28

「ロー、お前は明日もいつも通り学校に行け。」
「…何言われたんだ。」
「何も言われてねえ。問題ねえっていったろう。…お前は間違ってねえよ。」
「…………。」

俺も間違っていない。そう、言っているように聞こえた。車窓の外は既に暗くなっていて、町のフィラメントや街灯が窓に乱反射した。ローは助手席で頬を突いたまま外の景色を見ていた。先ほどはよく見えなかったが、顔にいくつか傷があるのが見えた。恐らく相手のガキにつけられたのだろう。帽子のひさしからはその表情は読み取れない。

「それにしてもお前ェ、何でガキ一人意識を失うまで殴ったんだ?馬鹿にされたのか?」
「…違ェよ。俺じゃねえ。」
「何に腹が立ったんだ。」
「それは、」

そう言って歯切れ悪そうにローは暫く黙った。ドフィも視線を彼に寄越さずとも耳をそばだてているのが分かった。正直俺も素直に気になっていた。ローは確かに気の長い方ではないが、子供ながらにリスクを考えずに行動するタイプではない。何がそこまでローを突き動かしたのか、とても気になっていた(殴られたガキの方も心配だったが)。ローは少しだけ俯くと、おもむろに口を開いた。いつも以上に低く、そして子供らしくないほどに力の弱い声だった。

「…妹に、下らねえこと言うから」

ぼそりとそう呟いてローは再びそっぽを向いて静かに窓の外の世界へと意識を移した。ちらと横のドフィを見れば何も言わず、ただ黙ったまま静かに同じように窓の外を見ていた。サングラスからではその目は何を移しているか定かではない。自分もあまり興味のない風を装って、静かに煙草に火をつけようとして、無事、ライターを足元に落とした。






「…お話の途中、ごめんなさい。その、聞いてもいいですか?」
「ん、何だ。」
「ローさんのお父さんやお母さんは、何故すぐに大学病院から出なかったのですか?」

既に時刻は深夜の二時をまわっていた。私が久しく問いかければコラさんは咥えていた煙草の灰をその長い手で器用に灰皿に落とした。膝に置いたローさんの帽子を始終小さく力を入れていたので、掌が微妙に湿り気と熱を帯びていた。

「ローの親父さんたちは、本当ならすぐにでも子供たちを守るために出ていきたかったらしいんだが、どうしてもすぐには出られない事情があった。」
「事情?」
「ローの親父さんたちは本当に腕のいい医者だったんだ。今でもそうだが、当時から患者たちの信頼は厚く、ローの親父さんに診てもらいたいと願い出る患者は少なくなくなかったんだ。只でさえ心臓内臓専門で多数の術式経験もあるローの親父さんは重い病気をした患者たちを見る機会は多い。残ってほしいという声も根強かった。なにしろ、不正ばかりする名ばかりのやぶ医者だらけの病院なんだ、患者たちがそう望むのも無理もないだろう。」
「…そうだったんですか。」
「だが、それが逆に俺たちには幸運だったかもしれない。ローたちには本当に悪いと思っているが、時間がかかった分だけ、不正の証拠を集める時間稼ぎにもなった。皮肉なことにな。」
「それにしても、ドフィさんは、そんなにローさんを大事にしていたんですか?だとしたら、何故、ローさんはドフィさんから距離を置くことになったんですか?」
「ここからがまた長いんだが、色々あったんだ。俺の話も少し話させてもらえるかな?」
「もちろんです。」

コラさんは私がそう答えるのを聞くと小さく笑って頷いて、そしてもう小さくなった煙草を灰皿に押し付けた。そしてもう何本目か分からないが箱から煙草を取り出すと、ライターで火をつけようとして、無事、ライターを足元に落とした。幸い、火は出ていなかった。箱をよく見たら、ローさんが時々吸っているものと全く同じ銘柄だった。


破鏡再び照らさず




実の兄であるドフィと確執が生まれたのはいつの頃だったか。その頃の自分はまだ物心がついたばかりの頃で、この世には絶対悪などないのだと、本気でそう思っていた。まさか、自分の隣に立つこの兄こそが、その絶対悪の化身のような人間だとは気付かずに、のうのうと生きていたのだ。今思えば、あの頃が一番、幸福だったのかもしれない。

何一つ不自由のない家に生まれ、生まれた頃から充足が当たり前で、望めばすべてが手に入った。財力のある父はしかし奢ることは無く、そんな心優しい父に追随するように穏やかな母がいつも家庭を明るくしていた。満ち足りた日々、幸せな家庭。何一つ申し分ない家庭の中で、なぜか俺の中の記憶の兄はいつも不満そうな顔をしていたのを覚えている。ドフィは家族写真を嫌った。笑顔で皆で阿呆面を曝すのは嫌だと言った。ドフィは今度は学校を嫌った。低俗な人々と同じ空気を吸うのは耐えられないと言った。そしてドフィは家族を嫌った。そして齢13の時、ドフィは家族の前から姿を消した。母は心労で倒れた。父は神経症で悩まされ、仕事も無理を重ねるようになった。







「それからの俺は、何とかドフィを家に連れ戻すことで必死だった。ドフィが危ない奴らとつるみだそうとも、人に危害を加えようとも、俺は兄を信じていた。いつか、必ず心を入れ替えて母の下に戻ってくるとな………でも、俺の考えは甘かったんだ。いくら血を分けた兄弟とはいえ、ドフィも一個の人間だ。ドフラミンゴが再び母に会うことは無かった。そして、もう二度と母はドフィを見ることは無かった。」
「…………、」







母が亡くなったのはもう二十年以上も前のことだ。最後までドフィを案じて俺の手と親父の手を握って息を引き取った母の姿が、目に焼き付いて離れない。今でも、静かな夜には思い出す。母が亡くなる前、俺は思い切ってドフィに会いに行った。冷たい夜露の降る、静かなようだった。

「、」
「…なんだ、お前か」
「………ははうえ、が…」
「……………。」


その刹那、ドフィは微かにサングラスの奥の目を揺らせた気がした。お互い傘も差さず、前髪はずぶぬれで、寒さと涙が出そうなのを握り拳を作って必死に我慢した。最後に振り絞る様にして出した声は、最後の方は夜露の音で聞こえていたか定かではない。ドフィの周りにはトレーボルや他の幹部たちが静かに寄り添っていた。俺を虫けらでも見るような目で見ていた。

「……帰れ。」

にたりと、ドフィの横の男が下卑た笑いを浮かべた。俺はその刹那、ドフィはもう、他人であるのだと、自分とは違う世界に生きる人間なのだと、ようやく気が付いた。







「…ドフィと再会を果たしたのはそれから十年後のことだ。俺はその頃、こんな身でも一丁前に防衛省に勤めていた。所謂、工作員としての教育を受けていた。別段理由もなかったが、今思えば、道を外した兄に反発して俺はその真反対の道を歩みたかったのかもしれない。」

厳しい訓練でひいひい言っていた中、一つの転機が訪れることになった。噂で聞いていたが、とあるシンジケートが都心を拠点にドラッグを皮切りに武器や性犯罪に手を出して勢力を拡大させているという。そのシンジケートのボスが、何を隠そう自分の実の兄だったのだから俺も流石に驚いた。もう音信不通になって十年。どこかで野垂れ死にでもしているものだと思って侮っていたが、まさかこういった才能を兄が持っているとは思えなかった。俺はすぐに上に呼び出され、極秘任務で刑事五課の者と提携してドフィ達の組織を壊滅させる壮大な計画が始動された。実の弟である俺なら、十年以上もあっていない俺なら、近づける可能性があったのだ。チャンスだと思った。これ以上兄を野放しにしてはならない。いくら縁を切ったからと言って、血は抗えない。腐っても兄弟だ。

「兄の始末は弟がする、そう思って、俺は喜んでこの危険な賭けに出ることにしたんだ。」



2016.02.11.




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