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「うう…うう、もう、ダメ……っ、助けてこうめちゃん!」
「……なんですか、鼻水出てますよ、拭いてください。……っくしゅん。」

そう言ってエプロンのポケットからポケットティッシュを出してしのさんに差し出せば彼女は号泣しつつも鼻水をかみはじめた。彼女の手元には先日エースさんと見に行った映画のタイトルと同じタイトルの文庫本。そう、今日から文庫本版が発売となったのだ。しのさんはハードカバーは大きすぎて重くて嫌いで文庫本はらしく、この度ようやっと原作を読むに至ったらしい。

「感動してくださっているのは結構ですが、勤務中はさすがに…っくしゅん、」
「いや私も休憩中に読んでたんだけど、読み始めたら止まらなくて……て、こうめちゃん風邪?」
「…いいえ、多分、へ…ッしゅん。」

これじゃ勤務に支障が出てしまうと出来るだけ辛抱するもくしゃみが止まらない。恐く風邪ではないだろう、多分今年から花粉症か何かのアレルギーになってしまったに違いない。なにせここに来る前はくしゃみなど全然出なかったし、それどころかすこぶる元気だったのだから。それが今は目も痒いし、鼻もムズムズする。しかしそれを伝えようもくしゃみに邪魔されてしまう。

「あらま、こうめちゃん風邪?」
「お、オーナー、お疲れ様です、ッしゅん。」

事務室で作業をしていたオーナが息抜きか店の方に出てきていた。オーナーはダンディでハンサムなおじ様である。オーナーはこの本屋さんの系列店を経営しており、店長と夫婦で切り盛りしている。二号店三号店はどちらも首都にあり、ここと首都を行ったり来たりしている。そのため、週に一度二度合うかくらいだ。

「それにしの、なんだその顔。ピカソみたいだぞ。」
「ひどーい!それより、その箱は?さっきから事務室に置いてあったの見かけたけど…」
「ああ、これはねー!」
「へっくしゅん!」
「おお、こうめちゃん、ほんと大丈夫?風邪なら、今からでも帰る?何だか目充血してるし、しんどそうだよ?」
「確かにこうめちゃん朝からくしゃみ止まらないよねー。もうすっかり最近寒くなってきたし風邪流行ってるもんねー。今日はパパもいるし休んじゃえば?」
「いいえ、でも私…、」
「いいんだよ、日ごろ体調管理のできてる君が珍しいし、きっと悪性の風邪なんだ。風は引きはじめに気を付けないと!お給料はきちんと一日分出すし、」
「そ、それはいけまっ…しゅん!」
こうめちゃん、帰る支度して!」
「え、あの、っっしゅん!」







あれよあれよという間に私はオーナーのおかげで帰り支度をし、おまけに葛根湯ドリンクタイプの大量に入った紙袋を持たされて今に至る。

「(あれ、なんかだいぶマシになったような…)」

お店を出てからしばらくすると、先ほどのくしゃみが嘘かのようにピタリと止まり、そしてごろごろしていた目も、ぐずぐずしていた鼻も気にならなくなってきた。おかしいな、花粉症だったとしてもこれはおかしな話だ。まあでも治ったので嬉しいが、勤務を放り出してしまった罪悪感が募る。

「(今日はおとなしく家に帰ろう。)」

いつもの裏商店街で買い物を終えて、近道をしようと路地裏を通る。今はまだ明るいし、そこまで狭くなく、日差しが差し込む道だから大丈夫だろう。路地を歩いているうちに、複数の手配書が貼られたが見えた。いつもは夜に通ったりするのであまり気には止めないが、何となく目で追っていけば、思わず立ち止まってしまう。幾重にも重なって風化した古い手配書の中には新しい手配書も貼られている。その中に、思わうず見覚えのある一枚があって、気がついたら私は何をトチ狂ってしまったのか、その一枚をビリっと手で裂いて取ってしまった。

「あっ……」

と思ったときにはもう手遅れで、自分の手の中に見覚えのある手配書は収まっていたので、急いでそれをコートのポケットにしまった。

「…………。」

気まずくて、その場を一刻も早く離れたかった。あたりを見回せば、そこには私以外の誰もおらず、誰かの家の勝手口の階段で猫がアクビをしているだけだった。誰もいないことを確認すると、そのまま早足で通り過ぎた。早く、家に帰りたかった。そのまましばらく走るように歩いていたが、流石に息が切れて、立ち止まった。あたりを見れば路地と路地がぶつかり合う十字路だった。ここはもうあの現場からはだいぶ離れているので大丈夫。ばくばくいっていた心臓もいくらか落ち着いてきている。

「…騒ぐな。」
「っ………。」

ほっと胸をなでおろしたその時、背中に何かが当たったかと思えば直後、男の低い声が耳元に聞こえた。一瞬、いつぞやの警察に言われた言葉が頭をよぎり、心臓が再びばくばく言い始める。体が硬直したまま言われなくとも動けない。最悪のシナリオが頭をよぎったその時、耳元で今度はくつくつと男の喉が鳴る音が聞こえて、動揺して思わず視線を横にすれば、見慣れたそばかす。

「びっくりっしたか?ちょうどこの十字路からお前が見えたから、吃驚させようと思ったんだ。」
「え、エースさん……」
「今日は仕事休みなのか?ならちょうど良かったこのあと…ん、どうした?」

黙ったまま立ち尽くす私にエースさんは不審に思ったのか覗き込むと、すぐにギョッとしたように目を見開いて、慌てた様子になった。多分、私は泣いていたんだと思う。

こうめ、どうしたんだよ、そんなにびっくりしたのか!?」
「いえ、その……」
「ごめん!!!ちょっと悪戯心が湧いちまっただけなんだ、悪気はなかったんだよ!」
「違うんです、確かにびっくりしましたけど……」
「本当にごめん!!だから泣かないでくれ!頼む!」

まるで子供みたいにあたふたしながら彼は私の前で全力で謝罪を表明すると、私が持っていた荷物をふんだくって、それから私の両の頬を彼のその大きな手で覆った。彼の手はひだまりのように暖かかい。私は何故泣いているのか、彼に説明したくても、自分でもわからないので説明のしようがないのだ。もちろん彼のドッキリには驚かされたけど、私は多分そのドッキリだと気がつくそれよりも前、彼の顔を見た瞬間、思わず涙が出てしまったのだ。

「…もう、大丈夫です。」

彼の手に自分の手を重ねて顔から離すと、手で自分の目を拭った。彼は相変わらず罪悪感の滲んだ顔で私を見ている。そんな彼の顔を見ていたら今度は私が罪悪を感じた。

「すみません、年甲斐もなく泣いてしまいました。」
「いや、俺が悪いんだ。冗談とは言え、もう少し考えるべきだった。」
「大丈夫ですから。」
「そうか………送る。」
「……はい。」

彼が歩き出したので、私もゆっくり今は紺色の背中を追った。







「すげーな、あの辺とかもう真っ赤だ。」
「山が燃えてるみたいですよね。」
「ああ。あっちは黄色が多いんだな。」

白樺の道。家に向かう途中から見える山々の様子を見て、エースさんは声を上げた。そういえばもうすっかり紅葉狩りのシーズンである。夜だとわからないが、こうした昼間であればそのいくらでもその素晴らしい眺望が全て見渡せる。

「なあ、さっき言おうと思ってたんだが、」
「はい?」
「昼飯食ったらボート漕ぎ行こうぜ。」
「ええ?」
「すげえいい天気だし、気持ちいいと思うぞ。俺が漕ぐから心配すんな。」
「…でも、」
「心配すんなって、溺れねえように極力頑張る。」
「(極力って……)」
「なあ、頼む。行こうぜ。」

足を止めて彼が後ろをゆったり歩く私を見つめたので、思わず心臓がはねる。それはどこか有無を言わさぬ雰囲気で、思わずこくん、と頷いてしまったのである。

「よっし!」
「(また、丸め込まれてしまった…)」
「なんだこれってお前、風邪なのか?すげえこんなか葛根湯入ってるんだけど。あ。風邪だったら…」
「ああ、いえ。それはオーナーが風邪の季節だから飲みなさいと。心配性な方ですから。」
「いいやつだな。」
「ええ、ちょっと変わった方ですが。」







一方その頃、本屋さん

「で、パパ、その箱の中身はなんなの?」
「むふふ、よくぞ聞いてくれました!……じゃーん!」
「えって、わ!」

にゃああん

「きゃー!かーわーいーいー!子猫じゃなーい!」
「そうなんだよ!今朝お店の前で見つけたんだ!」
「そうだったの、可愛いー。オス?メス?」
「メスだ!この子はこれからこの本屋の三人目の看板娘にするぞ!」
「いいけど、ママには言ったの?」
「…………後で言う。」
「あっ(察し)」


こうめ猫アレルギー説浮上の瞬間



執筆 2015.11.03.

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