35

「………みかん?」
「ローさん……!」

名前を呼ばれて視線を上げれば、視線の先には見覚えのある男性の影が見えた。思わず私がそういえば、視線の先にいる背の高い二人の男が一手に私に視線を横したのが分かって、寿命が縮む思いがした。私の名を読んだ方の男は心底驚いたように目を見開いて動揺しているのがその声色で知ることができた。会いたくて仕方がなかった相手であるのに、この空間に雰囲気のせいか、思わず駆け寄るのをためらった。と言うよりも、自分がこの場で彼らに突っ込んでいくのは間違いであることは明白であった。不幸中の幸い、思っていた以上にこの空間はしんと静まり返っていて、殺風景でとくに修羅の庭のように荒れた様子は見えず、目の前の男性たちも対峙して刃物をちらつかせているように見えるが、それ以上の外傷は見受けられない。取り敢えず取っ組み合いの喧嘩はまだ行われていないようであるし、彼ら以外はこの周辺にはいそうになかった。状況がつかめず、思わず口をつぐんでいれば、後ろからすっとセニョールが入り込んだかと思えば、私の手を軽く引いた。彼はサングラスの奥から私と同様彼らの様子を見ていたが、やがてため息を吐くと、口を開いた。その間、視線の先のふたりは黙っていて、最奥の奇抜なサングラスの男、ドンキホーテ・ドフラミンゴさんは私を見てニヤニヤ笑っていた。恐怖で思わずセニョールの背中に隠れようとすれば、セニョールピンクさんは大丈夫だと言いたげに私の腕を掴む手の力を少しだけ強めた。

「ロー、いくつか聞きてえことがある。答えろ。」
「…お前が連れてきたのか。」
「違ェよ。みかんは自分の意思で来たんだ。で、お前、みかんと恋人じゃあねえんだな。」
「…ああ。」
「恋人でもねえし、この数日間、ほとんど二人きりで一緒のベッドだったっててえのにお前は手も出さなかった。」
「うるせえよ、余計なこと言うんじゃねえ。」

苛立ちを隠さずにローさんはそう言うと舌打ちをした。こんな本人の前で堂々とデリカシーもクソもない質問を繰り返すセニョールに多少の殺意を覚えたものの、ローさんが存外落ち着いて答えていたので、正直驚きを隠せなかった。ローさんはどうやらこの質問の真意を知っているかのようで、私だけが真実を知らされていないように思えた。そしてもう一人私と同様驚きを隠せずにいたのはローさんの目の前で先程までニタニタ笑っていたはずの精神年齢は二十代前半の男、ドフラミンゴその人であった。彼はしばらくローさんを見つめた後、ふん、と鼻を鳴らした。

「……ロー、お前ェ…」
「…………」
「勃たねえんじゃ…」

と彼が言うか否かで突如ぐさり、という鈍い音と共にドフラミンゴさんの額にから真紅の血しぶきがどぴゅっとちいさな飛沫をあげたのが見えた。もちろんこのような命知らずな所業を犯したのは私でもないし、隣にいるセニョールでもない。

「……それ以上言ったら刺す」
「ローさんもうそれ刺さってます!!」

思わずそう告げれば彼は分かりやすく眉間にしわを寄せた。ドフラミンゴさんは刺さったそれを自分の手で引き抜こうとしたが、それを阻止しようとするローさんの手はまさに何ならもっと深くを刺そうとしているように見えた。こちらが動揺しているうちにドフィさんはそのまますっとふかふかの椅子から立ち上がったので、ローさんは辛うじて差した刃物を引き抜いた。つう、と一筋の血筋が流れていたが、ドフィさんは別段動じることはなく、神妙な面持ちで私とローさんを交互に見つめていた。そして暫くしてため息を吐くと、口を開いた。

「みかん。」
「……はい」
「ローとは本当に何もないのか。」
「はあ。」
「お前はローに惚れてるんじゃないのか。」
「え、ちょっ、ええー…本人の前でなんでそんなこと……好きでも、仮に嫌いでも言いにくいし……」
「…そうか。」
「……はい。」
「…………。」
「…………。」
「……そういうことか。」

ドフィさんはそう言って静かに息を吐くと、そのままローさんと再び視線を交わらせた。ローさんはじっと彼を見たまま微動だにしない。向こう側に見える街の明かりがプラネタリウムみたいに彼らを照らした。

「そういうことだ。」

ローさんはそう静かに、でもはっきりとそう言った。そこには心底疲弊した様な声色を感じ取ることができた。私がイマイチ話の流れについていけずに首をひねっていれば、ドフィさんはずかずかと私に向かって歩き出した。ローさんはおい、と声を上げたが、私と私の傍らで私の手を引いていたセニョールを視界に捉えると少しだけ舌打ちをした。そういえば私は一応捕らえられているのであったとようやく思い出して思わずギョッとしたままセニョールを見え方が、今のところ別段セニョールは何かをする様子ではない。でもドフィさんは歩みを止める様子はない。ドフィさんの背中越しにちらりとローさんが見えたが、ローさんは私を見つめた後、静かに頷いて動くなと黙って指示した。そして、セニョールからは見えないように僅かに手を動かして懐を探っていた。

「なァ、みかん。」
「…ドフィさん。」
「俺ァいつか言ったよな?俺は頑張っている若い奴を応援してえとな。」
「………。」
「俺はなにもお前らを苦しめようだなんて微塵も思っちゃいなかった。なあに、ただの老婆心だったんだよ。お前らが仲良くなりゃァ俺はそれでいいと思っていた。……だが、どうにも上手く行かなかった。」
「ドフィさんは私に何を求めていたんですか?」
「求める?俺はただ“足長おじいさん”としてお前を応援したかっただけだ。」
「でも、こんなことになるなんて思ってなくて…。私が原因なら謝りますし、お金が必要ならきちんとお返ししますから、もうローさんに何もしないであげてください。」
「みかん。お前は何やら勘違いしてるらしいな」
「いいえ、していません。この一連のことでよくわかりました。私のためだというのら、なおのことやめてください。そして、これを機にローさんに関わるのもやめてください。お願いです。」
「………お前はローと一緒になりたくないのか。」
「……それは、」

一際低く私にしか聞こえない小さな声で彼が聞いたものだから、思わずちらりとドフィさんの背中ごしの彼を見てしまったが、首を振ると今一度いいえ、と返事を返した。そうすればドフィさんは眉間にしわを寄せて、それから私の耳に寄せた自身の顔を離した。私を見下ろして、それから顎をさすった。

「そうか。お前ならあの男に打ち解けることができると思ったんだが……残念だ。」
「………。」
「お前の要望通り、お前を帰してやろう。」
「…ドフィさん?」
「だが…すぐには帰らせねえ。…余計なことを忘れてもらってから帰してやろう。……やれ。」

そう言ってドフィさんはセニョールを見たので、思わず「えっ」という声を上げてセニョールに視線を向ければ、セニョールは私を見てふん、と鼻を鳴らした。

「…安心しろ、殺しはしねえが、まあ、少しの間眠ってくれ。」

とセニョールがそう言ったかと思えば、懐から思いっきりスタンガンのようなものを出したので思わずひい、と声を上げたが、その直後、「みかん伏せろ!」という聞きなれた男声が聞こえてきて、思わずギュッと目をつむったまま反射的にその場に前に倒れた。かと思えば、その直後に銃声のような音が響き、何かが頭上を掠った音が聞こえた。数秒たって思わずハッとして頭上を見上げれば、私の手を握っていたはずの男がその場で尻餅をついて、右肩を抑え、スタンガンを足元に落としたまま左手で右肩を押さえ込む姿が見えた。サングラスは外れ、ぐにゃりとまがったまま私のすぐ傍らに落ちていた。セニョールの右肩からは黒々とした染みができていて、驚きのあまり大丈夫ですか、と声をかけてしまったが、その前に再びスタンガンがかれに渡らないように反射的に手を伸ばしてそれを握った。余りの展開に脳みそがついて行っていないが、間違いなくこのセニョールの右肩を貫いたのは間違いなくローさんが放ったものであることは明白であった。それを証拠に、視界の端に捉えたローさんはいつの間にやら右手にピストルを握っていて、照準はこちらの方に向いていた。

「(ひ、ひええええ!)」

と思ったのも束の間、取り敢えず後ずさってスタンガンを持ったまま扉から離れようとすれば、その左手をずいっと強い力で取られて、がくんと前のめりになってしまった。私の肩を掴むこの大きな手の主は独特の笑い声を上げて私を引き寄せるとそのまま前からあすなろ抱きよろしく覆いかぶさった。高級そうな香水の香りが鼻をかすめ、私の動きを封じるようにガッチリとたくましい腕が腹に回され、そしてもう一方の手は私の顎をがっちりと掴んだ。体格差も甚だしいので、地面からつま先が別れを告げて、私は完全に抱っこよろしくドフィさんに抱えられていた。彼の香りでむせ返りそうになる中、

「うう、ドフィさん……」
「みかん。いい子にしてりゃあ何も怖いことはねえんだ。…煩わせるなよ。」
「く、苦しいですドフィさん…。」
「じきに終わる、少しの間我慢しろ。」

そう耳打ちしたかと思えば、ドフィさんは向き直ると人呼吸おいて口を開いた。

「みかん、俺はお前のことを“応援”していたのは確かだ。お前は俺と違って純粋でドジで、愚かなほどに優女だ。………お前はあの男にそっくりだ。」
「あの男?」
「コラソン、いや…ドンキホーテ・ロシナンテにな。」

そこまで聞いて、ふと今まで頭の片隅にあったあの優しい男性の顔が浮かんできて、ようやく思い出したが、そういえば彼とドフィさんはこれでも血を分けた兄弟であった。いろいろ複雑な事情で今は絶縁関係にあることは既にコラさんの口からも知っている。しかし、よもや自分があのドジっ子のコラさんと一緒とドフィさんに言われる時が来るとは(とはいえ以前にもローさんに似てると言われてはいるので薄々意識はしていた。あまり光栄ではないということはコラさんのためにも言わないであるが)、夢にも思わなかった。おまけに実の兄からのお墨付きとくればもう言い訳も立つまい。

「なんで、そんなことを今…」
「それが何よりも重要だからだ。お前のようなお人好しはあの馬鹿な実の弟にそっくりだ。ローはそのお人好しを信頼し、俺を切った。」
「(でもそれはドフィさんがひどいことをしてたからじゃ……)」
「ローは基本的には女は寄せ付けねえが、信頼に足る人間に似た人間なら打ち解ける可能性はある。とびっきりの美女でもなければ、とびっきり頭の切れる女でもない、お前のような一見何処にでもいそうだがそのへんの人間とは違うお人好しにも程がある予想外の動きをする純朴な女なら、アイツは心を開くんじゃねえか、そう思ったんだよ。」
「…つまりそれは、ドフィさんは最初から私をローさんに引き合わせようとしていたって事ですか…?」

私がそう言って見上げれば、ドフィさんは口角をくいっと上げてにんまりと笑った。じゃあこの人は本当に私の恋を応援するつもりだったのか?いや、だとしてもこんなことにはならないだろう。どこぞの誰が恋の応援のためにスタンガンを向けるというのだ、あって溜まるものか。憤りと不信を抱きながら彼を見つめれば、彼は続けた。

「俺はこの数年でローを連れ戻すことは諦めたが、後継者を諦めたわけでもねえし、ローの才能を捨て置くのはもったいねえ、そう思っていた。だが、あいつの遺伝子を引き抜かない限りは俺の元に置いておくことはできねえ。そこで考えた。ロー自身をここに引き戻すことはできねえし、でも後継者や俺をサポートする人間は必要だ。且つ、あいつの才能であれば尚の事好ましい……あいつの才能の遺伝子を引き出す方法がひとつだけあるとすりゃあなんだと思う?」
「……えーと…DNA鑑定?」
「ちげえよ。」
「じゃあ、ローさんの髪の毛を抜いて、DNA鑑定して保存する。」
「ちげえよ。なんでそうお前ェはDNA鑑定に帰結したがんだ。あるだろうがよ。もっと手っ取り早くあいつの遺伝子を次ぐ“存在”を出現させる方法がな。」
「……えーっと、」

そう言って思わずローさんの法を向けば、ローさんは苦虫をかんだような微妙な顔を見せていた。少しばかり考えていくうちに思わず、はたと気がついて、思わずぶるぶる震えるような心持ちがした。それを見たドフィさんはフッフッと笑うと私を見下ろしたままようやく気がついたかといった具合の表情を向けた。

「ま……まさか、」
「フッフッフッ、そのまさかだ…」
「ローさんの…」
「………」
「ローさんの、」
「………」
「ローさんのDNA鑑定を元にローさんと全く同じクローンを出現させる気だったんですか…?クローンは倫理的にもアウトですよ!!なんてことを…!」
「「「違ェよ」」」

私の発言にローさんどころか後ろで悶えていたセニョールでさえも声を上げたので思わずおお、と声を上げる(ところでどさくさに紛れて失念していたけれどセニョール大丈夫なのか)。ドフィさんは仕切り直したように咳払いをし、目の前のローさんも私を遠い目で見ていたのでちょっと気まずい。

「…いいか、みかん。お前は女だ。」
「そうですね…。」
「健康的で病気も今までひとつもしたことはねえし、ドジだが頭は悪いわけじゃねえ。なんなら従順で約束は違わねえ女だ。」
「…はあ。」
「女である以上、お前にできることはなんだ。」
「…えーと、なんだろう。お化粧?いや、でも最近は男性でもやるし、スカート?…いや、いや、民族衣装では男性でも履くし………女子会?いや、でも心が乙女なおネエは参加できるかもだし………今の中に答えありました?」
「かすりもしねェ。」
「さ、左様ですか……」
「分からねえのか、女しかできねえ事は一つしかねえだろう………」
「女性にだけ…?」
「……餓鬼を孕むことだ」
「あー。なるほど……ん?でもそれとこれと何が関係してるんだ?」

私が首をひねれば、ドフィさんは私を見下ろして、私の体に回していた手を下腹部に滑らせてそこを撫でたので、思わずびくりと肩を震わせればくつくつと喉を鳴らした。

「俺はお前に期待したんだ。」
「…き、期待?」
「そうだ。……今までの女にはできなかったことだ。…お前ならあいつに一番近くでその機会を手に入れることができると思った。」
「……機会?」
「そうだ。わざわざお前を追い詰め、ローと二人きりにし、周りに人気もコンビニさえひとつないあのコテージへ追いやり、“ムード”とお前の“やる気”を作ってやったのは、全てはこのためだ。」
「………」

やはり全てはドフィさんの仕業だったのかと思わず下唇を噛む。本当にやはりやばい人なんだと今更だが再認識する。ドフィさんはいやらしい手つきで私の体に触れて、それからにっと笑う。背筋に悪寒が走り、耳元に寄せられた彼の口から漏れると生きに震えが止まらない。

「……俺はお前にローの遺伝子を継いだ“後継者”を孕んで欲しかったんだよ。」
「……っ、」



事実は小説よりも奇なり





視界の端に捉えたローさんと目が合って、それから静かにリボルバーをかちりと鳴らす乾いた音がその場に響いた。


2016.03.28.




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