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「……エースさん」
「…んん、起きてる。」
「…………。」

夢の世界へと誘われそうになっている隣の男の肩を小突ば、くぐもった熱っぽい声が聞こえる。最初から若干やばいんじゃないかなあとは思っていた。食後だし(この人は食事中でもねるのだが)、正直私も暗いとすぐにまぶたが重くなる質であるが、今日は好きな作家の原作の映画だからと気合を入れている。隣では一応寝ないように頑張っているのかボリボリポップコーンをかじる音が聞こえる。私はスクリーンに視線を向けつつも半分寝ぼけたような顔をしている男性の横顔に何だか少しだけ滑稽だった。

映画館は案の定平日なので空いていて、レイトショーのせいか客層も高くちらほらほかの客が見えるだけでとても静かだ。カップルが多いかな、という印象はある。恋愛映画故仕方のないことだが、なぜだかそれを意識したとたん異様に緊張してくる。他の方から見たら私もエースさんと恋人に見えるかな、なんて馬鹿なことが頭をよぎったからだ。犯罪者の恋人なんてもちろん嫌だし、それ以前に私は恋人なんて出来たことがないのだから、それが小っ恥ずかしい。正直エースさんは若いし(私も若いのだけれど)、しのさんの言うとおり顔は悪くないし、だからこそ余計緊張するというか、色恋沙汰に発展するだなんて、

「(…ありえない)」

と思った。

「…結構思ってたよりおもしれえな。」
「、そうですか、良かったです。」
「俺あんまりこの手の話は見ねえんだけど、結構おもしれえ。」

視線はスクリーンに移して目で追ってはいたものの、半分は思考に耽っていたので、突然耳元で声がしたことには驚いた。というよりも、彼からこの作品を「おもしろい」と行っていただけるとは思わなかったのでそれに関してもやはり驚いた。暗闇の中でよく見えないからこそ聴覚が研ぎ澄まされるのか、彼の声やら息が自分の耳に吹きかかったことに想像以上に面食らって顔が熱くなった。自分だって先ほど彼に同じことをしたのに、自分は今日どうしてしまったのか、大変可笑しい、変だ。

「気に入ってくれたようで、嬉しく思います。」
「ああ。」

映画のストーリーは基本的に原作の小説と同じであったが、時間と予算の関係か、削られている挿話もあったにせよ、それ以外は非常に忠実であった。物語の筋書きはこうだ。

主人公の少女は私と似たような年頃で、あまりパッとせず、そのせいか交友も少なで町外れの家で畑をやりつつ、布で装飾品を作り、それを売りながら暮らしている。ある日突然そのような彼女の家の前で男性が倒れていた。旅人か何者かは分からぬが、彼を保護し物語は急激に動いていく。不審に思いつつも看病すれば男は次第に良くなり、随分動けるまでになった。男はお礼になんでもする、と彼女に言い、畑仕事や薪割りなどの男手が必要なものはなんでもやった。少女の方も男の素性が知らないとは言え、一緒に暮らせば情が移る。やがて二人は親密な中になるが、ある時男は実は犯罪者で、追われている身であったことを少女は知る。少女は警察を呼ぼうか悩んだが、結局男に全てを打ち明け、そして自主をすすめる。男もそれに頷いて自主をすることを決意する。二人で手をつなぎながら街へ向かう途中、雨が降る。雨宿りしているうちに男は少女に向かって「捕まれば終身刑か絞首刑になってしまうだろう。俺は自分の兄を殺したんだ。」と独白し、少女とともに涙する。些細な喧嘩と口論の末、兄は自分に刃物を向け、もみくちゃになった際に男は実の兄を誤って刺し、殺害してしまったらしい。二人は警察署ではなく、雨が降りしきる中教会へと向かい、そこで密かに契を交わす。そこから二人の逃避行が始まる……――

「………、」
「…こうめ、泣いてるのか。」
「、いえ。」

筋書き通りなので結末も既にわかっているはずなのに、思わず涙が溢れそうになる。よくあるラブストーリーではないかと言われてしまいそうだが、そうではない。原作は作家さんの表現力がいかんなく発揮され、ちょっとした文章やセリフが胸を刺すのだ。映画もそれは同様で、自分が思い描いた物悲しい世界が目の前に現れ、そして静かで淡々と過ぎゆく風景の中に凛とした音楽が響き渡るとどうにも胸が詰まって仕方がない。せき止めてもせき止めても無駄なほど、溢れてくる何かがある。

「(これは、まずいかもしれない。)」

久しぶりに映画を見たが、これほどまでに自分の涙腺が緩くなってしまったとは予想外であった。兎に角ハンカチを出さねばと思って膝にあるカバンを開けようとした刹那、右の頬に暖かな感触がして思わず目を見開いた。

「泣くな。」
「………、」

ふしくれだった親指で頬を撫でられたかと思えば、横の彼は小さく笑った。スクリーンに写った男もニコリと笑うと、少女に別れを告げる。少女は周りの男に取り押さえられていて、男を追いかけることは叶わない。そう、この恋はかなわぬまま、最悪の結末を迎えるのだ。男は捕まり、結局、終身刑を言い渡される。獄中で男はガラス越しの少女に向かって懺悔と愛を嘆いて涙を流し、ガラス越しに手を重ね、少女も涙を流す。少女はそれでも彼を愛している。そう、愛してしまったのだ、犯罪者を。
…場面は変わって、少女は春の木漏れ日が差し込む窓際。窓の外には春の訪れを感じさせる雪解けの様子が見える。そこはあの少女が住んでいた家。男と愛し合い、一番幸せだった頃の思い出の詰まったあの古い小さな家だ。窓際にいる少女の腕の中には、木漏れ日に照らさえれてすやすや眠るたまのような赤ん坊が一人。

物語はそこで暗転、エンドロールが流れ始めた。

ぞろぞろともともと少なかった観客もエンドロール半ばでほぼ帰ってしまい、劇場に残っているのは私たちだけのようであったが、私は余韻に浸ったまま、しばらくエンドロールから目が離せなかった。エースさんもその間、帰ろうなどとは言わなかったし、私と同様黙ったままスクリーンを眺めていた。時折視線を何度か感じたけれど、私はもう涙を流していなかったから、特に何も言われなかった。多分もう普通の顔に戻っていたんだと思う。







「感動したしいい話だったけど、ラストがなあ。」
「気に入りませんでしたか?」
「いや、あんまり物悲しすぎてな。物語なんだから大団円でも良かったんじゃねえか。」
「なかなかうまくいかないからこそ、人は心を揺り動かされるものです。うまく行ったら行ったで嬉しいですけど、印象には残りませんから。作者さんはあえて現実(リアル)を追求したんだと思います。」
「現実、か。」

ひゅうひゅう、と木枯らしが吹く夜の銀杏並木を歩く。ふと横を見れば遠くの港から明かりを灯した船たちがゆらゆら動いているのが見える。もっと遠くには灯台の光が見える。今日は上弦の月で、夜空には雲一つない。

「“事実は小説より奇なり”とも言うだろ。」
「…確かに、そうとも言いますね。」
「まあでも、最後の最後はまだ救いがあったな。」
「たしかに。二人の生きた証が生まれて、良かったです。」
「……そうだな。」

コートのポケットにてを入れて歩くエースさんのとなりを私も何とはなしに歩く。白樺の道に差し掛かり、それまで何となく小石を蹴っていたエースさんはふと湖の方を眺めた。湖は月の光に照らされて水面が光っている。静かな夜である。森からはふくろうの声がときおりした。虫の声も、今日はどこか少ない。

「やっぱいいとこにあるよなあ、こうめん家。」

ここから自分の家の姿が見える。誰もいないので電気はついていないが、月明かりに照らされてどことなく青白い。こうして見るとおとぎ話の世界の建物みたいだ。私の家族との思い出が詰まっている、たった一つの私の居場所。物語の主人公が小さな家を愛したように、私もここをたった一つの拠り所としている。

屋敷の下にあるコンクリートの岸に繋いである小さなボートが、木枯らしで揺れているのが見えた。

「この季節になるとよく祖父が私を乗せてボートを漕いでくれまいした。湖を渡ると山の様子がよく見えて、紅葉がとても美しかった。祖父は釣りが好きだったんです。」
「へえ。今もよく漕ぐのか?」
「今は、もう漕いでないですね。私は釣りをしないですし。」
「勿体ねえな。もう随分紅葉も綺麗だし、いい季節だぞ。」
「……そうですね。でも漕ぐのって疲れるし、一人だし。」
「じゃあ俺がこいでやるよ。」
「…また勝手な。だいたいあなたは能力者なんだから、水辺はまずいのでは?」
こうめ泳げるか。」
「泳ぐのは得意ですが…」
「じゃ問題ない。」
「ありますよ。」

やはりこの人の身勝手につける薬はないらしい。まあ海賊やってるぐらいだし、自分勝手なのは当然なのだろうが、一般人にはその常識を押し付けていただきたくないものである。エースさんは相変わらず楽しそうに歩いていたが、家が見えてくるとふと立ち止まり、その目を険しく細めた。

「どうかしましたか。」
「…いや、なんでもねえ。」

家に着き、とりあえずお茶でもエースさんにだそうと思えば、エースさんは珍しく家に入ろうとしない。はて、と思って首をかしげる。いつも時間帯関係なく勝手に上がっては勝手にお茶をいただく彼にしては可笑しい。今更気にしているのかと思えば、そうでもないらしい。

「今日は帰る。」
「珍しいですね。ようやく夜に女性の家に入ることに対して疑問を持ち始めたんですか。」
「いや、それはだな…。まあ、また今度話す。とりあえず今夜は特に戸締まりしっかりしとけよ。」
「はい…おやすみなさい。今日は、ありがとうございました。」
「おう。おやすみ。」

そう言ってエースさんはまた不躾に私の頭を撫でて(やめてほしい)、扉をしめた。言われた通り鍵を全てかける。

「(何か、あったのだろうか。)」

彼の煮え切らないような様子にいささか違和感を感じたが、とりあえずお風呂に入ろうとリビングへと足を運んだ。今日はゆっくり静かな夜を過ごせそうである。



執筆 2015.09.06.

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