36

「……俺はお前にローの遺伝子を継いだ“後継者”を孕んで欲しかったんだよ。」

拝啓ママ。私は今、人生で最大のピンチと羞恥に苛まれていて、穴があったらいれてしまうかもしれません。



二の句が継げない





「こ、後継者ってつまり……」
「そうだ。お前ならローの懐に飛び込んで一発や二発やれると思ったんだ。」
「せ、セクハラだー!おまわりさーん!てか本人の前でなんちゅうこと言ってくれちゃってくれちゃってんですか!?」
「まあ、落ち着け。」
「おおお、落ち着けるか!ほら見てくださいよ!あのローさんの心底ドン引きした目を!どう落とし前つけてくれるんですかドフィさん!」
「もう終わった話だ。期待はしてたが、結局お前はローとねることができなかったらしいしな。」
「そりゃそうですよね!お付き合いだってしてないんですから!」
「まあそう落ち込むな。お前の魅力がなかったわけじゃねえ、あいつが無能だっただけだ。」
「ちょ、こんな状況で余計なこと言わないでください、あああ!ローさん私がまだいるのでどうかその銃口をこっちに向けないでくださいいいい!」

先ほどドフィさんの額にずぷりと刃物を突き刺した時と同様の凶暴な目つきをしたローさんが怒りのあまり私など構うことなく銃口を向けてきたのでひいひいいっておれば、ドフィさんはなぜだか余裕たっぷりに笑い始めた。こちらは羞恥心で死にそうだというのに。

「だいたい、私たちが仮にそういう仲になったとしても、その、避妊とかいろいろするかもしれないのに、なんでそんな自信を持ってこんな回りくどいことを…。」
「お前ェはわからねえかもしれねえが、お前の前にも他にも女を用意して同じようにしようと思った。…だが、俺たちが色々手を入れれば入れるほどうまくいかなかった。」
「(そりゃそうだろ)」
「だが、押してダメなら引いてみりゃァいい話だ。今までとは打って変わって俺たちとは全く関係ねえ無自覚の素人女を用意してやれば、どうだ?思いのほかトントン拍子ときた。」
「と、トントン拍子、」
「あとはお前も知っての通りだ。わざわざ人気のない何にもねえ田舎のコテージに追いやった。」

つまりは、最初から私たちはドフィさんの沼にずるずる引きずられていたということか。まさか、逃れれば逃れるほど彼の手中にはまっていたとは露知らず、思わずため息が出た。

「……邪魔者も避妊具も用意させねえようにするためだ。元々あの場所には俺たちは安易に近づけねえが、かと言って今まで通り余計な手を入れちまえばまた失敗しかねない。全てはお前らの流れに任せりゃァいい、そう俺たちは考えた。」

息を途切れ途切れにしながらも壁を伝って立ち上がったセニョールが後ろから捕捉するようにそう言って、それから壁に背を預けてそう言った。

「じゃあ、やっぱりあの日出会った呉の変な女の子は…」
「フッフッフッ、素晴らしい夜を迎えるにはお前の気持ちの整理も必要だと思ってな。女の誘いなら男は断りきれねえだろう?」
「な、なんてこった……」
「とはいえ、全ては俺たちの予想を遥に超えていた。引いた途端にこんな簡単に進むとは思ってなかったが…あともう一歩だったな。なァ、ロー。」

そう言ってドフィさんは今一度ローさんを見つめ直すと、ローさんは舌打ちまじりに声を上げた。

「お前らは俺を追い詰めたつもりだろうが、あの時と同じだ。後一歩のところで結局お前らの思い通りにはならねえ。」
「まだわからねえぞ。お前はさっき俺の負けだといったが…今回はお前一人だけの問題じゃねえ。なあ、みかん?」
「わ、私に振らないでください…」

なんだかんだあって最早ついて行くことさえできていないが、取り敢えずやばい状況には変わりはないらしく、ドフィさんは私を掴む手を緩める素振りは見せない。それどころかどうやら事態は悪化の一途を辿っているらしい。彼の狙いはもう一歩のところで外れたらしいというのに、本当にこの期に及んでドフィさんは何がしたいのだろうか。私は彼の期待を図らずも背負い、そして期待を裏切ったのだから、もう用済みのはずなのだ。

「ドフィさん、もうこのことは誰にも言いませんから、ローさんと私を帰らしてください…」
「そうしたいのは俺も山々なんだが、ここまで来たらただで返すわけには行かねえんだ。悪ィがもう少し辛抱しろ。ローがおとなしくすりゃあ話はすぐ終わる。」
「(そんな簡単に離してくれそうな雰囲気じゃないんだよなあ…)」

ローさんと目を合わせれば彼は相変わらず眉間にしわを寄せ、それから幾ばくか落ち着いた声で再び口を開いた。

「俺に用があるんならみかんを離せ。こいつにもう用はないだろう。」
「ああ。勿論返してやるさ、傷ひとつ残さずな。だがすぐには帰せねえ。…ロー。最後に聞くが、お前ェみかんに惚れてるだろう。」
「っ、だから本人目の前にして言うのやめてもらえます!?」
「…………。」
「沈黙は肯定と取るぞ。」
「……お前にみかんに関して言う義理はねえ。」
「(き、気まずい…)」

ものすごく蔑ろにされているというか、ここに居るというのに妙な疎外感を感じつつも、状況は一向に良くならないので隙を伺うもやはりドフィさんのこの逞しい腕から逃れることは出来ないらしかった。私を捉えて今までの一連の記憶を抹消するらしいのだが、そんなマト●ックスのようなことが出来るのか、いやできるのか。現にあの小さな幼女が私に何か催眠療法を用いたのだからできるのだろう。自分で言うのも何だが、多分私はそう言うのに引っ掛りやすいタイプだという自負は少なからずあるのだ(不本意ではあるが)。でも、もし今までのことを忘れてしまえば、私はローさんの記憶もなくしてしまうのだろうかと、ふとそれが頭を過り、思わず口を噤んでしまった。

「ローさん、私………」

大丈夫ですから、気にせずに逃げてください、と言う言葉が続かない。もし私がこのまま本当に記憶を消されてしまえば、確かに私は平穏を取り戻すことは出来るかもしれないけれど、私は今までのローさんと過ごしたこの夢のような数日間を忘れてしまうのか。優しく撫でてくれた大きな手も、お腹に乗せられたあの足の重みも、彼と過ごしたあの呉の美しい海や星空も、全て忘れてしまうのか。そう思ったら思わず喉の奥が急に熱くなって、呼吸さえ苦しくなった。そんな私の意を知ってか知らずか、視線の先の彼は黙ったまま私を見た後、静かにその歩みを此方に進めた。しかし歩みを進めていくうちに、頭上の男性の声でそれが遮られた。

「もし本当にみかんを大事だってえならそれ以上近づくんじゃねえ。俺も女に手を上げるのはあまり好きじゃねえ。」
「こいつを今すぐに帰してやれ。関係ねえ。」
「お前がその銃をそっちに寄越したらな。」
「信用できるか。」
「じゃあ交渉は決裂だ。」
「…もう俺達に用は無ェんだろう。」
「そうだったんだが、ここまでくりゃあ事情は変わっちまった。」
「………」
「だが大人しくすりゃァみかんには危害を加えずに帰してやる。“元通り”にしてな。」

ちらりとローさんが私を覗き込む。そして何も言わずにお互いじっと目を見合った後、ローさんは微かに私に対して口角を上げた。その意図を掴みかねていれば、ローさんは暫くの沈黙ののち、握っていたピストル(そう言えばそんな凶器どこから手に入れたのか)を足元に落とすと手の平を上げた。思わず声を上げれば、ローさんはきっと私を睨みつけて、何もしゃべるなと言う風に目で私に諭した。その異様な気迫に思わず気おされておれば、再びくつくつと頭上から笑い声が聞こえてきた。

「…これでいいだろう。」
「男前だなァ、ロー。どうだ、みかん。ローはお前の為に自分を犠牲にしたんだ。分かったなら、大人しくしろよ。」
「そんな……」

ドフィさんは私をようやく地面に下ろすと私の手を掴んだまま、私の手の内にあったスタンガンを奪った。もうどうしてよいか分からず抵抗も、かといって大人しく従うことも出来ずに居れば、ドフィさんは私の手を引いた。ドフィさんはローさんが投げ出したピストルにも手を伸ばすと、今度は自分がされたようにローさんに銃口を向けた。セニョールが後ろで無線か何かで誰かを呼んでいる。恐らく私を連れて行く人間を呼んでいるのだろう。ドフィさんは私の手を掴んだままにたにたと笑った。

「それにしても寂しくなるなァ。だが、安心しろ。もうお前は俺のことも、ローのことも、全部忘れることが出来る。怖い思いも、もう忘れることが出来るんだぞ。何もかもなかったことになるんだ。忘れることが出来るんだぞ、喜べ。」
「…そして、ローさんとの楽しかった思い出も忘れてしまうのですね。」
「残念だが、悪い記憶だけを消すほど都合のいいもんじゃねえんだ。そんなに嫌か?」
「…ええ、とっても。涙が出そうなくらい、」

私が静かにそう言えば、ドフィさんはフン、とのどを鳴らした。ローさんは静かに足元を見ていた。私は片方の手で被っていた彼の帽子のひさしを上げる。もうすでに涙でぼろぼろになって目も当てられない状態であることは重々承知だったけれど、もうこの際そんなことはどうでもよかった。彼がもうそれしか方法がないとそう言うのなら、私も私で記憶を失う前にきちんと整理しなければならないけじめがあるのだ。嗚咽交じりに息を吸い、それから静かに吐き出すと涙を拭いて彼を見据える。

「最初から最後まで作られた偽りの運命だったとしても、今までローさんと過ごしてきたこの今までは私にとって全部真実だったし、私の全てでした。こんなに楽しかったのも、こわかったのも、ドキドキしたのも、本当に初めてだったんです。」
「みかん」
「ローさん本当に何考えてるか分からないし、正直見た目怖いし、」
「………」
「私、ドジだから嫌われてるんじゃないかと思ったけれど、一緒にいるうちにあなたのすごく優しいところとか、本当はおちゃめなところとか、自己中だし、パン食べないし、平気で人を傷つける発言するところとか、どんどん色んなところが分かってきて、気がついたら私、ローさんといるのがすごく心地よかったし、ずっと隣で弄られたいなあなんて思っちゃって、いや、私ドМではないんですけど…」
「………」
「あなたといると落ち着くどころかぎょっとして、心臓が忙しくて、心が休まることが無かったけれど、本当に楽しかったです。あの時、ローさん、運命とか信じないって言ってたけど、やっぱり私は信じます。あのお引っ越しは間違ってたのかもしれないけれど、私は間違った選択ではなかったと思うし、そう思いたい。…ろーさん、私、貴方に会えてよかったです、本当に幸せでした。こんな時でも語彙力が無くてごめんなさい、国文のくせしてダメダメですよね…私はあなたに迷惑を掛けられ只なんて微塵も思ってませんから、どうかまた自分一人で背負って自分を責めるのはやめてくださいね。」
「………」
「一人でごちゃごちゃ喋ってごめんなさい。でも最後に一つだけ言わせて下さい。ローさん、私、次に会った時はあなたをもう忘れてるかも知れないけれど、きっともう一度貴方を好きになるから、どうか、私を見たら無視したりしないで。…私が望むのはそれだけです。」

最後は嗚咽混じりで自分でも何を口走っているのかわからなかったが、兎に角息継ぎさえも忘れて矢継ぎ早にそういえば、静寂があたりを包み込んだ。潤んだ視界で彼の様子がぼんやりと街の灯りを背景に見える。ドフィさんは可笑しそうに鼻を鳴らすと、そのままドフィさんに引きずられて扉の向こう側に連れて行かれるのだろう、私を床におろしてそのまま腕を掴んだ。もうさすがに間に合わないのか。コラさんはどこにいるのか、みんなは。いろいろな人の名前を心の内で叫びながら、腕を引っ張られて、あ、と声が漏れた。

「、みかん!」

ローさんが今にもかけだしそうになったその刹那、突然耳をつんざくような破壊音とともに、土煙があたりを包み込んだ。どうやら爆発は扉の方かららしく、私は思わずその衝撃波に煽られて体が一瞬浮いて飛びそうになったが、腕を掴んでいたドフィさんがぐいっと私を抱え込んで何とか飛ばされずに済んだ。

「ジョオオオオオオカアアアアアアアアアアアアアアア!」
「「「「!?」」」」

突然の爆発の直後、突然女性のとんでもない怒号が飛び込んできたかと思えば、土煙からひとりの女性の影が浮かび上がってきた。土煙に煽られながら、なんとか必死で目を凝らし、それらがどんどん薄らいでいくのを見ていれば、人影が間違いなく見覚えのあるシルエットであることに気がつくのであった。


2016.04.21.




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -