深夜二時を回ったところで二人でおこたに入ったまま眠って、起きたのは10時過ぎくらいだった。新年を迎えた記念すべき一日目の空気はどこかおごそかで冷たくて心地が良い。最初に目を覚ましたのは私だったので、暫く横になったまま隣で眠る彼の顔を見ていたが、その寝顔はやっぱりちっとも変わっていなくて心底安心した。んん、と唸ってから朝日に頬を照らされてゆっくり瞼を開いた寝ぼけ眼の彼に笑うと、小さく「お誕生日おめでとう」と伝えれば彼は寝ぼけた目を下げたまま、白い歯を見せて笑った。朝日に負けないくらい眩しい笑顔だった。空白の時間を埋めていくような暖かな笑顔だった。私のそれまで止まっていた時間が、歳を開けたと同時にようやく再び動き出したような気がした。嘘のようだけど、本当にそう思えた。




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「それにしても、あいっかわらず汚ェな、この庭」
「…これでも一生懸命定期的に掃除してるのよ。でもあんまり一人じゃ広すぎて…」
「ああ。確かに女一人じゃ到底面倒見きれねえよな。まるでアマゾンのジャングルだ。」
「うん、本当に。」

そう言って彼はしゃがみ込むと足元にあったハコベをぶちぶちと引き抜いた。年が明けたばかりだというのに、彼は大掃除でもする気なのか、軍手をつけたまま黙々と草を縁ぶち抜き始めた。私は庭の方で日向ぼっこをしていた子猫を見つけてそれを撫でて、それから掃除を始めた彼のしゃがんだ背中を見ていた。子猫は警戒を解くと、庭に置いてあった木の椅子に座る私の膝に乗った。野良にしては小奇麗な毛並みの茶虎の子猫だった。縞々が茶黒くて、体が橙色で、本当に虎みたいだ。でも顔がとてもひょうきんで目が大きくキラキラしているものだから、昔子供のころ見たテレビアニメのガーフィールドに似ているなあと思ってエースにそう言えば、エースはじっと膝の上で私の手を甘噛みする毛玉を見ながらうーん、と唸った。そして雑草を一束傍の麻袋に居れて立ち上がった。

「何かそいつを見てるとインドの虎を思い出すな。」
「インドの虎?」
「おう。知ってるか?虎って一口に言ってもいろんな種類があんだぜ。でっけえ奴もいれば案外小せェ奴もいる。」
「インドの虎って大きいの?」
「虎の中じゃ普通ぐらいだな。俺は野生の奴を見たんだ。なかなか人間の近くには寄らねえらしいが、オスで随分老いたジジイ虎だった。」
「おじいちゃんの虎ってどんな感じなの?」
「人間のジジイと変わんねえよ。よぼよぼなんだ。だが人間よりも生きるのは辛ェかもな。狩りが出来なくなっちまえばすぐに死んじまう。あの虎も俺が見たあの後すぐ死んだかもしれねえ。」
「なんでそんなことわかるのよ。」
「分かるさ。もうあの虎は顎が砕けてたんだ。多分最後の力を振り絞って狩りをして、失敗したんだろうよ。」
「……………。」

にゃあ、ところんと膝の上で子猫が鳴いた。ごろごろとのどを鳴らしていて、若々しく生命力に満ちていた。その子の甘噛みを一頻り甘んじて受けて、それからまたエースを見た。

「ねえ、エース。」
「ん。」
「どうして、帰ってきたの?」
「ふ、まるで俺が帰っちゃならねェみてえだな。」
「私はいつだってエースに会いたかったわ。」
「そりゃァ俺だって、」
「何かあったのね。」
「…………」
「エース、隠さずに教えて。」

そう言って立ち上がれば膝の子猫はすっと足元に下りた。そしてすりすりと私のくるぶしに自分の体を擦り付けた。お腹でも空いているのだろう、にゃあにゃあ鳴きやまない。後でご飯を上げようと頭の片隅で考えながら、目は彼をじっと見ていた。エースは少しだけ考えこむように私を見る。その瞳にはいつも明るい彼には見えない憂いが含まれていた。私を数秒間だけ見つめた後に、エースはクイッといつものように口角を上げて笑うと、口を開いた。

「あとでゆっくり話す。結構長い話なんだ。」
「…そう。」
「そういやァさくらの親父さんは変わらねえのか?お袋さんも元気か?」
「うん。お父さんは相変わらず。多分いつもの飲み屋さんで年越ししてまだ潰れてるのよ。お母さんからはさっき電話来たわ。妹と一緒に年越したみたい。」
「お袋さんに直接挨拶はいかねえのか?」
「もう電話で挨拶済ませたし、三日前に会ったばっかりだもの。」
「そうか。ならいいんだ。」
「ええ。もう別居して何年もたつけど、月に二、三回はなんだかんだ合うし、妹が居るから平気よ。」

父と母が離婚したのは私が高校生の時で、高校の卒業式の日だった。父はとても変わった人で、父が経営するゼネコンの仕事は羽振りが良かったけれど、なまじお金を持っているからお酒やギャンブルがまあまあ酷かった。暴力を振ったり借金を作ったりすることは無かったし、娘たちにはそれなりに愛情を注いでいたが、夫婦はお互い冷めきっていた。母は長女である私がもう一人の人間として自立できると高校の卒業を機に確信し、きちんと私に話してから未だ中学生だった妹を連れて隣町のマンションに引っ越した。私は私の意思でこの家にとどまったのだ。父のいるこの家に。彼が帰ってくる場所である、アマゾンのジャングルのような庭のあるこの地に。

「仕事は軌道に乗ったのか?」
「全然、失敗ばっかりよ。仕事で失敗する度に自分は社会不適合者なんじゃないかと思って不安で押しつぶされそうになるわ。」
「はは、手紙でも同じこと言ってたなお前。さくらがそんな様なら俺はどうなるかしれねぇな。」
「エースはどんな仕事でもきっとうまくいくわよ。人に好かれるタイプだもの。体育会系だし。」
「どうだかな。」
「で、エースの方は?楽しいの?」
「おう。俺はぼちぼちだな。まあ、俺の場合自分のやりてえことやってっから不満も何もねえけど。」
「良かった。」

エースはそう言ってもうすでにパンパンになってしまった麻袋を縛ると端に寄せた。彼の頭上の木の小枝の上で雀がひょこひょこ跳ねている。エースは土だらけになった軍手をパンパンと払うと休憩を挟むのか背伸びをした。そしてその直後、思い出したかのように、そういえば、と切り出せば彼はん、と返事を返した。

「ルフィ君とサボたちにはもう会ったの?」
「ああ。年末にな。そう言えば言い忘れてたが、二人ともよろしく言ってたぜ。今年はこっちに帰れねえらしいからな。」
「二人とも忙しいもんね。会いたかったな。久々に皆でワイワイしたかった。」
「いいじゃねえか。俺だけじゃ不足か?」
「そう言う意味じゃないよ。エース君が居てくれてうれしいです。」
「あんまり心に響かねえな。まあ、安心しろよ。ちゃんとあいつ等には色々挨拶は済ませたからな。」

エースはそう言って私を見たので、思わずきょとんとしたが、足元でじゃれていた猫に気を取られてすぐさま視線を彼からそらした。子猫を再び自分の手の中に抱えると、そろそろおやつの時間にしようと歩き出した。エースもお腹が空いたのかゆっくりと庭から離れて私の家の庭へと続く道へとと足を動かした。



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「さくら、俺、父親が出来たんだ。」

夕方になっても父は帰ってこなかったが、お八つの時間に一本だけ留守番電話で、「三が日はダダンんとこで過ごすから、餅もおせちはいらない、お前とそばかすの坊主と食っとけ」、と言うぶっきらぼうなメッセージだけが残っていた。なんだ、お父さんエースが帰ってくること知ってたんだ、とぼんやり思いながら夕飯のおせちの準備をする。重箱をおこたのテーブルの上に載せておせちをお皿に居れている最中、ぼんやりテレビを見ながら子猫の相手をしていたエースが突然そう、切り出した。

「お父さん?」
「ああ。」
「どういうこと?養子になったの?エース。」
「戸籍上ではそうじゃねえけど、まあ、細かい事抜きで考えてくれ。兎に角、俺に親父が出来たんだ。」

エースは然も当たり前のことのようにそう言って立ち上がると、台所に行ったかと思えば冷蔵庫からビールの缶を数本持って、それからまた炬燵の中に入った。子猫は今度は私の膝の中で静かになった。ぷしゅ、という軽快な音が鳴る。きょとんとする私を彼は横目で捉えると、ほれ、と言う風に開いていないビールを私に手渡した。言われるがまま私も開封して、それから乾杯よろしくお互いの缶をぶつけた。

「随分突然な話ね。」
「お前にとっちゃァそうかもな。俺はもう結構前の話だ。」
「…エース手紙も電話もろくに寄越さないから。」
「悪ィ。だからこうして戻って直接話そうと思ったんだよ。」
「それを話すために私に会いに来たの?」
「それだけじゃねえけどな。お前に会いたくなったし、言いたいことがあって会いに来た。」
「…ふーん。」

ちびちびと缶ビールを飲む私に比べてエースはどうやら今日はペースが通常よりも早いように見えた。少しずつ彼の言う“親父”さんとやらについて知りたくて質問を投げかけようとしたが、彼のお酒のペースの速さといい、いつもの睡眠といいなかなかタイミングが合わなかった。そうこうしているうちにエースは出来上がったのか、あんなに重箱一杯に詰めたおせちも全部平らげ、テーブルの上には七、八本の缶ビールの空き缶が転がっていた。長旅から帰ってきたばかりの彼にきついことを言うのも何だと思ってあまり加減するように言わなかった私にも非があるが、これは流石に不味いかもなあとぼんやり思って彼の背中に手を添えて顔を覗き込んだ。案の定彼は既に出来上がっていて、まなじりや耳たぶがとても真っ赤になっていた。目もとろんとして眠そうである。

「エース、お水。」

そう言って傍のグラスにミネラルウォーターを注ぐと彼は素直にそれを受け取りごくごく一気に飲んだ。そしてそのグラスをテーブルに置くと、それから傍にいた私をじっと見つめた。子猫はすでにソファの上で静かに丸くなっていた。テレビの雑音と廊下にある大きな古い振り子時計の寝ぼけたような音だけが家に響いている。他はひどく静かだ。

「…………。」
「……エー、」

す、と彼の名を紡ごうとした刹那、ごく自然に彼の瞳が目の前まで来たかと思えば、彼の名前を紡ごうと開かれた唇を塞がれた。暫く動けず、でもお互い離れる気は無かった。キスをしながら、彼は静かにわたしの手を握った。冷たい私の手に比べて暖かくてとても大きな手だった。エースと最後にキスをしたのは、彼がここから旅立った夜で、それが最初のキスだったと、ぼんやり思いだした。


2016.01.16.

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