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やがて空が徐々に明るくなってきた頃。かもめたちが飛び立って、朝の漁に出かける船が、今日は慌ただしく港に引き返していく。目の前をゆうゆうと泳ぐように進む一隻の大きな船によって行く手を遮られたからだ。





『お早う御座います、シスター。』
『あら、随分早起きですねえ。我々は朝のお勤めがあるからこの時間起床しているのが普通ですが。』

でんでんむしの向こう側で、早朝にもかかわらず相変わらずのどかな口調で話しかけてくるシスターの声を聴いたらなぜだか胸が詰まって、言葉を発するにもあまりにも難しくて、周りにいる方々にも心配されるほどだった。しかしシスターは急かすことなく私の話を聞こうとしてくれる。多分、いつもとは違う雰囲気を感じ取ったのだろう。

『…遠くへ、行ってしまうのね。』

とても穏やかな声でシスターはそう言った。その語気には威圧感はなく、ただひたすら穏やかであった。

『ええ。でも二度と帰ってこないわけではないんです。突然ごめんなさい。手紙を書きました。私の家のテーブルの上にあります。家の権利書と、印鑑も。シスター、なんと言えばいいのか。私、』
『いいのよ、こうめさん。きっとあなたの今いる進む道は間違いじゃないわ。正しいか正しくないかは分からないけど、きっと間違いじゃないわ。あの青年といっしょなら、正しくなくとも。』

シスターはそう言って、電話の向こうで笑った気がした。本当に素晴らしい方だ。何もかもほっぽっていこうとする私にこんな言葉をかけてくれるとは。シスターだけでない。店長やオーナー、しのさん、ゆずちゃんたち、街のみんなに何も告げずに行ってしまうなんて、やはり心が痛む。

『お願いがあります、マリア像の前に来てください。そして私を見送ってください。驚くかもしれないけれど、ただひたすら私の幸いを祈ってください。私もみんなの幸いを祈ります、お願いします。』
『…わかったわ。必ず祈りましょう。』









「…平気か。」
「はい、大丈夫です。」

未だに落ち着かぬ私を落ち着かせようと、エースさん(なぜか船についた瞬間歓迎どころかボコボコにされた、私は大いに歓迎されたのだが)は優しく付き添って背中をさする。みなさんの視線(エースさんが言うには嫉妬らしい。本当だろうか)が気になるものの、今はそれどころではない。取り敢えず甲板に出る。彼らが見えるところで手を振って祈りを捧げるのだ。ちょうどあともう少しで、マリア像の正面へと船は進んでいた。

右手は彼の手をつないで、左手で画用紙を握って。







「か、海賊船です、シスター!」
「うわー!すげー!!」
「おおきいねえ!」
「皆さん、落ち着いてください。兎に角、彼女が行ったのですから間違いありません。皆さん、お祈りするのです。孤独だった少女の幸せを願い、私たちの幸せを願い。」

もともと二つしかなかった望遠鏡はもう取り合いである。若いシスターたちも代わる代わる見ている。直ぐそなの望遠鏡を覗き見る。隣では子供達が見たい見たいと駄々をこねたので体を持ち上げた。

「あ!こうめねえちゃんだ!笑ってる、笑ってるよ!」
「マジかよゆずちゃんばっかりずるいー」
「みせろよー!」

その瞬間、そのおどろおどろしい海賊旗からは想像できないような見てくれの可愛らしい海賊船からひゅるひゅると信号が上がる。“さようなら”の別れの挨拶の信号だ。それを見た刹那、思わず目の奥が熱くなって、静かに胸元の十字架を手に取り、目を見開いて笑顔のまま手を合わせた。

私のその様子を見て、若いシスターたちも何かを顔を見合わせて、それから随分落ち着いたように祈りを捧げる。子供たちも、望遠鏡の前で興奮するゆずちゃんも、皆が皆祈りに包まれる。そして、手を振った。

「さよなら。」

小さく呟く。そうすれば彼女が一等笑顔で、その小さは細腕をめいいっぱい大きく腕を振った気がした。彼女のこれから進む道がたとえ困難を極めようとも、あの人がいれば、もう、大丈夫。













「もう、大丈夫だ。」

隣でそばかすの彼が小さな声で、でもしっかりとした口調でそう言う。正直、善良な市民である私を誘拐した上に犯罪者の仲間入りを果たそうとしているこの人物についていくことは常識的に考えて全然大丈夫じゃないのだけれど、包み込まれた私の掌から伝わる彼の掌の大きさや温かさに思わずそんな考えも霞んでしまうのだった。私も大概彼に“惚れて”しまっているらしい。彼といると、不思議と本当にすべてがうまくいく気がした。確証なんてないのだけれど。

「…ありがとう、」

そう言って笑えば隣の彼は太陽よりも眩しい笑顔で答えた。




とめどない涙が溢れて、視界がぼやける。涙が流れて止まらない。そうすれば隣にいた彼が結んだ掌の力を強めた。横から白い光が差し込んで、目を細める。ざあああ、と波を押しのけてまだ見ぬその先へ進んでいく船の声が聞こえた。水平線から出てくる




fin.


2015.11.05.


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