「デート?」

扉を開けて俺を見るなり開口一言、目の前の瞳の大きなショートヘアの可愛らしい女はそう言うとくすりと笑った。俺は思わず目を丸くして彼女を見つめなおしたが、何となく視線を反らして彼女の掌の内にあった小さな丸いケースを取ると、それ以上は何も言わずに鏡のある洗面所へと移った。後ろから彼女が部屋に入ってくる気配がしたが、別段気にせずケースのふたを取ると、そのまま少量手に取り馴染ませる。鏡に映った自分の顔が分かりやすくどこか浮ついたような顔をしていたので思わず自分の手で自分の頬を抓ってしまった。

「さっきサボ君廊下で別れた子って、パーティーでピアノ弾いてた人でしょう?」
「見てたのかよ。」
「たまたまね。」
「りんごって言うんだ。」
「りんごさんね。すごくいい人そう。」
「いいやつだよ。この船には嫌な奴しかいないもんだと思ってたが、随分いいやつに巡り合えた。」
「へーえ。」

洗面所で髪をとかしながら彼女から借りたワックスを手に取り、適量つける。いつもは野放しにされている自身の金髪が、ワックスによって形を整え始めた。リビングで彼女と話を交えながら、自分の顔を見ると、随分嬉々としているように見えて自分でも驚いた。りんごの話をした時の自分は自然と白い歯を見せていたのだ。仕度を終えて彼女のいるリビングへと向かう。リビングではソファの上で紅茶を飲んで新聞を読む彼女が居た。自分の顔を見るなりくすりと笑ったのでむ、とした表情を見せれば、コアラはかっこいいよ、と随分適当なフォローをしてくれた。

「そう言えば、りんごが今度会いたいって言ってたぞ。」
「本当?」
「ああ。今度パーティーで演奏するときにはリクエストを聞いてくれるそうだ。」
「素敵、彼女すっごくピアノ上手だったものね!次のパーティーではうんとお洒落して彼女に会うわ。」
「別に普段通りでもいいだろう。」
「よくないわよ。それに、それはこっちの台詞でもあるんだけどね。」

ストールを巻き直してコートを羽織り、約束の時間まで少しばかり暇なので船内を少々散策しようかなと思案していた矢先、彼女はおかしそうにそう口にした。俺は思わず首を傾げたが、そうすればなおのこと可笑しいのか彼女はクスクス笑ったまま新聞をテーブルに置いた。

「一体なんだよ、人の顔見て笑うなよ。」
「だって、サボ君ブーメラン刺さりまくりなんだもの。」
「はあ?」
「サボ君だって今すごくおしゃれしてるじゃない。」

ね?と言って彼女は笑顔でそう言うとふふ、とまた笑った。自分でも随分無意識だったが、確かに彼女の言うとおりであると確信したと同時に少しだけ気まずいような、恥ずかしいような気持ちがした。思わずまた眉間に皺を寄せて彼女を見下ろせば彼女はにっこりと笑った。

「もう出かけるの?」
「…ここに居たらずっと笑われるからな。でるとき鍵かけとけよ。」
「はいはい。いってらっしゃい。お土産まってるね。」

すたすたと出口に向かって歩き出す。扉を開けて廊下に出た刹那、そういえば、という前置きの次に後ろから幽かに「デート否定しないんだ」、という彼女の可笑しそうに笑う声が聞こえたので、聞こえないふりをして扉を閉めた。






「サボさん。」

名を呼ばれて後ろを振り向けば、そこには今朝とは違った服に身を包んだ女性が立っていた。今朝はレースの布を肩に掛け、敬虔そうな黒い服を纏っていたが、今は随分若々しく彩のある服を着ている。頭上では春島のような穏やかな日差しが差し込み、秋の小春日和のようなうっすら残る熱を感じさせた。からりとした南風が甲板を吹き抜け、目の前の彼女の被る帽子を揺らした。

「いい天気だな。」
「ええ。ここはいつもすっきりした天気なんですよ。行きましょう。」

にこりと笑って彼女はそう言ったので頷いて船を後にする。島は郊外に行けばいくほど古い街並みが広がっているらしく、都市部は白い外壁の建物が並んでいた。町は傾斜があり、中央にはこの島の政治の中枢である随分古めかしい議事堂がてっぺんに聳え立っていた。観光客が多いのか、道路は舗装され、路面電車が通っていた。活気に満ちた港を抜けて、目の前の彼女に従いゆっくりと進んでいく。目的地の郊外の屋敷に行く前に、都市の散策と昼食をとる予定である。

「本当に音楽家が多いんだな。」
「ええ。小さな子供たちが演奏することもありますよ。80のおじいさんも現役で引いてますし。」
「良い街だな。」

街角からは何やら聞いたことのある様なメロディーが始終流れていて、一町一町歩くごとに様々な音楽が入り混じっていた。立ち止まって聞き入る者や、横目に聞いて通り過ぎるもの、オープンカフェでお茶がてら音楽を堪能する者、実に様々だ。入り組んだ裏路地を抜けて、面白そうなお店や食べ物屋さんを覗いていく。途中、出店の新鮮なジェラートを食べたり、この国で流行だという聞いたことのない果物のソーダ水を飲んだり、全くの観光気分である。そうこうしつつも彼女は議事堂傍の展望台に案内するのだと言って時には俺の手を引いてずかずか歩くのだった。恐らくその時の彼女は無意識的だったのかもしれないが(というのも手を引いて歩き出す彼女のその横顔が遊びに熱中する少女のような表情をしていたからだ)、傍から見れば俺たちは恋人そのものなんだろうと思うと、少しだけ不思議な心地がした。そんなことをぼんやり思っているうちにも、彼女はどんどん街の中心である上へと進んでいった。

「あ、あれに乗りましょう。」
「あれか?俺はいいが、満員だぞ?いいのか?」
「ええ。此処からは特に急な坂だから、路面電車に乗った方が早いわ!」

そう言ったか否か、彼女は走り出すと坂を上り始めた満員の路面電車の方へと駆けより、後方の出入り口のわずかな足場に飛び乗った。スカートが翻り、パンツが見えそうになるのもお構いなしで、まるで少女のような振る舞いに思わず笑みが零れる。ピアノを演奏しているときの彼女とは別人のようだと思った。俺も彼女に倣って路面電車に飛び乗り、何とかバランスを崩して落ちないように手すりにつかまる。彼女が落ちないように自分と手すりの間に彼女を腕で挟めば自然ととても距離が縮み、彼女の揺れる髪が幽かに頬に当たり、ほのかにその香りが鼻孔を掠めた。

「これに乗ればすぐに議事堂横の展望台に行けますから、暫く我慢して下さいね。」
「ああ。それにしても、見かけによらず随分冒険家なんだな。」
「え?」
「まさか君がスカートも気にせず走り出すとはな。」

ゆらゆらと揺れながら坂を上る路面電車は、傾斜にも負けじと展望台をひだたすら目指してどんどん進んでいく。路面の横には店が並び、とてものんびりとした雰囲気が漂っていた。路面電車が通り過ぎた後にはそのあとを追いかけようとする子供の姿や、鉄道を横切る猫の姿が見えた。

「そうですか?こう見えても施設では一番のじゃじゃ馬で有名だったわ。」

クスクス笑って白い歯を見せる彼女を見て自分も笑う。あの夜見た彼女はドレスを纏っていたせいか幾分も大人のように見えたが、今は年相応の若若しい女性であった。街の至る所に生える木々のようにその白い四肢をめい一杯伸ばし、その生命力をみなぎらせている。年頃の娘だというのに背伸びをしないその姿に素直に好感を覚えた。

展望台へ着くと、そこにはたくさんの人間と屋台やお店が見えた。展望台には中央に大きな鐘があり、自分たちが足を踏み入れた途端に大きな音を上げて鳴り始め、十二時を知らせた。鐘が鳴ると無数の鳩が人々の頭上をぐるぐると飛んで行った。

「海もここからだとよく見えるな。」
「ここはこの町一番の高台ですからね。この島に来た人は必ずここに寄って行くんです。」
「にしても、人が多すぎないか?」
「ふふ。今がこの島のベストシーズンですからね。でもこの後行くところは全然人が居ませんから、今だけですよ。」
「そうなのか。なあ、その前にどっかで飯を食わないか?」
「そうですね。もうお昼ですし行きましょうか。あ。あそこのお店、前回行ったんですが、かなりお勧めです。」
「よし、行こう。」

景色もそこそこにすたすたと教えられた店に向かう自分を見て、彼女は呆れたように笑って、それからゆっくりと後追った。

「花より団子ですね。」
「ん、なんか言ったか?」
「いいえ、こっちの話です。」
「?」


2016.02.17.

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