25

「ぎゃあああ!」

奇声が素敵なコテージのリビングに響いた。外ではそれまで鳴いていたはずの蝉たちが一瞬黙った気がした。それほどまでにすごい奇声であったのだろう。ドスンとただでさえ怪我を負っていた私の体に長身の男性が覆いかぶさってきて、ああ、これはアバラも逝ってしまうんではと頭によぎったとき、辛うじて男性はその長い手をついて衝撃を和らげた。

「だ…いじょうぶか?」
「……は、はい。」

至近距離でその三白眼とこんにちわすることになるとは、数分前の私は想像すらできなかった。いそいそと目の前の男性は何とか立ち上がると、私に手を貸した。そして男性はおろおろと私の様子を確認し、今しがたのハプニングにて新たな怪我を負っていないか確認すると、こほんと咳払いを一つ。

「本当にすまなかった。突然、こんな痴態を曝すとは…」
「あ、いいえ。そちらこそ御怪我はありませんか?」
「ああ。慣れっこだ。」
「よく転ばれるんですか…?」
「ああ。まあな。空気にな、うん。」

やんわり耳を赤くさせて男性はまた改めると突然真剣なお顔に戻ってとりあえず現状の説明をしようと私に肩を貸しながらリビングのソファへと勧めた。そして用意していたらしいお茶の準備をしてくれて、私も手伝おうかと申し出れば大丈夫だと言われた。そして案の定、お茶を運ぶ際に彼は今度はカーペットにけつまずき、トレイを床にぶちまけたので、私はその掃除と新しい紅茶を淹れることとなった。

「…………(しゅん)」
「あ、あの、全然気にしてませんから、御気になさらず、」
「すまない…余計な仕事を増やしたな。けが人に何をやらせているんだろうな、俺は。」

ずーん、という効果音が的確なほどに彼は負のオーラを背負ってソファの隅に小さくなってしまった。大の大人のそのような寂しい背中を見ていたたまれずに声を掛けたが逆効果であったらしい。

「…こんなことじゃまたローに叱られちまうな。」
「あ、そうでした。あの、あなたはローさんのどういったご関係で…お知り合いでしたか?」

そう言えば色々出会いがしらに起こりすぎてしまってすっかり自己紹介も遅れていたし、名もお互い分からぬ状態であった。雰囲気で何となくローさんのお知り合いだということは察知していたが、色々知りたいことがある。私がそう問いかければ彼は思いだしたように顔を上げて先ほどの真剣な顔つきに戻った。そして私に向き合うと、遅れてしまったが、と前置きを置いて口を開き始めた。

「俺の名はドンキホーテ・ロシナンテだ。」
「ロシナンテ……あ。」
「そうだ。確か、君の携帯に俺の携帯番号が登録されてるだろう?」
「もしかして、あの、“コラサン”、ですか?」
「そうそう。ローたちにはそう呼ばれている。」

そう言ってにこりと笑って彼はカップに口をつけた。そして思いのほか熱かったのか少しだけ口からこぼしたので、私は予め持っていた布巾をさりげなく差し出した。我ながらナイスアシストだと思う。そしてここまで来ると彼も私のアシストを受け入れ始めたので、順応とはすごいものだなあと少しだけ感動した。それにしてもどこかで聞いた名前だなあとぼんやり思いながらも、矢継ぎ早にロシナンテ基コラさんは離しを進めるので質問を挟む余地はなかった。

「君はみかんちゃんだね。ローから話は聞いているよ。でも、想像以上に可愛いし、優しい子だ。」
「いや、そんな、私は…」
「いやいや。本当だよ。通りでローが気に入るはずだ。すごく面白い子だから会わせたいって何度も電話で言ってからな。」
「…左様ですか(だから面白いってなんなんだ…)。」
「うん。今までそう言う子、全然いなかったからな。嬉しいよ。で、付き合って間もないんだよな?」
「え…?あの、付き合うというのは?」
「え?みかんちゃんとローは付き合ってるんじゃないのか?恋人同士じゃないのか?」
「え」
「え」
「…………。」
「…………。」
「あ、あの、私とローさんは、恋人同士では、」
「え゛ッ!違うのか!?」
「……はい。」
「うそだろ…」

そう言ってコラさんはあまりのショックでしばし固まったかと思えば口から紅茶をまた零した。そしてそんなことなどお構いなしで、兎に角私を見つめたかと思えば今度はがしりと勢いよく私の両肩を掴んだ。あまりの剣幕に私は再び震えて目をそらすことも出来なかった。彼もかなり動揺しているらしい、ふわふわな金髪に覆われて見え隠れする額には汗がにじんでいた。

「俺、てっきりもうデキてるもんだと思ってこんなベッドが一つしかないコテージにみかんちゃんとローをかくまっちゃったんだけど、えっ、ウソだろ…。これじゃ、恋仲でもない若い男女を一つ屋根の下に放りこんでしまったってことだよな……ええ!?」
「あ、あの、一旦落ち着きましょう。確かに私たちは数日間この一つ屋根の下で暮らしてましたが、ここに来る以前も彼の家に泊まってましたし、ベッドも一緒だったけれど別に何も…(何もないのも何もないで問題だと思うが)」
「ベッド一緒だったのかよ!?ウソだろぉぉぉ!」

うわあああああ、とますます一人でパニックを起こす彼に私はどうしてよいか分からず、とりあえず落ち着いてください、と声を掛けるしかなかった。

「…ごめん、俺が早とちりをしちまったばっかりに…!」
「いや、大丈夫ですって、間違いは起きてませんから。」
「いや、それもそれで逆に心配だな…。何だってんだローの奴、こんなかわいい子とベッド一緒だったってのに手ェ出さねえなんてな、ありえねえよ…。」
「やっぱり、手出さないってことは私に魅力がないんじゃ…」
「嫌、それは違う。あいつは本当に君のことを気に入ってるんだ。じゃなきゃここまで君を連れまわしたりしないよ。…とはいえ、案外むっつりなんだな、知らなかったぜ。」
「あ!やっぱりそうなんですかね?」
「そうだと思うな、俺は。思い当たる節ある?」
「そうですね、むっつりっていうか、なんていうか…たとえば、いい肉枕だとか言われて勝手に私の膝に頭をのっけて来たりお腹をまさぐられたり、一緒に寝た時には顔が目と鼻の先にあって私が動揺したところをみて笑ったり、私を抱き枕にしてその足をお腹に回してみたり…」
「それ完全に恋人じゃねーかっ!!!」

大きな突込みをされてはたと気づくと、私は「やっぱりそうですよね!可笑しいですよね!?」という同調のまなざしを向けながら彼と手を取り合った。やっぱり私は間違ってなんかなかったんだ、普通に冷静になって傍から見れば完全に彼は私に好意を寄せてるんだと今更だがふつふつと不思議な自信が湧いてきた。コラさんはもう顔を青くさせたり赤くさせたりしながら嬉しいんだか嬉しくないんだか分からない表情で一喜一憂した。どちらにせよ、私とコラさんは出会ってすぐさま曲がりなりにも意気投合したことには違いなかった。

「でもよかったよ、みかんちゃんもローのこと気に入ってくれてて。」
「いいえ、そんな、気に入るなんてめっそうもない。私がミーハーなだけで…」
「でもローに対してだけなんだろう?」
「そ、そうですね。」
「だろう?大丈夫だ。恥ずかしがることは無い。ローも君と同じ気持ちだろう。ただ、あいつの場合それが愛情だって気が付いてないかもしれないが。」
「……そう、なのかなあ。」
「そうだよ。」

コラさんはそういってにっこり笑うと、ようやく落ち着いたのか席に着いた。そして私に理を淹れると懐から煙草を出して灰皿に器用に灰を落とした。壁掛けの時計を見ればちょうど十二時を回ったとこだった。もうこんな時間だったのかと思って、私は一体どれくらい寝ていたんだろうと今一度疑問が浮かんだ。それに、ローさんはどこに行ったんだろう。落ち着いた途端、先ほど妙な胸騒ぎと言うか妙な感覚が再び浮上し始めた。

「あの、ろしなんて、さん。」
「言いにくいならコラさんでいいぞ。」
「……コラさん、あの、ローさんは今、どこ?」

私の問いにコラさんはふう、と煙草の息を吐くと、まだ少しだけ残っていた煙草を灰皿に押し付けた。そして先ほどとはうって変った様子で私を見据えた。

「ローは、今は此処には居ない。つい数時間前までは君の傍にずっといたんだ。すごく心配していた。」
「私、そんなにひどい様子だったですか?」
「やっぱり覚えてないか。君が倒れてもう二日経とうとしているんだ。」
「二日!?」
「そうだ。まあ、ずっと寝ていたから知らないのは無理ないだろう。君は全身を軽く打っていたし、足にも怪我を負って、その上脳震盪を起こしたんだ。きちんと病院でCTスキャンまでしたから心配はないだろうがな。後遺症が残ったらまずいって、珍しくローが取り乱していた。」
「そういえば私、小さな崖から落ちて…」
「そうらしいな。でもよく頑張ったよ。コテージのすぐ裏手で倒れてたんだ。でなけりゃ発見がもう少し遅れていただろう。」

言われてみてようやく私は自分の抜け落ちていた記憶が戻っていく気がした。辛うじて記憶が思い出せるところを見ると、それほど重度の脳震盪ではなかったように思える。私を見つけてくれたのは、どうやらローさんらしい。それを知って思わず膝の上に載せていた彼の帽子を握る手の力が再び入った。

「兎に角、ローは今ここに居ない。そして今すぐ会えない。」
「……それは、何故ですか?」
「…それを話すには、かなり時間が居るし、さっき俺が言った通り色々順序立てなきゃならない。正直に話すと、俺は起きた君を見るまではついさっきまで何も話さずに君を実家まで送ろうと思っていたし、ローもそれを望んでいる。」
「ろー、さんが?」

言われて思わずたじろぐ。なんだか今まで一緒に居たのに急に突き放されたように腹の底が冷える感覚を覚えた。崖から足を踏み外した時とはまた違う恐怖と寂しさが私の心を覆った。しかし、それを少し和らげたのは続けざまに放たれた目の前の彼の言葉だった。


「だが…俺は君を見た瞬間、やはり話した方がいいと確信した。ローのことと、それから少し、俺のことも。君の話も俺は後で聞きたいんだ。君の半生をね。でも、それには時間がかかりすぎる。」
「はい。」
「もし、今とても疲れているのなら、俺は後で話してもいいと思っている。もうこんな時間だしな。」

そう言ってコラさんは壁掛けの時計を見て、私に小さく笑った。私に問いかけるような視線だった。無理をしないでくれ、ともその瞳は言いかけているように見えた。長い間自分が眠っていたなんて本当に信じられなかったが、夢の中で、ぼんやりと、誰かが私の名前をずっと呼んでいたような気がしていたので、それは間違いなくローさんだったに違いないと、本当に夢のようなおかしなことを真剣に考えてしまった。もう十分に夢は見た。そろそろ現実に戻らなければ。

「大丈夫です。もう十分休みましたから。教えてください、彼は、どこにいるんですか?」

私が意を決したようにそう静かに問いかければ、彼は小さく頷いた。そしてその大きな掌を自分の膝の上で組むと、じっと私をまっすぐ見据えて静かに語り始めた。

「ローは今、ドンキホーテ・ドフラミンゴの下に向かっている。…俺の血のつながった実の兄であり、今回の一連の“おふざけ”の黒幕の下に、な。」


危急存亡の秋




執筆 2016.01.28.





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