32

「……何の用だ。余計な真似をしに来たのか、それとも、」
「…違うわ。だから、とりあえずその右手に持ってるモノから手を離してちょうだい。」
「俺に命令するな。」

視線の先にいる黒い影に向かってそう言えば、女は分かりやすくびくりと肩を震わせておののいたが、こちらが微動だにしないでいれば、ゆっくりと物陰から身を現した。そしてカツカツとピンヒールの靴底を鳴らしながら近づいてくると、俺の目の前まで現れた。地下駐車場では女のヒールの音に負けないほどに空気清浄機の音が反響していた。ここはあの時の駐車場とは全くの別物だが、この陰湿でいけ好かない雰囲気はあの地下駐車場とかなり似ていたし、日にあたらぬ世界で生きるあの男どもにとっては安住の地なのだろう。こちらに向かって来た女は咥えていた煙草の灰を足元に落とすと、それをゆっくりとした手つきでまた口に咥えた。そして俺を見るなりその目を細め、それからその赤に濡れた唇から僅かに息を漏らした。女の言うことを聞く気は毛頭なかったが、刃物の柄を握る手の力を弱めた。女は左手に随分大きなスーツケースを手に持っていて、細めた目で俺を見上げた。

「…何の真似だ。ファミリーとして俺を止めるのならお前も容赦しねえぞ。」
「勘違いしないで。私は別にあなたを止めようと思ってない…まあ、協力もできないけれど。」
「じゃあ何しに来た。俺はもうお前らの相手は飽きた。この一連のけじめをつけに来たんだ。」
「…あなたがあなたのけじめを付けに来たように、私も私のけじめを付けに来たのよ。」
「何だと。」

眉間に皺を寄せてそう問いただせば、目の前の女、ベビー5は疲れたように笑って、それからスーツケースを足元に置くとそれを広げた。その中には驚くことにそのスーツケースの中にはグレネードランチャーが入っていた。ベビー5はそれを取り出すと、着ていたコートを肌蹴させ、その中を検めた。腰に回されたホルスターには拳銃があり、右太ももに回されたホルスターには小型の拳銃が収まっていた。この分だと補填する弾も隠してあるのだろう。

「………お前、戦争でもしに来たのか。」
「ローだって似たようなものでしょう。私は私で若様にけじめを付けなきゃいけないことがあるのよ…。もう我慢の限界なの……。」
「…………。」

皆まで言わないが、この女のことである。どうせまたドフラミンゴに恋路を邪魔されただとか、恋人(大凡ろくでもない男ばかりである)を消されたとか言う恨みつらみをこの期に及んで吐き出すのだろう。この女はガキの頃からこの調子なのだ。今更驚きはしないが、自分の邪魔をされるのはごめんである。

「勝手に突っ込んでいって玉砕しやがるのは勝手だが、俺の邪魔はするな。」
「しないわよ。ローこそ私と若様の真剣な“話し合い”を邪魔をしないで。」
「ああ?」
「っ、」

そう言って鋭い眼光で睨んでみれば、女は先ほどと同じくぎょっとした顔をしてたじろいだ後、傍の柱に身を寄せた(先ほどと同じく涙を浮かべて)。一体何をしに来たんだこいつはと呆れながら米神を押さえると、ため息を吐いてとりあえず自分だけでも先を急いだ。コツコツと靴底を鳴らして歩いていれば、後ろから遅れて女のヒールの音が聞こえてきた。目的は違えど行きつく先は同じなのだから当然だが、全く持ってこんなタイミングで勘弁してほしいものだと乗っけから計画に狂いが生じたことに思わず息を吐き出さずにはいられなかった。

このビルは元よりあの男の所有する建物であるが、いつもここに居る訳ではない。あの男は今こそ大人しく(表向きは)不動産業に精を出しているので、この辺りの土地や建物、雑居ビルなどはときにあの男の手に渡っているのだ。自信が住んでいたマンションも最初は別の会社が所有する者だったのだが、いつのまにかあの男の手に渡っていたのだ。もちろんうすうす気が付いてはいた。後ろにいるこの女が引っ越してきたあたりで気が付いてはいたのだが、このまま引っ越すのもあいつから逃げているようで癪であったし、みかんが越してくるそれまではほぼ何もされることは無かった(強い味方、セコムもついているし)。男はあの事件以来アジトを特定の場所に置くのを避けている。だからこそあいつが何所にいるのか探すのは至難の業なのだが、公安も公安で一応あの男の動きを逐一把握沙しているので、コラさんとのつながりはこういった面でもかなり役立つのだ。

「……みかんは、元気なの。」

ふと、そんなことをぼんやり考えていた最中、後ろから再び女の声がしたので意識を浮上させる。ちらりと後ろを横目で見遣り、それから別段答える必要もなかったが、小さな声で、多分、とだけ答えれば、女は分かりやすく眉を潜めた。

「多分って、何。」
「関係ねえだろ。」
「関係あるわよ。だいたい、あの子も私と同じで被害者なんだから。」
「そんなことはお前に言われずとも分かってる。」
「きちんと安全な場所にいるんでしょうね?」
「一緒に連れてくる分けねえだろ(大体何でお前まで被害者面してんだ)。」

思わず遠い目でそう言いやれば、女は心底ほっとしたように表情を和らげて、それからふう、と息を吐いた。

「お前はあいつに危害を加えた方だろうが。」
「誤解しないで。今回の件もローの件も、私は一回も噛んでない。みかんに部屋を案内したのは確かに私だし、若様にはアンタの監視を頼まれたこともあったけど、きちんと断ったし抵抗した。」
「とっとと組織から出ればいいだろう。」
「そう簡単に言わないで。アンタは家族が居るんだからいいけど、私には、」

そこまで言ってお互いに沈黙した。じりじりとベビー5の吸うたばこの燃える音が幽かに聞こえる。ふと思い出したが、そう言えば彼女には家族が居ないのだということを思い出して、それからその直後、ベビー5を必死にかばおうとした娘を思い起こした。

「……でも安心したわ。もしみかんがローとここに一緒に連れて来たら、それこそ若様の思うつぼだから。」
「…は?どういう意味だ。」
「え?まさか、何も知らないでここに来たわけじゃないわよね?」

女のその答えに思わず足を止めて振り向く。そこには同じように首を傾げた黒髪の女が自分を見上げて怪訝そうに眉を潜める姿があった。地下独特の冷たい空気が二人の間を漂い、静寂が再び辺りを包み込んだ。女の吸うたばこの火が絶え間なくうす暗い中で燃えて光っている。女が小さくなった煙草を足元に落として靴底で火を消し、それから口を開いた。

「意外…知らなかったなんて。もう知ってるものと思ってた。」
「何の話なんだ。早くいえ。」
「そう急かさないでよ。いい?確かに若様はローを狙っているし未だに執着してる。それは私でも見ていて分かるほどにね。でも、今回の目的はローではない。…いえ、語弊があるわね。確かにローも今回のことには随分かかわっているしターゲットには変わりないけれど、でも違う。つまり、今回の本命はロー、貴方じゃない。」
「…なんだと?」

そう言って女は懐から煙草を取り出すと、再び一本取り出して、それからじっぽの側面にとんとんと空気を丁寧に抜いてから再び加えた。かちん、という軽快な音とともに炎が灯り、それから再び先端にやんわりと火を燈し、煙が宙に舞った。

「若様が狙っていたのは、あの娘………那津みかんよ。」



運否天賦





「……うん、分かった。お願いね。」

ぷつん、と切れてようやく耳からスマホを話すと、ふうと一息つき、視線を窓の外へと向ける。すっかり日ののぼった午後一時過ぎの車窓には、相変わらず代わり映えのない光速度道路の防音壁が見えた。しかし時折防音壁の途切れた場所には山々や町の様子が垣間見れて、のんびりとしたその景色たちは、少しだけ緊張した心の内を和らげるのだった。相変わらず運転をし続けるコラさんは、私への配慮か少しの休憩を定期的に挟んでくれていたが、随分飛ばしているおかげか、この分だと夕方までには都内に着く予定である。この長期休暇のシーズンであるが、高速道路の上りは存外空いていたのだ。

「コラさん、」
「ん?何だ?」
「運転つかれませんか?もしよかったら、私変わりますよ?」
「いや、心配するな。それに君はあくまで病人だということを忘れるな。」
「……でも、やることもないですし、コラさんあまり休めてないですし。今日も徹夜だし…。」
「大丈夫だ。徹夜は仕事で慣れてるし、今は嫌でも目が冴えているから。」

彼の言い分ももっともだった。コラさんの横顔は目的地が近づくにつれてどんどん険しくなっていくように思えた。私の携帯は愚か、彼の携帯にもローさんからの連絡は来ないのだから、今一体彼がどういった状況にいるかなんてわからないし、恐らくコラさんの言動を見る限り、私が彼の後を追っていることもローさんは知らないのだ(言ったら多分私もコラさんもこっ酷く怒られるのだろう)。なので連絡が来ないのは当然と言えばそうなのだが、彼が今どうなっているのか知りたくてたまらなくて、思わず握った掌のスマホで彼に電話をかけそうになるも気持ちを落ち着かせ、何度も自分で自分を宥めては連絡を回避してきた。早く会いたいという気持ちが私も都内に近づくにつれて大きくなっていくのをじわじわと感じた。

「…何も、無きゃいいんですが……やっぱり、お互い怪我は避けられない状況なんでしょうか?」
「うーん、どうだろうな。お互い出方次第だろう。ローも馬鹿じゃない、最善は尽くすだろうが、状況次第でどうなるか分からないのが本音だな。」
「でも、もし彼に何かあったら……」
「心配するな、とは言い難いな。だが、そう心配しても意味はない。行ってみないと分からない。」
「そうですよね…ただじゃすまないんですよね…。」
「……なあ、みかんちゃん。」
「はい。」
「…君を連れて行くのが何となくまずいとは分かっているんだが、でも、それと同時に君を連れて行かないといけない気もしているんだ。」
「何故ですか?」
「よく解らねえけど、そんな気がする。俺はこの一連の事件はローももちろん深くかかわっているが、実は君がカギを握っているんじゃないかと思っている。ドフィは、多分君にも思い入れがあると思うんだ。」
「何故、そう思うんですか?」
「…強いて言えば直感、だな。一応、縁が切れたとはいえ、俺は実の弟だからな。何となくわかるんだよ。だから、こわいかもしれないけれど、もう少しだけ俺たちと一緒に居てくれ、頼む。」

もう一度最後の意思確認をするようにコラさんは私をバックミラー越しにちらりと見た。コラさんの質問はいつも選択肢が最初から一つしかない難しい質問ばかりであると思った。私は小さくミラー越しに頷くと、彼はこたえるようにこくりと頷いた。フロントガラスから見えた標識は、あと数百キロで都内に到達すると無言で私たちに告げた。

運命がこくこくと迫ってくる。


2016.03.08.




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