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「へー。このご時勢そんな親切な男がいるのか。」
「つうかお前隣人とは言えよく素性の知らねえ男の家に入れたな。俺だったら女の子自分家に入れた時点で何すっかわかんねえのに。もうちょい危機感持てよな。」

右隣で呆れたように宣うペンギンに挑発的に人差し指を突き出してちっちっと舌を鳴らしてみせる。左どなりに座っていたシャチはキョトンとしたようにその様子を見ていた。

「ふっふっふ。あんたたちとは違って彼はスマートなのよ。なかなかクールな人だし、背高いしちょっと怖い感じだけど私的にはドンピシャ。」
「てか引っ越し早々何やってんだよお前。」
「てへへ。てか、しょうがないじゃん。病はところを選ばないんだから。」

私がそういえばペンギンは再び呆れた目でこちらを向く。左ではシャチはあふあふとラーメンの麺をすすって額に汗をにじませている。私はきのうお腹を壊したため、自重して油の多くない、女子大生に大人気の健康中華お粥セットを頼んだ。ここの中華料理店の店主はこのへんの大学の学生たちに古くから親しまれており、十何年前のOBOGもよく通ってくるちょっと有名なお店である。学食と同じくらい安い上大盛りにもできるので、授業前や授業後にはよくペンギンたちと来る店の一つだ。テーブル席はほぼ満員だったので、カウンター席の一番奥で固まって本日遅めの昼食をとっていた。

「それに、今朝その男の人に紹介してもらった病院に行って、ちゃんとお薬処方してもらったしもう心配はないし。」

昨夜の私の腹痛の原因は、やはり軽度の食あたりであったらしく、病院に行った頃にはほぼ痛みはなくなっていた。彼の診断も措置も、間違いではなかったと言える。

「てか引っ越したんなら今度上がっていいか?みかんんちで鍋パしようぜ。」
「いいよ。今度引っ越したとこは結構広いからあと何人か呼べるかも。あんま騒ぐとおこられるから黙ってね。」
「よっしゃー。」

前の家では三人来ればもうすっかり部屋が狭くなったが、今の部屋は5、6人読んでも全然平気ぐらいのスペースはある。周りも学生だからあまり派手には遊べないが鍋パぐらいなら許容範囲だろう。お金のない給料日前ともなると一人暮らしのやつの家に行って酒を煽るのが貧乏苦学生たちの定例である。

「てかお前の引っ越したのってどこだったか。区はおなじだろ?」
「そそ。○○駅から十分歩いた先にある、○○町の七丁目の築5年の○△□っていうマンション。」
「え?○○町○△□?」
「うん。」

私が肯けばペンギンは箸を中に浮かせたまましばらくぽかんと口を開け、シャチは麺をすすったまま一時停止した。そして二人共しばし黙ったかと思えば何かを思い直すように中を向き、そして再び私を見た。なんだかその動作に気味悪さを覚えて首をかしげた。

「何さ。」
「あ、あのさ、みかん。お前の引っ越したマンション何回建てだっけ…」
「14階建て。最上階に住んでるよー。いいでしょー。」
「最上階の角部屋から一つ前なんだよな?何号室だ?」
「1402号室だよ。それがどうかしたの?」
「その、因みにその角部屋の人の名前って……」
「名前?苗字しか知らないけど、“トラファルガー”だよ。」

私がそう言い放てば二人はいよいよといった風に息を詰まらせ、そして私の肩ごしに目を合わせると、後に私を再び見た。何がしたいんだこいつら。

「なんなのよさっきから、気持ち悪い。」
「て、てことは、みかんを看病したのはその人なのか?」
「そうだよ。医学部にかよってんだって!すごくない?」

ペンギンの質問に対して喜々として答えれば、今度は隣のシャチがさも当たり前のように口を開いた。

「すげえなんてもんじゃねえよ。あの人は中学の時から秀才で学年トップだったんだから、医学部だって一発合格だったし……」
「へー。どうりですごい人だと思った!

…ところでシャチ君、なんで君はそんなこと知ってんのかしら?」
「え?あ……。俺なんか言ったっけ?」
「よーしそろそろ四限あるし行くかー。」
「そ、そうだな。」

立ち上がろうと椅子を引いた二人の肩を「ガシッ」と両の手でがっちりと掴めばわかりやすくびくつく二人に対ししばし無言のまま手の力を強めた。ラーメンとは別の汗が二人の額に滲んでいるのが分かって、私の不信感は確信的なものに変わる。

「……何を隠してるの?」
「え、何の話?」
「言わねえと解ってんだろうなぁ?」
「…………」
「…………」

ギギギギとブリキのようにぎこちなくこちらを向く二人にどすの効いた声でそういえば、勘弁したのかおとなしく席に戻った。

「洗いざらい全部吐いてよ……?」
「「……はい。」」

事情徴収の始まりである。



世間は広いようで狭い



「もー!知り合いだったんならなんで早く紹介してくれないのさ!」
「簡単に紹介できるようなノリの人じゃねえんだもん。合コンだって尽く断られるんだからさー。」

そう言ってシャチは口を尖らせながらストローを口に含んだ。スタバの新作のなんちゃらフラペチーノとかいうらしい。先ほど試しに飲ませてもらったが私には甘すぎて、やはりスタバはラテに限ると思った。

「違う違う、今はスタバよりも“ローさん”よ!」
「違うだろ、授業だろ。」

ペンギンはそう言って私を尻目にスラスラとノートを取っている。大講義室では少しの小声なら話していても人陰に隠れて見えないし、初老の教授は講義に夢中でそれどころではない。普段適当人間であるペンギンは腹が立つが容量がいいので必修科目はきちんと受ける主義なので成績は悪い方ではない。シャチと私はお察しの通りであるが。もちろん気を使って細心の注意を払いながら小声でみんなの邪魔にならないように話してはいる。空気は読んでいるつもりだ。

「てかあの人なら引く手あまただろうに。まさか、恋人がもういるとか?」
「いや、それはないな。高校の時はいたりいなかったりだったけど、あん時は何か知り合いの変なおっさんにちょっかい出されてて荒んでたからな。告白されて面倒だから放置したら女が付き合ってると勘違いして、でもなんもしねえから自然消滅、みたいなの繰り返してたなー。」
「何それすご。モテモテですやん。」
「それにおじさんとおばさんは医者で大学病院で役員やってたし。今は開業医になって結構でかい病院経営してるぜ。開業医の方が儲かるって言ってた。」
「え、両親も医者なのか…サラブレッドやわ…。」
「あの人は俺たちとは違う世界に住んでるからな完全に。」

ペンギンはさらりとそう言ってノートをとりつつスマホをいじる。シャチは教科書を広げたまま未だストローを口に含んで眠そうにあくびを噛み殺している。私は想像以上の彼のスペックに驚きを隠せなかった。訊けば、ローさんとこの二人は先輩後輩関係で、小中高とずっと一緒だったらしい。おまけに未だに頻繁に合っているらしく、半月に一度は必ず飲みに行く仲で、インカレのサークルも一緒に所属してるらしい。そんな親密だというのに私に紹介してくれるどころか全然微塵も話してくれないとは、薄情にも程がある。

「女は今はいらねえって言ってたからな。」
「そうなんだ……。まさかこっち系じゃないよね。」
「……それ本人に言うなよ。あの人怒ったら相当怖ェぞ。」

ペンギンはそう言って自分のスマホの画面を差し出し、顎で見ろ、と指示した。私は言われるがままに彼のスマホを手に取ると画面を覗く。アイ○ンのアルバムが表示されており、そこにはたくさんの写真が収められていて、見知らぬ顔でごった返している中に見覚えのある顔がちらほら見えた。

「おお!」
「これは今年の春休みの時に行ったペンションで撮ったやつな。一番古いのはこれかな。俺らが高校卒業するとき先輩はもう大学生だったから卒業祝い旅行に連れてってくれたんだ。」
「すげー!ローさんかっこいい!てか二人青くさっ!」
「笑うなよ、しょうがないだろ高校生だったし。でも本当に楽しかったなー。」

思い出に浸るようにシャチはずずずとストローを鳴らす。写真は大量にあり、インカレのサークルの人たちの活動写真が大半を占めていたが、ローさんのそばには大概二人がいたので、プライベートでは本当に仲が良いのだろう。話を聴けば聴くほどローさんは二人を可愛がっているようだし、二人は完全に彼を慕っているのであった。

「やっぱりいい人なんだね。」
「ああ。怒ると怖いけど面倒見のいい人だよ。しっかりしてるし。完全に医者に向いてるよ。」
「なんかもう圧倒的にスペックさを見せつけられて恋愛対象にするには恐れ多く思えてきたよ…。」
「まあ、確かに正直その辺にいる美人でも、あの人と並んだら見劣りするぐらいだから、しょうがねえよ。」

ペンギンはそう言ってスマホを自分のところに引き寄せると先ほど来たラインの返事を打ち込み始める。ここまでくると好きというよりももはやあこがれがまさり始めるから不思議である。まさか隣人がこんなすごい人でしかも学校の友達の知り合いだったとは。運命のいたずらというか、世間は存外狭いものである。

「みかんも顔はまあ可愛い部類には入るだろうけど、正直あの人とは釣り合わねえよ。おまえおっちょこちょいだし。」
「褒めてんだか貶してんだかわかんねえ。」
「でも優しくしてもらえただけいいんじゃね?先輩結構小難しいけど、初対面でそんだけ優しくしてもらえたんならいい方だろうよ。基本近づいてくる女の子無視だからなあの人。」

結構チャラ男なのかと思ったら寧ろ身持ち硬いんだなーと感心する。まああれ程にもなると気が滅入るほど声がかかるからだろう。気持ちは分からないでもない。そうこうしているうちに講義の時間が過ぎ、講義の終了を知らせるチャイムが構内に鳴り響いた。先生の礼と同時にスクリーンに書き出された出席番号を瞬時に書き写し、帰り支度をはじめる。

「あ、ねえねえ。ローさんの好きなお菓子とかわかる?」
「あ?なんだよ急に。」
「今日のお礼しようと思って。流石に感謝の言葉だけじゃ今回の件は申し訳なくてさ。」
「本当にそれだけかよ」

ペンギンにすっかり他意を見透かされているがまあもはや気にすることでもあるまい。この二人との中である。

「甘いものあんまり好きな人じゃないんだよ。」
「つーかあんまりものを口にしないしな。」
「何それ、どうやって生きてんのあの人。」
「お菓子よりも酒なら喜ぶんじゃねえか。」
「確かにキッチンにすごい外国の高そうなお酒いっぱい並んでた。バーみたいだったよ。でも体に毒じゃやないかなそれ。何か他はないの?」

私が聞けば今度はシャチが唸る。教室を出てすっかり飲み干したなんちゃらフラペチーノのからプラスチックを捨てようとした刹那、シャチはあ、と思い出したかのようにプラスチックに描かれた微笑の女神をまじまじと見せつけてきた。

「そういえば先輩は勉強するときによくコーヒー飲むぞ!スタバとかカルディとかよく行くし!」
「マジか。さっきスタバのお姉さん今日から新しい新商品のコーヒー豆出たって宣伝してたよね!アイスにしても美味しいとか言ってたやつ!」

ナイスアイディア!とシャチとハイタッチを交わすと、こうしちゃいられないと先を急いだ。二人はこれからバイトらしいが私は今日はフリーである。

「スタバ寄ってコーヒー豆買って帰るわー。」
「おおー。あんましつこいと嫌われるから気ィつけろよー!」
「あいよー!」


帰る人でごった返す廊下を縫うように進み、転ぶなよーというペンギンの声に手だけ振って答えると、軽い足取りでエントランスへと向かって行った。





「みかんのやつ大丈夫かなー。」
「まあ悪い奴じゃねえしあの人も悪くしねえだろ(適当)」


執筆 2015.09.08.




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