26

お前は俺に似ている。俺の後を継ぐに相応しい人間だ。
ロー、俺の後を継ぐのはお前しかねェ。







「……………」

全く、今思い出しただけでも虫唾が走る。思わずハンドルを握る手に力が入って、深夜の高速道路の人通りのないことをいいことに、きつく、アクセルを踏み込んだ。久々に誰もいない助手席を視界にとらえた刹那、今度は思わずさまざまな感情が込み上げて、柄にもなく心臓の辺りにぽっかりと穴が開いたような虚しい気持ちがした。



会うは別れの始め





「トラファルガー、さんでしたね?彼女とはどういったご関係ですか?」
「俺は…」

と言いかけて思わず珍しく視線を下ろした。目の前にいた看護婦が首を傾げた。

「彼女は彼の恋人です。」
「コラさん、」

思わず口を噤んでしまった俺のかわりに返事を返したのは俺のすぐ後ろで息を切らした長身の金髪の男であった。男は俺と視線を交えると下手糞なウィンクをしたので、それまで張り詰めていた緊張が一気にほぐれて、全身が脱力するような気がした。安心した、と言っていいかもしれない。

「あなた様は?」
「俺はこの子のおじでドンキホーテ・ロシナンテです。受け付けは一応あっちで済ませました。」
「そうでしたか。ご苦労様です。」
「たまたま俺の家に遊びに行ってる最中に事故になったみたいで、本当に申し訳ないです。」
「いえ。見つけたのが医大生の方でよかったですよ。おかげでスムーズに処置が出来ましたから。」
「じゃあ、あの子は大丈夫なんですね。」
「ええ。命に別状はありません。全身に打撲を負っていて、右足には捻挫がありますが。ただ、万が一を考えてCTスキャンをしていますので、そこで終わるまで暫くの間お待ちください。」

看護婦はそれから二言三言連絡を伝えると、そのまま廊下の奥へと消えた。なんだかひどく疲れていて、そのまま再び椅子に腰かけた。コラさんも隣に座ると、手持無沙汰だったのかすぐ近くの自販でブラックコーヒーを二つ買うと俺に手渡した。

「CTスキャンって結構かかるのか?」
「症状によるが、今回の場合は今日中には出るだろう。」
「…そうか。でも良かったな、派手に怪我せず済んで。女の子だからなァ。顔なんかに怪我したら、親御さんや彼女に俺たち土下座しても足りねェくらいだぞ。」
「…ああ。」

ぶしゅ、と缶を開けて敢えて呑気そうな声を上げてコラさんは俺の心の状態をリトマス紙に液体を馴染ませる時のように慎重に、そして注意深く探っていた。これは彼の昔からの癖であり、彼なりの優しさの表れであった。

「ロー、そんなに心配するなよ、お前が一番分かっているだろうが。」
「コラさん、」
「何だ。」
「俺はもうガキじゃねえ。」
「………ああ、分かってるさ。」
「だというのに、女一人の面倒も見きれねェ。何でもかんでも一人で背負いこめるぐらいに強くなったと自分でも思っていたが、あいつが裏庭で倒れているのを見た瞬間、正直俺は自信が失せた。」

実直にそう伝えればコラさんは目を見開いて驚いているようだった。正直こんな風に面と向かって直接このような話をするのは本当にいつ振りだろうか。こんな時に話すのは不謹慎なのかもしれないが、今でなければ伝えられないと、本当にそう思った。コラさんはいつものようなふざけた表情一つせず自分の持っていた缶を見つめると、しばらく口を開かなかった。夜八時を回った病院は大きな病院とはいえひっそりとしていて、避難経路を知らせる緑のランプが嫌に明るく見えた。

「ロー。」
「…………。」
「今回のことは誰も悪い奴なんていない。あいつ等のせいでもないし、お前のせいでもないし、況してや彼女のせいでもない。人生にはこういうこともあるんだ。誰も悪くないのに、運命の悪戯で運悪くそういうことに居合わせることもあるんだ。だからお前が気にすることは無い。良かったじゃないか、あの子が生きてて。じゃなけりゃお前はそんな弱音さえも吐けなかったはずだ。」

コラさんは一つ一つ丁寧に、慌てずそれをゆっくり俺に言い聞かせると、ようやくにっかといつものように笑った。そしてコーヒーを飲み干したのかすぐ傍の込み箱に投げ入れようとしたが奇跡的に缶はゴミ箱の縁に思い切り当たり、それはコラさんの額めがけてバウンドしたかと思えば予想通り彼の額にごん、という音を立ててクリティカルヒットした。

「フガッ」

という妙な声を上げて隣で額を押さえながら悶絶するいい年をした男の姿に思わずふ、と漏らすと、そのまま堰を切ったように笑が込み上げた。それを見たコラさんは涙目を浮かばせながら得意げな表情で俺を見た。

「…ま、こうやって俺は態と笑わせられるほどに余裕のある大人だけどな。」
「…そうか。」

コラさんの間抜けな面を見ていたら何だか心底どうでもよくなって兎に角今はみかんの病状がいい方向へと向かうように願った。しかし、今回の予想外の事故で少々また予定が狂ってしまった。

「本当はこの間あいつと約束した通り一人で行かずに全てあいつに話してからみかん自身が望んだうえで、みかんを連れてあの男の下に行こうと思っていたんだが、もうこの分だと無理だろう。」
「確かに、怪我を負ったあの子を連れまわすわけには行かないな。残念だが、俺がここで彼女を見ていよう。」
「…いや、むしろ好都合だった。」
「好都合?」
「ああ。正直、俺は未だにみかんをこれ以上巻き込みたくないと思っている。ほとんどの原因は俺で、あいつはたまたまどばっちりを受けたに過ぎない。あいつはもう最後まで俺についていく気だったろうが、俺はもうこの辺であいつを開放してやりたいと思っている。みかんの実家が近いらしいんだが、」
「実家?彼女のか?」

コラさんがそう聞いたので横目で彼を見据えて小さく頷いた。

「九州だそうだ。詳しくは聞いてねえが、聞けばすぐ答えるだろう。」
「俺は別に構わねえが、ロー、お前はどうするつもりだ?その間。」
「……会いに行く。」
「ドフィにか…。もういいんだな。」
「ああ。コラさんの言うとおり、例の場所にいた。」
「そうか…、じゃあ、あいつらの狙いもわかったんだな。」
「ああ。…こんなことを頼めるのはコラさんしかいねェ。頼む、みかんの意識が戻ったら、あいつを実家に送ってくれねえか。」
「ロー。」
「何も言わずに、俺はもう帰ったと言って、送ってやってくれ、頼む。」

俺がそう言ってまっすぐ視線を彼に向ければ、その同じ三白眼が小さく揺れた気がした。間遠に救急車がこちらに近づいてくる音が聞こえて、ばたばたあわただしく廊下を駆ける音がした。コラさんは暫く黙った後、口元をゆるめて息を吐いた。

「分かった、そうしよう。」

その一言を聞くと思わず安心して彼と同じく口元を緩めた。久々に顔を突き合わせての会話がこのような重苦しいものになるとは思わなかったが、彼は相変わらず無理難題も引き受けてくれるほどにどこまでも優しかった。やはりみかんと似ていて断れない気質なのだろう。自分にはないもので、ひどく羨ましいと思った。そうこうしているうちに、閉じられていたCTスキャンのある診療室の扉が開いて、中肉中背の男性の看護士がこちらに歩いてきた。その後ろから今回の担当医だったらしい初老の男性、恐らく自分と変わらぬ年齢の研修医が現れた。

「お待たせしました。診断結果の方ですが、もう少々時間がかかります。ですが数時間後に分かると思います。断定はできませんが、何しろ軽い脳震盪のようですので。恐らく記憶障害も残らないでしょう。ただし、起きた直後は混乱するかもしれませんが、時間が経てば大丈夫です。ただ、一日様子を見たいので、今日はここで泊まって頂きましょう。明日以降は様子を見て自宅に返すか決めましょう。」
「分かりました、どうも、ありがとうございます。」

コラさんはそう言って初老の男に頭を下げると、そのまま俺を連れて今日泊まる部屋へと運ばれるみかんの眠るベッドへと近づいた。静かに呼吸を繰り返すその姿はまるでおとぎ話の中の主人公のようだった。部屋へと到着すると、コラさんは今一度初対面であるみかんの顔をまじまじと見て、それから交互に俺を見た。

「可愛い娘じゃないか、ロー。小さいな。」
「俺たちに比べれば女は大体小さいだろう。」
「はは、そりゃそうか。でも、可愛いよ。素直そうだし、ドフィが目をつける訳だ。」
「どっかのだれかと似て馬鹿が付くほど御人好しだからな。」
「そうかァ……。早く話してみたいもんだ。」
「…そうだな。」

俺もそう思う、と言う言葉はすっかりぬるくなって飲めたもんじゃなくなったブラックコーヒーを飲んで押しこんだ。多分、こいつが目を覚ました時、俺はもうこいつの視界には居ないのだろうと思うと、永遠の別れでもあるまいし何故だか胸が痛んだ。コラさんがみかんの入院手続きと処方箋の手続きに出ると言って部屋を後にした時、暫く俺はみかんのベッドに近づくことが出来なかった。頭の中は彼女と、そしてあのサングラスのいやらしい顔が交互にちらついてごちゃごちゃした。みかん、と名前を呼んでみれば今すぐにでも起きてきそうだった。小望月の月明かりに照らされて青白く浮かぶ頬には長い睫が影を落としていた。触れるのもためらわれるほどに静かだった。

ようやく彼女の眠るベッドの下へと歩み寄ると、静かにその頬に手を伸ばしてみた。大福餅のように柔らかでさらさらした。みかんと会ってからというもの、毎日が目まぐるしくて、新鮮で、自分は随分長い間みかんと一緒にいるように思っていたが、こうして冷静に彼女と静かな対峙を果たすまで気が付かなかったが、自分はみかんについて何一つ知らないし、みかんもまた、俺について何も知らないのだった。それが今はひどくもどかしかった。一から十あれば、今すぐにでもその全てを話したい衝動に駆られた。今は少しでも自分たちの間にある隙間を埋めることに専念したかった。

しかし、今はそんなことは出来ない。気が付くのが遅かったのだ。学業が少しできるからと言って、歳を少しとったからと言って、すべて悟ることは出来ないのだとよく解った。しかし、そんな自分でも少しでも希望があるならば、目の前で静かに眠るこの心優しい女が、俺が目の前から姿を消すことによって傷つかないようにあってほしいと思う。いっそのこと、結局かわしたほとんどの約束を果たせそうにない俺を憎んで、嫌って、それで気が晴れるのならそれでいいと思う。腹立たしい事件に巻き込まれたと言うのにここまで面白おかしく楽しい思いを出来たのは、彼女あってこそだった。正直、もう少し傍に居たかったが、もう、時間は然程残されていない。

「みかん、」

小さな個室に自分の低い声が響いた。いつもなら名前を呼べば真っ先に素っ頓狂な返事を上げる彼女は、今は瞼一つも動かすことは無かった。ぎりぎりまでこの女の傍に居てやることぐらいはできるが、目の前の女が目覚めるまで待つ時間はない。

「…俺は行くぞ、お前を置いて。」

冷たい空気が横たわるこの密室で、何度も心の内で彼女の名を呼びかけ、そしてあのふにゃりと笑う顔を思い浮かべて瞼を閉じた。もうとっくに、自分の中で覚悟は決まっていた。


2016.01.28.





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