この豪華客船に乗る大半の客はとある国の貴族で、その貴族の中にはその国のリベラルな政治家や活動家を弾圧する過激派保守の者が含まれていた。その過激派保守の貴族たちは、その国の革命家たちを監禁し、酷い拷問に合わせているという。それと同時に、自分たちにあだなす者は女子供でも容赦なく傷つける上、この辺りに潜む海賊と裏取引を結んでいて、多くの税金を横流ししているという(なのでこの船は手を出されずに済んでいるとも言えるのだが)。横流しされているのは金だけでなく、海賊と裏取引で麻薬を売ることで同時に利益を得ていた。この豪華客船はつまり、その取引の場であったのだ。その麻薬は勿論法律的に取り締まりをされているものであるが、貴族が裏で政府の一部の人間と結託し、表ざたにならない様に秘密裏に組織的に栽培しているのだ。貴族たちや賊は裏でその麻薬ビジネスを展開しつつ、時には拷問や強姦の際の道具として用いているのであった。その栽培には政治犯としてとらえた人物やその家族に強引にさせているというから尚驚かされる。挙句の果てには彼らを強引に薬漬けにし、精神的にも肉体的にも自由を奪うのだ。いよいよ見過ごせなくなったというところで俺たちが彼らの解放を手助けすることになった。とはいえ、彼らを屈服させるには十分な証拠と監禁された仲間の正確な居所を知るより他ない。この船はこの海域の諸島を数十日間かけて転々としながら、最後には母国に戻る。その時が一斉解放の時であり、世界にここの貴族たちの悪行を示す瞬間である。しかし、まだこの船はあと数日はのんびりこの海域をクルーズすることになっている。自分とコアラや他の部下の働きにより、想像以上にすんなりと彼らの証拠を集め終えてしまい拍子抜けしたところで、こんなに時間が余ってしまったのだ。全く平和ボケの慢心した貴族程滑稽なものはない。船が母港に着港するまで特にすることもなく、皆各々時間を徒にすごしつつその瞬間を待っていた。そんな時に出会ったのが彼女、りんごであった。




▼▼▼




「(あ、)」

視界の横に見たことのあるウェーブのかかった金髪に思わず視線を向ければ、やはりそれは見たことのある顔であった。今朝は帽子を被っているから最初は気が付かなかったが、目を凝らしてみれば間違いなく彼である。しかし、今は演奏に集中していたせいか、交わった視線をすぐさま離して目を閉じた。パイプオルガンの心臓を揺さぶるような音が頭の裏で反響する。人々の歌声がそれに応えるように厳かに朝の空気に響き渡った。窓の外では庭のカモメが船に並ぶようにゆるく滑空していた。日曜の朝日に照らされた水面が窓に反射した。はめ込まれたステンドグラスからは朝の日差しが差し込んで鍵盤に触れる私の手を優しく照らした。もう一度瞼を開けてちらりと横を見れば、皆が立ち上がった中、一番後ろの席で静かに腰を下ろして私を見つめていた。彼は私と目が合うとにっこりと笑うものだから、思わず私もつられて口元が笑ってしまいそうになるのを堪えて、再び瞼を閉じた。天井に描かれた天使たちが私たちのそのような姿を見てくすりと笑んでいるように思われた。




「…随分にこにこしながら弾くんだな。いつもミサの時はそうなのか?」
「まさか。今日は誰かさんが私を見て笑うんだもの。」
「一体誰何だかな。」

そう言って彼は被っていた帽子をクイッと上げるとようやく傍に立つ私に視線を上げた。そして再び口元に弧を描くとようやく木の椅子から立ち上がった。立ち上がれば見下げていた視線は逆転し、今度は私が彼を見上げることとなった。昨夜見た彼はパーティーに合わせてタキシードだったけれど、普段着の彼を見るのは初めてだった。

「本当に来てくれるなんて思いませんでした。嬉しいです、どうでした?」
「久々に早起きをしてまだぼんやりしてたけど、君の演奏を聴いて目が冴えたよ。」
「それはよかった。早起きはいいものですよ。」

私がそう言えば彼は苦笑いを見せて、それからもぞもぞと胸元を漁るとあるものを取り出して私の目の前に差し出した。

「今日はこれを届けようと思ってな。」
「…なくしてしまったかと思ってました。」
「あの時急いでいたろう。俺のせいだ責任を感じて預かっておいた。」
「いいえ、あなたが持ってくれてて良かった。一応贈り物だからどうしようと思っていたんです。」

そう言って礼を述べると彼の手から木箱を受け取った。傷一つなく昨日のままの姿で戻ってきた木箱は、彼の体温でやや温かくなっていた。教会にはもうすでに人はおらず、先ほどとは打って変わって煙がゆったりと漂い、静寂に満ちていた。静かに燭台の蝋燭の火が、静かにともって朝の日差しと共に私たちを照らした。

「朝ごはんもう頂きました?」
「いや、まだだ。もうずいぶん腹が減ってる。」
「よかったら一緒に頂きませんか。」
「俺でいいのなら喜んで。」

にっこりと彼は微笑むと彼は教会を後にしようと歩き出した。あまり信仰心のないような人がここに居るのは場違いなのかもしれないが、形だけのミサを行って人に優しいことを施さない人よりも、よほど神様は彼のような心優しい人に加護を与えるように思えた。

「いつもテラスで食うんだが、そこでいいか?」
「…ええ。」
「あんまり行かないのか?」
「一階の食堂で済ませてしまっています。一応従業員ですから。」
「なるほど。なら、一階にしておくか?」
「あっ、いいえ。早朝ですし、人もそんなにいなくて空いてるでしょうから。行きましょう。」
「ああ。」

彼はいつも客船の最上階にあるテラスの方で食事を頂いているようで、私をそこに案内した。私はいつも一階の簡単な食堂で済ませてしまうので、ここを利用するのは初めてだった。あまり知り合いに会いたくないのもそうだし、朝食は質素で一向に構わないと思っていたので、このような日当たりのいい場所で食べるのは久しぶりであった。会いたい人は居ないが、あまり会うと不都合な人が人が多くて困ったものだと思うが、恐らくこの時間帯には来ないだろうから少し落ち着いてウェイターに案内された席に腰を下ろした。彼は私をメニューを手渡し、自分もそれを手に思案し始めた。

「あ、そう言えば、お連れさんは大丈夫なんですか?」
「ん?ああ、まだこの時間は寝てるさ。」
「寝坊助さんなんですね。」
「いやあ、普通だと思うぞ。俺だって何もない時は九時過ぎに起きるからな。」
「私はもうミサのおかげで五時前は起きますから。」
「すげえな。ありえねえ。」

ウェイターに一通り注文を済ませると、出されたモーニングコーヒーに口をつけた。目の前のサボさんはスカーフを緩め、同じようにコーヒーカップに口をつけるとふわあ、と欠伸をした。朝の七時を迎えたテラスは存外静かで、これからお客さんが来る様子である。解放されたこの場所では海の様子がよく見えた。

「今日は九時ごろに島に着く予定だったよな?」
「ええ。五日間寄港するみたいですね。大きな町がある島なんです。」
「行ったことあるのか?」
「ええ。三回ぐらい。この船に乗るのはこれで四回目なんです。」
「俺は初めてなんだ。次の島は何か見どころとかあるか?」
「…そうですね。あまりご存じないかもしれませんが、とある有名なピアニストで作曲家が病気の療養で滞在していた島なんです。それで音楽が盛んで、路上ではよく楽器の演奏をしている人がいるんです。コンサート会場も多いですよ。」
「へえ。何か特産物とかあるのか?」
「お酒です。その島のワイン、すごくおいしいんです。山が沢山ある島なので、水がいいらしいんです。」
「そりゃあいいな。何か見て回るところとかあるか?」
「うーん、サボさんにとって楽しいかはわかりませんが…、私が一番好きな場所は、町から少し離れたところにある郊外にあるとあるお屋敷です。赤毛のアンのお話に出てきたグリーンゲーブルスみたいな場所にある屋敷で、そこが、ピアニストが療養中に過ごしたセカンドハウスだったんです。」
「結構いい場所なのか?」
「ええ。静かですし、傍に川があるんですけどすごくきれいなんです。実はそのあたりでワインが作られているんですよ。ブドウの果樹園がたくさんあって、今の季節は丁度旬だから、きっと楽しいですよ。」

運ばれてきた食べ物の量は想像以上に多くて、そのほとんどが彼が食べる御飯であった。サボさんはよく食べるらしく、頂きますと言った次の瞬間にはテーブルパンを丸ごと一個口の中に押し込んでもぐもぐと口を動かしながら、フォークを駆使してハムやソーセージなど肉類を咀嚼し始めた。私は運ばれたスクランブルエッグに塩をふりかけて彼とは相反してゆっくり食べ始めた。

「水が美味いってことは、飯も美味いってことだよな?」
「確かに、あの島のパエリア、すごくおいしいんですよ。」
「やっぱりな。ちょっと出かけてみようと思っているんだが、りんご、もしよければ案内してくれないか?」
「私ですか?」
「ああ。もちろん忙しいなら無理することは無いが、」
「いいえ。もちろんあなたとなら楽しそうだから構いませんけれど、」

ベーコンを切りながらやや視線を下げれば、もごもごと口を動かしていた彼は首を傾げてこちらを見てきた気がした。ぱくりと切れたベーコンの切れ端をかみ砕きながら、少しだけ思案すると、ようやく顔を上げて彼を見据えた。彼は焼けたトーストの耳をもしゃもしゃしながらこちらを見ていた。

「大丈夫です。何時から行きましょうか?」
「良かった。じゃあ、十一時ぐらいでいいか?」
「分かりました。どこで待ち合わせましょう?」
「じゃあ昨夜のベンチで待ち合わせよう。九時前には帰れれば演奏間に合うか?」
「あ、ご心配なく。日曜日はお休みなんです。」
「そりゃあ良かったな。」

ニコリと笑ってサボさんはそう言うとオニオンスープを飲み干した。勘の鋭そうな彼であったが、私の様子に別段何かあったかと問いか消える様子はなく、それ以上は踏み込むような詮索や探る様な質問はしてこなかった。当たり障りのない会話を交えながら滞りなく食事を続けてくれた彼に対して、とても感謝した。


2016.02.14.
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