12



「おねえちゃん、今日はお兄ちゃんはいないの?」
「…うん。そんなにお兄ちゃんのこと気に入ったの?」
「ううん、この間またお兄ちゃん来てくれたの。」
「彼が?いつ?」

私が問いかければ、うん、と目の前の愛らしい少女は頷く。ふと周りを見渡せばほかの子供たちお各々好きに戯れている。花冠を作る子、かけっこをする子、木に登る子など、みなその有り余る元気をひだまりの中で発現している。風が吹けば野原の草木が静かにうねる。眼下に広がる海のように生き物のように。

「ううん。顔の怖いおじ、お兄さんたちと一緒だった。おねえちゃんがおばあちゃんのお墓参りしてから次の日に来てくれたよ!次に次の日にも、そのまた次の日にも来てくれた!」
「…そんなに…何をしに来たの?」
「いっぱい遊んでくれたの!お菓子もくれたし、新しいスケッチブックもくれた!ほかのお兄ちゃんたちは教会を直してくれたよ!」
「教会?大工さんだったの?」
「ううん。いつもはお船を治すんだって。」

驚きのあまりしばらく何を言えばいいか分からず、目の前の少女が覗き込んでくる。ゆずちゃんの手には確かに真新しいスケッチブック。彼女の小指ぐらいまで短くなっていた色鉛筆も新しくなっている。

「…素敵ね。新しい色鉛筆。」
「うん!エースお兄ちゃんがね、いっぱいお姉ちゃんかけって。」
「え?私を?…何故。」
「笑ってるかお描いてくれって。」
「………そう。」

本当にもの好きで困る。子供を巻き込むなんて、という気持ちと、なぜ彼がここに居る子供たちの面倒を見たのだろうか、とそこまで思って、数日前に彼と祖母の墓参りへ行った時のことを思い出した。彼なりに罪悪感を感じたのだろうか。それにしてもわざわざ私の笑顔をかけだなんて厄介なことを頼んでくれたものである。

「…本当に自分勝手で困っちゃうわね。」
「ううん。お兄ちゃんはいい人だよ!」
「……そう、かな。」
「うん!ゆずもこうめお姉ちゃんの笑ったとこ見たい!」

にっこり笑っていつものようにスケッチをはじめるゆずちゃんの横顔を見ながら、まさかあのお兄さんは、あなたのお父さんお母さんを殺した海賊と同族なんだよ、なんていえやしない。もちろん恐くこの子の両親を殺したのは彼らではないだろうけど、あの黒い旗を掲げている限り、世間は仲間だろうがなかろうが、海賊は海賊と、同じように見なすのだ。残酷だが、これが現実だ。

「ねえたん!クローバー!」
こうめおねえちゃんにもあげるー」
「まあ、シロツメクサね。」

横から可愛らしいもみじの手が見えたかと思えば、先程からすぐ横で花冠を作っていたいちごちゃんたちが私に手作りの花冠を頭に乗せてくれた。とても上手に出来ていて、ここに咲いているシロツメクサで作ってくれたらしい。白い花とクローバーがついている。

「どうもありがとう、とても素敵。」

私がそういえば子供たちはふふ、と愛らしい頬を赤く染めて喜んだ。曇りがちな天気であったが、雲間から太陽の日差しが差し込んで、崖の上のこの場所を照らしていた。ここは本当に天国のような場所である。

「あ!シスター!」
「…シスター様。」

子供たちの声と視線が後ろの方へ向いたので私も後ろへ視線をよこす。司会には教会をバックに黒い厳粛な洋服を着た初老の凛とした女性がこちらに近づいてきている。顔にはほんのり笑顔が見える。シスターは私に近づくと、丁寧な礼と挨拶を述べたので、私もそれに習って言葉を交わす。

こうめさん、少しお話したいことがあるのですが、中でお話できませんか。」
「ええ。勿論です。私もお渡ししたいものもあります。」
「感謝致します。」

子供たちに一度あとでね、と伝えると、シスターについていく。シスターは心なしか疲れているのか、日に日に痩せていっている気がする。心労が溜まっているのかと思うと心苦しい。彼女には幼い頃からいろいろお話を聞いていただいて数少ない、大変信頼している人間の一人なのだ。
彼女は私を応接室に案内すると、早速席を進めてお茶を出してくれた。私はその際にお包を渡すとシスターは感謝をし、でもどか申し訳なさそうに笑った。そして目の前の椅子に腰をかけると、ゆっくりとその静かで優しい声色で話を始めた。

「先日は、あなたのお知り合いの男性から大変お世話になりました。その場でも大変感謝したのですが、今一度あなたにもお伝えします。本当にありがとうございました。」
「いいえ、あれは彼が勝手にやったことで、何しろ私はそれを子供たちに聞いて今日、知ったぐらいです。」
「そうでしたか。どういった方々かは存じませんが、貧しい私たちには施してくださった。」
「…やはり、あまり状況はよくないのですね。」
「ええ。恥ずかしいことですが、子供たちを養っていくのがやっとです。」
「街の人々に募ったらどうでしょう?この街の人々なら、いくらでも、」
「いいえ、これ以上はいけません。もう何度も助けていただいたのに、これ以上お世話になってしまったら、バチが当たってしまいます。」
「そんなこと、この街の人々は気にしませんよ。」

やはりここの財政状況は芳しくないらしい。シスターがこのような話をするのはごく限られた人間だけである。しかし最初からこのように貧しかったわけではない。むしろこの街の人々はここに居るシスター達を尊敬しやまないのであるから、資金は潤沢出であったのだ。ところが二年ほど前から自体は一変する。この街の市長が変わったのだ。悪い人ではない。だがあまりこういった慈善活動に興味がないのか、この教会に充てていた資金を大幅に削減し、観光業に割いてしまっているのが現状だ。確かに今まで以上にここ二年のあいだで観光客はそれ以前よりも激増し、広告により費やせるようになったので街は豊かになったが、ここにしわ寄せが来てしまっているのも事実だ。
さらには最近は若い人々の関心もなくなってきており、よりお金を募るのが困難になってきている。街の人々はこれまで幾度となく募金をしてきたが、シスターはこれ以上は申し訳なく思っているらしく、それを信頼できる人々で集まって打開策をねっているところであった。

「でも、あまり悲観的にならないでください。嘆願書の方も随分溜まってきましたし、あともう少しの辛抱です。」
「皆さんにはご迷惑をかけてばかりで申し訳ありません。私も教会の本部の方にいろいろ相談して耐えてみせます。」

私の務める商店街の長である店長と街の各区の長に手伝ってもらい、今水面下で署名を集めているところである。もうすでに四万人分溜まっている。この街の人口は一四万人なので、あともう少し集まれば市長やこの街の役所も無視できないものになる。あともう少しなのだ。

「もし受け入れられたならば、新しい施設を作ってもらうよう提案しましょう。もう子供たちも随分大きくなるでしょうし。」
「いえ、贅沢はあまりこちらからは申せません。確かに施設はもう満員ですが、どうにもどこからともなく孤児がこの地にやってくるのです。」
「…気の毒なことです。」
「ええ。でもその子の親を責めることもできません。きっとその家族も貧しさや病で苦しんでいるのかもしれませんから。それに、今はだいぶこの教会も修復していただきましたから、当分は心配いらないでしょう。有難いことです。」
「良かったです(私とは直接的に関係ないけれど)」
「…それでお話は変わってしまうのですが、いつ行うおつもりなのかしら?」
「はい?」
「まだお二人も若いようですし、何しろこうめさんですから若い過ちなど犯さないでしょうし、私は心配はしておりません。急ぐ必要はありませんが、善は急げと申しますから、もし式を挙げるなら、拙いながらもこちらで責任をもって執り行わせていただきまます。」
「あの、何の話でしょうか…?」

思わず手にとったティーカップを落としそうになりながらも一応問いかける。シスターはニコニコして至極嬉しそうである。

「つい最近うちの若いシスターに聞いたのですが、あなたと例のそばかすの青年がお付き合いをしているとお聞きしました。」
「ぶっ」
「どうにも私はこういうお話には疎いようで。あの時おばあ様のお参りに来た時に気づいてあげられればよかったのだけれど…、気づかずにごめんなさいね。」
「いえ、あの、それは」
「とても素敵な方ではありませんか。心優しく朗らかで。大変お似合いだと思いますよ。」
「…………」
こうめさんは真面目で思慮深くて、そこがあなたのいいところですが、少々臆病になっていると思っていました。でも、彼のような明るくて少々大胆な方が一緒にいてくれれば、もう心配はありません。きっとうまくいきますよ。」
「シスター……」

窓からの日差しがシスターの柔らかな顔を照らし出す。優しく笑んで私を見つめるその瞳に今の私はどう映っているのだろうか。どうしたわけか、彼女の前では嘘をつきたくないのに、今は本当のことも言えずにいる。このような神聖な場所で、私は一体どうして背徳を感じているのか。今の私の拙い感性や経験や思考力では到底答えは出なかった。

「シスター、ブレンゲンツ区の区長様がお見えです。」
「…ええ。もうそんなお時間でしたか。ごめんなさいこうめさん、せっかく来て頂いたのに。」
「…いいえ。」
「子供たちもいますから、ぜひゆっくりして行ってくださいね。」

失礼します、と物腰柔らかにシスターは言うと、部屋を後にした。

「…………。」

ひとり取り残された部屋から外を覗くば、雲間から差し込む日差しに照らされた神々しいマリア像の横顔がよく見えた。この街を慈しみと愛情を持った微笑みで包む女神の横顔。いつもはとても嬉しい気持ちになるのに、今はとても胸が傷んだ。

それ以上に、私の周りにいる人々の中で、彼の存在が認知され始めていることに恐怖を覚えた。それだけ私の世界に彼は踏み入っているということになるからだ。これ以上、彼が私と関わり合ってしまったら、どうなるんだろう。私は、どうするんだろう。言いようのない不安感が、私の中で膨れていった。

「(もし、彼がいなくなってしまったら、みんなになんて言えばいいのだろう。)」

きっと、みんなに悲しい思いをさせてしまうかもしれない。そう思ったら噂のことよりもそれの方が怖いと思えた。



執筆 2015.11.03.

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