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ベランダの窓から入り込み、音を立てぬようにそっと閉じる。この時期の夜は早いもので、帰る頃にはすっかり月が出ていた。耳元では規則的な呼吸が聞こえて安心する。そのまま階段を登り、彼女の寝室へと向かう。そういえば今気がついたが、この家にはこの島に泊まっている間何度も来たことがあったが、一度として彼女の寝室に脚を踏み入れたことはなかった。もちろん彼女の恋人でも、ましてや家族でもないのだから至極当然なのだが、なんだか不思議な心地がした。

「(…あそこか)」

階段を登りきると扉がいくつか見えたが、一番奥の扉がわずかに空いている。奥の部屋に入ると案の定、綺麗に整頓された寝室が見えた。広い部屋の割には実にシンプルにまとめられていて、ベッドの横のテーブルに数冊本が重なっているだけで、ぬいぐるみや余計なものはなく、本当に睡眠をするためだけに用意された部屋のようだ。窓からは月明かりが入り込んで、白いベッドを浮き上がらせていた。

「よっ……と。」

持っていたこうめの履いていたブーツをベッドの下に倒れぬように起くと、細心の注意を払い、起こさぬように彼女をベッドに横たわらせた。次に寝苦しそうなのでコートを脱がせ、マフラーを取ると、ブランケットと布団をかけた。この時期の夜と朝は随分冷えるのだ。

「………」

そのままければよかったのであるが、なぜだか名残惜しくて、思わず傍にあった椅子に腰をかけてしばらく彼女の様子を見ていた。月明かりに青白く浮かび上がる彼女の首筋や顔を見ていると、時折本当に生きているのか疑いたくなるほどまるで人形のようだった。規則正しく上下する胸を見て安心するほどである。思わず、椅子に掛けた彼女のコートを手に取ると、そのポケットに手を突っ込んだ。中にはくちゃりとくしゃくしゃになった紙が出てきて、それをおもむろに広げた。

案の定、それは己がよく知る手配書だった。

「(こうめ、すまねえ。)」

心の内で静かに謝罪をすると、彼女の額を撫でた。自分はこうめに謝ることばかりだと思わず自嘲の含まれた乾いた笑が浮かんだ。あの時、自分はこうめが近道の路地裏に入る時からあとを追っていたのだ。そう、すべてを見ていた。こうめが自身の手配書を破るところも、走ってその場をあとにするのも、全部。嘘をついて、挙げ句の果てに泣かせた。

「(俺はなんでいつもこうめを泣かせてばっかりなんだろうなあ、)」

笑って欲しい。ただそれだけなのに。最初から、俺の希はそれだけだった。初めてこうめと視線があったとき、幼い頃の自分が重なったようでとても悲しかったことを鮮明に思い出す。寂しくて、自分は世界で一番孤独なんだと、決め付けている。冷たい目だった。俺は今は違う。だからコイツも変われる。今ならそれができるのではないか。自分の身分はよくわかっているつもりだったのだが、いつからか分からぬが、見境がなくなってきてしまった。犯罪者からのお節介だなんて、疫病神もいいところかもしれない。けれどこうめは曲がりなりにも俺を認知してくれた。それは最初は恐怖心からだったろうが、今は、少しでも違うと信じたい。違っていて欲しい。コイツの中で俺がどれほどの存在かは到底知りえないが、少しでもいい人であってほしい。何なら、“海賊の中でも少しましなやつ”という認識でもいい。少しでもこうめに何かを施せる人間でありたいと願う。この先、少しでもこうめの記憶の中で生き続ける存在でありたい。馬鹿な犯罪者だったなあ、と笑ってくれるなら、それで十分だ。


「エースそりゃあ恋だな。」
「はあ?…そんなんじゃねえよ。」
「かっわいいなあ。うちの末っ子にも春が来ましたかあ。」
「うううるせえぞそこ!」
「……あんまり深入りすると別れが辛くなるだろい。」
「………あー、確かにな。エース、どこまで行ってんだこうめちゃんと。」
「だからそんなんじゃねえよ……」
「もう随分長引いちまったが、親父の治療ももうそろそろ終わる。」
「…………。」
「もうそろそろこの首都から、島から出るぞ。」
「……わかってる。」
「世話になったんなら、きちんと挨拶ぐらいしろよい。」
「………。」
「何か、切ねえなあ…あの本と似てて泣けてくんな…。やっぱ俺は後腐れねえ泡泡の姉ちゃんでいいかもなあ。」
「言ってろ。」


「ん、」
「…………」

少しだけうなったかと思えばむずむず動く。きっとなにかの夢を見ているのだろう。額をなでれば険しかった表情が和らいだ。そういえば笑顔にしたくてきっといい景色だろうと登った山の上でもこうめは泣いていた。何かを思い出したかのようだったが、そこに悲壮感はなかったのが救いだ。

もうタイムリミットはほとんどない。あとで話すといった約束も、笑わせたいというのぞみも、果たせそうにない。自分が犯罪者だからなのか、それともただ単に愚かだからだったのか。なんでこんなにこうめに執着してしまうのか。ごちゃごちゃ考えているうちに、本当ははじめから自分自身わかっていたのだ、という考えにたどり着く。

こうめ

自分の声が静かな寝室に吸い込まれる。まるで世界とこの部屋が隔離されているみたいに思えた。時間が非常にゆったり流れている気がする。彼女の前髪を自分の手でかき上げると、白い額が見えた。顔を寄せて静かに自分の唇を寄せる。柔らかな感触と温度が伝わってくる。ああ、生きているな、と至極当たり前なことを阿呆みたいに思って、バカみたいに目の奥が熱くなった。俺らしくもない。

「不甲斐ねえな。」

声に出して笑えば、こうめはんん、と幽かに唸った。



執筆 2015.12.04.

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