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「あ、ベビー5さん。」
「みかん。」
彼女を見る度に思わずあの腹痛の件を思い出すようになってしまったが、彼女も悪意があったわけではないのであのことは伏せている。私が家に入ろうとしたタイミングで、彼女はどこかに出かけるのかおしゃれな出で立ちで、タバコを咥えた状態で外に出るところであった。ちょうどお菓子のお礼にと彼女にもコーヒー豆を買っていた。
「ケーキありがとうございました。美味しかったです。」
「そう。よかった。実は今から会いにいく人、そのケーキくれた人なの…。」
「そ、そうでしたか。」
ベビー5さんはそう言いつつ頬を赤く染めている。まさかこの人また変な男に引っかかってないよなと思わず額に汗がにじむ。マキノさんの店でもこの人の男性遍歴と恋愛観については散々聴いてるから、なおさら心配であるが、この人ももういい大人だし、まあ、なんとか死ななければそれでいいとドフラミンゴさんも言っていた。結婚詐欺やマルチ商法に散々引っかかってるって聞いたから、今回のケーキも多分売れなかったお店のケーキを変な男性から大量に買わされたのかもしれないとよからぬ予想が頭をよぎる。
「…みかん、お腹痛くなったりしなかった?」
「えっ、全然!なんでですか…?」
「…いや、ならいいの。」
心当たりあるんですね。という言葉が思わず出てきそうになったが、すでに世の中の悪い男達に騙されて傷ついている彼女にこれ以上苦しませることなどできない。多分彼女も同じ苦しみを味わったのやもしれないし。
「あ、そうだ。お礼と思って今日スタバに寄ってきたんですよ。コーヒー平気ですよね。」
この部屋の下見の時にタリーズでブラックコーヒーを頼んでいたぐらいなので彼女も結構苦いの平気だろうと踏んで買っておいてよかった。
「いいの?本当に大したものどころか、その、あんなケーキだったのに…」
「何を言うんですか。美味しかったですよ(味は)。でも、あんまり甘いもの食べるのはよくないんで、気をつけましょうね、お互い。」
彼女は袋を受け取ると、玄関口の棚にそれをおいた。ちょうどコーヒーを切らしていたらしいので本当にナイスタイミングだったと言える。
「あの、た、楽しんでくださいね。」
「ありがとう、行ってくる。」
「いってらっしゃい、気をつけて…。」
色々な意味で、という意言葉は心の内だけにして、彼女がそのままエレベーターに向かおうとした刹那、彼女と相対してエレベーター側からこちらに向かってくる背の高い黒い影が見えた。
「あ、」
それは間違いなく見覚えのあるシルエットで、思わず緊張が走る。
「ロー。」
ベビー5さんはそう言ったもののローさんは別段挨拶を交わすことなく視線だけ交わしてすれ違うかと思った矢先、彼女の肩ごしに私を見た瞬間、思い出したかのようにベビーファイブさんを引き止めた。
「つうかお前、余計なもん人に贈るなよ。」
「は?何の話?」
「ケーキだよ。お前んとこのケーキでアイツが迷惑したんだよ。」
さあああと血の気が引いて行くのが分かり、思わずいてもたってもいられず思わず彼女たちのもとに駆け寄った。ベビーファイブさんはえ、といった困惑の表情を浮かべる。やばい、このままでは喧嘩に発展するのではという危惧である。
「ケーキって……それはどういう、」
「だから、手前ェが寄越したケーキで那津が、「あああああ!ローさんちょうど良かったぁあ!おかえりなさい!!」
「っな、おいお前、何すんだよっ」
「ローさんにも豆買ったんですよ!」
「何の話だ!?」
ぐいっと彼の腕を両の腕で掴んで引っ張ると、とりあえずぐいぐいと自分の彼のおうちの方へと引っ張っていく。彼は怒号とともに最初は抵抗したが、私がただならぬ様子で起こした行動に何か思ったのか困惑しつつもゆっくりと足を動かした。
「みかん、やっぱりお腹が…」
「ベビー5さん!いってらっしゃい!その人にケーキごちそうさまって伝えてくださいね!」
「……え、ええ。行ってくる!」
頭の上にはてなマークを浮かべるも私の言葉に嬉しそうに頬を染めるベビー5さん。こちらをちらちら見つつ、彼女はカツカツとヒールを鳴らして廊下の奥へと消えていった。
「……おい、」
エレベーターに彼女が乗っていくのを見送ると胸をなでおろしたのも束の間、ゆっくりと視線を上に上げれば鋭くこちらを睨む双眼を目が合い、一瞬呼吸が止まりそうになる。ああ、そういえばペンギンたちがこの人怒らせると怖いって言ってたなあ、と今更思い出した。
一難去ってまた一難
「いや、その、あなたに迷惑をかけたかったわけじゃ、」
と言ってからいい加減彼の腕をはなさねばとハッとしてパッと大げさに話すととりあえずまた謝罪を繰り返した。兎に角折角仲良くしようとしたのに自分から嫌われるようなことを進んでしてしまった愚行に思わず後悔の念が押し寄せる。
「本当にごめんなさい、でも彼女には食あたりのことは伏せてくださいいいあとどさくさに紛れて名前で呼んでごめんなさいいいぃぃぃ(小声)」
「あ?……それよりアイツに食あたりのことなんで言わねえんだよ。」
「それは……。」
「どうせ多方あいつのことだからまた変な男に引っかかって買わされたやばいもんだったんだろ。」
「うう……否定できない。」
「あいつ一人が苦しむんならまだしも、関係ねェんだったら言わねえとまた被害を被るぞ。」
「でも、これ以上ベビーファイブさんを傷つけたくなかったってゆうか…。あの人今まで散々変な男の人に騙されて傷ついてるから、無関係な私までも被害があったと知ったらきっと、余計に傷つくと思って…」
「他人の心配してる場合かよ。実際迷惑被ったろうが。」
全然言い返せねえやと思わず乾いた笑いが漏れる。でもやっぱり言えないなあ、だってあの人の恋愛相談に乗っている身としては、愚直なまでの彼女の姿勢に思わず共感してしまうところがあるのである。それどころか幸薄い彼女を応援さえしたくなるのだ。今までが今までだったから、幸福になって欲しいと思うのである。
「私は結果平気でしたから、それで十分です。……人のこと言えないけど、彼女、幸薄いし、男の人見る目ないし、本当に苦労してるし、」
「おまえ結構言うな。」
「でも、彼女は心に傷があるからかなりの依存症ですが、ただそばにいてくれる人を求めているだけなんで、だから今回のことを彼女に話すのは勘弁してください。なんか今回の男の人、結構優しくしてくれるらしんで。まあ、本当にいい人かはわかりませんが…」
「………。」
もちろん自分の健康も大変重要であるから今度から必要以上に気をつけるつもりだが。
「その、ローさんにはすごく感謝してます。今日はその件でちゃんと挨拶をしようと思ったんですが、それどころか失礼をしてしまってすみませんでした。」
「…いや、俺が勝手にアイツに伝えようとしただけだ。」
「いいえ。あのこれ、スタバの新作なので、よかったら飲んでください。アイスにしても美味しいらしです。じゃあ、これで失礼します。お時間とらせてすみませんでした。失礼します。」
感謝とお近づきの印がよもや謝罪の品になるとは思わなかったが、とりあえず渡せたのでいいだろう。そっと扉を閉じる。扉の隙間から見たローさんが、何か言いたげな顔をしていた気がした。そういえばまたどさくさに紛れてローさんって呼んじゃったな。
執筆 2015.09.08.