「とっとと入れよ、アル中」
「うるせえな、」

ちりりんという扉の鐘がなり、バタンという音とともに扉がしめられた。ダダンさんの一言でようやくこの空間の時間がまた動き始めたようだった。隣のルフィはしばらくじっとその男を見ていたが、何事もなかったかのようにごっくんとお肉の塊を飲み干したのち、ああ、と思い出したように口を開いた。

「さくらのおっちゃんか。元気だったか?」
「ああ。相変わらずこれがねえと震えが止まらねえくらいには元気だ。」
「おっちゃん病気なのか?」
「ただの高血圧だ。暴飲暴食続けてりゃあお前もそのうちそうなるさ。」

よっこらせとルフィの隣に腰を下ろすと、お父さんは当たり前のようにそばにあったボトルに手を伸ばし、勝手に湯呑をとってそこに注いだ。すでに店の喧噪は取り戻されていて、みんな何事もなかったかのように各々話しを再開していた。

「ほどほどにしとけよ。」
「なんだ、小言爺もいたのか。」
「お前ほどじゃないがな。娘の恋人をぶん殴るほど儂は親ばかじゃないんでな。」
「………。」

私の傍らのガープさんがそういうと男はだまたまま湯飲みを口につけて、不機嫌そうにダダンさんに向かって「浅漬け」ぶっきらぼうにそういって、乱暴に灰皿を手に取ると煙草を口に咥えた。私は思わず眉をひそめた。

「…煙草はやめたんじゃないの?」
「久しぶりに吸うんだ。」
「本当に?」

思わずダダンさんを見れば彼女は肩をすくめた。まあ、控えてはいるらしい。突然の登場に待っていたはずなのになんだか調子が狂うような気がして、そういえば実の父親に合うのは新年明けてから初めてだと気付いた。痩せた、気がする。確かに酒は飲んでいるけど、浅漬けだけ頼んでおとなしくそれを咀嚼しているのだ。私がもう少し子供の時は平気で肉だのなんだの食べていたのだ。ある意味成長かもしれない。

「商売はどうなんじゃ?」
「ぼちぼちだな。」

父親がそういえばガープさんは私と目を合わせてにたりと笑った。うまくいってるらしいな、小さくそういって彼は二カッと笑った。

「女房には会っとるのか。」
「あうわけねえだろ。その代りしっかり養育費はもらわれてるがな。」
「当たり前じゃ。女房は知らんが、自分の娘がおるじゃろ。」
「元気ですよ、相変わらず。妹も父と同じで口が達者だし、母も病気一つしやしませんから。」

私が間に割ってそういえば父親は黙ったまま浅漬けの大根をかじっていた。ルフィは隣で牛筋をかき込みながら、私たち親子の間で奇妙なやり取りを聞いているのか否か、時折私をじっと見た。そしてうーん、と何かを考え込んだのち、あ、と思いついたように目を見開いた。

「なあ、お前ら、喧嘩でもしてんのか。」

そういわれて思わず目を見開いて驚いたが、父のほうは別段気にしないのかごくごくと湯飲みを傾けるだけだった。いや、喧嘩をしているわけじゃない、と言いかけて、それから思わず口を噤んだ。たしかに喧嘩なんてしてないし、別に仲が悪いわけじゃない。父にはいろいろな面で怒ってはいるけれど、なんか違う。でも確かに会話はぎこちないし、まるでかみ合っていない。なんでだろう、とぼんやり思い起こしたとき、突如後ろから聞きなれた声が耳に届いた。

「ルフィ、悪いが席を変えてくれねえか。」
「ん、別にいいぞ。」
「エース。」

すまねえな、彼は大事な弟にそう言ってどっかりとっ私と父の間に座ると、私に視線を合わせてにかりと笑った。その手には先ほど持っていた焼酎の瓶が握られている。それをどすんとカウンターに置くと、ダダンさんにおちょこを頼んだ。

「おっさん、血圧高ェのか。」
「………。」
「あんまり興奮したらやべえんだよな、そういうの。この間は悪ィことしちまったな。」
「お前こそ、おかげでいい顔が台無しになったな。」
「もう治った。あいこだ。」

不穏な茎が流れ始めるかと思いきや、ずいぶん淡々とした空気に正直拍子抜けしてしまった。エースは何事もなかったように酒瓶を開けると酒の蓋をテーブルに転がした。エースは手渡されたおちょこを手に取ると、そのままどぷどぷそそいで乱雑に父に手渡した。私はつくねを口にしながらその様子を黙って見届けていた。とても静かな時間で、周りの喧騒がうそのようだった。父はちろりとそれを見て、それからそっけなくキュウリにかじりついていた。エースは別段気にする様子はなく、自分の分とそれからいくつかおちょこに酒を注いだ。私はその様子を横目で見ていたがやがて足に違和感を感じて今度は視線を下に移した。下にはぐるぐる喉を鳴らすかわいらしい毛玉がいつの間にかそこにいたので、思わず手でそれを拾い上げると膝の上に乗せた。


「おっさん。」
「なんだクソガキ。」
「インド行ったことあるか。」
「ねえよ。」
「タイは。」
「ねえな。」
「ベンガルは?」
「どこだそりゃ。」
「まあ、いい。とりあえずすっげえ暑くて、すげえジャングルなんだ。隣の庭みたいにな。」

エースがそういえば父はああ、という風に鼻で笑った。父は仕事で海外に行くことはわりに多いけれど、いつも中国や韓国、シンガポールぐらいで、なかなか亜熱帯の地域に行くことはなかった。というよりも、もともと東北の人間だから、暑いのは苦手なのだ。
父はこんな見てくれでこんな性格だから見えないかもしれないが、とても子供が好きだった。小さいころは休みによく●ズニーランドに連れて行ってくれたし、川や海、山にも連れて行ってくれた。時折、暇そうにしているエースたちを見かければ、こっそり彼らもどこかにつれていってくれたこともあるらしい。けれども、夏休みの間はあまり外に出たがらなかった(外の仕事もしたがらない)。仕事もせずのんびり家で涼んでいる父の背中にを幼心に不思議に感じた私は、かつて父に問いかけたことがある。なぜ夏の間は動かないのか、そういえば父はクーラーに当たるアザラシのような背中をもそりと動して、一言、「暑いのは好きじゃねえ」そうぽつりと言った。

「もったいねえな。結構楽しいぜ。特にタイ。金持ってんなら一回行ってみればいいさ。」
「暑いのは好きじゃねえ。」

ほら。思わず眉を寄せて今度は私がグラスの中のお酒をあおった。

「俺は暑いのは平気なんでな。ジャングルも嫌いじゃねえ。草木があほみたいに生えているのを見るとあの庭を思い出すんだ。」
「あの庭片づけたあのお前か。」
「ああ。きれいになったろ。見たのか?」
「ちらっとだけな。」
「へえ」

エースは酒の注がれたおちょこを回すと最後に私に手渡して口元に弧を描いた。私は彼の真意がわからなくて少しだけ眉をひそめた。

「いつだったか、ジャングルで一匹の虎にあったんだ。その虎、今のおっさんに似てるぜ。」
「何の話だ。」
「まあ聞いてくれよ。そいつは年老いていて、あごは砕けて満身創痍だったが、俺を見る目は俺に引かねえくらいギラギラしてたんだ。虎ってのは老いてもいいもんだなと思ったよ。」

そういってエースは私の膝に載っていたトラの首根っこをつかむと、カウンターの上の、父の目の前に乗せた。急にカウンターに乗せられたトラは驚いて目をまんまるにしながら、にゃあにゃあ泣き始めた。

「おっさん、しばらくこいつとあの庭の面倒見てくれねえか?」
「藪から棒に何言ってやがる。ふざけてんのか。」
「大まじめだ。」

エースはそう言ってにっかと笑った。

「一年後には随分立派な虎になるぜ、そいつ。おっさんはいよいよジャングルであったあの爺虎になってるかもしれねえな。」
「そんなに俺を殺してえのか。」
「逆だ。だからこいつを預けるんだ。」

気が付けばエースの注いだおちょこは皆にいきわたり、さっきまでテーブルでのんびりまどろんでいたサボもルフィの隣で烏賊の酒蒸しをほおばりながらおちょこを手に取っていた。ガープさんも、ダダンさんも。


「一年たちゃあこのちびも見違えるだろうし、あの庭がまたジャングルにならないようにおっさんが管理してくれよ。」
「何を勝手に進めてやがる。俺は面倒見ねえよ、こいつもあの庭も。」

怒ったように、半分あきれたようにそう声を上げた父にエースはもう一度静かに笑うと、少しだけ声を落としてまじめに口を開いた。

「頼んだぞ、おっさん。生きててくれねえと困る。」

うっかりすれば聞き逃してしまいそうな声で彼はそう言って、エースは少しだけ静かに目線を落とした。それから私と父におちょこを無理やり持たせると乾杯の声を上げた。その直後、にぎやかだったこの店の雰囲気がひときわ一層華やいだ。おちょこやグラスがかちかち鳴り響く音と一緒に、トラのにゃあにゃあ泣く声がシンクロして夜のひんやりした空気に溶けた。



2016.08.30.





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