにはやや似つかわしくないような肝っ玉な店長は私は嫌いではなかった。ここで働く前から私を可愛がってくれてたし、今回のことでも本当によくしてくれたので、むしろ恩人と思っているほどである。

「(それにしても、結局あの人来なかったなあ、)」

裏口を合鍵で締めながら、今日一日の勤務を振り返る。今日は朝番だったので、六時の帰宅でたまたま会えなかっただけかもしれない。かえってありがたい。あとは上手く店長かしのさんがやってくれることだろう。

裏路地から空を見れば建物と建物の細長い隙間から見える空は紫と群青を帯びている。空気がだんだんと冷たくなる度に秋の訪れを示しているようだった。家の近くの銀杏並木ももうずいぶん前からあの独特な匂いで季節の移り変わりを主張している。毎年穴場スポットに行っては臭いのを我慢して銀杏を集めて、祖母に渡しては銀杏ご飯を作ってもらったものだった。

「(ああ、どうしよ。荷物多いけど買い物してから帰ろうかな。)」

裏路地を抜けて大通りへと向かう。商店街が並ぶ往来とは反対側だ。反対側にも小さいが「どんぐり通り」とこの街の人に言われる通りがあって、そこはここに住む人たちがよく使う買い物通りでもある。この街に住む人なら知る人ぞ知る隠れ商店街だ。物価も往来の商店街より安く、お洒落で観光スポットぽい雰囲気とは違い、下町のような雰囲気がある。カツカツと履いているブーツが鳴り響く。歩くたびにゆらゆらとまいているストールが揺れた。

「………?」

あと少しで通り抜けられるという矢先、視線の先で人影がぼんやり見えて思わず目を凝らす。まあ地元の人とすれ違うことは別段珍しくないし、ほとんど顔見知りなのだし不思議なことではない。だがあれはどうにも地元民ではなさそうである。体格的に男性で、路地の建物に背を預けて両の手はズボンに突っ込んでいる。くらいから尚の事よく見えないが、髪の毛は黒くて、ズボンも黒くて、上は半裸で…って。

「…………っ」

反射的に進行方向を百八十度くるりと変えて、やや早歩きで来た道を引き返す。

「あ、こら待て!」

後ろから何者かが走ってくる音がするが私も負けじと走る。こんな時に大荷物とはずいぶん間の悪い。おかげでお話にならないほど短時間で私は半裸の変態に確保されてしまった。

「…ひッ!」
「ひって、もっと可愛い声出せよな。」
「は、離してください。警察よびますよ。」

案の定、私は例のそばかす半裸男ことお客様だった“エースさん”にまさかのエンカウンターをしてしまったのであった。彼は私をあろうことか後ろから抱きつくような形で動きを封じ込めた。もちろん直様離してくれたが、またもや予測のつかない変態的行為に思わず目を白黒させる。前から思っていたが、この人のパーソナルスペースが異常に近すぎないか上半身が裸なのはそのせいなのか、という疑問符がたくさん頭の中で飛び交う中、視線を合わせれば彼は相変わらずの笑顔で私を見下ろしていた。

「仕事終わったんだろ。」
「…なんですか。もう勤務外なのでお客様対応はしませんが?」
「ああ、それでいいよ。気使われるの苦手だ。」
「はい?」
「とりあえず歩こうぜ。荷物もつ。」
「あ、ちょっと!」

彼は勝手に私のお土産の紙袋と本の入った紙袋をひったくると、ずかずか「どんぐり通り」の邦楽へ歩き始めたので私も荷物を返してもらおうと必死についていく。荷物を奪い返そうと手を伸ばすも、意地悪なことにこの男は荷物を持った両の手を上にあげてほれほれ、と背の低い私に見せつけるように持ち始めたではないか。やはり笑顔の裏に運んな変態意地悪悪魔が潜んでいるらしい。なんという男だ。

「こっち来るってことは買い物行くんだろ。」
「か、関係ないです。返してください。」
「荷物多くて買い物どころじゃねえだろうが、いいから持たせろって。」
「お帽子ならお店にありますからどうぞご足労ですがどうぞお店へ!」
「ああ、後でな。今はいい。」
「一体、何が目的なんですか、はあ、」

息を切らしながらも必死で付いていたので彼が突然止まったので思わず彼の背中にぶつかってしまった。その拍子でよろめきそうになったところをがっちりとした腕が私の腕を掴んだのでセーフだったのだが、そのままその腕は引き寄せるように私を引っ張った。

「目的か、」
「ち、近いです…」
「そうだな、色々知りたいなと思ってな。紀州さんのこと?」
「はあ?何をおっしゃってるんです、か。」

顔を再び近づけたかと思えばやはりにこりと笑ってそれからまた彼はスタスタと先に行ってしまう。なんなんだ、知りたいって。最近の少女漫画でさえもそんな小っ恥ずかしくてベタなセリフ、言わないのに。

先へずんずん行ってしまう彼の背中をぼんやり眺めていたが私もそのうちに歩き出した。そういえば彼は背中に刺青をしているのだが、一体何のマークなんだろうか。

「(ヤ○ザ…じゃないよな)」

とりあえずせめて変態でもいいから反社会勢力の方でないことだけは信じたい。



執筆 2015.10.31.

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