駅地下の本屋さんに足を止める。暫く迷って結局自動ドアを抜けて、そのまま店内の奥へと入って行った。午後六時を過ぎた駅は帰省ラッシュの社会人や学生たちでごった返していた。今流行の漫画の新刊が出ているのを確認し、いつも買っている写真雑誌を手に取り、小脇に抱えながら、ふと、思い出したかのように足を止めた。

「…あの、すみません。」
「はい。何でしょう。」

傍の、ハードカバーの新刊本を棚に綺麗に並べていた学生アルバイト風の男性に声を掛ける。茶髪で髪の毛は若干いたんでいるのかちりちりで、申し訳ないがあまりその彼が並べている純文学の本とは縁遠そうな雰囲気を持った今どきの青年だった。彼は私を見るなり動かしていた手を休め、体を上げた。私はそれを見て彼と目を合わせると、少しだけ気恥ずかしくなってあのう、と控えめな口調で話し始めた。

「…南極についての本って、あったりします?」

私がそう言って苦笑いすれば、彼は首を傾げてぽりぽりと頬を掻いた。



▽▲




「何だよ、出かけるなら言えよな。」
「エース寝てたから。」

エースはこんな寒いというのに長そでを腕まくりして、首にはフェイスタオルを巻いて手には軍手という昨日と全く同じスタイルで彼曰くアマゾンの庭でせっせと草をむしっていた。よく見れば大きな麻袋が三つも四つも転がっている。

「精が出ますね。」
「全くだ。とってもとっても変わらねえよ。」

彼を一先ずおいておいて、荷物を置こうと自分だけ先に家へと入った。ブーツの紐を緩めておれば、子猫がリビングから現れて私を見るなりマフラーを伝って背中によじ登ろうとしてきたので、片手で子猫を下ろすと荷物を持ってキッチンへと向かった。キッチンへと向かう途中、固定電話に留守電が入っていたので、キッチンに入る前に再生ボタンを押す。機械的な音とともに再生されたのは、案の定聞きなれた低い男性の声だった。

『今日はダダンとこに泊まる。そのまま仕事に行く。飯はいらねえ。というよりも坊主が居る限り俺ァ当分帰らねえ。何かあったら坊主に頼みやがれ、俺は知らねえ。お前ももうガキじゃねえんだ、わざわざ俺の心配なんかして店に電話かけんじゃねえよ。いい笑いものじゃねえか。………………分かったら、南極にでも、宇宙にでも、坊主と勝手に行きやがれ。お前の人生だ。』

「………。」

白菜を袋から取り出して思わず静かに固まる。視線はキッチンの扉から見える固定電話の方を向けたまま、暫く黙っていた。酒やけの酷いしわがれた男声が一通り好き勝手言ったかと思えば、ぷつん、とまた無機質な温度のない器械音が鳴り響いた。子猫はもう此処には居なかった。浮遊していた意識が再び戻ったのは、にゃあ、という高い声によってだった。気が付けば自分のすぐ横には子猫を腕に抱いたそばかすの男が立っていて、じっとこちらを見ていた。私と目が合うとゆるく口元に弧を描いた。

「…お父さんに話してあったのね。」
「一応大事な箱入り娘を預かるからな。南極だしよ。」
「まさか、そのほっぺたの傷…?」
「ああ。」

そう言って彼はにっかりと笑うと白い歯を見せた。まさかこの傷は自分の父親によるものとは全く持って思わなかったのだ。思わずため息を吐けば、エースは頬をさすりながら何故か上機嫌で続けた。

「そう溜息吐くなって。喜べよ、それ位ェ親父さんはお前を大事に思ってるってことだぜ?」
「…だとしても、立派な傷害よ。本当にどっちもあほなんだから。」
「ははは、ひでえ言われようだな。それにしても、お前の親父歳いってる割にはいいストレート噛ますよなァ。」
「知らないよ、もう。」

ふん、とそっぽを向いて持っていた白菜を棚に置くと、手を丁寧に洗い、そのまま夕飯の支度を始める。鍋を用意し、袋の中から豆腐とお肉を取り出す。リビングのソファに子猫と共に寝そべっているエースの背中を見ながら再び深いため息が出た。その溜息が聞こえたのか、エースは子猫とじゃれていた手を止めてこちらを振り向くと、再びにやにや笑ったので思わずまたむっとした。思わず握っていた包丁に力を入れてザクっ、と白菜を力いっぱい切った。

「…何が“親父さんとお袋さんは元気なのか?”よ。私よりも先に会ってたくせに。」
「悪かったって。でも、あん時言ったらお前すげえ怒ると思ったんだよ。」
「あん時でも今でも怒るわよ。」
「じゃあなおのことあの時言わねえで良かった。じゃねえと今頃その包丁で追い掛け回されるところだな。」
「…………。」
「…すみませんでした、今のは嘘です、忘れてください。」

私の様子にエースはぴしりと背筋を伸ばすと、今度は伺うような視線でこちらを見てきた。カウンター越しに見える頗る不機嫌な私を見てエースは少し焦り始めたのか、幾分か早口でわざとらしく声のトーンを高く話し始めた。

「そういやァ、さくらの妹も随分でかくなったよなァ。妹はどちらかと言うとあれだな、お袋さんに似てるよ。さくらは親父さんに似たな。」
「そうですか。」
「おう。二重の目とかそっくりだ。聞いたことあるんだが、親父にそっくりな娘は美人が多いんだってな、良かったな、さくら。」
「そうですか。」
「……なあ、機嫌直してくれよ。」

にゃあー、という間延びした子猫の声と同じようにエースは眉を八の字にしてこちらを見た。子猫はやりたい放題で、先ほど私にしようとしたように腕をよじ登り、エースの肩を陣取るとびりびりと爪とぎを始めてしまった。買い足した材料を取り出そうと足元の手提げを漁ってみれば、その拍子に思わず本屋さんで手に入れた南極の本を手に取った。カバーもかけられていないその本は写真集で、絵本のように裏表紙が厚紙で、何となくめくってみれば見たこともない景色が画面を覆っていた。それを持ったままゆっくりと立ち上がれば、ふと傍らに人影を感じた。思わず横を見れば、足音もなくそこに彼の姿があったので思わず驚いて肩が跳ねた。見上げればエースは申し訳なさそうに私を見た。猫はその肩にはおらず、ソファの背もたれに転がっていた。エースは最初何も言わずに黙っていたが、私をじっと見つめた後、そのそばかすの頬をポリポリ書いて、それからぎこちなく私に手を回すと何も言わずに抱きしめた。

「悪かった。」

そして一言、それだけ言うとぎゅう、と私を壊さぬ様に、でも離れぬ様に抱きしめて、それから耳元で小さく呼吸を繰り返した。抱きしめられた拍子に持っていた本が床に落ちてしまったが、彼はそんなことお構いないしで、私を抱きしめ続けた。耐えかねて私も彼の瀬に手を回せば彼は私の肩に自分のあごを乗せた。私もつま先を立てておもわず彼の耳元に唇を寄せた。

「…そうやって外堀を埋めてまで私を確実に連れて行きたかったの?」
「…いや、今更いっても信じてもらえねえかも知れねえが、そんなつもりはなかったんだ。でも、挨拶くらいはしねえと駄目だと思って、お前に会う前に会わなきゃいけねえ奴らにあってきた。最後の最後に一番会いたい奴に会う方が、会った時の喜びが増すだろう?」
「エースも随分女々しいことするのね。」
「女々しいんじゃねえよ。ロマンチストと言ってくれ。」
「はいはい。そういうわけ解らないところはうちのお父さんにそっくりだわ。もういい。許す。じゃないとこれからやっていけないだろうから。」
「そういうさくらの器がでかいところは、お前の親父さんにそっくりだな。どんなにガラが悪かろうが気に入った奴の言うことはとことん信じるし、味方してくれるだろう。」
「私はお父さんみたいに変に義理堅いのとは違うわ。ただの惚れた弱みよ。」

そう言って、目を合わせて笑って、それからキスをする。昨日の夜のとは違う、もっとはっきりとした感触がした。彼と唇を重ねながら、もう、後戻りできないし、しないんだと、瞼を閉じながらぼんやり思った。エースと抱きしめあって、唇を重ねれば重ねるほど、私の運命がどんどん急速に動き出していくような気がした。


2016.02.24.



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