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「えっ、ローさん、引っ越してしまうんですか…?」
「ああ。こんなところ早く引っ越した方がいいと思ってな。」

夏特有の大きなもくもくとした雲が遠くでじりじりと天に広がっていく。そこここに蝉の張り裂けそうな声が響いて病室の窓の隙間からその声をもれなく伝えていた。病室の花瓶に飾られたひまわりの花が自然と太陽を求めてその重たげな首を窓に向けて静かに私たち男女の話を聞き見守っているようだった。

「そう、ですよね…あのマンション、ドフラミンゴさんのだし…」
「俺が借りた頃は別のオーナーだったんだがな。もともと分譲のマンションをほぼほぼ買い取って実質上1棟オーナーみたいになってたらしいな。」
「あ、じゃあ、ローさんあのマンションがドフラミンゴさんの名義になってるって知らなかったんですか!?」
「住んで暫くな。ベビー5の野郎が引っ越してきてから警戒はしてたが、いちいち引っ越すのもあいつらにビビッてるのと同じ意味になると思って半分意地で済んでたんだ。」

なるほど、これでどおりで合点がいった。ローさんがなぜわざわざあのドフィさんの所有するマンションに住んでいるのかしらと不思議で仕方がなかったのだが、そういうことかと何となくうなずく。直後、言いようのない焦りとむなしさが私を襲った。あの事件からもう既に1週間は経っている。新聞では都内の繁華街のど真ん中で起きた乱闘ということで随分マスコミはもちろん、SNSでかなりの大騒ぎとなっていた。1週間経った今でも様々な方面でいろいろな憶測が飛び交っていたが、どれも誤報ばかりで真実を暴くものはなかった。ただ、指定暴力団と警察組織との抗争、ということでニュースでは流れていたが、もちろん、私たちがその裏でどれほどの修羅場を迎えていたかなんて勿論誰も報道することはなかった。

一応私の身も随分よくなり、このままいけば次の週の初めには退院できる予定である。呉での滑落事故の時にできた怪我と、今回の事件と立て続けにできた怪我に体がボロボロであったが、今は随分よくなっている。病院の先生やナースさんたちはもちろん、何を隠そう目の前の男性、トラファルガーローさんの懸命な看病とお見舞いにより私はかなりの回復力をもって復活したのである。

ローさんは忙しい身だというのに毎日面会時間ぎりぎりまで私の病室まで見舞いに来ては私の欲する飲み物や本を秘密でくれたりした。彼も大きな怪我を負っていたにもかかわらず、これくらい大丈夫たという謎の独断と自信で彼自身は入院せず、今に至る。自分自身が医学生だからとはいえ随分我慢してるなと心配するが、それを言うと必ず人の事より自分の身を先に何とかしろと怒られるのである。

彼は相変わらず持ってきたリンゴノートパソコンで黙々と何やら作業をしつつ、アイスコーヒーを優雅に飲んでいた。ローさんはいつもこの退屈な病室で私の話を黙って聞きながらPCで作業をすることが多かった。だが、今日は冒頭のようにいつも通りパソコンを開くと、開口一番、引越す、とぶっきらぼうにそういって作業を始めたのである。


「…そういえば…ドフィさんたちは今どうなってるか知ってます?」
「身柄が拘束されて尋問中だ。恐らくかなり時間がかかるだろう。今回の事件はもちろん、あいつら色々な事件に絡んでいるからな。裁判も相当ずれ込むだろうとコラさんも言っていた。」
「コラさん、忙しそうですね。あまり無理をしないといいけど…」
「大丈夫だ。あの人は相変わらず元気だ。そういえば、お前に会えず申し訳無いって謝ってたぞ。」
「そんな、最初の頃に来てくれたんだし、全然。それより、コラさんの怪我も目立ってたけど、大丈夫かな…」
「心配するな。あの人は体は丈夫なんだ。」
「…そうだといいんですけど。」

あの、無数の銃声が響き渡った、あの瞬間から私の記憶は途切れている。断片的に何かが起きていたことは記憶をしているが、あまりの疲労と緊張状態の連続に、私の意識は首の皮一枚繋がれていたようであった。覚えているのは最後まで私の体をぎゅうと抱きしめて離さず身を挺して守ってくれたのがローさんだった。意識が途切れ行く中で、私の名前を呼んでいる彼の声と、私たちの身を案じて必死に声を絞って名を呼ぶコラさんの声が頭の裏でずっと反響していた。もう、大丈夫なんだと、心のどこかで安心して、ふわりと体を覆う体温にすべてを任せて意識を手放した。間遠にサイレンや喧噪ががやがや聞こえていたが、それ以前に耳元で聞こえる暖かな鼓動にとても安心した。

ざっくりと言えば、ドフィさんたちはその後かなりの深手を負った状態でコラさんたちに拘束され、警察病院に皆搬送された。逃げ惑う仲間もいたようだが、事態を兼ねてより操作して先回りをしていた警察組織に拿捕された。そして、なぜだかわからないのだが、そこに加勢に入ったらしいルフィやマキノさんのSOSに応援に駆け付けたらしいシャンクスさんたちもその場に居合わせ組織の人間たちを捕獲することにかなり尽力したらしい。後で聞けば、どうやら、心配していろいろな情報を集めていたペンギンたちがルフィやえーーすさんたちに情報を流したらしかった。もとより、ルフィのおじいちゃんは海自主審の人だし、防衛相とのつながりも深く、コネクションもあるし、シャンクスさんたちも一応普通の海運業輸入業系企業の人たちであるが見た目は堅気に見えず、どちらかと言えばドフィさんたちよりではあるものの皆なぜか暴力団以上の組織力を誇っている。

おまけに、なぜだか張り切っていたエースさんが自身の勤めている会社の皆さん(白髭さんというダンディなおじさん率いる)まで連れ出して暴れたものだから、確かに一般人からしたらただの警察と任侠の泥沼の抗争に見えたに違いない。これは昨日見舞いに来たペンギンやルフィたちに聞いた話であり、それまではよもやこの惨劇の裏でそのようなことが起きているとも知らず、とても驚いた。

余談であるが、シャンクスさんや白髭さんたちもかつてドフィに一度いっぱい食わされたことがあったらしく、その恨みを晴らすのに絶好のチャンスだったということであったので、どうやら今回の事件はコラさんたちだけでなく、シャンクスさんたちにとってもかなりの絶好のチャンスであったということらしい。一体ドフィさんが何をしでかしたのかは私にとっては藪の中であるが、やはりどんな人でもこういった人たちを敵に回してはよくないのだなあ、としみじみと思った。

また、皆ドフィさんをはじめセニョールやその他の皆さんは軒並み拘束され、拘置所もしくは警察病院へと流されたが、かのベビー5さんだけは最後まで見つからなかったらしい。行方をくらましているとのことで、その後の情報がなく私は相当心配していたのだが、口外しないという約束でコラさんが教えてくれたことには、どうやら彼女は今、私とローさんが先日お世話になったロッジにてかくまわれているとのことだった。一応重要参考人としてそこで生活しながらも、呉の隊員たちに事情徴収をされつつも、心身の傷を癒しながら静かに療養していると聞いてほっとした。だが、今回の事件があまりにもことだったので、しばらくはこちらに来れないだろうということだったが、きっと彼女は大丈夫だろうと信じている。落ち着いたら今度会いに行きたいといえば、コラさんは静かに笑ってうなずいたので、きっと会える日もそう遠くないだろう。


「あの、ローさん…」
「なんだ、腹痛いのか。」
「あいえ、大丈夫です、今は。そうじゃなくて、お引越しって、どのくらいの時期にされるんですか?」
「そうだな、まだ荷物はまとめてねえが、いくつか部屋の候補はある。新学期が始まる前には出る予定だ。」
「…そうですか。」

マキノさんから差し入れに頂いたレモネードを飲んで少し視線を下げる。ふわりと、夏の湿り気を帯びた風が病室のカーテンを揺らした。簡素ではあるが、コラさんが手配してくれた病室は個室でとても申し分ないほど過ごしやすかった。窓際には銀杏の大木が枝をこちらまで伸ばして、今の時期は青々とした葉を生い茂らせている。光に翳されてその細かな葉脈までもが生き生きとその生を私たちに見せつけているかのようで、見ているだけで此方も力を与えられているように感じられた。

「色々あったけれど、あのマンションに引っ越したおかげで、ローさんと出会えたんですよね。」
「………」

私がそういえば彼はかちかちとせわしなくキーボードを叩いていた手を一瞬止めて、それから私の方に久しく視線を動かした。私はそれを横目で確認して、ゆっくりと視線を窓から彼に移した。

「お前はそのままいるのか。」
「…しばらくはそうしようと思ったんですが…。いずれにせよ、ドフィさんが捕まった今、あのマンションは競売にかけられるだろうって、コラさん言ってましたよね。」
「ああ。もしオーナーが変われば、この破格の家賃は見直されることは必須だ。或いは、出て行けと追い出されるだろうな。契約でおそらく6か月後くらいになるだろうから、半年間はいられるだろうが…」
「結局新居を探さなきゃですよね…はあ。」

引っ越したばかりでまさかこんなことになるとは、と思ったが、彼と出会い今や夢にまで見た彼との恋仲となれたのだから、今更未練もない。だが、引っ越しとなるとまた面倒事が増える。おろした荷物を再度箱に入れなおし、新居を探し、引越し代金を出してまた引っ越すとなるととてもじゃないが時間と労力とお金がかかる。ましてや、貧乏学生の私としては手ひどい出費だ。退院してからは今度は引っ越し準備に追われることになるとは、本当に忙しいものだ。おまけに今の今まで忘れていたが、卒論もほぼ手を付けていない。ああ、どうしよう。今更現実が押し寄せてきてだんだん本当にお腹が痛くなってきて、ううう、と言いながらお腹を押さえていれば突然見覚えのある感触が頭を覆った。

「引越しだのなんだので気に病んでるんだろう。」
「…まあ、そりゃあ。あの家に住み続けるとなると、どうせ平均家賃に戻されたら住めませんもん…。お坊ちゃんとは違うので…」
「嫌味を言えるぐらいには元気らしいな。」

そういってくつくつ喉を鳴らして笑いながらローさんは私の頭をなでると、今度はきちんと椅子をこちらに向けて私に向き合った。

「心配するな。そう思って念のためにお前の新居のことも考えてある」
「え、そうなんですか?」
「ああ。今候補の部家は全部2LDKだ。お前、女のわりにそんな荷物はねえし、1部屋あれば十分だろ?家賃と生活費の代わりに飯とごみ当番手伝えるんなら、俺の部家一つかしてやる。どうだ、悪くねえだろ??」
「えっ、っそ、それって…」

ど、同棲ってやつじゃね?と唐突な彼の提案にしばしポカンとしていれば、彼がむにむにと今度はほっぺたを抓ってきたのではっと我に返り、急ピッチで脳内で色々整理するのに忙しくなった。

「つまりその、…飯炊き女になるのと引き換えに、ローさんと一緒に住めるということですか…!?」
「もう少しいい言い方できねえのか。…まあ、間違いじゃねえけど。」
「!」

あまりの衝撃に思わず自身の口を手で覆ってふるふる震えていれば、目の前のイケメンはギョッとしてやや引き気味の顔で私の眼を見た。そしてぽりぽりと頬を掻き、いぶかしげな表情で口を開いた。

「…別に無理にとは言わねえけ「お願いしますッ!飯炊きでもゴミ捨て当番でも、何でもやります!掃除も松井棒で毎日サッシとか念入りに掃除しますし!!!いえさせてください!」…元気だな、お前。」

まさかこんな展開になるだなんて、つい五分前の自分は思いもよらなかったが、お隣に飽き足らず今度は同棲することになるとは…にやにやが止まらず腹痛もどっかにいってしまってでへでへしていれば目の前のイケメンは今度はドン引きして何事もなかったかのようにパソコン作業を再開していた。同棲などという言葉が一番縁遠いと思っていたこの私に神様がきっと与えてくださったチャンスなのかもしれない…。なんという幸運なの!お腹より今度は胸がいっぱいで痛いわ!


「(ママが聞いたらきっとびっくりするわよ〜〜〜!

……ん、ママ……??)」


ぴたり。ベッドの上ではしゃいでいたが、突然動きを止めた私に傍らのローさんも何事かと視線だけ私に向けた。そして冷静になりひざを立てて一生懸命喜びの舞い(怪我の身なので小ぶりな)をしていた体をゆっくりと布団の中に戻し、しばし思案の時間となった。

「…どうした。」
「あ、あの、ローさん。その、同棲するにあたって、一つだけお願いしてもいいですか…?」
「なんだ。」

そういって私を見つめる鋭い眼光にきゅんとしつつもきちんとコホンと咳払いをしたのち、改まったように姿勢を正し、正座で彼に向き合った。謎の行動に彼はしばし眉間にしわを寄せていたが、私の話にはきちんと耳を傾けてくれた。

「同棲するにあたって、私の母に報告しようと思うのですが…その際、ローさんの顔を見せてあげなきゃなんです。私の母は、私が東京に出る前に約束したんですよ。恋愛はいくつでもしていいし、あんたの好き勝手やってもいいけれど、もし一緒に暮らすってなったら、その人を熊本に連れてきなさいって。」
「………」
「それを面倒くさがったり、嫌がるなら、付き合ってもいいけど、同棲するなって……なんか謎のルールを敷かれてまして…あの、嫌なら、その、私は…」
「………」
「…やっぱり、面倒ですよね。せっかく都会に返ってきたのに。」

しゅん、と思わず視線を下げれば、上からふ、と小さな笑い声が聞こえた。思わず顔を上げれば、目の前には私を見て笑うイケメンがいた。

「面倒くさくないと言ったら嘘になるが、別に構わねえよ。」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。後になってぎゃあぎゃあ色々心配される方が面倒だ。…ただし、俺もお前にやってほしいことがある。」
「は、はい、なんでしょうか。」
「…九州に行った後、東北に俺と一緒に来い。それでもいいか?」
「え?ええ、別に構いません。それくらい!」
「決まりだな。」
「はい!」
「そのためにも、早くその元気になれよ。」
「任せてくださいよ〜」
「お前本当に調子いいよな。」

やった〜〜〜と再度はしゃぐ私をよそに彼も小さく笑うと今度こそ作業を再開した。九州の次に東北とは、ずいぶんな旅程だが、ローさんと一緒ならどこへでも行くしむしろ光栄である。それに、今はとにかくパパやママ、弟をはじめ地元の友達に彼を紹介することで頭がいっぱいだった。怪我なんてどうでもいいわというほどである。私の怪我で色々母や父にも遠くで心配かけているのだし、元気な姿も見せねばならないし、夏休みなんだから顔位みせねば。

「(ああ〜きっと皆びっくりするだろうな〜。こーんなイケメンでできた人が私の恋人だなんて、最初はしんじないかも!)」




心機一転




浮かれる私をよそに、静かに笑んでいる彼の心境もつゆ知らず、爽やかな真夏の昼下がりに私たちはしばし、その暑さと病室の涼しさに身を任せた。本当に色々あって目まぐるしかったが、今度こそ、彼と新たな生活が始まるのではないかと、自分の怪我の事さえ忘れるくらいには私ははしゃいでいた。





2017.07.09.




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