「本当についていくとは驚いたな。」

カチンとグラスを傾けて、開口一言そう言って目の前の男はにこりと笑ってグラスに口をつけた。店内は見知った顔しかなく、先ほど遅れて暖簾をくぐってきたガープさんはダダンさんに一番高い酒を出させてぐびぐび飲んでいるし、その横では麦わら帽子がダイソンのごとくお通しの煮込み肉を飲み物のように飲み込んでいた。その横のそばかすも然りであるが、時折意識を失ったかと思えばお皿に顔面をつっこんでいた(いつもの)。

「仕事までやめてね。」
「意外と思い切りがいいよな、さくら。」
「だってさー、一年だよ?」
「まあ、一年じゃあな。でも相談くらいすればよかったんじゃねえか。」
「そんなのやるだけ無駄よ。町の小さな会社なんかじゃ取り合ってもらえないし、正直どうなるかもわからなかったから。」
「はは、まるでこれから命懸けの大冒険に行くみたいだな。」
「大げさでもないわよ?南極なんだから。」
「確かにな。冷静に考えてすげえな。」

冷静に考えなくてもすごいけどね、そう言いながら枝豆をつまめばサボは確かに、と再び言って笑った。ネクタイをだらしなく緩めてグビグビとお酒を飲みながらおつまみと料理を平らげつつも、彼は私に何か言いたげなのはよくわかった。サボは昔からこの三人の中でも人に気を使うのがうまかった思う。多少ビジネスライクな面があることは否定できないし、この三人とも自由人なことには変わりないけれど、生まれがいいせいか賢かったし、いまでも一番まともに世間に馴染んでいると思う。彼は空になった私のグラスに瓶ビールを入れるとまた飲むように促したので、私も素直に礼を述べて飲み込んだ。

「お前、写真またやりなおすんだろ。」
「もう言いふらされてるし。」
「いいじゃねえか。エースも嬉しがってんだよ。エースはお前の写真好きだからな。俺もお前の写真好きだよ。なんだか淋しい感じとあったけえかんじがするんだ。」
「それは光栄ね。」
「本当に言ってるんだぞ。才能だな。」

調子のい言葉を並べてドヤ顔を見せる目の前の男にくつくつと笑えば、サボも白い歯を見せた。膝の上では子猫が静かに寝息を立てている。こんなに賑やかでうるさいというのになんとものんきな子猫だ。窓の外にはうっすら月が見えた。

「まあ、やりてえことやって生きる方がいい。」
「…そうだね。」

ふと視線を上げればいつの間にか横には先程までカウンターで食すことばかりに千円七たはずの見慣れた男と目があった。男の手には大きな一升瓶と握られている。よっこらせとおじさんくさいセリフを吐いて一升瓶を横に置いて腰を下ろすと、彼は私の横に座ると無遠慮にてーぶるの瓶ビールに手を伸ばすと、私の空になったグラスにそれを入れて無遠慮に飲み始めた。サボはそれをみて再びニコニコ笑うと口を開いた。

「なんだエース、もう酔ってるのか?」
「いや、まだだ。まだ酔えねえよ。これからだ。」

エースはそう言うと一気にビールを飲み干して、直様ビールをからにした。サボはそれを見てケタケタ笑うとダダンさんに瓶ビールを二本注文した。各々自由人なので、エースは席に着いたかと思ったその直後にエースはテーブルの上にあったつくねをモサモサ食べ始め、サボはサボでしばらくグダっとスマホをいじり始めたかと思えば、私の膝の上の子猫に気がついて其れを寄越すようにしじすると子猫と戯れ始めた。

「名前は?」
「トラ。」
「安直だな。」

サボがそういえばエースはニヤリと笑った。私は私で追加注文した明太きゅうりを咀嚼するのに忙しかった。

「なあエース、南極に行くまでどんくらいかかるんだ?」
「そうだなー、こないだ行ったときは三週間かかった。」
「随分かかったなァ、」
「なかなか天候がよくねえと行けねんだよ。」
「そんなに過酷なのか?」
「好き好んで行きてえって奴は少ねェよ。」

そう言って白い歯を見せると、エースはサボのグラスにドバドバとビールを注ぐ。確かにそりゃそうだとサボと一緒に感心しながら、私たちも小さく笑った。

「…………、」

サボとエースがなんとなく二人で話したそうにしている雰囲気を察知して、私はそれとなくお手洗いに向かうと、そのままカウンターへと移動した。カウンターに向かえばそれまで食べ物に集中したりカラオケに忙しかった面々が急にバッと私に注目し、あれよあれよという間に真ん中の席へと移された。両端にはいろんな意味で危ないおじいちゃんと青年をはさんで、である。

「さくら!お前ニートになってエースと南極行くんだってな!」
「うーん、間違ってはないけど言い方なんとかならないかな?」
「結局さくらはエースのものになったか…お人好しにも程があるぞ。」
「それもなんだか言い方がなあ…」

とんでもない家族に対峙することになったが、日頃の感謝とねぎらいを込めてお酒を継いであげればガープさんは喜んで一献飲み干した。タバコを吸いながらカウンター越しのダダンさんはこちらを見ると肩をすくめた。もうガープさんの横暴なお小言タイムも終わって一息ついている様子である。それに小さく笑って、それからテレビを見ながら焼きうどんに食らいつくルフィに口を開いた。

「そういえばルフィはこれからどこに行くの?」
「ん。特に決まってね。」
「そうなんだ…。そういえば単位は足りてたの?」
「ぎりぎりな!ナミたちにいろいろ助けてもらってな!」
「通常運転だね。」

やっぱりみんなに助けてもらってんだろうなーとは思っていたけれど、最後の最後まで彼はお友達にお世話になったんだろう。なんだか笑えてきて肩を揺らせば、ルフィはキョトンとした表情で私を見据えた。

「そういやァ南極にエースが行っちまえば、さくらともしばらく会えなくなるな。」
「そうだね。一年間ずっと南極にいるわけじゃないらしいけど、エースが一年くれって言うから。」
「一年も何するんじゃ?」
「それがわからないんです。でも必ず南極には行くって言うの。それが最初に行くのかも、最後に行くのかもわからないんです。」

普通そういえば常人なら「ええー!」と驚くところであろうが、この親子のすごいところは「ふーん、」ですむところである。ちなみに横で聞いていたダダンさんは引き気味な顔で私を見ていた。横目でエースとサボを見れば、いつもの様子でゲラゲラ笑いながらお酒を飲んでいた。どうやらもうまじめな話も終わったらしい。

「でも、もう引き返せないし、いい機会だと思って思い切り羽を伸ばそうと思ってるの。カメラのブランクがあるから、いろんなところに寄れればいろんなものを撮れるでしょ?帰ってき来る頃には腕が上がってるようにするわ。」
「…そうか、写真か。」

しみじみとそう言って横のガープさんはおチョコを傾けると私に視線をよこした。そして私と目が合うとにっこり笑った。

「お前の親父も喜ぶだろうな。」

思わぬセリフに持っていたグラスを落としそうになったが、何とかテーブルに落ち着けた。次の瞬間、ごーん、という鈍い壁掛けの時計の音が響いて、夜の23時を迎えたことをわたしに知らせた。

「そういえば来ねえな、あのバカ。」

ぼそりと目の前で瓶に直接口をつけながらダダンさんはそういって空になったアサヒの瓶を無造作に置いた。私は静かにグラスに口をつけて、それから注がれた生中をダダンさんのように飲み干した。ぬるくなったビールはすぐさま花を通過して私の胃の中に進出していく。もう来ねえじゃねえすか、親父さん。どこからともなくダダンさんの言葉に反応するように店の誰かが答えた。何気なくちらりとテーブルの上のスマホを見たが、うんともすんとも言わなかった。ルフィはもう私の隣には収まることはなく、エースとサボを相手にまたどうしようもない遊戯に急がしそうだった。

「来る。」
「え。」
「心配せんでも来る、あいつは。」

ガープさんに向ければ、彼は何事もなかったかのように焼酎のロックをごくごく飲んでいた。その横顔はどこか嬉しそうな、いたずらを隠そうとしてはにかみを我慢する顔にも見えた。ダダンさんは私と目が合うと首を傾げた。周りを見渡せば、宴も酣で、みんなほんのり頬を上気させて、やんややんや楽しそうだった。時刻はもうすぐで十二時を回ろうとしている。カウンターの向こう側の棚におかれた間の抜けたような招き猫や赤べこの置物が、そんなにぎやかな空気の中で一定リズムを保ちながら首や手を降っていた。両手でグラスを握ったまま、しばらくそれを眺めながら時間が過ぎていった。みんなの笑い声やお皿やグラスの音が間遠に聞こえて、このまま意識を失いそうに思えた。

「来たぞ。」

十二時を知らせる時計の音が聞こえたかと思えば、隣から聞こえた男声にはっとする。その瞬間、扉の開く鈍い音が、時間を知らせる時計の音と重なった。お店に一瞬だけ静寂が訪れて、それからみんなの視線が扉の向こう側に注がれていった。どこからともなく緊張感のような空気が顔を出し、それからみんなの視線が扉の前の人物とわたしに交互に注がれていくのがひしひしと分かった。扉の人物と目が合うと思わず瞬きをしてしまった。

「…パパ。」

静かにつぶやいたつもりの声は、不思議とこの空間に凛と響いた。



2016.08.14.

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